107 鍵
***
リーンッ・・・リーンッ・・・
重く澄んだ鈴の音はどこからともなく鳴ってアリアの体を満たし、何事もなかったかのように虚空に消えてしまった。
「何だったんだろう・・・?」
ダンジョンを一人駆けるアリア。彼女の表情は少し疲れを覗かせているものの、初めてダンジョンを一人で進んでいるとは思えないほどの軽快さも伴っている。
ダンジョン探索に乗り出すと決めた時、アリアがまず考えたのは一人で行くのか、それとも誰かとパーティを組んで行くのかということだった。もちろん普通に考えればパーティを組むべきだろう。しかしパーティで行けばもしデイブレイクと再会できた場合、組んでもらったパーティの立場がない。
そもそもデイブレイクのような一流と言って差し支えないパーティが、その辺にいるパーティが到達できる地点に留まっているはずがないし、それなら人数は関係ないとアリアは結論付けた。
単独行動の大きな問題点は食料と野営にあるが、食料問題はアリアはあまり気にしていなかった。
人体実験をひたすら続けていた探究心、冒険心は伊達ではなく、アリアは目新しいものへの抵抗が少なく、それが食べ物にも及んでいたためだ。ダンジョンは出所を深く気にしなければ、植物性、動物性いずれの食料も得ることができると姉のクレアから教えてもらっていた。
となれば問題は野営ということになるが、一人での旅路を想定した上でこの点を解決するための準備をアリアは怠らず、策を用意していた。
「・・・よし」
夜毎あたりに張り巡らせた風の包囲網を確認し、隙が無いことに満足するアリア。元々は実験用の動物を効率良く捕まえるために編み出したこの網を、無意識でもずっと張っていられるよう訓練し続けていたのだ。
風魔法は物理的な要素が薄いため、いかにその断絶を察知するかが特に課題だった。そしてそれを無意識下でも続けるということも。おかげで冒険者になってからアリアは眠りが浅く・・・というか深く眠れなくなってしまっていたが、持ち前の回復魔法がマイナス面を打ち消していた。
網は鈴に繋がり、お呼びでないモノたちの接近を知らせる。しかしダンジョンの魔物も夜は活発でなく、包囲網が活躍する機会は 3, 4 日に 1 回あるかないかだった。
夜行性の動物を飼い慣らすことも考えていたアリアではあるが、実現には至っていない。流石に魔物でもない普通の動物をダンジョンに怯えないレベルに調教するための時間は無かったからである。
エンドランドラゴンが町を襲い、ドラゴンと共にいた一人の冒険者が町を素通りしてから早 3 ヶ月。ダンジョンに潜るようになってからのアリアは密かにダンジョン探索の自分なりの楽しみ方を見出していた。
そして独り言が増えた。
「おぉ!こんなでも意外といけるんだ!」
「えっ、でもそんな、それは流石に・・・」
「やった!思ったよりもいい感じに仕上がったわ!」
楽しみというのは魔物相手の “実験” のこと。
意思疎通を図ろうという気配を全く見せない魔物は地上の野生動物と違って実験の対象とするのに罪悪感が湧きにくい・・・というかそもそも倒してしまう前提なのでむしろうってつけだった。
ただ単に回復魔法を施すだけでも、どれだけの傷でどれだけの時間が経つと致死的なのかを制限なしに探求できる環境はアリアにとって最高と言わざるを得ない。しかも後処理をしなくてもいつの間にかダンジョンによって全てが無に還されてしまう。
流石に一人ということもあって、研究の成果を自分の体で試すことで還元しようとはしないものの、クレアたちと再会したならば披露しかねないほどに、そういう願望は人知れずアリアの中で大きくなっていった。それほどにアリアはこの実験にのめり込んでいた。
自らを顧みないほど探究心に支配された状態・・・人はそういう状態にある人物のことをマッドサイエンティストと呼ぶ。
開放的で閉塞的なダンジョンという暗がり。そんな陰鬱な世界で、自分の研究成果そのものを対象に、まるで一つの人格を相手するかのように黙々とさらなる検討を続けるアリアは、いつしか立派なマッドサイエンティストになってしまったようだった。
「早くお姉ちゃんたちの役に立ちたいなぁ・・・」
細断した大蛇がどこまで短くくっつけ直しても命を保てるかの検証結果に満足し、アリアは一息つきながら未だ見ぬ深部とそこにいるはずの目標に思いを馳せる。
彼女の意志には純粋な向上心と憧れだけがあった。
・・・概して、狂気に身を委ねつつある者はそれを自覚しないものである。
「さっきの鈴みたいな音はとても嫌な予感がする・・・お姉ちゃんが無事だといいけど」
大蛇の生を絶ち、誰にともなく呟く。
「うん、急ごう」
そして幻惑の森が途切れ、アリアの荒野探索が始まる。
*** ハル ***
コアと直に対峙したことで分かったことがある。
それは私がここ最近一番知りたかったことで、そしてこの膠着しそうな戦況を変える一手になるかもしれないものだ。
コアの体を擬似風魔法でひたすら削っていくと当然コアは体を再生していく。その過程で私は違和感というかもどかしさというか、そういう感覚を味わっていた。
(なんか余計なところに魔素が漏れてる・・・?)
明らかに必要以上の魔素が再生のために流れ、そしてそれらの一部はどこかへ “漏れて” いた。
どこへ漏れているのか?
考えられるパターンは 2 つ。迷宮のシステムに必要などこか。あるいは、“隙間”。
迷宮のシステムはおそらく体を持ってしまったコアという存在に全て集約されているはずだ。そうでなければダンジョンと干渉してしまうだろう。
簡単に考えよう。きっとあの魔素の行方は “隙間” のはずだ。それ以外、私には考えつかない。
そしてこの考えは結果論的に正しく、膨大な魔素を無駄に垂れ流すコアのおかげで、私はついに魔素の漏れ出す先を “隙間” として認識した。
電流が脳天から足先まで疾るかのようにこの気付きは私を駆け巡り、ディモンが隙間について説明してくれていたことが実感として意味を持ち───
戦闘と並行して魔素を恐る恐る今認識したばかりの "隙間" に送り込む。まだギリギリ片手間でそれができるくらいの余裕はある。
魔素は隙間に溶け込み、そして溶け込んだ先の、隣の空間・・・あるいは "情報存在" とでも呼ぶべき状態を、自分自身が新たに知覚していることを知る。
私の制御下で固定され送り込んだ魔素は隙間を連続的に漂い、私の意図に呼応するかのよう隙間から滲み出て形を取り戻した。
・・・。
・・・あぁ、そうか。
結局そうか。
仮説ではあるけれど、一つの持説が自分の中で暫定的に確定されるのを感じる。
削りきれないまでも押されずに押し留めているコアにも注意を払いつつ、しかし私は考えが跳躍していくのを止められない。
私の世界とこの世界、キャスカの世界、ナユタさんたちの世界、アマヤ=カグラ氏の世界。
それら全ては根底で必ず繋がっているはずなのだ。そうでなければ誰も互いの世界を認識すらできないだろう。
しかも・・・。
さらに考察を深めようとする私を遮るように今まで戦闘に参加していなかったキャスカが力をコアに向ける。
闇の力を自らと重ね合わせたキャスカは私と並ぶや、気のせいかもしれないけれど少し申し訳なさそうな声音を混ぜて言った。
「あなたたちは本物ね。本当に、呆れるほどに。だけどこれはきっとあなたたちの世界を超えた問題」
並び立ち、コアに対する私の攻撃の隙を探るように闇魔法を溜め研ぎ澄ませている。
「・・・つまりこの場では、私が鍵なんだと思う」
そして闇の力が完全に高まり切った時、キャスカは更なる力をキャスカの中から無理やり引き出した。
・・・ように見えた。そして同時に私には、その力は “隙間” と並列、あるいは表裏一体の存在が強引に魔素の形に書き換えられたようにも見えた。
キャスカは更なる力を蓄えた闇魔法を今にも放とうとして、私に攻撃の機会を求めて視線を送ってくる。
(・・・そうじゃない。そうじゃないんだ)
キャスカ。君の言いたいことは、私にだって分かる。私だからこそ分かる。
自らこの世界に飛んだナユタさんたちと違って、誰かにこの世界に転移させられた君はどうしたって主人公になってしまう。・・・自覚的な意味で。
力があるなら尚更だろう。
だけど、それじゃあ足りない。
コアを倒して終わりならそれで良いかもしれない。
元の世界に帰るのも、それでなんとかなるかもしれない。
だけど私にとっては全ての物語は最終的に正しい終わりが用意されているべきだし、終わりに相当する解答がないとしても、同次元に存在する登場人物の誰かが既により高次の解釈への手掛かりを持っているのなら、終着点はそちらに用意されるはずなのだ。
そしてキャスカのおかげで解釈の足掛かりを手に入れた私は、私の考えに沿うならば少なくとも現状、より “それらしい” 存在ということになる。
要するに私はキャスカより一歩先、さらに高次元の答えへの道筋に気付いてしまった。
「ナイトメア・ランス!」
私の目配せで刀に乗せた闇魔法の刺突を放つキャスカ。
コアは超密度の魔法によって胸を円筒状にくり抜かれるように貫かれ、遂に魔素での回復にも遅れが出始める。
キャスカの攻撃を追うようにネフがイレイザーカノンを放ち、他の 3 人も魔法による攻撃を浴びせる。
「何故こんなことが・・・」
コアは絶大な力を得たにも関わらず思い通りに事が運ばない状況に苛立ちを滲ませる。
「私の力がやはり万全ではない・・・?
「しかしすでに迷宮の全盛期を取り戻しているはず・・・」
「何故小さな存在が、私を上回っている?!」
体の回復と足捌き頼みの守備とを続けながらコアから言葉がこぼれ落ちていく。
・・・コアはコアで分かっていない。だんだんそう思えてくる。
ダンジョンコアにはダンジョンコアの役割があったはずだ。それは自らが表に立って戦うことではない。
戦いの中で成長しきれないことも、持てる力の応用が進まないことも、全てはダンジョンコアが戦うための存在でない事が理由だと予想できる。
束ね、意志を示し、そして守ることこそがコアの本質なのだろうと、コアの言動やその戦闘スタイルを見ていると感じられる。
キャスカに続いたデイブレイクの攻撃が収まり、私は再びコアを風の刃で閉じ込める。
今だこちらへの攻撃も諦めないコアの力に驚嘆しつつ、私は私で自分の考えと "その先" にあるものに考えを巡らせる。
急激に増えた情報の煩雑さに惑わされないよう、本当に必要な要素だけを見極めるつもりで・・・。
コアの膨大な魔素はコア自身に収まりきらず “隙間” の存在を私に認識させた。
キャスカから湧き出した力の根源は、"隙間" が魔素や精霊素とは異なる何かしらの上位体系と表裏一体であることに気付かせた。
正しく認識すれば、隙間には魔素の形で潜り込める。
しかし魔素という形すら、隙間と重ね合わせの体系として認識される仮称 "情報存在" の中では、単なる記号の一つに過ぎないようだ。
キャスカはその次元の異なる体系に、無意識とはいえ直接的に干渉してみせた。
私は新たに認識した体系に近づける魔素体として、既に自身を確立している。
キャスカはこの世界という枠組みをこの戦いの決着に必要な要素として持ち出したが、それはつまり枠を超えた何かとの相互作用を、自分自身から引き出せるということ。私にもきっと・・・いや確実にその資格はある。
そしてキャスカは自分自身の力が何に影響し、何から影響されているか、はっきりとは認識できていない。私ほどには。
・・・ふと、私はウエストポーチに収めたままの鍵のことを思い出した。
ダンジョンで見つけ、しかし用途が全く分からなかった何かの鍵のことを。
私の攻撃の合間に数度、キャスカとデイブレイクメンバーの必殺と言い得る攻撃がコアを襲い、コアは流石に剣での攻撃にまで意識を回す余裕が無くなっていった。
私は刀での攻撃に比重を移しつつポーチから鍵を取り出し、改めてまじまじとそれを見た。
鍵は解読不能な情報の塊だった。膨大な情報を宿し、情報の渦に取り囲まれている。
(きっとこれは本当に “鍵” なんだ。この世界の鍵・・・この世界を超える鍵)
根拠の無い、しかし不思議と絶対にそうだと思える考えが私の意識を、体を満たしていく。
コアを襲う風の音が遠くの出来事のように思える。
同じ敵を相手に死力を尽くしているキャスカたちの気配が希薄に感じられる。
・・・私は魔素を制御し、隙間を鍵穴の形に整える。
そして穴に鍵を挿し入れ、好奇心や不安といったごちゃ混ぜの感情の昂りを抑えつつ、意を決してそっと開けた。
───カチッ───




