01◇春を想うこと01
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三年前、隣国のルラ王国と我がミシェラ王国で戦争が起こった。半年で戦争は両方話し合いの上終結したが、未だに緊張状態が続いている。したがって、お互いの国の者たちを結婚させることになった。
――なんて言うだけなら簡単だが、当事者になった者は堪ったものではないだろう。なにしろ半年間も戦争をしたのだから。
自国の民が亡くなり悲しむ間もなく隣国に嫁がされ、格好の標的として石を投げられるかもしれない。便宜を図るとは言われているが、どのくらいの効力を持つのか知る人はいない。
だから、当事者であったアリーナ・シェル・クロウが結婚を嫌がり、姉の婚約者を奪って代わりに行かせようとすることも珍しくないのだろう、多分。
春。
「ラウラ! お前のような愛想のない女にはほとほと呆れる。俺はアリーナと結婚するから、お前が代わりにルラ王国に嫁ぐんだ!」
「そういうことなの、ごめんねぇお姉ちゃん」
クロウ家のさして広くもない庭で、アリーナの姉、ラウラ・シェル・クロウの婚約者であったニコライが高らかに宣言した。屋敷中に響く声は両親たちにも届いているはずなのに、だんまりを決め込んでいるのはこの話は既に内々に話が進んでいたのだろう。
「俺はアリーナに恋に落ちてしまっていたんだ。ずっと想っていたが、この間アリーナの方から好きだと言われて、俺も男として覚悟を決めた」
「ニコライ様、素敵ですわぁ」
ラウラは両親から愛情を受けたことがなかった。世界はアリーナを中心に回り、ラウラは所詮回っている世界のちっぽけな石ころに過ぎない。無関心。嫌われているわけでもなく、感情を持つに至るところまで踏み込ませてもらえなかったのだ。
勿論、彼女だって生まれた当初は可愛がられていたのだと思う。アリーナが生まれてからは、手のかかる可愛い赤子に皆が夢中になり、手のかからないラウラは関心から外れていった。アリーナが幼いころ病弱だったことも一役買っているのだろう。
アリーナは男漁りが趣味で、特定の相手――婚約者ができることを嫌がった。しかし隣国に嫁ぐというお鉢が回ってきてそうもいかなくなって、手っ取り早いラウラの婚約者であるニコライに目を付けたのだ。
「分かりました」
(どうせ、誰と結婚しても変わらないものね)
ラウラは背を翻した。
――一か月後、ラウラはセルゲイ・エルゼ・フォレスターと結婚した。書類上だけの結婚だった。
◇◇◇
教会でお互い書類にサインをし、提出すればあっという間に夫婦になれる。
ラウラはお手軽に夫婦になったその人を見上げていた。同じ馬車の中だと言うのに会話はなく、彼――セルゲイの周りには雪がちらつくような冷気が漂っている。
ラウラはぶるりと身震いした。ルラ王国は温暖な気候だって伺っていたけどおかしいなー、一人芝居でもしようか悩んだが、そんな雰囲気でもないかと潔く断念する。
(きれいな顔……美女コンテストでも優勝できるポテンシャルを感じる)
体格は騎士らしい偉丈夫のため女にはさすがに見えないが、はちみつの飴玉の瞳に、さらさらと指どおりがよさそうな紫色の髪。自分の髪の毛を見れば、落ち着きのないうねった亜麻色の髪が映るばかりだった。勝っているのは長さくらいだ。
さて、これからどのような生活が始まると言うのか。冷遇は必須だろう。お前らのせいで……! なんて言葉を飛ばされる腹積もりだ。だがそれはこちらとて同じこと。ラウラにとっては関わりのない人でも、同じ国で暮らした者たちが上の者たちの身勝手さで散っていったのだ。なにも感じるな、無理な話であった。
屋敷に着く。
豪華な造りの屋敷に感動していると腕を引かれた。
「そっちではない」
(ソッチデハナイ……?)
「本邸は、この家を継ぐ弟のためのだ。私たちの屋敷は離れにある」
この言葉には、ラウラの顔も強張った。隣国の人間の血が流れるラウラを血筋に入れたくないために、強硬手段に出たのだろう。別に弟の方に自分を嫁がせればいいのではと思わなくもないが、めんどくさい制約でもあったのかもしれない。
ラウラはお得意の現実逃避をすることにした。
(騎士って、意外と優しいのかしら)
自分を引く手の力は、まったく痛みはない。骨ばった大きな武骨な手は、力を込める方こそ専門であろうに。
一瞬だけ甘い夢を見そうになるが、セルゲイが握っているのはラウラの手ではなく腕であり、ただ迷子にならないためだと、夢からの目覚めは早かった。
ラウラを夢から覚ますのものは、もう一つあった。
離れにある屋敷の扉が開けられた瞬間、ズラッとエントランスを埋め尽くす勢いの数の使用人たちが頭を下げていた。
「「「おかえりなさいませ、旦那様と奥様」」」
一糸乱れぬ声は、セルゲイだけではなくラウラも奥様として受け入れる言葉を紡ぐ。温かいものが込み上げたラウラは顔を上げ、視界の先にあるものに表情を凍り付かせた。
一枚の、大きな布が張られていた。それだけで十分異端だったが、書かれている内容はもっと酷かった。
――『一年後である、王国歴七百九十二年四月に離婚!』
(う~ん、潔い)
叶うなら、『ようこそラウラちゃん』希望だった。誕生日で、アリーナだけお誕生日おめでとうと書かれた大きな布が張られているから、少しあこがれだったのに。最悪な形で叶ってしまった。
「旦那様、なぜあのようなものを?」
「忘れたら困るだろう?」
隣国では、白い結婚一年目で離婚が可能になる。セルゲイは白い結婚を一年貫き通し、本当に愛する人と結婚。筋書きを考えるだけで嫌になってきた。
「……忘れないという選択肢はないんですね」
嫌味を返せば、しれっと流される。
幸いなことに、使用人は皆親切だった。しかしちゃんと主人のしつけは行き届いているのだろう。夫婦共同の寝室に行こうとするラウラを全身全霊で阻止しようとしてくる。
「奥様、旦那様は来れませんから。ね、ね? もう寝ましょう」
セルゲイのお付きの騎士(果たして彼に必要なのか)イヴァンが涙目で止めようとしてくる。茶髪の騎士は困った風を浮かべてはいるが、口調は聞き分けのない幼子をたしなめるものだった。
ムッとする。
私はメイドに着せられたしっかりとした生地で露出の少ないパジャマを着ながら腕組みし、
「来ないとしても、待たなくては」
ラウラとしては、一年後に離婚するぞと脅しをかけられても屈する気はない。せっかく結ばれたのだ、できれば仲良くしたいのが人情ではないか。あわよくばそのままズブズブな関係になり、あの気まずい家には帰りたくない。
今夜が勝負なのだ。
顎を引き、イヴァンと対峙する。メイドたちは周りでおろおろと見守っている。
見つめ合うこと数分。先に折れて両手を上げたのはイヴァンの方だった。
「わかりました。一応旦那様にも報告しますけど、翌日泣いたりしないでくださいね」
「淑女は簡単には泣かないわ」
「お強い人だ」
肩をすくめられる。
見事勝利を勝ちとったラウラは、夫婦共同のベッドの上で座ってセルゲイを待つ。限りなく広いベッドを転げまわりたい欲求を抑えて二十分後、思っていたよりずっと早くセルゲイは現れた。
「本当にいるとは」
「いてはいけませんか?」
「君は物わかりの悪い女性のようだな」
冷えた眼差しが肌を刺す。早々に退散したくなるが、楚々として頭を下げた。
「この度は、急な取り換えにも快く応じてくださりありがとうございました。クロウ家を代表して、私ラウラが謝らせていただきます」
すっと顔を上げれば、
「かわいい……」
耳に届いた呟きに、目が点になる。
(かかかかわいい?)
生まれてこの方聞いたことのない単語に動揺していれば、セルゲイがわざとらしく咳払いした。
「取り換えられて来るくらいだから、秘蔵っ子が来るとは思っていなかった」
ラウラが、秘蔵っ子??
勘違いにもほどがある。セルゲイが当初考えていた通りの、『要らない子』がやって来たと言うのに。訂正すべきか否か考えていると、彼はまた氷雪を纏った。おしゃべりは終わりらしい。
「私は君を愛することはできない。この結婚は一年で終わりだ。わかっているな?」
「……あんなの見せられれば十分に」
ラウラは春の夜はまだ寒い、と理由をつけてパジャマの上に掛け布団を被る。さっきまで轟々と燃えていた炎が小さくなっていく。
ずい、目の前に一枚の紙が差し出された。目を凝らせば、
「一つ、ベッドは別々。二つ、必ず毎朝名と役職を名乗ること。三つ、不要な会話を禁じる」
セルゲイが読み上げた通りの内容が書かれていた。
一つ目は子を作る行為をし、白い結婚が成立しなくなるのを防ぐためとはわかったが、二つ目と三つ目がわからない。そろりと挙手する。
「あの、名と役職を名乗るとは?」
「言葉通りだ。私と朝一番に会い、君の場合は『ラウラ・エルゼ・フォレスター』という名と『妻』という役職を名乗ってくれ」
「はぁ……」
(それを名乗る意味を教えてほしいのだけど……)
なんとも間の抜けた返事が漏れてしまった。
「不要な会話、とは具体的には?」
「そうだな……」
セルゲイは顎に手を当て、考え出してしまった。
「過去」
「え?」
「そうだ、過去の話を私に振らないでくれ。それ以外なら許そう」
かわいいと言ったかと思えば、突き放すような言葉。せわしない人に再度頭を下げれば、せわしなく部屋を出て行った。
ベッドに寝転がり目を閉じる。どれだけ転がっても、落ちる気配はない。冷たいシーツがラウラを受け止める。
「明日は、自室で寝よ」
そんな言葉を残し、彼女はまどろんでいった。
◇◇◇
翌朝。メイドたちにピカピカに磨き上げられ、セルゲイの瞳の色である黄色のドレスを身に着けたラウラは意気込んでいた。
(仲良くなりたくない、とは言われなかったもの)
どうせ一年後離婚するとして。赤の他人に戻るだけだとしても。だから最初から他人のままでいましょうは寂しいではないか。
同情を買っておけば、家に帰らずとも暮らせるくらいの慰謝料をいただけるかもしれないし。
セルゲイの部屋の前で、彼が出てくるのを待ち構える。内に開いたドアからは、セルゲイとイヴァンが出てきた。
「おはようございます。ラウラ・エルゼ・フォレスター、あなたの妻です」
「あぁ、おはようラウラ」
以降、会話は続かない。普段の会話は、ニコライが一方的に話すのに相槌を打つのみで、会話力ゼロのラウラは困ってしまった。まごついていると、イヴァンが助け船を出してくれる。
「二人とも硬いですってー。特に旦那様、もう少し気の利いた言葉をどうぞ!」
「……っ、――いい、朝だな?」
「減点ですね」
イヴァンがからから笑う。セルゲイとイヴァン、きっと二人を足して二で割ったらちょうど良いに違いない。
「ねぇ奥様?」
「いえ、私も今日はいい天気だなと思っていましたわ」
「まさか旦那様のが最適解だったとは」
和やかに談笑しながら、食堂に向かう。
ふとセルゲイが足を止めた。
「セルゲイ様?」
ラウラも倣って止まり、背の高い彼を見上げる。今しがた仲良く歩幅を合わせていたセルゲイは、本来の職務を思い出したようにまた冷たい表情になった。
「先に行く」
ドレスのラウラでは到底追い付けない速さと大股で、セルゲイは行ってしまった。後にはラウラとイヴァンが二人。
イヴァンは自身の茶髪の頭を掻いてから、ラウラに笑みを浮かべた。
「僕から言っておきますよ。どうせ離婚するからと言って、仲良くしては駄目という訳ではないと」
イヴァンも案外ドライな質らしい。
一人残されてしまったラウラは地団太したくなった。
(もうっ、もうっ!)
そっちがそういう気なら、こっちだって好きにしてやると。
離婚しないように頑張るから、慰謝料をたっぷり貰うへ。
そして今を楽しもうという刹那的な願いへ。
段々低くなっていく願いのハードルを飛び越えようと、ラウラはもう少し屋敷に馴染んでから行動しようと決意した。
とりあえず食堂に行こうと足を動かしたところで、廊下の吹き抜けからエントランスが見えた。布が目に付く。
苦いものが込み上げ、ふいっと顔を逸らした。窓の外には青い空がぽっかり浮かんでいて、草花は空に手を伸ばすようにまっすぐに育っている。凛と立つチューリップに、朝露を載せたネモフィラ。青々とした彼らを、来年見ることはきっとできない。
フォレスター家での暮らしが始まる。
ラウラ・エルゼ・フォレスターが十九を迎える年の春のこと。
これから彼女は一年かけ、セルゲイに惹かれ恋に落ちる。共に笑い、語らい。夏を、秋を、冬を超える。
――次の春。セルゲイと予定通り離婚したラウラは、叶わない恋心を抱えながら、違う男との結婚式に臨んでいた。




