210話
――その時。
「あっけなく死なれては困るね」
その世界を切り裂いたのは、細い声だった。玲奈には、それが誰だか、分かる気がした。
「何だてめぇ……」
リュウは警戒する。声がするまで、まるで気配がしなかった。こんなことは、経験がない。攻撃をしても、当たる気が全くしなかった。男は丸眼鏡をかけていて、白に近い、淡い金髪がその希薄な存在感をよく表していた。
「私はロウダ」
やっぱり、と玲奈は口の中でつぶやいた。
「久方ぶりに会う、我が娘よ」
リュウは見事に動揺を見せた。
「父親だァ?」
「娘とじっくり話せる機会を待っていたよ。あわやアーケインに倒されそうになった時は、肝を冷やした」
「……あなた、神殿に仕える導士なんでしょ。まさか、味方してくれるっていうの」
「随分な口ぶりだ。父親に会えた喜びをまるで感じない」
「あなたのことは少ししか聞いてないけど、私に味方なんてしてくれなさそうだし、父親とも思えない」
玲奈は、淡々と喋った。事実、初めて会った実の父親に、なんの感慨も浮かんでいない。あるのは、不信感、そして疑念。
「導士はここに来るまでに、ルエルたちが倒してる。どうやってここに来たの」
「私の特技は気配をひそめることでね。強大な魔術を操る才はなかったが、それだけは昔から、取柄だった」
「……それで、何をしに来たの。まさか、本当にお喋りしたかったわけ」
「いや、そうだよ。やっと会えた娘に、教えたいことがあるんだ」
玲奈は眉を顰める。ロウダは口の端を吊り上げた。表情筋は笑っているのに、彼からは喜びや嬉しさといった感情はごっそりと抜け落ちてしまっていて、その不気味さに玲奈は背筋が粟立った。
「お前はその青年と恋仲になっていた。そして、呪いの効果を受けて彼に一時、嫌われたが、また戻った……それを聞いて、しっかり発動していたことを喜んだよ」
「……あんたがやったんだ」
「その通り。お前が赤子の頃に、呪いをかけた。ただし、ヒリアムの呪いというのは間違いだ。正しくは、ヘカテの呪い」
「ヘカテの……?」
玲奈はその名前を聞いて、ルノーに言われたことを思い出した。
『そういった縁は、厄介なもんを引き寄せる――』
恋心を操る呪いが、他にあるというのだろうか。ロウダは玲奈の疑念を読んだように付け加えた。
「現代にこれを知る者、まして使える者はそういない。ヒリアムの呪いは、想い合う人間の恋心を変化させる。対してヘカテの呪いは、近くの異性の心を操り――被呪者を好きにさせるよう、仕向ける呪いだ」
「……え?」
「お前はその青年を、無意識に操ったんだ。自分を好きにさせるように。お前がその青年と想い合っていると感じているなら、それは呪いにかかってるせいだよ――レナ」
(……なにを)
玲奈の頭に、走馬灯のように思い出が流れる。リュウから、貰った言葉を、抱擁を、口づけを――。あれが全部、まやかしだったというのか。否定してくれたのは、当のリュウだった。
「適当なこと言ってくれてんなあ、俺は自分の意思で、レナを好いた」
「呪いの影響を受けている本人には、自覚はないのが素晴らしいところだ。否定したいというなら、一つ証拠をあげよう。さっき言っていたな。きみは娘を突然嫌いになったんだろう」
「……それが」
「呪いをかけた私には、遠く離れていても呪いがどう発動しているか、きみたちの心の機微が事細かに伝わってきたよ」
ロウダは、語り出した――。
玲奈にかけられた、ヘカテの呪いとは。
自分の願望のままに、異性の心を操ることができるものだ。玲奈は、この世界に来て命の危機に瀕していた。庇護を求めていた。出会う男たちが玲奈を助ける意思を、無意識に操ってきたのだ。それは、本人が操られていると気づかない程の微弱な魔力。初から玲奈を敵視する強い意志には効かないが。
トキも、サディもヤザンも。そうやって、無意識に玲奈に協力させられた。
しかし、一時、呪いが効かない場所に玲奈は身を置いた。迷宮だ。あそこでは、強い魔力に囲まれて、呪いは鳴りを潜めた。迷宮から出ると、それは再び現れた。リュウは玲奈への好意を強制させられた。ほかの男より強く効果が出たのは、胡王国でリュウの庇護を得ることが重要だと、無意識に玲奈が判断したからだ。
リュウは玲奈を日に日に意識し、恋人になることを迫った。玲奈はそれに釣られてリュウに恋をした。恋心の覚えと共に、リュウを自分のものにしたいという欲望が、呪いの効果に拍車をかけた。呪いは、リュウをターゲットとして定め、強い魔力を発した。
ここで障害が立ちはだかった。リュウに施された禍の封印だ。その封印は、強い魔力の流出入を禁じる。それまでの微弱な魔力は通していた封印だったが、強い魔力への防御反応を発して、リュウは玲奈を嫌悪した。
「そして封因が解かれたときに、呪いも元に戻ったわけだ――つまり、きみが今、娘に恋慕の情を抱いているなら、それはまやかし」
それに、玲奈は反論することはできなかった。リュウも黙ったまま。
「その男は、お前を愛してなどいない」
リュウは、玲奈が好きじゃなかった。玲奈がリュウを呪いで、無理やり、好きにさせてしまって――。
「ああ……いい顔になってきた」
青くなる玲奈を見つめて、ロウダは満足そうに零した。玲奈は喉を震わせて絞り出す。
「なんで、そんな呪いをかけたの」
「そりゃあ、決まってる。お前を不幸にしなきゃ、気が済まなかったからだ」
「……どうして、私を恨んでるの」
そう問うとロウダは初めて、感情を露わにした。目を怒らせ、玲奈にぶつけた。
「どうして? お前のせいで私の人生は全部駄目になった。罪人の娘を持った人間が出世できると思うか? 宣告を受けた日から、私はずっと日陰者だ。それまでの努力も、鍛錬も、全部無駄に――」
「おい、いい加減にしろよ」
悪意の塊を遮ってくれたのは、リュウだった。
「レナは選ばれただけだ。何の落ち度もない。それに、本来は罪人になる必要もなかった」
「宣告の内容は神殿が捻じ曲げたもの。知らないとでも? 私が何故こんな目に遭ったのか、全部調べ上げたさ」
「――なら、恨むべくは神殿のはずだろう」
「恨んでいるさ! 全てを! 神殿も、王家も! 私をこんな地獄に追いやった全てを! ――でも、一番はお前だ。お前に力を使ったから、メイリは死んだんだ!」
ロウダの憎しみが、玲奈に一身にぶつけられた。




