第九話 国有化の罠
セリーヌによる技術認定の審査が終わったのは、それから一週間後のことだった。
カインが提出した術式の記録文書は、全部で四十二ページにわたる詳細なものになった。廃棄素材の選定基準、物質の本質的な価値を読み取る方法論、六種類の錬成品それぞれの術式の構造と設計思想。全てを言語化し、図解を交えて記録した。
セリーヌは文書を受け取ってから三日で審査を終えた。
「全て承認します。ギルドの技術体系として正式に登録します」
セリーヌは審査結果の書類にサインをしながら言った。
「ここまで詳細に書けるということは、自分の技術を完全に理解しているということね」
「理解できないものは使わない方針です」
「多くの錬金術師は、なぜ機能するかを理解しないまま使っている。レシピ通りにやれば結果が出るから、理由を考えない」
「それが、廃棄素材の価値が見落とされてきた原因の一つだと思っています」
「なるほど」セリーヌは書類を封筒に入れた。「この技術文書は、来月からギルドの若手錬金術師への教育材料として使います。いいかしら」
「ぜひ」
「あなたの技術が広まれば、廃棄素材から価値を生み出せる錬金術師が増える。市場の変化も加速する」
「それが目的です」
「それから、推薦昇格の件。ランベール卿から正式な通達が出ます。今日か明日には」
カインは少し意外に思った。
「そんなに早く」
「技術認定が成立したことで、根拠が揃ったということよ。ランベール卿はすでに決めていた。後は形式だけだった」
セリーヌは立ち上がり、カインを見た。
「金色見習いになれば、ギルド内の委員会に参加する権限が得られる。試験委員会にも、技術評価委員会にも。今まで外側から動いていたものを、内側から動かせるようになる」
「わかっています」
「その立場を、上手く使って」
セリーヌは部屋を出ていった。
研究室に戻ると、ランベールからの通達が机の上に置かれていた。
リアが持ってきてくれたらしく、傍に「おめでとうございます」と書いた小さなメモが添えてあった。
カインは通達を開いた。
「カイン・ロウ、銀色見習いから金色見習いへの推薦昇格を認定する。有効日付:本日」
簡潔な文面だった。
金色見習い。
灰色から始まって、一ヶ月半で四段階上がった。
カインは通達を机の引き出しに仕舞い、次の段取りを考え始めた。
ゴッホが来たのは、その三十分後だった。
「昇格の通達、見たか」
「見た」
「おめでとうの一言くらい言えないのか」
「言う必要を感じなかった」
ゴッホは苦笑した。
「まあ良い。それより、少し気になる情報がある」
「何だ」
ゴッホは椅子に座り、声を低くした。
「マルコが王城に出入りしているという話が入ってきた。ここ数日、王族の側近と接触しているらしい」
カインは静かに聞いた。
「王城への接触の内容は」
「まだ掴めていない。ただ、マルコが動く時は必ず大きな話だ。法的な手が全て封じられた今、次に打てる手は政治的なものしかない」
「産地の国有化か」
ゴッホが目を細めた。
「お前も読んでいたか」
「読んでいた。ただし、確信はなかった。王城への接触がそれを裏付ける」
「対処法はあるか」
カインはしばらく考えた。
国有化の問題は、今まで侯爵家が仕掛けてきた法的な問題とは規模が違う。
廃棄素材の所有権や転生者への課税は、ギルド内での対処で封じることができた。しかし国有化は、王族が絡む政治的な動きだ。ギルド長の見解書や技術認定では対処できない。
「いくつかの方向で考えている。ただし、国有化が本当に動き出してからでないと、手が限られる」
「動き出してからでは遅くないか」
「早く動きすぎると、侯爵家に手の内を読まれる。動き始めた時に、全ての手を一気に出す方が効果的だ」
ゴッホは少し考えた。
「リスクはある」
「ある。でも、先に動いて封じるより、来てから返す方が、記録として残る形が強い」
「どういう意味だ」
「国有化の申請が正式に出れば、その申請書が記録に残る。申請の理由も記録に残る。そこに「独占を守るための申請」という性質が浮かび上がれば、反論の根拠になる」
ゴッホはため息をついた。
「お前と話していると、詐欺師の脳みそというのは本当に別の形をしているんだなと思う」
「褒め言葉として受け取る」
「褒めていない。……しかし、信頼している」
ゴッホは立ち上がった。
「俺の方では、王城周辺の情報収集を続ける。動きがあればすぐ連絡する」
「お願いします」
それから三日後の朝、ゴッホから急ぎの連絡が来た。
「今日の午後、王城で発表がある。星砂鉄の産地を「国家重要資源」として指定し、国土管理省の管轄下に置くという発表だ」
カインはメモを読んで、立ち上がった。
動いた。
しかも、想定していたより大きな動きだ。国有化ではなく、「国家重要資源の指定」という形を取ってきた。
これは、採掘権そのものを国が持つのではなく、「国家が管理する重要資源の産地」として指定することで、産地への民間の介入を制限する仕組みだ。
理論上は、エシュラー侯爵家の採掘権はそのまま残る。しかし「国家重要資源」の指定を受けた産地では、代替品の開発や流通について国の許可が必要になる、という追加規制を設けられる可能性がある。
(上手い。直接の独占ではなく、「国家の保護」という形を使ってきた)
これは正面から反論しにくい。「国家の重要資源を守る」という大義名分があれば、批判が難しい。
「リア、ゴッホさんに全員に連絡を取ってほしい。セリーヌさん、ラドさん、下層区画の住民代表、冒険者ギルドの代表、楽器職人のバルデ。今日の午後三時に大広間に集まれるかどうか確認して」
「今日の午後ですか。急すぎませんか」
「発表の直後に動く必要がある。時間が経てば経つほど、「国家の決定」という印象が固まる」
リアは頷き、急いで部屋を出た。
カインはランベールのもとへ急いだ。
ランベールは発表の内容をすでに把握していた。
「聞いていた。今朝、王城から正式な通達が来た」
「対処を考えたい。午後に大広間を使わせてもらえますか」
ランベールは少し考えた。
「何をするつもりだ」
「公開の場で、この指定の問題点を整理したい。技術的な観点と、市場への影響の両方から」
「王城の決定に異議を唱えることになる」
「異議ではなく、情報の提供です。国家重要資源の指定が、実際の市場にどんな影響を与えるかを、データと実例で示す。判断するのは市場であり、最終的には王族自身です」
ランベールはカインを見た。
「……大広間を使え。午後三時から。ただし、王城への批判にならないよう気をつけろ。批判ではなく、情報提供だ」
「わかっています」
午後三時、大広間に人が集まった。
今回は前の二回より少人数だった。ゴッホ、セリーヌ、ラド、リア、下層区画住民代表の老女、冒険者ギルドの代表ドリス、バルデ。それと、今回は追加で首都の市場商人の代表が数名来ていた。
ゴッホが声をかけていたのだろう。
カインは広間の前に立った。
「本日午前に、王城から「星砂鉄の産地の国家重要資源指定」が発表されました。この発表が、市場と技術開発にどのような影響を与えるか、関係する立場の方々と情報を共有したいと思います」
カインは続けた。
「まず、技術的な側面から。先日の公開比較試験で確認された通り、廃棄素材から星砂鉄と同等以上の品質の素材を作ることは可能です。この技術は、ギルドの技術体系として登録されました。もしこの技術の実用化が「国家重要資源の管理」という名目で制限された場合、何が起きるか」
カインは全員を見渡した。
「下層区画の住民の皆さんには浄水装置が届いています。この装置も、廃棄素材から作ったものです。廃棄素材の活用が制限されれば、この装置の量産も難しくなります」
老女が静かに頷いた。
「冒険者の皆さんが使っている武具強化素材も、廃棄された水晶片から作ったものです。星砂鉄関連の規制が廃棄素材全体に波及すれば、武具の強化コストが上がります」
ドリスの表情が硬くなった。
「市場の商人の皆さんにとっては、競争のある市場と独占された市場の違いが、直接の収益に影響します。昨日まで金貨十七枚だった星砂鉄が、国家重要資源の指定後にどう動くかは、予測が難しい」
商人たちが互いに視線を交わした。
カインは最後に言った。
「私は今日、誰かを批判したいわけではありません。ただ、この発表が市場と技術開発にどんな意味を持つかを、関係する皆さんと共有したかった。どう判断し、どう動くかは、それぞれの皆さんが決めることです」
静かな言葉だったが、広間にはっきりと届いた。
セリーヌが手を上げた。
「技術的な観点から一つ加えます。廃棄素材から価値ある素材を作る技術は、すでにギルドの公式技術として登録されています。この技術の実用化を制限することは、ギルドの技術政策に反します。ギルドとして、この点を王城に正式に申し入れる意向があります」
ラドが続いた。
「法律的な観点から申し上げます。国家重要資源の指定は、産地の管理権を国が持つことを意味しますが、既存の採掘権者の権利は保護されます。一方で、代替素材の開発と流通を「資源の保護」の名目で制限することは、技術開発の自由を侵害する可能性があります。この点について、法的な検討が必要です」
ドリスが立ち上がった。
「冒険者ギルドとして言わせてもらう。廃棄素材を使った武具強化素材は、うちの仲間の命を守っている。それが制限されれば、現場で困るのは俺たちだ。王城への正式な意見書を出す」
商人の代表の一人が立った。
「市場の競争が守られることが、経済全体のためになる。独占が強化される方向には、市場として反対の声を上げたい」
バルデも立った。
「音響増幅結晶体がなくなれば、私の工房の仕事が成り立たない。廃棄素材の活用は、職人にとっても大事なことだ」
老女が最後に、静かな声で言った。
「下層区画の子どもたちが、きれいな水を飲めるようになった。それが続いてほしい。それだけです」
広間が静かになった。
カインは全員を見渡した。
「ありがとうございます。それぞれの立場からの声を、記録として残します。この記録を、ギルドを通じて王城に提出したいと思います。ランベール卿、可能でしょうか」
後ろの壁際に立っていたランベールが、静かに頷いた。
「ギルド長名義で提出する」
大広間が空になった後、セリーヌがカインに近づいた。
「準備が良かったわね。発表から数時間で、これだけの声を集めた」
「みなさんが自分の言葉で話してくれた。俺は場を作っただけです」
「その「場を作る」ことが一番難しいのよ」
セリーヌは少し考えてから言った。
「王城への申し入れは、私が直接動く。黄金錬金術師として、ギルドを代表して王族の担当者に面会を申し込む」
「一緒に行けますか」
「あなたが行くべきかは、状況次第ね。最初の接触は私一人の方が良いかもしれない。王族の側近は、転生者を直接相手にすることを嫌がる場合がある」
「わかりました。お任せします」
「ただし、話の内容はあなたが整理して。技術的な事実、市場への影響、今日集まった声、それと公文書の件も使うタイミングかもしれない」
「公文書の件は、今使いますか」
「使える状況になってきたと思う。二十年前の採掘権確立の経緯が不正であることが示せれば、国有化の後に侯爵家が管理権を委託される形を防げる」
カインは頷いた。
「整理します。明日中に資料をまとめます」
「早いわね」
「時間がない。マルコは今回の発表で勝ったと思っているはずだ。その余裕があるうちに次の手を出したい」
夜、カインは研究室で資料をまとめた。
技術的な事実。比較試験の記録。廃棄素材の技術体系の登録証明。浄水装置の普及実績。武具強化素材の使用実績。今日集まった各立場からの声の記録。そして、公文書館で確認した採掘権確立の経緯。
全てを一つの文書にまとめ、流れが分かるように整理した。
前世でコンサルタントをやっていた時、これは得意な作業だった。複雑な情報を整理して、誰が見ても分かる形にする。
リアが夕食を持ってきた。
机の上に広がる資料を見て、少し驚いた顔をした。
「……すごい量ですね」
「今夜中にまとめる」
「手伝えることはありますか」
「読んで、わかりにくい部分を指摘してほしい」
リアは椅子を引いて座り、資料を手に取った。
しばらく黙って読んでいた。
「ここ、少し難しいです。「採掘権確立の経緯」の部分。経緯はわかるんですが、それが今の問題とどう繋がるのかが見えにくい」
「どう書き直せば良いと思う?」
「「二十年前に行われた採掘権の独占が、今回の国有化申請の背景にある」という一文を先に出して、その後で経緯を説明する方が分かりやすいんじゃないですか」
カインはその部分を書き直した。
確かに、分かりやすくなった。
「ありがとう」
「他にはこのへん、「転生者の技術」という表現が出てきますが、「ギルド公認の技術」と言い換えた方が良くないですか。技術認定が成立しているなら、転生者かどうかは関係ないはずです」
「正しい。直す」
リアはページをめくり続けた。
「これは……公文書の写しですか」
「写しは取れなかった。内容を記録したものだ」
「これを使うと、侯爵家が本格的に反撃してきませんか」
「来る。しかし公文書の内容は事実だ。事実を指摘することは、正当な行為だ」
「正当でも、圧力は来ます」
「来てから考える」
リアは少し黙った。
「……カインさんは、全部一人で抱えすぎじゃないですか」
「一人じゃない。みなさんが動いてくれている」
「でも、一番危険なところにいるのはカインさんです」
カインは手を止めて、リアを見た。
「心配してくれているのはわかる」
「当然です」
「しかし今やめる理由がない。ここでやめれば、今まで積み上げてきたものが無駄になる」
「積み上げてきたものは、消えません。やめても残ります」
「俺はやめない」
「…わかっています」
リアは静かにため息をついた。
「だから手伝っています。やめないなら、せめて一人にさせない」
カインは少し考えた。
「……ありがとう」
「どういたしまして。続けましょう、資料の確認」
二人は夜遅くまで資料をまとめた。
完成したのは、日付が変わる直前だった。
カインは完成した文書を見渡した。
全てが揃っている。事実と、記録と、声と、歴史の経緯が。
「これを持ってセリーヌさんが王城に行く」
「うまくいきますか」
「わかならい。しかし、これ以上の準備はできない」
リアは立ち上がり、荷物をまとめた。
「カインさん、今夜は帰って寝てください」
「もう少し確認を」
「明日の朝にやってください。今夜は休まないと、明日頭が動きません」
「……わかった」
カインも立ち上がった。
「送ります。夜道は危ないので」
「俺の方が危ない立場だ」
「それはそうですが、一緒に帰るということです」
カインは少し考えてから頷いた。
二人は研究室の灯りを消して、廊下に出た。
夜のギルド本部は静かだった。
廊下を歩きながら、リアが言った。
「終わったら、何かしたいことはありますか」
「終わる、というのは」
「侯爵家との問題が一段落したら」
カインは少し考えた。
「美味しいものを食べたい」
リアが少し笑った。
「それだけですか」
「今は食事以上のことを考える余裕がない」
「じゃあ、終わったら一緒に食べに行きましょう。美味しいお店を知っています」
「そうしよう」
それだけの会話だったが、カインには不思議な感覚があった。
終わった後のことを、誰かと約束したことが、今まで一度もなかった。
前世でも、今世でも。
「リア」
「なんですか」
「借金の件は、急いで返さなくていい」
「返します」
「急がなくていいと言っている」
リアは少し黙った。
「……返した方が、スッキリします」
「それは理解できる」
「でも、急がないのは、なんか嬉しいです」
二人はギルドの正門を出た。
夜の首都は静かで、遠くに灯りがぽつぽつと見えた。
星が出ていた。
カインは空を見上げた。
前世では、空を見上げる余裕がなかった。
今は、少しある。
(悪くない)
カインは静かにそう思いながら、夜道を歩いた。
翌朝、セリーヌが王城の担当者に面会の申し込みをした。
面会が実現したのは、申し込みから二日後のことだった。
カインはセリーヌを通じて状況の報告を待った。
その二日の間、カインは研究室で次の錬成品の開発を続けた。
侯爵家との問題が片付いた後も、廃棄素材の活用は続ける。次は農業用の土壌改良材を考えていた。廃棄された化学薬品の残滓から、特定の成分を抽出して土壌の栄養バランスを改善するものだ。
これが実現すれば、下層区画の住民が都市の外れの痩せた土地でも作物を育てられるようになる。
「価値創造の眼」は、廃棄物を見るたびに新しい可能性を示してくれた。
この目がある限り、やることは尽きない。
二日後の夕方、セリーヌが研究室に来た。
表情が、いつもより少し明るかった。
「話してきた」
「どうでした」
「王城の担当者は、国家重要資源の指定について、完全に侯爵家の側の説明しか聞いていなかった。廃棄素材の活用技術の存在も、市場への影響も、下層区画への貢献も、全て知らなかった」
「知らなかった?」
「マルコは自分に都合の良い情報だけを王城に持っていった。「星砂鉄は唯一無二の資源であり、代替品は存在しない」と説明していた。比較試験の結果も、技術認定の件も、伝えていなかった」
カインは静かに頷いた。
(当然、そうするだろう)
「担当者の反応は」
「最初は困惑していたわ。「そんな重要な情報がなぜ今まで届いていなかったのか」と。あなたが作った資料を全部渡してきた。一週間以内に、王城として正式な見解を出すと言っていた」
「国有化の指定は」
「見直しの可能性がある、という言い方だった。確約ではないけれど、少なくとも再検討に入ったということよ」
カインは少し考えた。
「公文書の件は出しましたか」
「出した。担当者は、二十年前の経緯を「確認する必要がある」と言っていた。かなり驚いていたわ」
「マルコはその経緯を伝えていなかった」
「当然ね。自分に不利な情報を自分から出すはずがない」
セリーヌは椅子に座った。
「一つ確認しておきたいんだけど」
「何でしょう」
「あなたの目的は、マルコを潰すことではなく、市場を正しくすることよね」
「そうです」
「だから、マルコが自ら事業の方向を変えるなら、それを妨げる必要はない?」
カインは少し考えた。
「妨げません。ただし、独占を維持しようとするなら、全ての事実を出す」
「わかった。それを踏まえた上で言うわ」
セリーヌは少し間を置いた。
「王城の担当者との話の中で、マルコが別の動きをしているという情報が出てきた。エシュラー侯爵家として、事業の転換を検討し始めているらしい。「星砂鉄の独占から、代替素材の流通を含む総合素材商社への転換」という方向性を、内部で議論しているとのこと」
カインは驚かなかった。
むしろ、そうなるだろうと思っていた。
「マルコは現実的な人間だ。勝てないと判断したら、方向を変える」
「そうね。問題は、その転換の過程でリア・サンドールへの圧力が来る可能性があること。借金は完済されたけど、侯爵家との縁が完全に切れたわけではない」
「具体的には?」
「錬金術師ギルドの規定上、侯爵家の専属として活動した期間がある者は、侯爵家との取引に関連する業務に一定期間就けない、という条項があるとのこと。リアがあなたと共同で代替素材の開発を続けることが、その条項に引っかかる可能性がある、という解釈を持ち出してくるかもしれない」
カインはすぐにラドに確認が必要だと判断した。
「ラドさんに聞く必要がある」
「そうね。ただ、もう一つ言っておくと」
セリーヌの目が、少し柔らかくなった。
「マルコは方向転換を検討しているということは、この戦いの実質的な部分は終わりに近づいているということよ。後は整理の問題」
カインは静かに考えた。
「整理の問題、というのは」
「事実を記録として積み上げてきた。それは消えない。マルコが事業を転換しても、独占によって損害を受けた人々がいた事実も消えない。その整理を、どうするか」
「補償の問題ですか」
「それも含めて。市場の信頼を回復するためには、「何が起きていたか」が明確になる必要がある」
カインは頷いた。
「考えます」
「急ぐ必要はないわ。ただ、終わりに向けて動く段階になってきたということは、頭に入れておいて」
セリーヌは立ち上がり、部屋を出た。
カインは一人で研究室に残った。
窓の外の空は、夕暮れで橙色に染まっていた。
終わりに近づいている。
そう言われても、実感はまだ薄い。
しかし、確かに何かが変わり始めている。
カインは引き出しから灰色の石を取り出した。
最初の代替品を作った素材の残りだ。
この石一つから始まった。
廃棄物と呼ばれていたものが、本当の価値を持っていた。そのことを示すことから、全てが始まった。
(まだ終わっていない)
しかし、終わりが見えてきた。
それは前世では一度も感じたことのない感覚だった。
詐欺師の時も、コンサルの時も、仕事には終わりがなかった。終わりが来る前に、床に倒れた。
今度は、終わりまで歩ける気がした。
カインは石を引き出しに仕舞い、新しい錬成品の設計書に向かった。
土壌改良材の設計書だ。
次の一手は、もう始まっている。
―――― 第九話 了 ――――




