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02◇春を想うこと02

 使用人たちは、戦争をした隣の国の人間にも親切だった。憐憫の籠もったまなざしは、それ以上のなにかを感じさせたが、答えは得られず早二週間が経過している。


 あれ以降セルゲイとの逢瀬はほどほど、むしろ使用人たちとの仲を深めようと躍起になっていた。

 ラウラの育ったミシェラ王国での流行りなどにはメイドたちが食いつき、イヴァンと共に騎士たちも談笑に応じてくれる。


 キッチンへの立ち入りの許可が下りるのに、大した時間はかからなかった。


 離れなんて名前が建前だとわかる豪華な屋敷は、キッチン一つとっても広くて設備も整っていた。

 ボウルやヘラを手に取り、卵や小麦粉を作業台に乗せる。


 常温にしたバターを丁寧に練り、砂糖を合わせていく。白っぽくなったら卵を混ぜ、小麦粉をふるいながら入れる。


 ラウラのお付きのメイドの一人、マーニャが感嘆とした様子で覗いている。


「手際が良いですね」


「家ではメイドたちと仲が良くてね、たまにキッチンを使わせて貰っていたの」


 ラウラに興味がない両親たちとは違い、使用人たちはラウラによく仕えてくれた。アリーナは使用人たちからしたらただの我儘娘だったことも関係しているのだろう。

 鼻歌交じりに、一本の棒にしたクッキー生地を包丁で輪切りにし、天板に並べていく。

 そのままオーブンに入れた。


 休憩のため、丸椅子に座る。


「シェフたちも、使わせてくれてありがとう。邪魔してしまってごめんなさいね」


 シェフたちの長であるイオシフが歩み出て、胸に手を当てた。


「とんでもございません。今の時間は我々も仕事が少ないですから」


「完成したらあなたたちもぜひ食べてね」


「おやおや、お優しい方を旦那様は貰われましたね」

「そうなのよ、主人が羨ましい?」


 とても、にっこり笑う彼は、年の功かお世辞も上手だった。羨ましがられたラウラは機嫌よく足をプラプラさせていれば、イオシフが頬に手の甲を当て、内緒話をするような流し目をした。


「旦那様にも渡されたらどうです? きっとお喜びになりますよ」

「甘いものがお好きなの?」

「まったく」


 清々しい断言だった。半目になれば、イオシフが苦笑する。


「甘いものを、あまり取られない生活を送っていたのです。嫌いというわけではないので、旦那様は夢中になるかもしれません」


 騎士にとって甘味とは悪魔なのだろうか。でもセルゲイは今も騎士だ。

 不思議に思ったが、イオシフがGOサインを出したなら全力で乗らせていただこう。


「渡してみる!」


「その意気ですわ、奥様!」

「頑張ってください!」


 激励を受けていれば、甘く香ばしい香りが室内に立ち込めていた。

 ラウラと年の近いシェフ――レフがオーブンから取り出せば、美味しそうに焼けたクッキーが出てきた。


 セルゲイに贈る分は冷まさなければいけないが、それ以外は今少し食べてしまおうという話に自然となる。


 熱すぎて落としそうになっていれば、メイドが紙を差し出してくれ、挟んでから歯を立てる。

 口の中でバターがシャワシャワと音を立て、熱さと香ばしさが口いっぱいに広がった。


(美味しい! セルゲイ様に渡すのがもったいないくらい)


 チグハグな旦那のことは、大いに悩んだ結果、心の中でこっそり『冷徹』と呼んでいる。後ろに『たまに優しい』なんて付けようとしたが、これ以上仲良くなる必要はないのだから、わざととっつきやすい言葉を付け加えなくていいやと止めた。

 結論。ラウラにとってセルゲイは冷徹な夫だった。素朴なクッキーで喜んでくれるだろうか。んー? と首を傾げる。


 まぁ、いいか。戻されたら自分で食べるだけだ。


(お菓子に罪はないものね)


 使用人たちと一緒に出来立てを心ゆくまで楽しんでから、冷めたクッキーをラッピングしてセルゲイの下に行くことにした。


 付いてこようとするラウラ付きのメイドのラダとマーニャに、のんびりしててと厳命してから行こうとすれば、再度声をかけられた。

 振り返れば皆優しい顔をしていて、


「奥様のような方が来てくださり、使用人一同とても安心しております。……実は、色々と身構えていたんです。様々な確執が、我々――いえ我が国とあなた様の国にはありましたので」


 彼らは平民や身分の低い爵位の者がほとんどだろう。自分に近しい者が戦争に赴き亡くなった可能性は、曲がりなりにも王都に近い伯爵家の令嬢だったラウラよりも高い。

 本当なら、隣国から嫁いできた女なんて、目の敵にしても真の意味で咎められる人なんていやしないのだ。

 

 彼女たちは、そうはしなかった。ラウラという人間を正面から見つめ、心から尽くしてくれる。高潔な心を持つ、尊敬に値する人たちだった。

 お礼を言いたいのは、こちらの方だったのに。


 じん、と鼻が痛んだのを、笑って誤魔化した。親指と人さし指で、小さな隙間を開けた輪っかを作る。


「あのね、内緒にしてね。私も、ほんのちょっとだけ不安だったの。だからありがとう、今とっても楽しいの、本当よ」


「勿体なきお言葉です」


 もう振り返らず、ラウラはセルゲイの部屋を目指す。

 さっきより、足取りは軽かった。




 扉を三回叩く。すぐに許しが出て開ければ、セルゲイはイヴァンと二人きりで執務仕事をしていた。

 じっとりした目をイヴァンに向けてしまう。


(一緒にい過ぎな気がするけど、これって普通?)


 どこにいくにも一緒。なにをするのもイヴァンが確かめてから。これではセルゲイは幼い子どもだ。

 もしや、一年後離縁してから結ばれるのは……?


 今度、薔薇愛の本でも買って勉強しよう。


「それで、なにか用か?」


「はい。今日はセルゲイ様にクッキーを作って来ました!」


「……かわいい」

「え」


(また、かわいいって言った……)


 初回ほどの驚きはないが、それでも体が固まってしまった。


 二人揃って石になり、ぴちちと鳥の鳴き声が聞こえる。


「んん……っ」

 イヴァンの咳で我に返った。


 クッキーを差し出す。


「執務の合間にでも食べてください」


「ありがとう」


 頬を赤く染めた彼は、絵になるほど、むしろ既に国宝絵画レベルで麗しかった。

 好きになりそうだ、ぽっとラウラの頬も赤くなる。


 浮かれて、つい口が滑った。


「明日、味の感想を教えてくださいね。またお菓子作りをするので、その参考として」


「――無理だ」


(……あ、線引き)


 ラウラは手を握り締める。指先が白くなっていく。


「迷惑だから、聞きに来ないでくれ」


「はい、かしこまりました」


 感化されてか、こちらの声も冷えていった。

 セルゲイはクッキーを食べるつもりがないのだろう。だから、感想を聞かれると言われ困ってしまった。


(要らないなら要らないって、正直に言ってくれた方が楽だったのに)


 嫌だな、と毒づく。

 まるで幼い頃に戻ったようだ。両親に期待して、作法も勉強も頑張って。だが結局、淑女に必要なのは学ではなく愛嬌だった。アリーナに一回勝つよりも、ラウラが両親への期待を捨てる方が早かった。

 言外に期待してないと言われた時の、お腹が冷たくなっていく感覚。


(落ち着いて、大丈夫。ゆっくり呼吸をするの)


 必死に息を整えようとしていれば、


「じゃあ僕が言いに行きますねー」


 脳天気なくらい明るい声が届いた。

 イヴァンがセルゲイに、一枚ください、ねだっている。セルゲイは露骨に嫌そうな顔をしていた。


 張り詰めていたものがふっと緩む。

 セルゲイがイヴァンを近くに置くわけが、わかった気がした。


「セルゲイ様、好きな味ではなくても、捨てることだけはしないでくださいね。回収しにまいりますので」


「そんなことはしない」


 ムッとしたように言われる。食べ物のありがたみなんて、騎士という職業柄嫌でも知っているのだろう。

 とりあえず捨てないだけいっか。気分を持ち直したラウラは、まだクッキーは残っているだろうかと考えながらキッチンに帰っていく。


 扉が閉まった後。

 サクッという音が響いた。



◇◇◇



 ラウラは一週間に一度お菓子作りをしようと考えていた。これなら、シェフたちの許容範囲だろうと。


 今日作るのはショートケーキ。赤い苺がたっぷり入ったと言うのだ。生食用とジャム用。ジャム用は既にイオシフたちによって加工されていて、ビン越しでもつやつや輝いていた。

 だが今日は生食用の苺を使う。


 卵黄に砂糖を入れ、湯煎しながら泡立てていく。途中で挫けそうになっていれば、シェフたちが手を差し伸べてくれた。すさまじい速度で泡立てられ、あっという間にふわふわになったそれに、小麦粉をふるい入れ、溶かしバターと牛乳を合わせたものを泡をつぶさないよう気を付けながら混ぜていく。

 型に流しオーブンに入れてから、生クリームを泡立てる。これまたあれよあれよとシェフたちがやってくれ、ラウラは眉尻を下げた。


「皆に手伝ってもらって申し訳ないわ」


 彼らの仕事を増やしているだけだ。奪わないで、と威嚇するべきかもしれない。


「お安い御用ですよ。奥様が筋肉をつけられますと、旦那様がびっくりなさるかもしれませんし」


 鷹揚に笑うレフは、服越しにも二の腕の筋肉のハリが見て取れた。


(たしかに、私がこうなったら卒倒なされるかもしれない)

 ラウラは可憐な姿で通っているのだから。


 既に少し盛り上がるくらいにはあることは秘密にすることにした。今ほどの頻度ではなくても、クロウ家でも作っていたのだから。


 ムキムキになったラウラにセルゲイが「かわいい」と言ってくれなくなったら、それは惜しいと思うのだ。

 ラウラは大人しく甘えることにした。


 焼きあがったスポンジケーキの粗熱を取ってから、クリームを塗る。本日の主役である苺を飾れば、甘いにおいを胸いっぱいに吸い込む。


 シェフたちの多大なる貢献によりショートケーキは三ホールも鎮座している。

 切り分けていれば、使用人ホイホイと化していた。吸い寄せられた使用人たちに休憩中に食べてね、と渡していく。


「あれ、なんか甘いにおいがすると思ったら奥様がまたお菓子を作られたのですね」


 次にホイホイに引っかかったのはイヴァンだった。


「あなたも食べる?」


「嬉しいお誘いですね、ぜひぜひ」


 イヴァンには、気まずい雰囲気で何度か助けてもらった。その働きに免じて大きい切れ端のケーキを載せれば、


「旦那様用にももう一ついただいてもよろしいですか?」


 思いっきり鼻白んだ顔になってしまう。


「もう余っていないわ」

「そこにもう一個……」

「私が二個食べるの」


 手を合わせられる。汗をかくイヴァンを冷たくあしらうラウラは、はたから見れば悪女だった。


「味の感想も教えられないのでしょう?」


「旦那様から必ず持ち帰って来いと言われてるんですよ~。憐れな僕を助けると思って」


 よよよ。泣き真似するイヴァンはちっとも憐れではなかった。


(嘘つきね)


 優しい嘘つきだ。セルゲイから持って帰るように言われているのもそうだろう。嘘つきに免じて、ラウラはもう一皿取り出しケーキを載せた。

 二皿渡せばイヴァンの目が輝く。


「ま、まさか」


「二個食べることになっても、恨まないでね」


「わーい、これで旦那様に恨まれずに済みます!」


 大袈裟に礼をしたイヴァンが機嫌よく去っていく。


(お腹ぱんぱんにならないのかな)


 セルゲイがケーキが焼けるにおいに釣られ、イヴァンに貰ってくるよう命じる姿は想像できなかった。イヴァンに見るだけでもと押し切られ、あのご尊顔が一瞬でもふわふわでかわいいショートケーキを持っていると思うと手で口を抑える。似合わない。


 室内にはまだ甘い香りがする。

 シェフたちが晩ご飯の用意をしようと動き出しているのを見て、そろそろお暇しなければと腰を浮かした。


「奥様」


 ラダが入って来た。手には一通の手紙が握られている。

 顔色がよろしくない。検閲のため読んでみたら、アリーナたちからの幸せ報告だったりしたのだろうか。


 あたりだった。


 差出人だけ確認して、燃やすようにと預ける。


「よろしくね。灰になるまで燃やしちゃって!」


「身命を賭して遂行いたします」


(もっと適当に燃やしていいんだけどな……)


 ラダは声を震わせた。


「こんな方が、奥様のご家族だなんて」

「――それ以上は言わないで」


 ラダははっと口を慎んだ。慌てて、手紙を燃やしに行く。


 自室に戻ってお菓子のレシピ本でも読もうと思い立ち、廊下に出た。穏やかな日の光が差し込む。


 ラウラだって、悔しいと感じるし怒りも湧き上がる。けれどなぜだか。それらの感情を向けても無駄だと何度も無意識のうちに教え込まれれば、自然と表にはあまり出さなくなる。ほんのり柔らかい言葉で刺したりはするが、それだけだ。激高することも涙を流すことも、疲れるだけだった。受け取ってくれる相手がいないのだから。


 ――ついと上を見上げた。後ろで手を組む。


 ラダが自分の代わりに怒ってくれるのは、悪いものではなかった。



◇◇◇



 それからもラウラは色んなお菓子を作った。パウンドケーキにマドレーヌ、フィナンシェにゼリー。

 どれも好評で、これから先も続けて行こうと考えている。


 昨日作ったゼリーも、イヴァンは二個持ってった。段々と彼が多く食べたいだけではと勘付き始めたが、泳がせている。犯人が油断したところを釣り上げるのだ。


 眠気眼を擦りながら歩いていれば、セルゲイとばったり会う。朝はセルゲイも弱いのか、眠そうな目からは色気が漏れていた。うらやましい。


「おはようございます、セルゲイ様。私はラウラ・エルゼ・フォレスター、あなたの妻です」


(いけない、大きなあくびをしてしまった)


 これこそ冷たい雪が降ってくるのでは身構えたが、


「かわいい」


 許されるらしい。冷徹な旦那様の基準はよくわからない。


 お菓子の行方はどうしても聞く勇気が持てず、話すこともないラウラはそそくさとその場を後にした。



 セルゲイと食事以外で次に会ったのは、午後三時のことだった。

 当てもなく歩いていれば、前方にセルゲイがいた。身を隠し窺えば、しかめっ面でなにか考えている。顎に指をあてる姿も大変絵になる夫の悩みを探ろうと耳を澄ませば、ぼそぼそとした呟きをキャッチした。


「白くてホニョホニョした、あの、甘いの……なんだったか」


(ま、まさか生クリームのこと?! え?? ケーキ食べてくれてたんだ……っていうか思い出し方がちょっと雑過ぎない?)


 ホニョホニョ!

 そんな擬音語を、冷徹な旦那様が使っているとは!!


 聞いてはいけないものを聞いてしまった気がして退散したが、ラダやマーニャとおしゃべりしたりご飯を食べたりベッドに入ってからも頭から離れない。


(ホニョホニョ……)


 翌日。丁度材料が揃っていたためショートケーキを作れば、セルゲイの独り言に遭遇することはなくなった。



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