089 記憶一つ
*** 神代晴 ***
秋雨の夜道。傘が弾く雨音と足元で跳ねる雨音と、どっちが大きいだろうとぼんやり考えながら家路についている。
淡々と仕事をこなし、求められれば必要以上のこともやって、そうやって過ごしてきて。
ふと、俺は何をやっているんだっけと我に返るというか、我を忘れるというか、そういう時がある。
丁度今がそれだった。
2 度ほど職場が変わり、綾花が生まれ、そろそろ大学に戻らないかという話が最近は出てきている。
慌ただしい仕事と対照的に家は落ち着く。それは一香が良くしてくれているからだろう。
一香もフルタイムで復帰しているが、
「私の方が子供とも相性が良さそうだから」
と言って、綾花の保育園通いに合わせたスケジュールで大体は動いてくれている。
もちろん俺も週に 1, 2 度送り迎えをする日があるが、子供の世話がこんなに大変だと思わなかった俺としては一香に頭が上がらない。
食事は一香に任せている代わりに、洗い物と洗濯は俺の担当だ。それから散らかしたい盛りの綾花の遊びのアトを片付けるのも。
綾花の機嫌次第でどちらかが綾花を寝かしつけ、割と早寝な一香も眠ってしまうと、俺は大抵の場合ノートパソコンを立ち上げる。
いつからだろう。漫画やソーシャルゲームに手を付けなくなり、何となく書き物を始めるようになっていた。
元々文系気質だったが、どういうわけだか今の職についている。
まぁそれはいいとして、大学時代は随分読書量が減り活字と離れて久しかったが、思い立って文章を書き始めてみるとこれが案外楽しかった。
趣味だったギターも綾花がいると中々触ることができず、それにマンションだと夜は尚更音を気にして、もう随分弦は錆びたままになっている。
じゃあ本を読もう、ゲームをしようと思っても、昔ほど食指が動かないのはなぜだろう?
その点、書き物は良い。
日々の随筆でも、空想でも、言葉を重ねていくにつれて、出来上がった世界に没頭できる気がするから。
最近はミステリーを書くための構想を練るのが楽しい。古典を嗜んでいないため現代的な、中でもいわゆる日常の謎を扱った作風が好きで、その類だ。
これなら人と人の認識の違い、関係性やちょっとした感覚の違いをテーマに、俺にも書けるんじゃないかという気がして取り掛かってみた。
面白いもので、何かアイディアをと周りの人の仕草や癖、他の人との考え方や見方の違いを気にして過ごすと、そのどれもがテーマにできるような気がしてくる。そして同時に、それを自分が作品に昇華できるか怪しいとも思う。
とりあえずと思って今は “鍵をかけたのは誰だ” と仮題した話を作り始めている。
いつも使う部室に手持ちの鞄を忘れてしまった主人公。部室は使用後、日替わりで鍵担当の部員が責任を持って点検し、そして鍵をかける。忘れ物があれば当然その人物が回収しているはずだ。しかしこの日鍵を開け閉めしたことになっている同級生に連絡を取ると、担当していないという。間の悪いことに主人公はこんな日に限って友人から借りたとあるモノを鞄に入れたままだった。普段使いのリュックとは別にしていたことが災いしたのだ。
アレを誰かに見られるのはまずい!いやそもそも何で今日に限ってこんなことが起きた?
主人公はアレの回収のため、完全下校時刻まで時間がない中、鍵の行方を探す。
筋書きを書いてみて、今は仕掛けに矛盾がないか確認しつつ登場人物の動きを設定中だ。
うん、まぁ、とりあえず大事なのは終わりまで書き上げることで、素人の俺にとって出来は大して重要じゃない。そもそも誰かに見せようと書いているわけでもないし。
書き物を始めたのは実のところ、いつかの "少女" とのことが忘れられなかったからでもある。
少女とのやり取りを文字に起こし、本当に異世界に転生していたら今頃こんなこともあったかなぁ、なんて、そんな他愛無い妄想を打ち出してみたのがきっかけだった。
その物語もまだ続いていて、今は俺こと主人公がなぜか魔王になって勇者と戦う章が始まったところだ。
我ながら何をしているんだか。
まぁいいか。誰を傷つけているわけでもないんだ。
気になっているのは、相変わらずあの夢がただの夢にしてはあまりにも実感を伴って俺の中に記憶されたままだということ。
最近は一香にぼうっとしていると指摘されることこそないが、実際には、俺は不安定な心に対して家族という支えで折り合いをつけているだけだ。
俺の感覚はあまり変わっていない。
いい大人がたかが夢か現か分からない記憶一つで馬鹿馬鹿しい・・・完全にそう思えるようにと、俺はこの記憶を物語に落とし込もうとしているのかもしれない。
あれこれ考えているうちに家についた。
何度か引っ越しているとはいえ、雨の帰り道はあの日を思い出して歩みが遅くなる。
・・・さて、今日はそろそろ “鍵を” の書き出しに着手して、物語の方も勇者のご意見を拝聴することにしようかな。
それからたまには一香と二人の時間を楽しみたいところだけど、今日はどうだろう。
「ただいま」
玄関の扉を引き、家の中に声をかける。
「おとうさんおかえり!」
風呂あがりらしい綾花がドタドタと走って出迎えてくれた。
*** フェイト=キャスカ ***
ログラムという闇属性のデモンゴーレムはとてつもなく強かった。
常闇も周囲に侵食させる余裕がなくて全て身に纏い、それでも勝てたのはタイミングがよかったからと思えるくらいに。
その後の序列 4 位オイクサと序列 3 位チュウヒにはログラムほどの苦戦を強いられなかったので、私としては序列が間違っていると思う。
序列も残すところ 2 つ。私は気合を入れ直して舞台に上がる。
「さすがに裏までくる連中は、強いよねー」
舞台の上で待ち構えていた彼女が言う。連中?一人で来たんだけど、以前もいたのかな。
「私はロイド=アンキスロライト。見ての通り精霊よ。よろしく」
自己紹介を聞いて、ついに、と思う。
これまでの序列戦、他のメンバーがずっと観戦していたのを鬱陶しく思っていたけれど、その中にあって彼女は明らかに異質だった。
どうみても精霊。
この世界で初めて見る、自律した精霊だった。常闇は私ありきなので除外して。
もしかしたらこの精霊が 1 位かな、と予想していたのは外れたわけだけれど、さすがに精霊となれば強さも桁が違いそうだ。
そんなことを考えつつ、私は初めから常闇を完全に纏って構える。
「じゃ、いくわよ」
アンキスロライトの掛け声で戦闘が始まった。
初手、アンキスロライトはいきなり大技。舞台を覆い尽くす水がどこからともなく湧き出し、一気に嵩を増していく。
膝も胸も一瞬で、すぐにそれは 3 m 程になる。
ただの水責めなら私にも操れると思ったのは間違いで、私が沈んだ水は彼女の強力な支配下にあった。
常闇を纏っていることで水を介した体の制御までは奪われていない。
私はそれならと魔法を溜め、水中で炸裂させる。
バリリッと聞こえそうな電光が水中を錯綜し、少しの間水の制御が弱まった隙に一部の水の制御権を奪い、一気に水面へ浮上した。
この部屋全部が水浸しになったらどうしようと思っていたけれど、制御できる量の関係か、これ以上の水を生み出すつもりはないらしい。
アンキスロライトは私の雷魔法を喰らった様子もなく、水中からこちらを伺っている。見れば、彼女の周りには数層空気の層が展開されているようだった。
水の制御権も、確保した足場以外の分は彼女に戻ってしまう。どうしよう。
ただ悠長に構えているわけにもいかない。柔軟な柱のように、あるいは縄のように水が水面上の私に襲いかかってくる。足場すら危うい。
何とも今ひとつな手応えだけれど、一応剣で応じることができるのが幸いか。
防戦一方では仕方ない。私は常闇を纏うのを止め、足場伝いに水中に影を伸ばす。
おぉ・・・さすが常闇。水中でも抵抗少なくアンキスロライトを目指せる。問題は上の対処を生身の私でしないといけないことかな。
そう思いつつ、抵抗の弱い今のうちにと一気に影を伸ばすと、アンキスロライトも対抗するように水の抵抗を強くする。反対に水上の攻撃は弱まった。
これは案外いけるかもしれない。
私の影か、彼女の水か。先にどちらかを取り込めた方が勝つ気がする。
彼女の抵抗は 3 次元的なものから彼女を守るような面になり、そしてついには私の影と一本の線になった。エネルギー波的なものをぶつけ合って押し負かそうとする漫画のワンシーンを思い出してしまう。
こういう場合少し横からの力を加えてうまく逸らすのがコツのはずだけど、周りの水が感知の役割を増しているのか、それは拒まれる。それに一旦影に力を振り切ってしまった以上、水への干渉を増そうとすると一気に押し切られかねない。
ピィーッ!!
「な、何?!」
突然甲高い音が鳴り響いた。
音は鳴り続け、共鳴するように水の抵抗に強弱が生まれる。
・・・アンキスロライロの笛だ。何のために持っているんだろうと思っていたけど、あれもちゃんと彼女の武器だったのか。
引いては寄せる水の波動は徐々に影を押し返し、一際高く鳴り響いたのと同時に、私は水に呑まれて動けなくなった。
「あんた、いい線いってるけど、今回は私の勝ちね」
場外で再構成された私にアンキスロライトが嬉しそうに声をかける。
王の間までずっと張り詰めていた緊張、そして突然始まった序列戦。
私は誰かの悪ふざけとしか思えないこの舞台と試合にそこはかとなく憤りを覚えていたけれど、屈託の無い彼女の表情を見ているとそんなことは今はどうでもいい気がして、素直に悔しいと思った。
「・・・待ってなさい。すぐに倒してあげるから」
それから、観戦している序列 1 位のあんたも、ね。
心の中で呟いて、私は部屋に戻った。
「常闇。あれ、どうするのが正解だったんだろ」
「何はともあれ水が厄介ですね。さすが水の精霊というところでしょうか」
「影は物量に限界があるからね・・・」
「ではその影を増やせばよいのではないでしょうか」
「それは試合中も考えてたわよ。でもそもそもあそこって、空間自体が明るいのよね」
光源を攻撃する。却下。光源らしきものが見当たらなくて、壁全体が発光しているような明るさ。
影で水を包む。却下。そんなことをしている余裕はさすがにない。
常闇から一旦離れて雷魔法で攻める。検討の余地あり。
彼女が水を笛の響きで強化したように、私も自分の魔法の強化方法を探す。検討の余地あり。
うーん、どうしたものか。
最下層への挑戦権には確実に近づけている。
*** グース=ルダ ***
迷宮が停止してからの探索は、それまでと打って変わって一気に難易度が上がった。
それは魔物たちが強くなったことだけが原因じゃない。
倒しても消えない魔物、失われた安全地帯、光を失った迷路。そのどの要素も、探索を困難にしていた。
パーティは再編され、ダンジョンに潜るときの基本構成とされる 5, 6 人パーティが組まれる。僕たちもヤスダさんたちのパーティと合流した。
ダンジョンは行ったことがないけれど、経験があるというヤスダさん曰く、今の迷宮はいきなり幻惑の森から始まって更にボス級の上限が高く、しかも狭い・・・そんな難易度らしい。
ちょっとよく分からない。
ギルドにも報告が上がり、僕たちはギルドから依頼を受ける形で迷宮を探索している。
大都市からも冒険者パーティたちが支援に来ていて、まだ見つかっていない入口を警戒する地上警備組を除けば、7 組前後が常時探索に潜っている。
迷路状かつ網目状の地下では他のパーティと行き帰りでそこそこ遭遇するので、その度に状況の共有もしている。
全く別物になってしまった迷宮に慣れるところから始めて、3 ヶ月ほどでようやく長期探索の目処が立ち始めた。
僕たちのパーティは今、第三層まで潜っている。元々はサイクロプスやワイバーンが主力だった層だけど、迷宮停止後はどこでどの種の魔物が待ち構えていても不思議じゃない。
それに迷宮が網目状だったり回廊状に繋がっているせいで、魔物たちは帰り道でも当たり前のように出現する。しかも帰り道で突然強い魔物が現れることもあるので、全く気が抜けない。
安全地帯が消失したこともあって、迷宮では日を追うごとにみんなが疲れていくのがわかる。
「おいおい、ちょっと早すぎるんじゃないか?」
ヤスダさんが隊の後列に手で合図をしつつ、声を潜めて言う。進行方向を見て、ヤスダさんがそう言った理由がすぐに分かった。
本来は第五層にいるはずのキメラが、我が物顔で開けたところを闊歩していた。
しばらく物陰から様子を見ていると、どこからか地響きが伝わって、段々大きくなる。
ズシン・・・ズシン・・・と踏み鳴らしてやってきたのは、これまで見たこともないような大きさのゴーレムだった。ゴーレムも第四層の魔物のはずだ。
そして両者は対峙し、キメラがゴーレムに襲いかかる。
ライオンのような頭、狼のような胴体と四肢、尻尾は何かわからないけれどとても肉厚で長い。
大きさでは数倍もあるゴーレムは動きの速いキメラを全く追えていない。それに、ゴーレムの硬い体にキメラの攻撃は通りにくいのかと思いきや、キメラはその牙で、爪で、尻尾でガシガシとゴーレムの体を抉っている。
「あいつ、相当溜め込んでるな・・・」
溜め込んでる。それは探索組で共通認識になりつつある強い個体の表現方法で、他の魔物を吸収して強くなっているという予想からそう言い表すようになった。
「第五層レベルも超えてるんでしょうか?」
「考えたくないが、その可能性が高いな・・・」
女神派は迷宮停止前でも第五層までしか探索できていなかったから、それ以上となると単純に戦闘面で考えても危険が大きい。
ゴーレムが倒された後、反対方向へ歩き去るキメラを息を殺して見送る。
僕たちは想像以上に迷宮の脅威が地上に迫っていることを感じながら、今回の探索はここまでで切り上げることにした。
ダライアさんが道すがら、
「いつか見た悪魔に近い威圧感を感じた」
と少し震える声で僕に耳打ちしたのが印象的だった。




