表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
偽りの錬金術師、貴族経済を解体します  作者: みかん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/14

第十話 解体の完成

王城からの正式な見解が出たのは、セリーヌの面会から六日後のことだった。


「星砂鉄産地の国家重要資源指定について、追加の調査が必要と判断し、指定を一時保留とする」


という内容だった。


保留、という言葉は曖昧だった。取り消しではない。しかし前進もしない。


カインはその通達をランベールの執務室で受け取り、静かに読んだ。


「保留です」


「そうだ」ランベールは窓の外を見ながら言った。「しかし、追加調査が入るということは、王城が独自に事実関係を確認することになる。マルコの説明に疑問を持ったということだ」


「追加調査の対象は」


「二十年前の採掘権確立の経緯、現在の市場への影響、代替素材の技術的な実態、この三点だと聞いている」


カインは頷いた。


三点とも、カインがすでに証拠を持っているものだ。


「調査に協力する形を取れますか」


「王城から照会が来た場合、ギルドとして情報提供を行う。その中にお前が用意した資料も含める」


「ありがとうございます」


「ただし」ランベールはカインを振り返った。「追加調査が始まれば、マルコも動く。調査を止めようとするか、有利な方向に誘導しようとするか。どちらにしても、圧力が来る可能性がある」


「覚悟しています」


「お前一人の問題ではなく、お前の周りにいる人間全員に及ぶ可能性がある。ゴッホ氏もリア・サンドールも、セリーヌもだ」


カインは静かに頷いた。


「伝えます」



ゴッホの店に集まったのは、その午後だった。


カイン、リア、ゴッホ、そしてセリーヌも来ていた。ラドも連絡を受けて来てくれた。


五人が机を囲んで座った。


カインが通達の内容を説明し、今後の見通しを話した。


「追加調査が始まる。その過程で、マルコが何らかの妨害工作をしてくる可能性がある。それぞれの立場で、注意が必要だ」


「具体的にどんな手が来ると思う?」ゴッホが聞いた。


「ゴッホさんへの取引妨害は、今までも来ていた。さらに強くなる可能性がある。特に、仕入れ先や販売先への圧力だ」


「覚悟している」


「セリーヌさんへは、ギルド内での立場への圧力か、王城での発言を封じようとする動きが来るかもしれない」


「来ても動じないわ。私の立場は黄金錬金術師として技術的な事実を示すことで成立している。技術的な事実は変えられない」


「ラドさんへは、業務妨害という形で来るかもしれない。他の依頼人に圧力をかけて、俺との契約を解除させようとする」


ラドは静かに頷いた。


「対処法は考えてあります。複数の事務所との連携体制を取っておきます」


「リアには……」


カインはリアを見た。


「ギルドの規定を使った就業制限の問題が来るかもしれないと、セリーヌさんから聞いた。侯爵家の専属として活動した者への制限条項の解釈だ」


リアは静かに聞いていた。


「ラドさんに確認した限りでは、その条項はあなたの活動に適用されない可能性が高い。しかし侯爵家が持ち出してくる可能性はある」


「来たら、対処します」


リアは落ち着いた声で言った。


「一人で対処しようとするな」


「わかっています。でも、カインさんが言うのは少し笑えます」


「なぜ」


「カインさんも、一人で抱えがちですから」


カインは少し黙った。


ゴッホが低く笑った。


「坊主、図星を言われているぞ」


「……わかった。気をつける」


「言葉だけじゃなくて、本当に気をつけてください」リアは真顔で言った。「何かあったらすぐ言うこと。一人で先に動かないこと。それが条件です」


「条件?」


「条件です」


カインはしばらく考えた。


「……わかった」


セリーヌが口を開いた。


「一つ提案があるわ。今回の追加調査が進む間、私たちの動きを外部に見える形で続けることが大事だと思う」


「見える形、というのは」


「廃棄素材の活用と、下層区画への貢献を、継続して記録に残す。調査の間も、私たちは普通に活動している。後ろめたいことは何もないということを、行動で示す」


「同意します」カインは頷いた。「俺は土壌改良材の開発を続ける。リアに量産の補助を頼む」


「やります」


「ゴッホさんには流通の継続をお願いしたい」


「もちろんだ」


「では、各自通常通りに動く。何かあれば連絡を取り合う」


五人は立ち上がり、それぞれの場所へ散った。



マルコの動きは、予想より静かだった。


追加調査が始まって最初の一週間、侯爵家から目立った妨害工作は来なかった。


ゴッホへの取引妨害もなく、ラドへの圧力もなく、リアへの就業制限の動きもなかった。


「静かすぎる」


ゴッホが言った。


「何かを考えている」


「あるいは、諦め始めているか」


「どちらだと思う?」


「両方じゃないか。諦めながらも、最後の手を考えている」


カインは同じ見方をしていた。


マルコは現実的な人間だ。勝てないと判断した時の切り替えが早い。しかし二十年かけて作った独占を、あっさりと手放せるほど冷静でもないはずだ。


葛藤している。


その葛藤の間に、カインは土壌改良材の完成を急いだ。


廃棄された化学薬品の残滓から、土壌の栄養バランスを改善する成分を抽出する作業は、浄水装置の開発より複雑だった。


土壌は水より変数が多い。土の種類、含まれる微生物の種類、水分量、気温。全てが影響する。


「今回は難しいですね」


リアが三度目の試作が失敗した後で言った。


「土壌の問題は変数が多い。しかし基本的な原理は同じだ。問題を一つずつ潰していく」


「根気がいりますね」


「前世の研究もそうだった。失敗が続く時期が必ずある」


「前世の研究、どんなことをしていたんですか」


カインは少し考えた。


「物質の本質を解明しようとしていた。エネルギーが形になる仕組み、情報が物質に影響を与える原理。この世界の言葉で言えば、魔法の仕組みに近いものを追いかけていた」


「それがここに繋がっているんですね」


「繋がっている。前世で追いかけていたものが、この世界では「価値創造の眼」として形になった」


リアは少し考えた。


「じゃあ、死んで良かったですか」


カインは少し驚いた。


「変な質問だな」


「変ですか?」


「普通はそういう問い方はしない」


「普通の問い方だと、答えが決まってるじゃないですか。「良くはないけど、今は充実している」みたいな。本当はどうですか」


カインはしばらく考えた。


「……良かったとは思わない。あの研究を続けられなかったことは、今でも惜しいと思う」


「そうですよね」


「しかし、ここで続きができている。別の形で、同じものを追いかけている。だから、ここにいることを後悔はしていない」


リアは静かに頷いた。


「続けましょう、四回目の試作」


「そうしよう」



土壌改良材が完成したのは、それから五日後だった。


完成したのは、小さな錠剤の形をした素材だ。土に埋めると、土壌の微生物活動を活性化させながら、不足している栄養素を補充する効果がある。一錠で、一平方メートルの土地を三ヶ月間改良し続ける。


ゴッホを通じて、首都外れの痩せた土地に住む農家に試供品を届けた。


二週間後の報告で、農家は驚きを隠さなかった。


「何も育たなかった土地に、芽が出た」


「野菜の育ちが、例年の倍以上速い」


「これがあれば、今まで使えなかった土地が使えるようになる」


カインはその報告を読みながら、静かに考えた。


浄水装置が水の問題を解決し、土壌改良材が食料生産の問題を解決する。


照明具が夜の問題を解決し、武具強化素材が冒険者の安全の問題を解決する。


一つ一つは小さな解決だ。しかし積み重なれば、下層区画の人々の生活が変わる。


(これが、本当の価値を作るということだ)


そんな作業を続けていた十二日目に、エシュラー侯爵家から連絡が来た。


今度は招待状ではなく、「面会の申し込み」だった。


差出人はマルコ本人。場所は侯爵邸ではなく、首都の中立的な宿屋の一室を指定していた。


カインはその申し込みを「価値創造の眼」で見た。


「エシュラー侯爵マルコからの面会申し込み。目的:交渉。条件の提示。敵対から対話への転換の意図。信頼性:まだ低いが、前回より高い」


(来た。決着をつけにきた)


カインはゴッホとラドを連れて、指定の宿屋に向かった。



宿屋の一室は、質素だった。


侯爵邸の豪華な応接室とは全く違う。四人がけのテーブルと椅子が置かれただけの、普通の旅人が使う部屋だ。


マルコはすでに来ていた。


今日は侯爵の礼服ではなく、落ち着いた色の商人風の服を着ていた。家令も護衛も連れていない。一人だ。


カインとゴッホとラドが入ると、マルコは立ち上がって軽く頭を下げた。


「来てくれた。ありがとう」


前回の侯爵邸での面会と、全く違う態度だった。


「どうぞ座ってください」


四人はテーブルに向かい合って座った。


マルコはしばらく黙ってカインを見た。


「率直に話したい」


「どうぞ」


「私は負けた」


マルコは静かに言った。


「技術で負けた。法律でも負けた。政治でも負けた。王城からの追加調査の内容は、私にとって不利なものになる可能性が高い」


カインは黙って聞いた。


「二十年前の採掘権の件も、調査が入れば不正が明らかになる。おそらく採掘権の再整理が求められる」


「それは王城が判断することです」


「わかっている」マルコは少し間を置いた。「だから、判断が出る前に、自分で整理したい」


「整理というのは」


「エシュラー侯爵家として、事業の転換を行う。星砂鉄の独占から、素材の総合的な流通業への転換だ。独占を手放す代わりに、正当な形で市場に参加し直す」


カインは静かに聞いていた。


「その転換の過程で、カイン・ロウに協力してほしいことがある」


「何でしょう」


「廃棄素材の活用技術を、エシュラー侯爵家の新しい事業の柱の一つとして取り入れたい。技術顧問という形でも構わない」


カインは少し考えた。


これは予想していた展開だ。


勝てないと判断した時、マルコのような人間は「敵を利用する」方向に転じる。カインの技術を取り込むことで、新しい事業に正当性を持たせようとしている。


「条件があります」


「聞こう」


「一つ目。二十年前に採掘権確立の過程で損害を受けた業者への補償を行うこと」


マルコの顔が、わずかに歪んだ。


しかし頷いた。


「……検討する」


「検討ではなく、実行することが条件です」


「……わかった」


「二つ目。廃棄素材の活用技術は、エシュラー侯爵家の独占にしない。技術はギルドを通じて広く普及させる。侯爵家が参加するのは流通の一部として、対等な競争の中で行う」


マルコはしばらく沈黙した。


これは、侯爵家が技術の独占を求めることを完全に封じる条件だ。


「……それでは、侯爵家の独自の優位性が生まれない」


「それが目的です。市場は誰かが独占するためにあるのではなく、競争によって正しく機能するためにある」


マルコは長い沈黙に落ちた。


ゴッホが隣で静かに腕を組んでいた。ラドは記録を取っていた。


「……三つ目は」


「三つ目は、リア・サンドールへの就業制限の条項の適用を試みないこと」


「それは最初からそのつもりだった」


「では、文書で確認させてください」


「……わかった」


マルコはテーブルに手を置いた。


「カイン・ロウ、一つ聞いていいか」


「どうぞ」


「お前は、なぜそこまでやる? 金でも名声でも権力でもなく、市場を正しくすることを目的にしている。なぜそれがお前の目的になった?」


カインは少し考えた。


「前世で、人を騙すことで生きていました。価値があるように見せることは得意だったが、本当の価値を作ったことは一度もなかった」


「だから今世で作ろうとしている?」


「そうです。前世で気づいた時には、もう終わっていた。今世では最初から、本当の価値を作ることを選んだ」


マルコはしばらくカインを見た。


「……詐欺師の贖罪か」


「そういう言い方もできます」


「大義名分にしてはきれいすぎる話だ」


「きれいかどうかは関係ない。俺が今やりたいことをやっているだけです」


マルコは深く息を吐いた。


「……条件を全て呑む」


「ありがとうございます」


「ただし、一つだけ頼みがある」


「聞きます」


「転換の過程を、できるだけ静かに進めさせてほしい。王城での調査の結果が出た時、侯爵家がすでに自主的に転換を進めているという事実があれば、処分が軽くなる可能性がある」


カインは少し考えた。


これはマルコにとっての「保険」だ。処分を軽くするための交渉カードとして、今回の転換宣言を使いたい、ということだ。


「ギルドへの正式な報告は必要です。ただし、過剰な形での公表は求めません」


「それで構わない」


ゴッホが口を開いた。


「一つ加えていいか」


「どうぞ」


「採掘権の再整理の後、星砂鉄の産地の採掘を複数の業者に開放することを、転換の条件に含めてほしい」


マルコは少し考えた。


「……二十年前に追い出した業者の後継たちに、戻れる機会を与えろということか」


「そういうことだ」


また沈黙。


「……難しい条件だが、検討する」


「検討ではなく」カインが静かに言った。


「……わかった。実行する」


ゴッホが、テーブルの下でカインの足を軽く踏んだ。


(今のは効いた)という意味だとカインには分かった。



面会が終わり、三人で宿屋を出た。


夕暮れの首都の空が、橙色に染まっていた。


ゴッホが口を開いた。


「……やったな、坊主」


「まだ終わっていない。王城の調査結果が出て、補償が実行されて、採掘権が開放されて、初めて終わりだ」


「それはわかっている。しかし今日の面会で、実質的な決着はついた」


ラドが言った。


「条件は全て記録してあります。合意書の形にまとめれば、法的な拘束力を持たせられます。明日、マルコ側の弁護士と調整します」


「お願いします」


三人は首都の大通りを歩いた。


夕暮れの光の中に、行き交う人々が見える。


市場を歩く商人、仕事帰りの職人、子どもの手を引く親。


カインはその人々を見渡した。


この人たちの生活が、少し良くなる。


星砂鉄の価格が下がれば、武具の強化が安くなる。冒険者が安全になれば、依頼が増える。依頼が増えれば、市場が活発になる。


廃棄素材の活用技術が広まれば、浄水装置が広まる。土壌改良材が広まれば、食料生産が増える。


一つが変われば、繋がって変わる。


「ゴッホさん」


「なんだ」


「最初にあなたの店に行った時のことを覚えていますか」


「覚えている。廃棄素材から作った音響増幅結晶体を持ってきた」


「あの時、どう思いましたか」


ゴッホは少し考えた。


「正直に言うか?」


「どうぞ」


「半分信じていなかった。良いものを持ってきているのはわかったが、この坊主がどこまで本気か、半信半疑だった」


「今は」


「完全に信じている」


「何が変わりましたか」


「お前が変わらなかったことが、変えた」


カインは少し意外に思った。


「変わらなかった、というのは」


「目的が変わらなかった。金が入っても、立場が上がっても、侯爵家に脅されても、お前は最初から「市場を正しくする」という一点から動かなかった。そういう人間を信じないわけにはいかない」


カインは少し考えた。


「前世では、変わっていた」


「詐欺師の時か」


「最初は「騙してはいけない」と思っていた。しかし少しずつ慣れて、慣れると見えなくなるものがあった。慣れることが一番怖い」


「今世では慣れていないか」


「今のところは」


ゴッホは低く笑った。


「そのままでいろ。慣れた時は言ってくれ、俺が叱る」


「頼む」


「……坊主」


「なんだ」


「リア・サンドールに、ちゃんと話せ」


カインは少し間を置いた。


「何を話す」


「それをお前が考えるんだ」


ゴッホはそれだけ言って、自分の店の方角へ歩いていった。


ラドも「お疲れさまでした」と言って別れた。


カインは一人になり、少し歩いた後でギルドに戻る方向に足を向けた。


リアはまだ研究室にいるはずだった。



研究室の扉を開けると、リアが顔を上げた。


土壌改良材の次のバッチの準備をしていた。


「どうでしたか」


カインは椅子に座り、今日の面会の内容を全て話した。


リアは黙って聞いていた。


条件を全て呑んだこと、補償の約束、採掘権の開放、就業制限の件。


話し終えると、リアは少し息を吐いた。


「……終わったんですね」


「実質的には」


「良かった」


リアはそれだけ言って、また作業に戻ろうとした。


カインは少し迷った。


ゴッホに「ちゃんと話せ」と言われた。


何を話せば良いかは、考えれば分かる。しかし言葉にする習慣がない。前世でも今世でも、感情を言葉にすることが苦手だった。


「リア」


「なんですか」


「一つ確認したいことがある」


「どうぞ」


「お前は、「できるだけ長く一緒にいる」と言っていた」


リアの手が止まった。


「言いました」


「その言葉は、仕事の話として言ったのか」


リアはゆっくりと振り返った。


カインを見た。


「仕事だけじゃないです」


「では、仕事以外の部分は」


「……聞きますか、本当に」


「聞かなければ、ずっとわからない」


リアはしばらくカインを見ていた。


それから、少し笑った。


「カインさんは、詐欺師だったのに、こういう時は本当に不器用ですね」


「詐欺師は、自分の感情には不器用だと言われた」


「誰に」


「お前に」


リアは笑った。


「そうでした。言いましたね」


「まだ答えていない」


「……仕事以外の部分も、一緒にいたいと思っています」


「理由を聞いても良いか」


「また聞きますか」


「聞かなければわからない」


リアは少し考えた。


「最初に会った時から、この人はただ者じゃないと思っていました。でも最初は、才能に対する興味だけだった」


「今は」


「今は、才能より、カインさん自身を見ています。前世の後悔を抱えながら、でも腐らないで、正しいものを作ることを選んでいる。その人のそばにいたいと思っています」


カインは少し考えた。


「俺は、感情を言葉にするのが苦手だ」


「知っています」


「しかし、一つだけ言える」


「何ですか」


「リアがいなければ、ここまでできなかった。技術の補助だけじゃない。食事を持ってきてくれたこと、資料の読み直しをしてくれたこと、心配してくれたこと。全部が、俺を支えていた」


リアは静かに聞いていた。


「それが、仕事以上のことを、俺もお前に感じているということだと思う」


「……思う、という言い方ですか」


「確信があるかどうか、まだわからない。ただ、一緒にいることが、自然になっている」


リアはしばらくカインを見た。


それから、また笑った。


「不器用すぎますが、ありがとうございます」


「言えたか?」


「言えました。十分です」


リアは作業台に向き直った。


「今日の作業、終わらせましょう。土壌改良材の次のバッチが待っています」


「そうしよう」


カインも作業台の前に座った。


二人は並んで作業を続けた。


研究室の窓の外は、すっかり夜になっていた。


首都の灯りが遠くに見える。


静かな夜だった。


戦いが終わろうとしている夜は、こんなに静かなのか、とカインは思った。



一週間後、王城から正式な調査結果が発表された。


「二十年前の採掘権確立の過程に不正があったことが確認された。エシュラー侯爵家に対し、採掘権の再整理と、損害を受けた業者への補償を命じる。また、星砂鉄産地の国家重要資源指定は取り消す」


発表の翌日、エシュラー侯爵家から公式の声明が出た。


「王城の調査結果を受け、採掘権の再整理と補償を速やかに実行する。またエシュラー侯爵家は、星砂鉄の独占事業から、素材の総合流通業への転換を行う。新しい事業においては、廃棄素材の活用技術を含む革新的な取り組みを積極的に採用する」


マルコは、約束を守った。


発表を受けて、市場が動いた。


星砂鉄の価格は、指定日から三日で四割下がった。


独占の解消と代替素材の存在が同時に市場に知られたことで、価格の適正化が一気に進んだ。


武具の強化コストが下がった。


冒険者ギルドの依頼数が増えた。


金属を扱う職人たちの材料費が下がった。


連鎖が起きた。


カインはその連鎖を、研究室の窓から首都の様子を眺めながら感じていた。


「変わってきましたね」


リアが隣に立って言った。


「変わり始めた。これがどこまで続くかは、まだわからない」


「次は何をするんですか」


「土壌改良材の普及を続ける。それから、別の廃棄素材の解析も始めたい。まだ見えていない価値がたくさんある」


「また廃棄物の集積所に行くんですか」


「あそこが一番面白い場所だ」


リアは笑った。


「じゃあ、また一緒に行きます」


「頼む」


「食事は私が管理します」


「そこまで頼まなくて良い」


「頼まなくてもやります」


カインは返事をしなかった。


反論する理由もなかった。


ゴッホが来たのは、その日の夕方だった。


老商人は上機嫌だった。


「星砂鉄の価格が動いた。市場全体が変わり始めている」


「報告してくれていたことは知っていた」


「坊主、一つ確認したい」


「何だ」


「これで終わりではないよな」


カインは少し考えた。


「終わりではない。エシュラー侯爵家一つが変わっても、市場全体が変わるわけではない。同じ構造を持つ別の場所がまだある」


「次はどこだ」


「まだ決めていない。しかし、廃棄素材の活用技術がギルドを通じて広まれば、別の錬金術師が同じことを始める。俺一人が動く必要は、だんだんなくなっていく」


「それが目標か」


「俺が動かなくても市場が正しく動くようになれば、それが最善の形だ」


ゴッホはしばらくカインを見た。


「……詐欺師が世界を変えようとしているとは、大した話だ」


「変えたのは俺だけじゃない。みなさんが動いてくれた」


「それを言えるようになっただけで、あの廃棄物の集積所にいた頃から変わったな」


カインは少し考えた。


変わったかどうか、自分ではわからない。


ただ、前世では一度も感じなかったことを、今は感じている。


仕事の手応えが、誰かの顔に現れる感覚。


正しいものを作ることが、自分の外に広がっていく感覚。


それが何と呼ばれるものなのかは、まだうまく言葉にできない。


「続けていけばわかるかもしれない」


カインは静かに言った。


ゴッホは低く笑い、帰っていった。


研究室に一人になったカインは、机の前に座り、新しいページを開いた。


次の廃棄素材の解析メモだ。


今日届いた廃棄物の中に、面白いものがあった。


溶けかけた古いガラス片だ。「価値創造の眼」で見ると、内部に特殊な光の屈折構造が生まれていることが分かった。それを利用すれば、小型の光学レンズが作れる可能性がある。


老人や病人の目を助ける道具になるかもしれない。


カインはペンを取り、設計のメモを書き始めた。


また一つ、始まる。


終わりは、次の始まりだ。


それが、廃棄物の中に価値を見つける者の、果てなき仕事だった。



―――― 第十話 了 ――――


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ