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第4話 自由になりたい

アルベルトが部屋を出ていったあと。


 私はしばらく、その扉を見つめていた。


「……変な人」


 けれど、不思議と嫌な感じはしなかった。


 ――あなたが選ぶことですから。


「……そんなの、分かってたら苦労しないのよ」


 そう呟いて、鏡を見る。


「……今回は、だいぶマシね」


 今回のドレスは淡いベージュ。

 ただし袖に謎のフリルがつきすぎていて、やや焼き菓子の包み紙感はある。


 けれど、今までに比べれば人間としての尊厳は保たれている。


 少なくとも、花壇でも照明器具でも飛翔準備中の珍鳥でもない。


「ローラ」


「はい、お嬢様」


「今日、舞踏会には行かないわ」


 ローラが目を丸くした。


「今日は具合が悪いことにしてちょうだい。私はもう、誰かが決めた舞踏会に付き合うのをやめる」


 言ってから、少しだけ胸を張る。


 なかなかそれっぽい台詞だった。

 今までの私よりは、少しだけ主人公っぽい。


「かしこまりました」


「あと、町へ出る支度をお願い。なるべく地味で、令嬢っぽくない格好がいいわ」


「……かなり難しいご注文ですが、努力いたします」


「そこをなんとか」


 さすがローラ、仕事が早い。


 午後には私は、かなり“ふつうの娘さん”に近い姿で城下町へ出ていた。

 もちろん、どう見ても上等な服ではあるけれど、少なくとも「悪役令嬢です」と看板を背負って歩いている感じではない。


「……いい天気ね」


 城下町は明るかった。


 パンの香り。花の匂い。荷車の音。

 子どもが走り、店先には果物が並んでいる。


 誰も私を見て「悪役令嬢が」とひそひそ言わない。

 王子もいない。マリアもいない。筋肉も発光もない。


「こういうのよ。こういうのが普通の人生ってやつでしょう?」


 断罪されない午後。

 追放されない夕方。

 王子の胸筋を見なくていい一日。


 こんなに心穏やかな時間が、この世界に存在していたなんて。


「……悪くないわね」


 小さく笑った、その時。


 広場の角を曲がった先で、私は運命みたいにその店を見つけた。


 小さなレンガ造りの店舗。

 大きな窓。日当たりのいい店内。少し古びた看板。


「あ……」


 胸が高鳴る。


「ここ、いい……!」


 白いカップ。

 焼きたてのスコーン。

 紅茶の香り。

 季節のタルト。


 窓辺の席で、誰かが静かに本を読んでいる。


 私はそこで、誰にも断罪されず、誰とも争わず、自分の店を切り盛りしている。


「そうよ……まずはここから始めて……」


 朝はスコーンと紅茶。

 昼は軽食。

 甘すぎない焼き菓子。

 窓辺には季節の花。


 気づけば、私は笑っていた。


「やっと……自由な人生が始まるのね!」


 戦うためじゃなくて。

 王子をどうこうするためでもなくて。


 私は、こういうふうに生きたかったのだ。


 静かで、穏やかで、おいしいお菓子のある人生。


 ――と、そこまで思いかけた時。


 ギシ。


「……ん?」


 店先の古びた看板が、不穏な音を立てていた。


 風は強くない。

 なのに、看板はぐらりと大きく揺れている。


「……え?」


 嫌な予感がした。


 こういう予感は、だいたい当たる。

 私はもう学習している。


 この世界における嫌な予感は、だいたい本気でこちらを殺しに来る。


「ちょっと待って、まさか――」


 ガコン。


 次の瞬間、看板が私の頭上に落ちてきた。


 ゴッ。


「うそでしょ……こんな、地味すぎる……」


 それが、私の最後の感想だった。



 **



「……お嬢様」


 遠くで声がした。


「お嬢様、お目覚めですか」


 目を開ける。


 見慣れたシャンデリア。

 見慣れた天井。

 見慣れた、うんざりするほど豪華な部屋。


 そしてベッドの脇には、いつものようにローラが立っていた。


「……またここなのね」


「お嬢様?」


「いいの。こっちの話」


 私はゆっくり体を起こした。


 頭が痛い。

 いや、実際に痛い気がする。


 さっき看板に殴られたばかりなのだから、幻痛くらい残っていても不思議ではない。


「……カフェ、やろうとしたのに」


「カフェ、でございますか?」


「ええ。私の、静かで、甘くて、誰も断罪しない理想郷よ」


 ローラは少しだけ目を瞬かせた。

 朝から主人が理想郷の話を始めたら、侍女としても困るだろう。


 舞踏会に行っても死ぬ。

 行かなくても死ぬ。

 自由になろうとしても、看板が落ちてくる。


 この世界は、私が少しでも筋書きから外れようとすると、雑に殺しにくるらしい。


 でも――。


「……違うのか」


 私は額を押さえた。


「私、逃げてただけなのかも」


 舞踏会から逃げる。

 王子から逃げる。

 マリアから逃げる。


 全部遠ざけて、カフェなんてものを夢見ていた。


 それは確かに、悪役令嬢の役目から外れる行動だった。

 でも、本当に自分の人生を選んだのかと聞かれると、胸を張れない。


 私はまだ、悪役令嬢という役から逃げることばかり考えていた。


「逃げるんじゃなくて、ちゃんと片づけなきゃいけないのかも」


「片づけ、でございますか?」


「ええ。まずは人間関係の大掃除よ」


 ローラがますます困った顔をした。


 そりゃそうだ。

 普通の令嬢は朝から人間関係を掃除しない。


 でも、私は普通ではない。

 死に戻り常習犯で、看板に負けた女である。


「ローラ」


「はい」


「舞踏会に行くわ」


「はい」


「喧嘩じゃなくて、話をするの」


 口に出した瞬間、自分でも少し嫌な顔になった。


 あの発光ヒロインとまともに会話できる保証はない。

 途中で輝き出すかもしれないし、また風で燃えるかもしれない。


 でも。


 戦うのでもなく、逃げるのでもなく。

 一度、ちゃんと向き合ってみる。


 それは、今までの私が選ばなかった道だった。


「まずはマリアよ」


 私はゆっくり息を吐いて、ベッドから降りた。


 鏡の中の私は、まだ少し疲れた顔をしていた。

 けれど、昨日よりはマシだった。


 たぶん。


 少なくとも、頭上に看板はない。


 ――今のところは。

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