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07◇冬を拒むこと01

 朝。

 食堂に向かえば、クラッカーの音が盛大になった。締まりのない顔をしたラウラに紙吹雪が降り注ぐ。


 落葉する季節。ラウラは誕生日を迎えていた。


 同じように紙吹雪にまみれるセルゲイは、ギギギと油が注されていないブリキの人形を思わせる動きで首を動かした。


「ラウラ、君は今日誕生日なのか?」


「えへへ、実はそうなんです」


「イヴァン!」


 セルゲイが矢のような声で、側に控えるイヴァンを呼んだ。


「大丈夫ですよ旦那様、僕は何度も言ってましたから」


 苦虫をかみつぶした顔のセルゲイの腕を引く。

 彼がそんなにも気にするとは思っていなかった。淑女が自らの誕生日を公言することは恥ずべきことだが、もっと言っておけばよかったかもしれない。


「セルゲイ様、私は一緒に過ごせるだけで十分幸せですよ」


 にこっと微笑めば、


「かわいい……天使のようだ」


 相当参っているのか天使という形容までついた。これ以上気落ちさせないため、ぐいぐいと席まで引っ張る。


 大きなケーキにふわふわな白パン、ラウラの好きなチキンやカボチャのスープまで並んでいる。


「食べましょう?」


「……あぁ」


 楽しく談笑しながら、ラウラの誕生日パーティーは始まった。



 ――どんがらがっしゃん。


 パーティーが終わった後。セルゲイによって速やかに部屋に返されたラウラは、遠くから聞こえる、全てをひっくり返すような音に耳を立てていた。


(なにしているのかしら)


 もしかしたら棚の底が抜けてしまったのかもしれない。助けに行かねばと飛び起き、部屋の前まで行く。だが入れ違うようにして、セルゲイは部屋を飛び出していった。


「――これだけでは足りない!」


 目を白黒させるラウラの隣で、イヴァンが苦笑する。もう既に小さい背を指させば、力なく首を振られた。


「全速力の旦那様には、僕なんかでは追い付かないので諦めです。凄いですよ、目を皿にして部屋中ひっくり返していました」


 ラウラは鈍くない。セルゲイが、彼女の誕生日プレゼントを調達するため走って行ったのだとすぐに理解する。のんびり行っても、誰も咎めたりしないのに。笑みがこぼれてしまう。


「それなら、お茶をして待っていようかしら」


「ぜひそうしてください」


 ラダが、庭を望めるテラスにお茶会の用意をしてくれた。葉が落ち冬支度を始めた庭は寂しさで満ちていて、今はなんだか丁度よかった。


 ツェツィーリヤから誕生日プレゼントとして贈られたのは、紅茶の茶葉だった。一目で高級だとわかる細かな装飾が施された缶の中には、アッサムが入っていた。カカオなどのアロマもブレンドされていて、ミルクティーがおすすめだと、同封されていた手紙に書かれていた。

 実際飲んでみれば、豊かな香りとわずかな甘さが口の中いっぱいに広がり、鼻に抜けていく。


(あったまる……)


 ツェツィーリヤの得意げな笑みが浮かぶようであった。いつもはちゃんと伸ばしている背も、ほろほろと丸くなっていく。野良猫に高貴な猫、それから黄褐色の猫。ラウラも無事仲間入りを果たした。


 もう一口、もう一口。ちまちまと大事に飲んでいく。

 

 ――自分は、あと四か月ほどでこの茶葉を使いきれるだろうか。


「四か月か……」


 早かった。今までの人生で一番、目まぐるしい一年だった。

 花が散って実を付けて。葉を伸ばして、落としていく。それでおしまい。落ちた葉の行方は、誰も知らない。落ちた葉ですらも。


 どこに行こう。


 最近実家から、帰ってこないかという手紙が届いていた。なんの気まぐれかは知らないが、一時の羽休めとしてはいいのかもしれない。父と母、ニコライにアリーナは元気にしているだろうか。元気でいてほしいと思う。元気でいてくれないと、ラウラが被害者振れなくなってしまう。とても困る。

 

 セルゲイは今頃、必死になってラウラの誕生日プレゼントを見繕っているのだろう。彼は知らない、ラウラがどれだけ幸せなのか。


(――だって、好きな人と一緒にいられるって、それだけで十分嬉しいもの)


 なのに、それ以上をくれようとするなんて、セルゲイはラウラに甘すぎだ。


 待ちぼうけながら、趣味の現実逃避は止まらない――はずだった。今日に限って、じっくりじっくりと現実の方へ引っ張られる。


(それとも、線引きなのかな)


 セルゲイにとって、一緒にいる時間は特別ではないから、代わりの特別を贈る。実に理にかなっている、恋に浮かれたラウラには寂しすぎるリアルだった。虚しさを、ミルクティーと共に押し流す。



「奥様」


 マーニャに遠慮がちに声をかけられた。はっと背を伸ばす。


「旦那様がおかえりになられました」


「あら、じゃあ行かないと」


「いえ、既にこの部屋の前まで来ております」


「あら!」


 すぐにお通しして。従順なるメイドは楚々として頭を下げ扉を開けた。

 告知通りセルゲイが息を切らし立っていた。手には溢れんばかりの薔薇の花束が抱えられている。


「ラウラ」


「セルゲイ様」


「お誕生日、おめでとう」


 渡された花束には、小さなうさぎの人形が紛れていた。看板のようなものを持っている。


 『お誕生日おめでとう、ラウラ』


 幼いラウラが、どうしてもほしいものだった。今となっては輝きを失ったとばかり思っていたが、いざ目の当たりにすると、息もできないくらいの喜びで言葉が出なくなる。

 止まることなく回っていた口が、錆びついてしまった。役目を終えたように。


『お誕生日おめでとう、ラウラ』


 もう一度、丁寧に文字を目でなぞった。そうか、今日自分は誕生日なのだ。


 生まれ直したように、また口が回りだす。


「――妹が、私の一週間後に誕生日を迎えるんです。だから父と母は、妹の誕生日パーティーの準備にかかりきりで、私は試作品のケーキに試作品の食事を、美味しい美味しいと食べなくてはいけなくて。エントランスにはもう、『お誕生日おめでとう、アリーナちゃん』と書かれた布が張られているんです。見る度に私、今日は妹の誕生日なのだと思っていました。だから特別嬉しくもなくて、私も、誕生日をお祝いしてほしいなぁって、そればっかり考えていて」


「…………」


「けど、違ったんですね。私は今日、誕生日なのですね」


 お誕生日おめでとう、ラウラちゃん。口の中で甘く言葉を溶かす。

 セルゲイはラウラの話を茶化したりもせず、選びきれない言葉を抱えたまま、小さな小箱を差し出した。先ほどこれだけでは足りないと評されていたのは、この小箱だったのだろう。宝飾品を入れるための箱だと見受けられるそれは十分すぎる気がするのに、それでも足りないという烙印を押されるなんて、嬉しくて堪らなかった。


「ラウラ、お誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがとう、君に会えて、とても幸せだ」


 開かれたそこには、銀の指輪が収まっていた。


 左手を取られ、薬指に通されていく。うるさいくらい鳴る心臓の音が、伝わってしまいそうだった。


「……あ」


 だが途中でつっかえた。それ以上進まず、指の真ん中で居心地悪そうに指輪が光っている。


「指のサイズを間違えたみたいだ……」


 しょんぼりと項垂れるセルゲイをころころ笑った。指から引き抜き、両手で握り締める。


「チェーンに通してネックレスにしましょうか」


「すまない……」


「謝らないでください、私、とっても幸せなんですから」


 ――あぁ、


(離婚、したくないな)


 この人と、一生を共にしたいと思った。



◇◇◇



 離婚したくない。そう言いだしたラウラに待つのは即刻屋敷から追い出されるエンドか、ハッピーエンドか。

 このままじっとしているより、やってみる価値はある気がした。


 そのために大事なのはロケーションだ。三か月後に、春の訪れを祝うパーティーがある。そこにセルゲイと共に出席しよう。


「――最高にすてきなドレスを作りたい?」


 お茶会に訪れていたツェツィーリヤが、ラウラの言葉を反芻した。


「はい、セルゲイ様と一緒にパーティーに行きたくて。えっと、今は内緒なんですけど」


「いいじゃないの」


 口元に人差し指を当てれば、ラウラよりつややかな仕草でツェツィーリヤは真似をした。ラウラの中で一番お洒落な彼女が力を貸してくれる、こんなに心強いことはない。


 半分ほど食べ終えたアップルパイを、ツェツィーリヤが指さす。


「これに免じて手伝ってあげるわ」


「やったぁ、ありがとうございます」


「善は急げよ。早速行きましょうか」


 ツェツィーリヤに手を引かれるまま連れてこられたのは、ルラ王国でも一二を争うとされるオートクチュールメゾンだった。ミシェラ王国にいた時でも、名前は聞いたことがある。なんでも、予約は一年先まで埋まっているとか。


「ツェツィーリヤ様、こんな素敵なお店じゃあ、ドレスが出来上がるのは何年後になるやら……」


「あら大丈夫よ。わたくしの予約枠をラウラに移すだけだから」


 さらりと言われたが、それはツェツィーリヤが苦労して勝ち取った予約枠をラウラが奪うこととなる。そんなことできないと尻込みするが、ツェツィーリヤは、


「わたくしお得意様だし、またすぐ来れるわ。……わかってちょうだい。妹に頼られて張り切ってしまったわたくしに、恥をかかせないで」


 拗ねたように上目遣いに見られ、心臓がきゅんと音を立てた。

 確かに、こんな美女の心遣いを無碍にするなんて万死に値する。


「ありがとうございます、ツェツィーリヤ様。こんなすてきな姉を持てて、妹は幸せ者です」


「それでいいのよ」


 扉を開ければ、来客を知らせる鐘がリーンリーンと透き通った音を奏でた。

 店内は広く、来客用のテーブルとソファが中央に据えられている。奥の扉の向こうはアトリエなのだろう。トルソーが、扉につけられた硝子から覗いていた。


「――マダム・エヴァ。ごきげんよう、予約していたツェツィーリヤ・フィオ・レーティナよ」


 アトリエの扉が開き、一人の女性が出てきた。

 白が混じった赤髪を後ろで一つに丸めたマダム・エヴァは、この女性進出がまだあまり進んでいない時代に一人で店を切り盛りしているという貫禄があった。

 真っ赤な口紅を引いた彼女は、唇をついと上げた。


「ごきげんようツェツィーリヤ様。――あら、今日はかわいらしい方をお連れですのね」


「今日はそのかわいらしいラウラに、わたくしの代わりにドレスを仕立ててほしくてまいりましたの」


 マダム・エヴァはまじまじとラウラの頭のてっぺんからつま先まで品定めする。既にマダム・エヴァの中では何枚ものデザイン画が描きあがっているのかもしれない。


「そういうことでしたら構いませんよ。ではさっそく始めましょうか」


 挨拶もそこそこに、ツェツィーリヤとマダム・エヴァは熱量を持って話し始めた。


「この子の夫は紫髪だから、ドレスもそうしたいのよ」

「でしたら、白から紫に色を変えていくのはいかがでしょう? 染色が盛んな国から仕入れた布があるのです。可憐で美しいラウラ様に似合うかと」

「いいわねいいわね、春先はまだ冷えるだろうから、肩口は大きなパフスリーブにして、袖は逆に肌のシルエットに合わせたものにしましょう。あとドレスの型はエンパイアね」

「胸元が寂しいので、金糸で装飾いたしましょう。最近だと硝子のビーズを縫い付けるのも流行なんですよ」


 ラウラはすっかり、二人の会話についていけず置いてけぼりになっている。紅茶おいしい。


「レースのショールも羽織りましょうか。妖精のように見えることでしょう」

「腰にはリボンを巻きましょうか」


 

 結局話し合いが終わったのは、日が傾きかけたころだった。夕日が目に染みる。


 マダム・エヴァが描き上げたデザイン画は素晴らしくラウラが頬を染めれば、ツェツィーリヤは満足そうにした。


「本当にありがとうございました」


「お安い御用よ」


 帰りの馬車の中。ツェツィーリヤがふと顔を上げる。


「セルゲイの服もわたくしに任せてもらえないかしら?」


「いいのですか?」


「必ず、ラウラを引き立てられる服を仕立てるわ」


 むしろ、セルゲイの添え物にラウラがなってしまうのではないか。彼は美しい人だから。


 そっと言葉を飲み込む。少しでも、セルゲイに見合っていると思われたいのに、そんな弱音吐いてはいけない。ラダとマーニャにお願いして、体をより美しく整えよう。


 ――三か月後。


 雪も解け始め、春を迎える準備を始めた三月のこと。

 パーティーの日がやって来た。


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