110 ハルシオン
*** カティアナ=ファル ***
澄んだ、それでいて重厚な音が数度鳴り響いた。
出所ははっきり分からないが人族領からのようだ。
あたしは妙な胸騒ぎがして、レデルカを連れ出して人族領の特異点に向かった。
「何をそんなに急いでいるんです?」
「あ゛ー・・・うまく言えないんだが、あたしらにとって不都合なことが起こってる気がしてな」
「不都合なことと言うと?そんなこと、生まれてこの方まともに経験した覚えがありませんけれど」
レデルカは生まれが良さそうな振る舞いをいつもしているが、実際にそうなのかもな。よくつるむとは言っても生きてきた年月を思えばそれもここ最近のことだから、お互いに知らないことも多い。
あたしにとって不都合なことは大体の悪魔にとっても不都合なことだ。個人的に気分を害されるとかそういう、程度の低いことなら、一人で勝手に発散して終われる。わざわざレデルカに声をかけることもない。
しかし最近は混沌の魔王の召喚をきっかけに異界のモノも巻き込んで不穏な動きが多い。
人族の冒険者たちだって、急速にダンジョンを攻略するなど力をつけている。
そうしたこと全てが、あの鈴とも鐘ともつかない音と関係しているように思える。
「まぁいいじゃないか、空振りだったとしてもお散歩気分ってことで。どうせ暇だったんだろ」
「いえ、これでも私、案外忙しいんですよ?」
「へぇ。何がそんなに忙しいんだ」
レデルカは笑って答える。
「絵画の大作に取り掛かっているんです。出来上がったらあなたにもご覧に入れますわ」
・・・クッソどうでもいい・・・。
そう思ったがもちろん言わない。まぁ、悪魔はいろんな方向性で快楽を求める定めにあるものだ。それが今のレデルカにとっては絵ってことなんだろう。・・・この間までは食虫植物の魔物化にハマってたように思ったが、それは飽きたということか。
そうこうしているうちに特異点が近づく。
どうも空間に溶けての移動の最中は周りの様子が分かりづらいため、到着の瞬間は身構えざるを得ないが、今回は身構えていたことで迷宮入口の状況にも即座に対応できた。
「ファルさん」
私に続いて隣に出現したレデルカの声が若干・・・いやかなり不機嫌な音を孕んでいる。
「何かな、レデルカ氏」
「これはちょっと私、予想してませんでしたわ」
レデルカはあたしと同じものを見据え、誰かを責めるような、諦めを混じえたような調子で言う。
「そりゃ悪かったな。まぁあたしも同じことを思ってるわけだが」
ただあたしは元々何らかの “良くないこと” があるかもしれないと考えていたので、その度合いは違うだろう。もっともあたしにとっても、視線の先にある “良くないこと” の程度は予想を遥かに超えていたわけだが。
「・・・私、逃げても?」
レデルカは状況を正しく理解した上でその選択に至ったのだろう。
「いや無理だろ」
しかし、それを私たちの視線の先にいる彼が許すようには思えない。
「この前の悪魔だな・・・」
彼は私たちを見据え問いかける。
答えてやる義理はないが、前回とは状況が違う。様子を探る意味でも答えてやるか・・・。
「あ゛ー、まぁ、そうだな。ところでお前、随分と変わったな」
彼はあたしの返答には返さず先を続ける。
「迷宮の魔物を、ダブルホーンを操っているだろう?」
・・・微妙に違うが、否定もしにくいところだな。
「関係が無くはないな」
レデルカが、ちょっとあなた何真面目に答えてるのよ、と横腹を小突いてくる。いやぁなんでだろ。目の前の存在に対して体が緊張でもしているのかも?
そしてやはりというべきか、彼はあたしたちを見逃すつもりはないらしい。
「やっぱり悪魔は人族の敵、そういう運命なんだな・・・。これ以上お前たちを野放しにするわけにはいかない。今、此処で、僕が倒す」
まぁそうなるよな。仕方ないよな。
両手剣を構える彼の姿には、たとえあたしがこれ以上何を吹き込んだとしても、決意以外の余分なものが入り込む隙はなさそうだ。
「名前を。僕はオヴァリ=エンダ。再来の・・・再来のエンダ!」
「あたしはカティアナ=ファルだよ。お手柔らかに、な」
名乗りと同時、あたしはあたしの武器、両刃の大斧を闇魔法で形成する。
隣ではレデルカが身の丈を無視した大きさのトライデントを構えている。
「せいぜい楽しみましょう」
レデルカは気持ちを切り替えたようで、すでに表情は嬉々としたものに変わっている。
かく言うあたしも自分の口角が上がるのを感じる。
・・・例え目の前の人族が、天界の王、魔王ナハト=7=クールズを彷彿とさせる光を纏っていようと。
例え彼我の力量差を戦わずして知っていたとしても。
悪魔というやつは何でも楽しまなきゃ気が済まないものだ。
それが戦いなら尚更。楽しめないやつは悪魔じゃないとすらあたしは思う。
「いくぜ」
一声かけ、あたしは斧を手に地を蹴る。
***
悪魔と人族の戦いは、記録されている中では直近でも遥かに 1000 年の時を遡ることになる。
アポロアの時代以来と言っても過言ではない歴史的な戦いが、ポロアスト大陸の一角、ライナの迷宮入口で始まった。
再来とドラゴンロアは人族の中でも最上位と言って差し支えない戦力であり、それに対する悪魔は、二人が二人とも上位悪魔であることを加味しても圧倒的に分が悪いように思われた。
しかしそれも、二人だけならば、の話だ。
天使が悪魔の動向に気を配らなかったせいと言ってしまえばそれまでだが、撤退したダブルホーンの戦闘員たちが天使が去った後も引いたままでいるはずもなく、彼らは上司のような立ち位置にあたるファルとレデルカにすぐさま加勢した。
ほんの少し前まで対等に渡り合っていた戦士たちである。形勢が一気にどちらかに傾くことはなく、果てしない泥沼のような戦いの気配が開戦後間も無く再び漂い始める。
(あ゛ーやっぱコイツ次第か)
(僕が勝たないと・・・!)
(全力でも果てない素体がこんなに魅力的だなんてっ!)
天界の軍勢の降臨という突発的な現象。それに立ち会ったことで副次的に、急激に光魔法との親和性を高め、今や悪魔たちに天使の魔王を連想させるまでに力を増大させたエンダ。
そしてそのエンダに二人掛かりで応じるファルとレデルカ。
三人が三人ともそれぞれの思いを胸に戦っているが、戦局はエンダ有利と言わざるを得ない。
(くっそ、やっぱ光魔法は嫌いだ)
ファルは大斧と闇魔法を織り交ぜた攻撃を放ちつつ、何度目になるか分からない悪態を心の中でつく。
絡め手を得意とする闇魔法に対して光魔法は直情的な性質ゆえに闇魔法と相性が悪いのが常だが、それもある一定のレベルを超えると関係性が逆転する。これは悪魔たちが天界に積極的に攻めようと考えない理由の一つにもなっていた。
三人以外の様子はというと、戦闘への適応力の高かった方・・・つまり人族の冒険者達がやや優勢で、しかしエンダが離れたことによる人数差がその優位を帳消しにしている。
とはいえ再来のメンバーもドラゴンロアも、エンダが真の意味で英雄として覚醒したことを光の精霊素という否定しようのない形で認識したばかりであり、おかげで士気は高い。
エンダが本当の意味で世界に必要な人物になったのだと、異世界人であるナユタやレイネですら思わず認めてしまえるだけの説得力が、光を纏ったエンダの姿には宿っていたからだ。
「ハァ!」
大剣に光を宿し悪魔の闇の防御を打ち崩していくエンダ。戦闘の中で光の精霊素がもたらす感覚がエンダの体に徐々に馴染んでいき、ファルやレデルカの防御が遅れ始める。
本来中長距離向きの魔法が多い光魔法だが、エンダはこれまで培ってきた数々の魔法に由来する応用力を存分に活かし、マルト流剣術に噛み合うよう形を定めていく。
それはつまるところ光魔法の威力そのものを大剣に宿す魔法であり、そして大剣は膨大な魔素の流れに触れ刻一刻とマジックアイテム化していくのであった。
「あ゛ーっ!!クッソ、まじでありゃヤベェな!」
光の魔法剣となりつつあるエンダの大剣にただならぬ雰囲気を感じるも、ファルは攻撃から逃れることができずにいる。剣だけでなくエンダの体自体も光魔法への親和性を時間と共に獲得しており、それはつまり身体能力が強化されることを意味しているためだ。
急激な出力の上昇は時として表出される動作の弊害となる。しかしエンダもそのことは心得ていて、悪魔との戦いの中で少しずつ最適化を図っているのだった。
(・・・もしかしてこれが・・・)
ふと、エンダはその存在に気付いた。
莫大な精霊素の集約は必然的に意識体の原型を生み、エンダとの相互作用の中で “それ” は他覚的な存在から自覚的な存在として確立されていく。
(そうか、これが・・・!)
そしてエンダは確信する。
今自分の感じている、おぼろげな輪郭を持つ存在・・・これこそが精霊、光の精霊なのだと。
(・・・はじめまして、オヴァリ=エンダ。世界の宿命に組み込まれた人の子よ)
自我に芽生えた光の精霊がエンダに囁く。
(君の名は)
(私の名?私は・・・何という名前なのでしょう)
エンダは精霊の心地よい囁きに、自分の思い描く英雄にふさわしいパートナーの名前を思いついた。
(・・・ハルシオン。君の名前にどうかな)
英雄アポロアの愛剣からとった名前をエンダは精霊に提案し、精霊は優しく笑ってそれを受け入れた。
(私の名はハルシオン。オヴァリ=エンダと共に在る者・・・!)
光の精霊ハルシオンが誕生した瞬間だった。
ハルシオンが制御中枢になることで天使から得た全ての要素が激烈な早さで次々とエンダに組み込まれ、悪魔とのほんの数合の斬り合いの後には、全てが完成形として定着していた。
エンダは攻撃を止め、その感触を確かめる。
「あぁ、なんて綺麗・・・」
敵である、それも少なからず憎く思う光の魔法を宿したエンダの姿に、レデルカは思わず見惚れて呟く。
「おいレデルカ」
ファルは覚悟を決め、決戦魔法の構築をレデルカに促す。その声に我に返ったレデルカも構築に加わる。
「いいか、エンダ。お前がどんだけ強くなろうが、超えられない理ってものがある。それを教えてやる」
ファルの言葉が誇張や強がりでなく本当のことなのだろうと察し、エンダもハルシオンと共に攻撃を組み上げる。
二人掛かりで造られた闇魔法は小さな魔法陣として空中に固定され、ファルの合図で起動した。
「オーバーリミット!」
魔法陣を起点に高速で射出された闇は、一条の暗がりとなってエンダを襲う。
特異点を経由しての移動という、悪魔たちにすら詳らかにできていない現象の一部を無理やり攻撃に転用した闇魔法 “オーバーリミット” は、魔素体である彼女たちの体そのものが攻撃媒体になるという、文字通り捨身の攻撃である。
しかし “隙間” を知覚しない人族に対しては絶大なダメージを負わせられる。
・・・はずだった。
「ディメンションレイ!」
誰もが知る英雄の必殺技の名を叫び大剣を真っ直ぐ振り下ろしたエンダ。
エンダがいつか絵本でみたそれとは違う形で発現した魔法。
魔法軌跡は闇を斬り裂き、魔法陣の両脇にいた二人の悪魔の半身ずつを削って、彼方へと消えていった。
「なん・・・だと・・・?!」
失われた半身を補うのに精一杯で動けないまま、目の前で起きた現象に驚愕するファル。
レデルカも同様に地に伏している。
「僕の、勝ちだね」
そう宣言するも、力の反動なのだろうか、エンダはエンダで動けそうにない。
(今ならまだいける、動け!動けあたしの体!)
戦闘の余韻がまだ周囲に立ち込めている中、ファルは強靭な生の渇望によって、レデルカを伴って特異点へと溶け込むことに辛うじて成功する。
エンダは彼女たちが消えていった虚空を、しばらくの間じっと見つめていた。
光の精霊なのにハルシオンってどうなの、っていう・・・なんでもないです。




