医者ルート、開幕ですか?
「……またか」
意識がゆっくり浮かび上がる。
重たい水の中から引き上げられるみたいに、頭がぼんやりする。
首のあたりに、まだ処刑台の縄の感触が残っている気がして、気分が悪い。
どうせ目を開けたら、あのシャンデリアだ。
豪華な天井。豪華なベッド。豪華なカーテン。
いい加減、この部屋の家具とは親戚みたいな気分である。
そう思いながら、私は目を開けた。
「……うわっ!?」
目の前に、男の顔があった。
しかもどアップで。
鼻筋が通っていて、まつ毛がやけに長くて、金縁の眼鏡。
距離が近いせいで、無駄に整った顔面の破壊力が高い。
「な、何!? 誰!? 近い近い近い!」
私は反射的に飛び起きかけ、掛け布団を胸まで引き上げた。
男は少しだけ驚いたように目を瞬かせ、それから穏やかに微笑む。
「お嬢様、お加減はいかがですか?」
「いや、その前に距離感をどうにかしてくださる!?」
心臓に悪すぎる。
いつものループの目覚めと違いすぎるし、朝いちばんに見る顔としては美形すぎる。
男はすっと身を引き、落ち着いた所作で一礼した。
「失礼いたしました。王城付き医師のアルベルトと申します」
「……医者?」
「はい」
「何で私のベッドの上に医者がいるのよ」
「上にはおりません。脇です」
「そういうことじゃないのよ!」
ぜいぜいしながら、あらためて相手を見る。
紺色の衣服。穏やかな目。知的そうな雰囲気。
王子みたいに筋肉で圧をかけてこないし、マリアみたいに無駄に光ったりもしない。
……普通だ。
そして悔しいことに、かなりのイケメンだった。
「お嬢様がひどくお疲れのご様子だとうかがいましたので、診察に参りました」
「誰に聞いたの?」
「侍女からです」
「ローラ?」
「おそらく」
首をかしげる。
ローラがそんなことを言うだろうか。
いや、最近の私はどう考えても疲れ果てているし、言っていてもおかしくはない。
なにしろヒロインのドレスが燃えて、私が処刑されたのだ。
疲れないはずがない。
「……まあ、疲れてるのは事実だけど」
「そうでしょうね」
医者はあっさりとうなずいた。
「お顔に出ています」
「そんなにはっきり言う!?」
「ええ」
「やだ、この人ちょっと正直だわ」
でも、嫌な感じはしない。
王子だったら説教が飛んでくるし、マリアなら涙目で勝利宣言だ。
それに比べると、この医者はずいぶん話が通じる。
私はため息をつき、ベッドにもたれた。
「最近、あまり眠れないのよ」
「そうですか」
「何をしても、同じことを繰り返してる気がして」
言ってから、少しだけ眉をひそめる。
言いすぎたかもしれない。
けれど医者は、変な顔はしなかった。
「それは、お心もお体もお疲れなのだと思います」
「そう……」
「頑張りすぎておられるのかもしれません」
思わず苦笑する。
「頑張ってるつもりはないんだけどね」
「それだけ真面目だということではありませんか?」
……この人、たまにちゃんとしたことを言う。
医者は薬瓶を置いた。
「軽い睡眠薬です。眠れない夜にお使いください」
「また薬?」
「“また”ですか?」
「……いえ、なんでもないわ」
薬瓶を手に取る。
見覚えがある気がするのは、気のせいだろうか。
「ねえ」
「はい」
「あなたみたいな人、ほかにもいる?」
「私みたいな人?」
「その……医者枠?」
医者は少し考え、笑った。
「それはどういう枠なのでしょう」
「知らないわよ」
枕を抱え直す。
すると医者は、少し真面目な顔になった。
「お嬢様」
「なに?」
「時には、ご自身の行動を見直してみることも大切ですよ」
「……自分の行動を?」
「ええ。同じ道を回ってしまっていることもありますから」
その言葉に、私は黙る。
同じ道を、ぐるぐる回る。
――それは、まさに今の私だ。
追放。死。やり直し。
工夫して、失敗して、また死ぬ。
「……そうか」
小さくつぶやく。
「私、ずっと“悪役令嬢らしく”動いてたのかも」
「そうかもしれませんね」
王子に噛みついて、マリアに嫌味を言って、断罪されて死ぬ。
それ以外、考えたことがなかった。
「……違うこと、しないとダメなのね」
「はい」
「じゃあ」
気づけば口にしていた。
「舞踏会、行きたくない」
本音だった。
「それも一つの選択ですね」
「……いいの?」
「もちろんです。あなたが選ぶことですから」
胸が、少し軽くなる。
(……なんだろう、この人)
「……まともね」
ぽつりと呟く。
「ねえ先生」
「はい」
「あなた、思ったよりいい人ね」
「ありがとうございます」
「ちょっと攻略対象っぽい顔してるし」
「……そうですか?」
「ええ。王子よりはずっと」
「それは光栄です」
動じなさすぎる。
王子なら今ごろ筋肉が震えている。
「じゃあ次は、“私のやりたいこと”をやるわ」
拳を握る。
追放でも、処刑でもないルートを。
医者は静かに一礼した。
「どうかご無理はなさらず」
「そこは“健闘を祈る”とかないの?」
「お嬢様は無理をなさると大変なことになりますので」
「否定できないのが腹立つわね……」
医者は少し笑い、そのまま部屋を出ていった。
扉が閉まる。
私はしばらく、それを見つめていた。
やがて鏡の前に立つ。
そこには、巨大リボン三段重ねの私。
横から見ると、完全に贈答品だ。
「……よし」
小さくうなずく。
「今度は、“私の好きにやる”だけよ」
その瞬間、腰のリボンがぴょこんと揺れた。
「あなたにだけは言われたくないわよ」




