第十四話 証拠と決断
証拠が揃ったのは、それから十日後のことだった。
ラドから連絡が来たのは朝の早い時間で、カインはまだ研究室の灯りをつけたばかりだった。
「今すぐ来られますか。重要な情報が揃いました」
ラドの事務所はギルドから五分ほどの場所にある。
カインはコートを手に取り、急いで向かった。
ラドの事務所は、本棚が壁を埋め尽くした狭い部屋だ。書類が整然と並んでいて、雑然としているように見えて、実はどこに何があるかが完全に把握されている。そういう場所だと、最初の訪問でカインは感じていた。
ラドは机の前に座り、書類の束を広げていた。
「座ってください」
カインは向かいの椅子に座った。
「目撃証言をもとにした人相書きを、ギルドの職員名簿と照合しました」
ラドは一枚の紙をカインに渡した。
鉛筆で描かれた顔の輪郭がある。四十代ほどの男で、顎が角張っていて、眉が太い。
「この人物が、ゴッホさんの店の周辺で目撃されています。目撃は三件、それぞれ夜十時以降。ゴッホさんの店への侵入があった日と、その前後を含む三日間です」
「ギルドの職員と一致しましたか」
「ギルドの外部取引部門に所属する職員の一人と、顔の特徴が一致します。名前はデルク・ハウスといいます」
カインは静かに聞いた。
デルク。以前リアが調べた時に、エシュラー侯爵家の代理人がギルド内で接触していた人物の一人だ。記録管理部門の所属と聞いていたが、外部取引部門に異動しているのかもしれない。
「デルク・ハウスと外部取引部門の長との関係は」
「直属の部下です。五年前から外部取引部門に所属し、長の信頼が厚いとされています」
「つまり、外部取引部門の長の指示で動いた可能性が高い」
「状況証拠としてはそうなります。ただし、デルク本人が独自に動いた可能性も排除できません」
「デルクと外部取引部門の長の間に、直接的な指示があったことを示す証拠はありますか」
「今のところはありません。目撃証言と職員の照合だけです」
カインは考えた。
目撃証言と人相書きの照合は、直接の証拠としては弱い。裁判で使えるかどうかは疑問だ。しかし「状況証拠の積み重ね」としては使える。
「これをランベール卿に提出することはできますか」
「証拠の強さとしては、まだ弱い段階です。ただし、調査の開始を求める根拠としては十分かもしれません」
「調査が始まれば、より詳細な事実確認が行われる」
「そうです。ランベール卿がギルド内調査を命じれば、デルクの動きについて正式な聴取が行われます。その過程で、外部取引部門の長との関係も明らかになる可能性があります」
カインは頷いた。
「ランベール卿に会う。今日中に面会を申し込む」
「一つ注意点があります」
「何ですか」
「面会の申し込みが外部取引部門の長に漏れれば、証拠の隠滅が行われる可能性があります。ランベール卿への連絡は、直接、かつ慎重に行ってください」
「セリーヌさんを通じて伝える。ギルド内の通常の連絡経路を使わない」
セリーヌへの連絡は、手書きの手紙で行った。
ギルドの内部メッセージ系統ではなく、研究室の窓から直接、ゴッホが手配した使いの者に持たせた。
セリーヌからの返答も、同じ経路で来た。
「今日の夕方六時、ランベール卿の自宅に来てほしい。ギルド本部ではなく、自宅で会う」
自宅で。ギルドの外で。
ランベールもまた、ギルド内での盗聴や監視を警戒していることが分かった。
ランベールの自宅は、首都の静かな住宅街にある石造りの二階建てだった。
表札も出ておらず、どこにでもある家のように見えた。
セリーヌが先に来ていた。ランベールは書斎で二人を迎えた。
書斎は小さな部屋で、書棚に古い本がぎっしりと並んでいる。暖炉の火が揺れていた。
「座れ」
ランベールの声は、執務室で話す時より少し低かった。緊張ではなく、真剣さの重みのようなものがある。
カインはラドから受け取った書類を机の上に置いた。
「目撃証言と人相書き、それと職員名簿との照合結果です。外部取引部門のデルク・ハウスが、ゴッホ氏の店周辺で複数回目撃されています。侵入があった日と一致します」
ランベールは書類を取り上げ、丁寧に読んだ。
読みながら、顔が少しずつ硬くなっていった。
「……デルクか」
「ご存知ですか」
「名前は知っている。外部取引部門の長が信頼している人間だ」
「外部取引部門の長の指示で動いた可能性が高いと見ています」
「直接の証拠は?」
「ありません。目撃証言と照合のみです」
ランベールは書類を机に置いた。
「これだけでは、正式な懲戒処分は難しい」
「わかっています。しかし、調査を開始する根拠としては十分だと考えています」
「調査を開始すれば、デルクと外部取引部門の長に知れる」
「知れた時点で、どう動くかを見ることができます」
ランベールはカインを見た。
「……罠を仕掛けるつもりか」
「情報が漏れるかどうかを確認するためです。ランベール卿が調査を開始した事実を、限られた人間だけに伝える。その後、デルクや外部取引部門の長が動けば、情報の経路が特定できます」
「ギルドの内部調査を、情報漏洩の確認に使うということだ」
「そうなります」
ランベールはしばらく沈黙した。
暖炉の火がぱちりと音を立てた。
「セリーヌ、お前はどう見る」
セリーヌはカインとランベールを交互に見てから、静かに言った。
「カインのやり方は正しいと思います。証拠が弱い段階で直接動けば、相手に逃げる時間を与えます。調査を開始して、その後の動きを見る方が、より確実な証拠が得られます」
「リスクは」
「調査の開始を知った相手が、より過激な手段に出る可能性はあります。しかしそれは、今まで以上に明確な証拠を残すことにもなります」
ランベールは長い沈黙の後、立ち上がった。
「……わかった。明日、内部調査を開始する。デルク・ハウスを対象とした「業務上の行動調査」という名目で」
「誰に伝えますか」
「私と、秘書一名のみ。ギルドの上層部には伝えない」
「それで十分です」
「ただし一つ条件がある」
「聞かせてください」
「この調査の結果がどうなろうと、お前はギルドとの関係を続けることを約束してくれ」
カインは少し意外に思った。
「なぜその条件を?」
「お前の活動が、ギルドに良い変化をもたらしていることは認識している。しかし内部で問題が起きれば、お前がギルドを見限って独立する道もある。そうなれば、ギルドはお前を失う」
カインは少し考えた。
「ギルドを見限るつもりはありません。ただし、ギルドが変わることは必要だと思っています」
「変える手伝いをしてくれるか」
「できる範囲で」
ランベールは手を差し出した。
カインはその手を握った。
「わかった。明日から動く」
翌日、ランベールが内部調査を開始した。
カインとリアは、通常通りに研究室で作業を続けた。
何も変わらないように見える一日だったが、内部では動きが始まっていた。
三日後、ラドから連絡が来た。
「デルク・ハウスが、外部取引部門の長の部屋に長時間滞在したという情報があります。調査の開始を知ったと思われます」
「調査の情報が漏れた」
「ランベール卿の秘書から漏れたか、あるいは別の経路かは不明です。ただし、情報が漏れたことは確かです」
カインはランベールに伝えた。
ランベールは静かな怒りを顔に浮かべた。
「秘書か」
「確認が必要です。ただし、今回の情報漏洩自体が証拠になります」
「どういう意味だ」
「ランベール卿が内部調査を開始したという情報は、秘書以外には伝えていませんでした。その情報がデルクに届いたとすれば、秘書が情報源であることになります。しかし秘書以外に、調査の情報が漏れる経路はないはずです」
「……秘書も外部取引部門の長と繋がっていたということか」
「可能性が高い」
ランベールは机を強く叩いた。
「長年信頼してきた人間が」
カインは静かに待った。
感情が落ち着くまで待つ。これは前世で培った習慣だった。
「……続けてくれ」
「今回の情報漏洩の事実が、証拠になります。調査の内容を秘書にだけ伝えて、その情報がデルクに届いた。これは秘書が外部取引部門の長の側に情報を流していたことを示します」
「しかし秘書本人が否定すれば」
「否定した事実も記録に残ります。さらに、調査の情報が漏れたという事実そのものは、否定できません。情報が漏れる経路が秘書しかなかったということは、論理的に秘書が情報源だということを示します」
ランベールは深く息を吐いた。
「……わかった。秘書を対象とした調査も開始する。今度は、私一人しか知らない形で」
それから一週間が経った。
ランベールが単独で動いた調査は、静かに進んでいた。
カインたちには詳細は伝えられなかったが、セリーヌを通じて断片的な情報が来ていた。
「外部取引部門の長が、最近ランベール卿との面会を繰り返し求めているらしい。何かを察知して、直接話をつけようとしているのかもしれない」
「ランベール卿は会っていますか」
「形式的な面会は行っているけど、内容については話してくれていない」
「それで良い。ランベール卿が判断している」
カインはその間も、通常の作業を続けた。
廃棄魔道具の修復。
感応金属の回収。
土壌改良材の量産。
光学レンズのコス組合への供給。
毎日の実績記録の提出。
積み上げは止まっていなかった。
二週間後の朝、ランベールから呼び出しがあった。
今度はギルド本部の執務室だった。
普段より静かな部屋に、ランベールが一人で座っていた。
「座れ」
カインは座った。
「昨日、外部取引部門の長に辞表を提出させた」
カインは静かに聞いた。
「経緯を聞かせてください」
「調査の過程で、秘書が外部取引部門の長に情報を流していたことが確認できた。秘書は認めた。外部取引部門の長は最初は否定したが、秘書の証言と、過去の通信記録を突き合わせると、否定し切れなくなった」
「デルク・ハウスの件は」
「外部取引部門の長の指示で動いていたことも確認できた。デルクは詳細を認めた。長が部下に圧力をかけていたこともわかった」
「技術管理部門の長との連携は」
「技術管理部門の長についても、外部取引部門の長から打診があったことが確認できた。ただし、技術管理部門の長は「法的に問題のない範囲で手続きを変えただけだ」と言っている。こちらは証拠が薄い」
「技術管理部門の長への処分は?」
「今回は注意にとどめる。ただし、手続き変更の意図について正式な記録が残る。今後同様のことがあれば、それを前歴として扱える」
カインは頷いた。
「外部取引部門の長の辞表を受理しましたか」
「受理した。後任については、内部から信頼できる者を充てる」
「デルクの処分は」
「減給と、職務内容の変更。本人は反省の意を示した」
カインは少し考えた。
「処分として、それは妥当だと思います」
「お前が厳しい処分を求めないのは意外だ」
「潰すことが目的ではありません。組織が正しく機能することが目的です。デルクが今後適切に仕事をするなら、それで良い」
ランベールはしばらくカインを見た。
「……やはり変わった男だ」
「よく言われます」
「一つ伝えておく。今回の件で、ギルド内の雰囲気が変わり始めている」
「どう変わりましたか」
「上層部の中で、「変化に抵抗する」のではなく「変化を取り込む」方向で動こうとする者が増えてきた。廃棄素材の活用が実績として積み上がり、それをギルドの成果として評価できることに気づき始めた者たちだ」
「それは良い変化です」
「そうだ。しかし、変化には時間がかかる。お前が焦れなければ良いが」
「焦る必要はありません。積み上げていけば、自然に動く」
ランベールは少し笑った。
「自信があるな」
「前世で、組織の変化を外から促す仕事をしていた。変化は内側から起きる。外側からできるのは、変化を起こしやすい状況を作ることだけだ」
「それが、お前の戦い方か」
「そうです」
ランベールは立ち上がり、手を差し出した。
「引き続き、よろしく頼む」
「こちらこそ」
研究室に戻ると、リアが待っていた。
「どうでしたか」
カインは椅子に座り、ランベールから聞いた内容を全て話した。
外部取引部門の長の辞表。デルクの処分。技術管理部門の長への注意。ギルド内の雰囲気の変化。
リアは話を聞きながら、少しずつ表情が柔らかくなっていった。
「終わりましたね、内側の問題も」
「一段落した。しかし、完全に終わりではない。技術管理部門の長は残っている。ギルドの雰囲気が変わり始めたとはいえ、全員が変わるわけではない」
「でも、大きな一歩ですよね」
「そうだ」
リアは記録の束を手に取った。
「今週の実績記録、まとめ終わりました。修復魔道具が今週だけで三十二点。浄水装置の累計が二百五十件を超えました。感応金属の回収が五個目を達成しました」
「ありがとう」
「カインさん」
「なんだ」
「少し疲れましたか」
カインは少し考えた。
「疲れている、ということはないが」
「顔が少し違う気がして」
「何が違う?」
「いつもは何かを考えながら話しているんですが、今日は考え終わった顔をしています」
カインは少し意外に思った。
「考え終わった、というのは」
「わかりません。でも、少し違う顔をしているんです」
カインはしばらく考えた。
何かが一段落した、という感覚はある。エシュラー侯爵家との件が終わり、コス組合が取引先になり、ギルド内部の問題も一段落した。
「区切りが来たのかもしれない」
「この先も続くんですよね」
「続く。次の廃棄素材を解析しなければならないし、廃棄素材銀行の構想も進める必要がある。ギルドの変化も、内側から促していく必要がある」
「じゃあ、区切りは何の区切りですか」
カインは少し考えた。
「前世の贖罪が、少し晴れた気がする」
リアは静かに聞いた。
「前世で、一度も本当の価値を作れなかったと言っていましたね」
「そう言っていた」
「今は?」
「今は、作っている。まだ道半ばだが、確かに作っている」
「それが区切りなんですね」
「そうかもしれない」
リアはしばらく黙った。
それから、静かに言った。
「カインさんが作っているものを、私も一緒に作っていられることが、嬉しいです」
カインはリアを見た。
「ありがとう」
「どういたしまして」
リアは立ち上がり、棚から新しい廃棄素材の箱を取り出した。
「次の解析、始めましょうか」
「そうしよう」
二人は作業台に向かった。
窓の外の首都は、春の終わりの光の中にあった。
新しい問題はまた来る。しかし今は、目の前の廃棄素材の中に眠る可能性を探す時間だ。
カインは箱の中を覗いた。
今日の廃棄素材は、使えなくなった温度調節器の残骸と、劣化した魔法鏡の縁取り部品が中心だった。
「価値創造の眼」を向けた瞬間、情報が流れてくる。
温度調節器の内部の金属合金が、特定の温度変化に対して特殊な反応を示す性質を持っていた。
それを利用すれば、医療用の精密な体温計が作れる可能性がある。
魔法鏡の縁取りに使われていた特殊な塗料の成分が、光の特定の波長を増幅させる性質を持っていた。
それを利用すれば、暗い場所でも文字が読める照明システムが作れるかもしれない。
(まだある。まだある)
廃棄物の中には、まだ誰も気づいていない価値が眠っている。
カインはペンを取り、設計メモに書き始めた。
「医療用体温計、設計記録」
仕事は、続く。
それが、この世界で生きることの意味だった。
その夜、ゴッホがカインの研究室に来た。
珍しく、少し改まった様子だった。
「少し話がある」
「どうぞ」
ゴッホは椅子に座り、しばらく黙っていた。
「坊主、一つ確認したい」
「なんだ」
「廃棄素材銀行の構想、本気で進めるつもりか」
「そのつもりだ。時期と方法はまだ検討中だが」
ゴッホは頷いた。
「それをやるなら、私の商会を使ってほしい」
カインは少し驚いた。
「商会、というのは」
「今の私は個人商人だ。しかし廃棄素材銀行を動かすには、組織として機能する必要がある。私はかつて大商会を経営していた。その経験を活かして、廃棄素材銀行の運営母体を作りたい」
「ゴッホさんが、商会を再建するということですか」
「再建というより、新しい形で始める。今度は廃棄物の価値を扱う商会だ。詐欺ではなく、本物の価値を流通させる商会」
カインはゴッホを見た。
七十代に見えるが、今この瞬間の目は若い。
「……私が最初にあなたの店に行った日のことを思い出した」
「覚えているか」
「覚えている。あなたが詐欺で破産させられた後も、商人の目をしていた」
ゴッホは少し笑った。
「あの時から、何かが変わると思っていた。この坊主と組めば、面白いことになると」
「面白いことになりましたか」
「なった。そしてまだ続く」
カインは頷いた。
「一緒に作りましょう、廃棄素材銀行を」
「乗った」
ゴッホは立ち上がり、手を差し出した。
カインはその手を握った。
老商人の手は、最初に握った時と同じように、節くれだっていて力強かった。
しかし今日は、少し違う温度があった。
始まりの温度だ。
新しいものが動き始める時の、あの感覚。
カインは静かに笑った。
「また一つ、始まりますね」
「ああ。何度始めても、始まりは良いものだ」
ゴッホはそう言って、部屋を出た。
カインは一人で研究室に残り、新しいページを開いた。
「廃棄素材銀行、設計記録」
ペンが走る。
窓の外では、首都の夜が静かに更けていく。
終わりは、次の始まりだ。
前世ではそれを知らなかった。
今世では、それが生きることの形だと知っている。
カインは書き続けた。
―――― 第十四話 了 ――――




