第十三話 内側の敵
セリーヌへの手紙を出した翌日、返事が来た。
「面会したい。今日の夕方、ギルド本部の外の喫茶店で」
場所をギルドの外に指定してきた。
それだけで、セリーヌがすでに何かを察知していることが分かった。
指定された喫茶店は、ギルド本部から三ブロック離れた静かな通りにある小さな店だった。石造りの壁に蔦が絡まり、窓が小さくて外から中が見えにくい。
セリーヌはすでに来ていた。
いつもの黄金のローブではなく、目立たない茶色の外套を着ていた。
「わざわざ変装を?」
カインが向かいに座りながら聞いた。
「変装というほどじゃない。ただ、今日はギルドの人間に見られたくなかった」
「理由は」
「昨日、あなたへの手紙を書いていた時に、部屋を誰かが覗いていた気がした」
カインは静かに聞いた。
「気がした、というのは確信ではないということか」
「確信はない。ただ、廊下に人の気配があって、私が気づいた瞬間に消えた。気のせいかもしれないが、タイミングが悪すぎる」
「ゴッホさんの店への侵入形跡と、時期が重なる」
「そう思った。だから場所を変えた」
ウェイターがお茶を持ってきた。二人は少し待って、ウェイターが離れてから話を続けた。
「ギルド内部の動きについて、何か感じていることはありますか」
セリーヌはカップを両手で包むように持ち、少し考えてから言った。
「先週から、上層部の会議の雰囲気が変わっている」
「どう変わった?」
「廃棄素材の活用技術がギルドの公式文書として登録されて以来、その話題が出るたびに、一部の上位者が露骨に不快な顔をするようになった」
「誰が?」
「名前を出すのはまだ慎重でありたい。ただし、二人いる。どちらも、ギルド内で大きな発言力を持つ上位者だ」
「どのくらいの立場の人物ですか」
「ランベール卿の直下にいる副ギルド長クラスよ。一人は技術管理部門の長、もう一人は外部取引部門の長」
カインは頭の中で整理した。
技術管理部門の長が不満を持つのは理解できる。廃棄素材の活用技術がギルド外に広まることで、ギルドが持つ技術の独占的な価値が薄れる。
外部取引部門の長が不満を持つ理由は、ゴッホのような独立した流通業者がカインと組んで動いていることで、ギルドを通さない取引が増えることへの危機感だろう。
「二人は協力関係にありますか」
「おそらくそうだと思う。先週の会議で、意見が一致する場面が何度かあった」
「具体的にどんな動きを取りそうですか」
セリーヌは少し間を置いた。
「一つ確認しておきたいんだけど」
「なんでしょう」
「あなたはランベール卿を信頼しているわね」
「はい」
「私もそうよ。ただし、ランベール卿の立場は難しい。ギルドのトップとして、内部の対立を抑えながら動かなければならない。あなたへの支援が明確になればなるほど、内部の反発が大きくなる」
「つまり、ランベール卿を巻き込みすぎると、ランベール卿の立場が危うくなる可能性がある」
「そうよ。バランスが要る」
カインは頷いた。
「では、具体的な動きとして何が来ると思いますか」
「技術管理部門の長が手を打つとすれば、廃棄素材活用の技術登録を取り消す、あるいは条件を厳しくする動きだと思う。外部取引部門の長なら、ギルド外の流通業者への圧力か、カインとゴッホの取引を「ギルド外への技術漏洩」として問題化することが考えられる」
「どちらも、今まで積み上げてきた記録が防御になる」
「そうよ。ただし、記録があっても、内部の権力で手続きを変えてしまうことはできる。それが「内側からの攻撃」の怖さよ」
カインはお茶に口をつけた。
「一つ提案があります」
「聞かせて」
「今まで私の活動を支援してきた方々、ゴッホさん、ラドさん、リア、ランベール卿、そしてあなたに、全員集まってもらえますか。今後の動きを、バラバラにではなく、全員で情報を共有した上で進めたい」
セリーヌは少し考えた。
「全員で会う必要がある?」
「内側からの攻撃は、情報が分断されていると対応が遅れる。全員が同じ情報を持っていれば、それぞれの立場で適切に動ける」
「ランベール卿を呼ぶのは、少し目立つ」
「ランベール卿には別途報告する形でも構いません。ただし、情報の共有は必要です」
セリーヌはしばらく考えた。
「わかった。場所はここで良い。明後日の夕方、どうかしら」
「調整します」
明後日の夕方、同じ喫茶店に五人が集まった。
カイン、リア、ゴッホ、ラド、セリーヌ。
ランベールは、セリーヌが別途情報を共有することを伝えると、「わかった、セリーヌに任せる」と言っていたらしい。
五人は小声で、しかし整然と情報を整理した。
カインが状況を説明した。
ゴッホが補足した。
セリーヌがギルド内部の動向を伝えた。
ラドが法律面のリスクを分析した。
リアが、ギルド内で自分が観察していた動きを追加した。
「一週間前から、廃棄物の集積所への新しい「管理規定」が検討されているという話を聞きました。廃棄素材の申請手続きをより複雑にする方向です」
「それは初耳だ」カインが言った。
「昨日、下位の見習いたちの間で話題になっていました。まだ正式な通達ではありませんが、技術管理部門から非公式に話が降りてきているらしいです」
「申請手続きが複雑になれば、廃棄素材を使いたい錬金術師が諦めやすくなる」ゴッホが言った。「間接的な制限だ」
「しかし正面から「禁止」とは言えない。禁止すれば、ランベール卿の方針と矛盾する。だから手続きを複雑にすることで、実質的に萎縮させようとしている」セリーヌが言った。
ラドが口を開いた。
「手続きの複雑化は、通常の行政手順として行われるなら、法的に止めることは難しい。ただし、もし手続き変更が特定の目的のために行われたという証拠があれば、話は別です」
「証拠を作ることはできますか」
「変更が公式に通達された時点で、変更の理由を公式に問い合わせることができます。理由が明示できない、あるいは理由が合理的でないなら、それは記録に残ります」
カインは頷いた。
「来てから対処するという方針で良さそうだ」
「もう一つあります」セリーヌが続けた。「外部取引部門の長が、ゴッホさんへの接触を試みたという情報があります」
ゴッホが眉を上げた。
「……私への接触? そんな話は受けていないが」
「直接ではなく、仲介を通じてのようです。「ギルドとの正式な流通契約を結べば、安定した取引が保証される」という打診があったと、ゴッホさんの取引先の一社から聞きました」
ゴッホは少し考えた。
「甘い餌を使って、私をギルドの管理下に置こうとしているということか」
「そうよ。ゴッホさんがギルドと正式契約すれば、取引の内容をギルドが監視できるようになる。カインとの取引も、ギルドのチェックが入ることになる」
「断る」ゴッホはあっさりと言った。「私は独立商人だ。組織の管理下に入るつもりはない」
「その意思は伝えておきます」
五人は全体の状況を整理した。
技術管理部門の長からは、手続きの複雑化という間接的な制限が来ようとしている。
外部取引部門の長からは、ゴッホを取り込もうとする動きが来ている。
どちらも、正面からの攻撃ではなく、間接的な締め付けだ。
「今回は記録を積み上げるだけでなく、積極的に情報を公開していく必要があります」
カインが言った。
「公開というのは?」リアが聞いた。
「廃棄素材の活用によって生まれた具体的な価値を、数字で示す。下層区画の浄水装置が届いた家庭の数、土壌改良材で作物が育った農地の面積、修復された魔道具が再び使われている件数。全部を記録して、ギルドの公式報告として提出する」
「それはすでに一部やっていますね」リアが言った。
「もっと体系的に。毎週ではなく、毎日の記録を作る。ギルド内の全員が見られる形で」
「毎日の記録を出し続ければ、活動の実態が可視化される」セリーヌが頷いた。「技術管理部門が手続きを複雑にしようとしても、それが何の活動を妨害しているかが、数字として明確になる」
「正確には、妨害していることを本人たちに自覚させるわけではなく、外から見ている人間に分かる形にする」
「ランベール卿に見せるということですね」ゴッホが言った。
「そうだ」
「では私は、毎日の取引記録を整理して提出する形にする。何がどこに届いて、誰が使っているかを数字で」
「お願いします」
「私は廃棄素材の活用状況を、技術文書として週次で提出します」リアが言った。「何種類の廃棄素材から何点の錬成品や修復品が生まれたか」
「私は医師の組合と眼鏡職人の工房からの報告を集めます」セリーヌが言った。「光学レンズが実際に使われている状況を、医療現場からの声として」
「ラドさんには」
「法的な記録の整理をします。手続きの変更が出た場合、変更前と変更後の比較を即座に提出できるよう、準備しておきます」
五人の役割が決まった。
カインは全員を見渡した。
「もう一つ。今日のこの会合のことは、今の五人以外には話さない。ランベール卿には別途、セリーヌさんから状況を伝えていただく。それ以外には、動きが見えないようにする」
全員が頷いた。
翌週、予想通り、技術管理部門から「廃棄素材使用申請手続きの改定」の通達が出た。
改定内容は、申請書に三つの新項目を追加するというものだった。
使用する廃棄素材の詳細な成分分析レポート。使用目的の具体的な計画書。完成品の用途と販売予定先の事前申告。
どれも、一見すると合理的な内容に見える。
しかし実態として、これらの書類を準備するには専門的な知識と時間が必要で、特に「成分分析レポート」は専門の分析装置を使わなければ作成できない。
分析装置を持っているのは、上位の錬金術師か、ギルドの施設だ。
つまり、ギルドの承認を経なければ申請書が作れない仕組みを作ったということだ。
カインはその通達を読んで、静かに頷いた。
(来た。予想通りの形だ)
すぐにラドに連絡を取った。
「変更内容の法的な問題点をまとめてください。特に、「成分分析レポート」の要件について、この要件を満たすための方法がギルドの施設以外に存在するかどうか」
ラドの回答は翌日来た。
「成分分析レポートの要件について調べました。ギルドの施設以外にも、王立科学院と、民間の分析機関二社が、公認の分析サービスを提供しています。ただし、費用がかかります。また、要件として「公認の分析機関によるレポート」とは書かれておらず、「詳細な成分分析レポート」とだけ書かれています。つまり、分析者がギルドでなくても、内容が正確であれば要件を満たす可能性があります」
カインはその回答を読んで、少し笑った。
「詰めが甘い」
リアが「どうですか」という目で見てきた。
「成分分析は、俺の「価値創造の眼」でできる。正確な成分分析の記録を自分で作れば、「詳細な成分分析レポート」の要件を満たす」
「え、でも公認の機関じゃなくて大丈夫なんですか」
「「公認の分析機関によるレポート」とは書かれていない。「詳細な成分分析レポート」とだけ書かれている。レポートの内容が正確なら、誰が作っても要件を満たす」
リアはしばらく考えた。
「……それは、技術管理部門の長が、要件の書き方を間違えた?」
「「ギルドの分析機関を使わなければならない」と書けば良かった。しかし「詳細な成分分析レポート」と書いたために、抜け穴ができた」
「なぜ間違えたんでしょう」
「急いだか、あるいは法律的な厳密さに慣れていないか。どちらにせよ、穴がある」
「でも、次に修正してくるんじゃないですか」
「修正してくれば、その理由が問われる。「前の要件に何が問題があったのか」という正式な説明が求められる。その説明の中に、本当の目的が滲む可能性がある」
リアは感心したような顔をした。
「……どちらに転んでも、有利になるんですね」
「そうなるよう、動く」
カインはその日のうちに、最初の廃棄素材使用申請書を新しい様式で作成した。
成分分析レポートは、「価値創造の眼」で確認した内容を、正確に記述した。素材名、成分比率、含有する特定の物質の詳細、それぞれの性質。全部を数値で記録した文書だ。
計画書と販売予定先については、ゴッホとの取引記録に基づいて作成した。
完成した申請書は、技術管理部門に提出した。
翌日、技術管理部門の受付担当者から連絡が来た。
「申請書を確認しました。成分分析レポートについて、分析者の資格証明が必要です」
カインはラドに伝えた。
「「分析者の資格証明」という要件は、申請手続きの改定通達には書かれていませんでした」とラドが確認してくれた。
カインは受付担当者に返答した。
「資格証明の要件が、改定通達のどの条項に書かれているか教えてください。通達の内容を確認しましたが、その条項を見つけられませんでした」
翌日、受付担当者から返答が来た。
「…確認いたします。しばらくお待ちください」
それから三日間、返答がなかった。
四日目に、ランベールから直接連絡が来た。
「カイン・ロウ、申請の件について話がある。今日の午後に来てほしい」
ランベールの執務室に入ると、珍しく険しい顔をしていた。
「座れ」
カインは座った。
「申請書の件について、技術管理部門の長から私に話が来た」
「何と言っていますか」
「「カイン・ロウの申請書の成分分析レポートは、公認の資格を持つ者が作成したものではないため、要件を満たしていない」という主張だ」
「しかし、改定通達にはそのような要件は書かれていませんでした」
「私も確認した。書かれていない」ランベールは机の上の書類を見た。「技術管理部門の長は「通達の意図としてそういう意味だった」と言っている」
「通達の文言ではなく、意図ですか」
「そう言っている」
カインは静かに考えた。
「ランベール卿、一つお願いがあります」
「聞こう」
「技術管理部門の長に、「通達の意図」を文書として提出させてください。口頭での「意図」ではなく、書面として」
ランベールは少し考えた。
「……なぜそれが必要だ」
「書面として「意図」が示されれば、それは新しい要件の追加と同じ意味になります。新しい要件の追加は、正式な手続きを経る必要があります。その手続きを経ずに実質的な要件を追加しようとしていることが、書面によって明確になります」
ランベールは長い沈黙を置いた。
窓の外を見て、それから手元の書類を見て、またカインを見た。
「……お前は、技術管理部門の長が困る状況を作ろうとしている」
「記録として残ることを求めているだけです」
「同じことだ」
「書面を出せば、手続き上の問題が記録に残ります。書面を出せなければ、「意図」としての主張が成立しません。どちらでも、申請書は受理される可能性が高くなります」
ランベールはしばらく沈黙した。
「……わかった。書面を求める」
ランベールは内線を呼び出し、技術管理部門の長に「通達の意図を書面として提出するよう」に伝えた。
カインは待った。
一週間後、技術管理部門から「通達の意図書」という書類が提出された。
内容は、「分析者は分析行為について責任を持てる立場であることが必要であり、それはギルド認定の分析技術者または同等の資格を持つ者を意味する」というものだった。
カインはその書類をラドに送った。
ラドからの返答は翌日来た。
「「ギルド認定の分析技術者または同等の資格を持つ者」という基準について、ギルドの規定を確認しました。ギルド認定の錬金術師は、錬金術に関する分析行為において分析者としての責任を持てると見なされます。カイン・ロウは金色見習いのギルド認定錬金術師であるため、この基準を満たします」
カインは「意図書」への反論書を、丁寧に作成して提出した。
「通達の意図書に示された基準「ギルド認定の分析技術者または同等の資格を持つ者」について、カイン・ロウは金色見習いのギルド認定錬金術師であり、本基準を満たすと考えます。以上の理由から、提出した申請書は全ての要件を満たしていると考えますが、ご確認ください」
翌週、技術管理部門から申請書の受理通知が来た。
一言だけ書かれていた。
「受理します」
申請書が受理されたその日、ゴッホが研究室に来た。
「外部取引部門の件も動きがあった」
「聞かせてくれ」
「私への接触を試みた仲介者が、また来た。今度は条件を少し変えてきた。「ギルドとの正式契約ではなく、情報提供の協力関係という形で良い」という内容だった」
「情報提供の協力関係、というのは」
「カインとの取引内容を、定期的にギルドに報告する、ということだ。見返りに、ギルド内での取引優遇が得られるという話だ」
カインは静かに分析した。
直接の契約ではなく、「情報提供者」として取り込もうとしている。これはゴッホを通じて、カインの活動を監視する仕組みを作ろうとすることだ。
「断りましたか」
「当然断った。ただし、一つ気になることがある」
「何だ」
「仲介者が、私に接触する前に、誰かから私の店の情報を得ていた様子だった。店の週次の売上のおおよその規模を知っていた」
「それは侵入の形跡と関係しているかもしれない」
「そう思った。帳簿の情報が漏れていたとすれば、侵入者と外部取引部門の長は繋がっている可能性がある」
カインは頷いた。
「ラドさんに伝える。不法侵入の証拠集めを正式に依頼する」
「証拠があれば、外部取引部門の長を直接問題にできる」
「そうなる。ただし、証拠集めには時間がかかる。その間も通常通りに動く」
証拠集めの依頼を出してから四日後、ラドから連絡が来た。
「ゴッホさんの店周辺で、夜間に出入りしていた人物の目撃証言を複数得ました。人相書きを作成中です。また、一部の証言によると、その人物はギルドの制服に似た服を着ていたとのことです」
ギルドの制服に似た服。
それが事実なら、侵入はギルド関係者によるものだという証拠になりうる。
カインはセリーヌに報告した。
セリーヌは少し間を置いてから言った。
「……ランベール卿に報告する必要がある。ただし、証拠が揃う前に動くと、相手に逃げる時間を与える可能性がある」
「同じことを考えていた。証拠が揃うまで、もう少し待つ」
「しかし、あなたへの圧力が続く間、活動は続けられますか」
「続ける。圧力があっても、活動の実績が積み重なれば、それが防御になる。エシュラー侯爵家との件でそれは確認できた」
「……そうね」
セリーヌは少し考えた。
「一つ言っておくわ。今回の相手は、エシュラー侯爵家より組織的だ。個人の利益ではなく、組織の既得権益を守ろうとしている。複数の人間が関係していて、一人を問題にしても別の人間が続きを担う」
「わかっている」
「だから、個人を潰すのではなく、仕組みを変えることを目指した方が良い」
「同じことを考えていた。仕組みを変えるには、ランベール卿の力が必要になる」
「ランベール卿も、長年ギルドを守ってきた人間だ。仕組みを変えることには、慎重な面もある」
「慎重な面を、どう動かすか」
「数字よ」セリーヌは静かに言った。「廃棄素材の活用がもたらした具体的な価値を、ランベール卿が無視できないほど積み上げる。ギルドが関与しなければ、このような価値は生まれなかったという事実と、逆に言えば、ギルドが阻害すればこの価値が失われるという事実を示す」
「それが、毎日の記録を積み重ねることの目的だ」
「そうよ。今はその積み上げを続ける時期ね」
積み上げは、着実に続いていた。
浄水装置が届いた家庭の数は、二百件を超えた。
土壌改良材が届いた農地は、首都周辺の十七か所。
修復された魔道具は、三週間で百二十点。
光学レンズの供給を受けた医師は、首都の医師の組合に所属する者の三割を超えた。
コス組合への光学用素材の供給も順調で、「遠見の石」の品質が改善されたと、組合から感謝の言葉が来た。
廃棄素材の活用技術を使い始めた若手錬金術師は、五人になった。
「数字が積み上がっている」
リアが記録を整理しながら言った。
「毎週提出している記録の数字だけを見ると、廃棄素材の活用がどれだけの影響を持つか、はっきりわかります」
「それが目的だ」
「技術管理部門の長や外部取引部門の長は、この数字を見ているんでしょうか」
「見ているはずだ。だからこそ、急いで手続きを複雑にしようとした」
「数字が大きくなるほど、止めにくくなりますね」
「止めれば、止めることによる損失が数字として見える。それがランベール卿への説得力になる」
リアは記録の一番新しいページを見た。
「……下層区画の子どもたちの病気の件数が、半年前と比べて四十パーセント減っています。浄水装置の普及によるものだと、医師の組合が確認しています」
カインは静かにその数字を見た。
四十パーセント減。
これが、廃棄素材から作った浄水装置がもたらした変化だ。
「前世で、誰かの生活を良くしたことがあったか、あらためて考えてみた」
カインは独り言のように言った。
リアが顔を上げた。
「一度もなかった」
「……そうですか」
「詐欺師の時はもちろん、コンサルの時も、企業の損失を防ぐことはしたが、誰かの生活が良くなったという実感はなかった」
「今は?」
カインはリアを見た。
「今は、ある」
リアは少し笑った。
「それが、続ける理由になっているんですね」
「そうかもしれない」
「じゃあ、止まらないですね」
「止まらない」
リアは記録の整理に戻った。
カインも設計メモに向かった。
廃棄された魔道具の中に、まだ見ていない可能性がある。
研究室の外では、首都の夕方が静かに更けていった。
内側からの圧力は続いている。しかし、積み上げも続いている。
どちらが先に、形になるか。
カインにはすでに、答えが見えていた。
―――― 第十三話 了 ――――




