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偽りの錬金術師、貴族経済を解体します  作者: みかん


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第十六話 三ヶ月後の景色

試験運用が始まって、三ヶ月が経った。


春が夏になり、首都の空気は熱を帯びていた。廃棄素材銀行の倉庫の中は、朝から活気があった。


持ち込みの件数は、最初の一週間の六件から、今では一日平均三十件を超えていた。


素材券の流通量は、三ヶ月で累計八百枚を超えた。


評価マニュアルによる研修を受けた若手錬金術師は、四名。そのうち二名が廃棄素材銀行での実地評価に参加していた。


カインは倉庫の隅のテーブルで、三ヶ月分の記録をまとめていた。


持ち込み総数:二千三百十二件。


受け入れ素材総数:八千七百四十一点。


素材券発行総数:八百二十三枚。


うち市場での流通:三百九十一枚。


うち廃棄素材銀行での素材引き出しに使用:二百八十七枚。


うち保有中:百四十五枚。


修復魔道具の販売数:二百六十三点。


感応金属等の高価値素材の回収数:四十二点。


「これをランベール卿に提出する」


カインは記録の最後のページを閉じた。


リアが隣に来て、肩越しに数字を見た。


「すごい量になりましたね」


「三ヶ月でこの規模になるとは、正直予想より早かった」


「口コミで広まったからですよ。下層区画から来る人が、だいぶ増えましたし」


「ゴッホさんの商会のスタッフが、丁寧に対応してくれているおかげだ」


ゴッホの商会のスタッフは今では四名になっていた。最初の二名に加えて、もう二名を採用した。どちらも元々ゴッホの商会にいた経験者で、廃棄素材の扱いを素早く覚えた。


「三ヶ月の結果を受けて、ランベール卿は何を判断しますか」


「本格的な拡大の承認を求める。首都以外の都市への展開と、王城への正式な報告だ」


「王城への報告は、必要ですか」


「廃棄素材銀行が市場に定着するためには、制度的な根拠が必要だ。王国の公式な仕組みとして認められれば、他の都市での展開が格段に早くなる」


リアは頷いた。


「報告書の作成、手伝います」


「頼む。数字の整理と、各立場からの証言の収集が必要だ」


「証言というのは」


「持ち込みをしてくれた人たちの声だ。廃棄素材銀行がどんな役に立ったか、具体的に」


「集めます」



証言の収集は、三日かけて行った。


リアが倉庫に来る人々に声をかけ、廃棄素材銀行を使った経験について話を聞いた。


修理屋のバーラは言った。


「廃棄費用がなくなっただけで、月に銀貨五枚の節約になっています。それに、素材券で別の素材が手に入るから、仕入れのコストも下がりました」


下層区画の薬師のトルダは言った。


「廃棄しかなかったハーブの茎から素材券をもらって、水晶の破片を手に入れました。そこから浄水装置を直して、今も使っています。今まで捨てていたものが、役に立つものに変わるというのは、不思議な感覚です」


首都外縁部の農家のメルダは言った。


「廃棄するつもりだった古い農具の金属部品を持ち込んだら、素材券をもらいました。その素材券で土壌改良材の素材を引き出して、使ってみたら作物の育ちが全然違いました。来年からは、廃棄農具は全部ここに持ってきます」


眼鏡職人のバルデは言った。


「光学レンズの素材がここで安定的に手に入るようになって、品質が上がりました。以前は素材の質がバラバラで、作るたびに品質が違っていた。今は均一の品質で作れます」


医師の組合の代表は書面で送ってきた。


「光学レンズの普及によって、細かい患部の観察が可能になりました。誤診が減り、治療の精度が上がっています。下層区画での浄水装置の普及と合わせると、首都の下層区画での感染症の件数が、半年前と比べて四十パーセント減少しています」


集まった証言は、全部で二十三件だった。


リアはそれを整理して、一つの文書にまとめた。


カインはそれを読んで、静かに頷いた。


「よくまとめてくれた」


「読みやすいですか」


「読みやすい。それぞれの人の言葉が、具体的に伝わってくる」


「数字だけじゃなくて、人の声があった方が伝わりやすいと思って」


「そうだ。ランベール卿に提出する報告書の中核になる」



ランベールへの報告は、翌週の月曜日に行われた。


執務室に入ると、ランベールはすでに書類を広げていた。


カインが数字の一覧と証言集を渡すと、ランベールは時間をかけて読んだ。


しばらく沈黙が続いた。


「……三ヶ月で、持ち込みが二千件を超えたか」


「二千三百件です」


「素材券が市場で流通している」


「三百九十一枚が市場での取引に使われました。廃棄物が作り出した通貨が、実際に市場で機能しています」


ランベールは証言集を手に取った。


「医師の組合からの報告、下層区画の感染症が四十パーセント減少」


「浄水装置の普及と光学レンズによる診断精度の向上が合わさった結果です」


「これはギルドの成果として報告できる数字だ」


カインは少し意外に思った。


「ギルドの成果として?」


「廃棄素材活用技術のギルド登録、評価マニュアルの技術委員会承認、廃棄素材銀行との研修協力体制、全てギルドが関与している。これらを通じて、市民の生活が改善された。ギルドの本来の役割を果たした結果として報告できる」


「なるほど」


「それがギルド全体の評判を上げることになる。技術管理部門や外部取引部門が変化に抵抗していたことで損なわれた評判を、取り戻す機会でもある」


カインは静かに聞いた。


「王城への報告を正式に行う準備はできています」


「手順を確認する。まず、王国の商業担当省に廃棄素材銀行の活動報告を提出する。次に、市場への影響について財政担当省からの評価を得る。その後、正式な制度としての認定を申請する。この順番で進める」


「ギルドとして一緒に動いてもらえますか」


「動く。ギルド長名義の推薦書を添付する」


カインは頷いた。


「手続きはどれくらいかかりますか」


「早くて三ヶ月、長ければ半年だ。しかし活動は止める必要はない。申請中も、試験運用として続けられる」


「わかりました。書類の準備を進めます」



王城への報告書の準備は、ゴッホ、ラド、セリーヌの全員で取り組んだ。


ラドが法律的な形式を整え、ゴッホが市場への影響の数字を整理し、セリーヌが技術的な内容を加えた。


カインは全体の構成を設計し、リアが文書としてまとめた。


一週間かけて完成した報告書は、百ページを超えた。


数字、証言、技術の説明、法律的な根拠、市場への影響分析、今後の展開計画。全てが一冊にまとまっていた。


「重いですね」


リアが完成した報告書を持ち上げながら言った。


「中身が充実している証だ」


「これを読んでもらえますか」


「ランベール卿が添えて送ってくれる。担当の省の官僚が読む。時間はかかる」


「じゃあ、待つ間も動き続けますか」


「もちろん」



報告書を提出してから一週間後のある朝、倉庫に珍しい来客があった。


四十代の男で、質の良い外套を着ている。商人でも修理屋でも一般市民でもない雰囲気があった。


廃棄素材を持ち込みに来たわけでもなく、ただ倉庫の中を興味深そうに見渡していた。


カインが声をかけた。


「何かお探しですか」


男はカインを見た。


「カイン・ロウさんですか」


「そうですが」


「王国商業担当省の者です。廃棄素材銀行の活動について、視察に来ました」


カインは少し驚いた。


報告書を提出してから一週間。こんなに早く反応が来るとは思っていなかった。


「省からの正式な視察ですか」


「非公式の事前視察です。正式な審査の前に、実態を確認したいと思いまして」


「どうぞ、ご自由に見てください。何でも聞いてください」


男は倉庫の中を一通り見て回った。


受け入れ窓口を確認し、分類保管スペースの棚を見て、素材券の帳簿を確認した。


「素材券の仕組みが興味深い。廃棄物を持ち込んだ人が、素材券を受け取る。その素材券で別の素材を引き出せる、あるいは市場で売ることができる」


「そうです」


「これは一種の取引所ですね。廃棄物の取引所」


「そういう理解で合っています」


「規模の拡大を考えているとの報告書でしたが、どのような形を想定していますか」


カインは丁寧に説明した。


首都での本格展開、他都市への展開、最終的には大陸規模のネットワーク。しかし今は一歩ずつ進める段階であること。


男は聞きながら、手元のノートに記録を取っていた。


「最後に一つ聞かせてください」


「どうぞ」


「なぜこれを始めたんですか。個人的な利益のためでなければ、何のために」


カインは少し考えた。


「廃棄物の中に、価値があると気づいた。それを見せたかった」


「見せたかった、というのは」


「捨てられているものが、実は価値を持っている。それが分かれば、捨てる量が減る。捨てる量が減れば、資源が増える。資源が増えれば、市場が豊かになる。豊かになれば、下層区画の人々の生活も良くなる」


男はしばらくカインを見た。


「……転生者だと聞いていますが、前世でも同じことをしていたんですか」


「前世では、価値があるように見せることで生きていました。本物の価値を作ったことは、なかった」


「なるほど」


男は手帳を閉じた。


「参考になりました。正式な審査は来月以降になりますが、担当者に良い印象を伝えます」


「ありがとうございます」


男は倉庫を出た。


ゴッホが後ろから来た。


「聞いていた。王城が早く反応してくるとは思わなかったな」


「報告書の内容が良かったんだろう。ラドさんの法律的な形式と、リアが整理した証言集が効いたと思う」


「あの男、感触はどうだった」


「悪くない。「廃棄物の取引所」という言葉を使った。理解はできている」


「審査が通れば、正式な仕組みになるな」


「三ヶ月から半年かかるかもしれない。しかし動き始めている」


ゴッホは倉庫の中を見渡した。


今日も持ち込みが続いていた。修理屋のスタッフ、農家の息子、下層区画のおばあさん、若い職人。


それぞれが、廃棄するつもりだったものを持ってきていた。


「坊主」


「なんだ」


「お前が最初にあの廃棄物集積所に入った時から、どれだけ変わったと思う?」


カインは少し考えた。


「変わったかどうかはわからない。ただ、できることが増えた」


「人間も増えた」


「そうだ」


ゴッホは静かに笑った。


「私も増えた方の一人だ。覚えておいてくれ」


「覚えている」


「じゃあ、続けよう」


「続けよう」



その夜、カインは研究室で一人で考えた。


三ヶ月前、廃棄素材銀行を設計し始めた時、ここまで早く動くとは思っていなかった。


しかし考えてみれば、必然だったかもしれない。


廃棄素材の価値を示すことは、エシュラー侯爵家との件で始まった。そこで積み上げた実績と信頼が、廃棄素材銀行の立ち上げを支えた。


廃棄素材銀行の実績が、王城の関心を引いた。


一つが次を生む。それが続いている。


前世では、そういう積み上げをしたことがなかった。


詐欺師の仕事は、一回一回が独立した案件だった。一つ終われば次の案件。過去の仕事が次に繋がることはなかった。


コンサルの仕事も、似たようなものだった。企業の問題を解決して終わり。その後どうなったかは、あまり気にしていなかった。


今は違う。


一つが次を生み、次が更に次を生む。


廃棄物が浄水装置になり、浄水装置が子どもの健康を守り、健康な子どもが大きくなって別の何かを作る。


そういう連鎖が、静かに続いている。


扉がノックされた。


「カインさん、まだいますか」


リアの声だ。


「いる」


リアが入ってきた。手に包みを持っている。


「夜食です。今日は遅かったので」


「ありがとう」


リアは包みを机の上に置き、向かいの椅子に座った。


「今日の視察官、どう思いましたか」


「悪くない印象だった。理解しようとしていた」


「正式な審査が通れば、廃棄素材銀行が国の仕組みになりますね」


「そうなれば、展開が早くなる」


リアは少し考えてから言った。


「カインさんは、いつまでここにいると思いますか」


「ここ、というのは首都か」


「首都というか……今いる場所、今の仕事、今の関係」


カインは少し意外に思った。


「どういう意味だ」


「廃棄素材銀行が王国全土に広がれば、カインさんは首都だけにはいられなくなるかもしれない。他の都市に行く必要が出てくるかもしれない」


「そうなるかもしれない」


「その時は、私も一緒に行きますか」


カインはリアを見た。


真剣な目だった。冗談でも、試しているわけでもない。


「一緒に来るつもりがあるなら、来てほしい」


「あります」


「なら、来てくれ」


リアは少し安心したような顔をした。


「わかりました。どこへでも行きます」


「ゴッホさんとラドさんも、できれば一緒に来てほしい」


「さっきより規模が大きくなりましたね」


「一人では動けない。みんなが必要だ」


「セリーヌさんは?」


「セリーヌさんはギルドの立場がある。首都を長く離れるのは難しいかもしれない。ただし、繋がりは続く」


リアは頷いた。


「じゃあ、準備しておきます。どこへでも行けるように」


「今すぐではない。まず首都での基盤を固める」


「もちろんわかっています。でも、心構えとして」


「それは良い心構えだ」


リアは包みを開けた。パンとチーズと、温かいスープだ。


「食べましょう」


「ありがとう」


二人は並んで食事をした。


研究室の外では、夏の夜が静かに広がっていた。


首都の灯りが遠くに見える。


その灯りの中に、廃棄素材銀行の倉庫もある。今日も誰かが持ち込みをして、誰かが素材を引き出した。


小さな灯りが、少しずつ増えている。


「カインさん」


「なんだ」


「これからも、ずっとこういう仕事を続けますか」


「続ける」


「楽しいですか」


カインは少し考えた。


「楽しい、という言葉が正確かどうかわからないが、やりたいことをやっているという感覚がある」


「それが楽しいということじゃないですか」


「そうかもしれない」


リアはスープを飲みながら言った。


「私も、やりたいことをやっている感覚があります。カインさんの隣で、廃棄物の価値を探している。これが今の私のやりたいことです」


「それは良かった」


「良かったって、他人事みたいですね」


「他人事ではない。ただ、どう言葉にすれば良いかがわからない」


リアは少し笑った。


「じゃあ、言葉にしなくて良いです。私にはわかりますから」


「わかるのか」


「わかります。カインさんが私の言葉を聞いている時の顔を見れば」


カインは少し沈黙した。


「……気づいていなかった」


「知っています。だから言いました」


二人は食事を続けた。


研究室は静かで、夜の音だけが聞こえていた。


明日も、仕事が続く。


廃棄素材銀行が今日より少し大きくなる。


素材券が今日より少し多く流通する。


廃棄物が今日より少し多く、誰かの価値になる。


それが続いていく。


それが、今この場所で生きることの形だった。



翌朝、倉庫を開けると、入口に手紙が挟まれていた。


差出人は書いていない。


開けると、一行だけ書かれていた。


「廃棄素材銀行の活動を、別の都市でも見てみたい。話を聞かせてほしい。来週、首都を訪れる予定がある。場所と時間を指定してください」


署名はなかった。


カインは手紙を「価値創造の眼」で見た。


紙の質、インクの種類、筆跡の特徴。


「高品質な紙に、首都外の都市で作られたインクで書かれた手紙。書いた人物:商人か、行政の上位者。目的:廃棄素材銀行への関心、あるいは参入の検討」


首都外からの関心。


報告書が王城に届き、視察官が来た翌週に、首都外からの接触が来た。


(動きが重なっている)


これは偶然ではないかもしれない。


王城への報告と、首都外からの関心が、同じタイミングで来た。


何かが、大きく動き始めようとしている。


カインは手紙を折り、コートのポケットに入れた。


「ゴッホさんに連絡する」


倉庫の中では、今日も持ち込みが続いていた。


新しい一日が、始まっていた。



―――― 第十六話 了 ――――


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