192話
そして、その想い人のいる、胡王国にて。一人の女性が、涙に濡れていた。
「っ……うっ……」
「体冷えるぞ」
泣きじゃくる女――ユランの隣に、志陽が腰かける。肩がとん、と触れ合った。その温度に、縋りたくなる衝動を押さえつけるように、ユランは絞り出した。
「どっか行って!」
「こんな状態のお前を放っておけって? 無理いうなよ」
「っ……嫌なの、一人にして……」
「俺にぶつけた方が楽だ」
「いや……リュウじゃない男に、慰められるのなんて、嫌なの……」
口とは裏腹に、ユランの指先は、縋るように志陽の服の裾を掴んでいた。華奢な肩が、今にも崩れそうに震えていた。
「俺は、待ってた」
その肩を、志陽の手が覆う。
「協力しようとしたのは本心からだ。事情があってあの子と付き合ってんなら、お前は一生諦めらんないし。ユランがリュウとくっついたら、幸せになったら、それが一番だと思ってた。でも、今、お前が泣いてるのが――嬉しいって思うのも、本音だ」
「……最低」
「ごめん」
二人の会話は、それ以上は続かなかった。ユランは、志陽の腕の中で、一晩中、リュウを想って泣いた。
* * *
ベルナと過ごしている時間は、この薄暗い地下神殿で、束の間の安らぎだった。玲奈は彼女に、ずっと気になっていたことを訪ねた。ルエルが言っていた、神殿にスパイがいるということ。地下神殿が、神殿の内部情報をどこまで知っているのだろうか。
「……あの」
「ん?」
「私のお父さんが神殿にいるって聞いたんだけど、知ってる?」
「ああ、うん。話にはね」
「……あんまり、いい噂は聞いてなさそうだね」
「実際レナのことをどう思ってるのかは分からない。でも、少なくとも表面上は、神殿に従って、レナの処刑に従っているみたい」
「……そうなんだ」
「ロウダ――レナのお父さんは、元々、神殿内では目立たない存在だった。でも、レのお母さんと結婚して出世した。メイリさんは有力な家の出で、本人も優れた術者だった。かつては王家に魔術を教える役目も担っていたくらいよ。レナが破滅の子だと判決を受け、奥さんも息を引き取った後は、結婚前のように、静かに神殿勤めを続けているみたい」
「……」
これから、神殿と争うことになれば、父とも敵対することになるのだろうか。会ったこともない、父親。育ててくれた父へ感じるような情愛の念は持っていないが、それでも、できれば争うことはしたくない、と感じた。
迷宮に行った日から、地下神殿は何かとあわただしい空気に包まれていた。玲奈はそれを感じながらも何ができるわけでもなく、ベルナに話し相手になってもらい、静かに過ごしていた。
事態が急変したのは、四日後。
ルエルから呼び出しを受け、宵議堂に出向いた。そこは幹部が勢ぞろいしている。アデルの姿もあった。顔つきは、皆険しかった。
「近いうち、城に乗り込もうと思う」
「近いうち……?」
玲奈が聞いていた計画では、サディと連携を取り、玲奈の名を使い国内の反対勢力をまとめ上げ、王族と相まみえるという話だった。それには、早くても一・二か月はかかるとみていた。
「状況が変わった。先日の迷宮の大きな魔力変動から、神殿は玲奈が近くに潜んでいると判断した。王兵総動員で、捜索に乗り出している」
「……ここは危険ってことですか」
「破られる可能性は低い。でも虱潰しに探されれば辿り着くかもしれないし、もしくは――」
ルエルは一度言葉を切った。
「出入口を知る者が、外に情報を漏らさないとは言い切れない」
「……」
アデルのことを言っているのだろうか。玲奈は気まずくなって身じろぎした。
「準備は万端とは言い難い。けど、現状の最善を尽くして先に動くべきだと判断した」
「……分かりました」
「きみにも、作戦を先に共有しておく」
「はい」
ルエルは、王城侵攻の段取りを、玲奈に丁寧に説明していった。
一通り聞き終わると、自然と重い息が溢れた。本当に、上手く行くのだろうか。玲奈の心に、不安の灯が揺らいだ。そして、作戦の中に出てきた人名のことも気になった。
「あの、サディはもう連絡が取れてるの?」
ルエルに代わり、アデルが答える。
「まだ足がかりを作ったとこ。本当はもっとじっくり行きたかったけど、そうも言ってられないし、これから直接交渉しに行くしかない」
「直接?」
「レナも連れてっていいって。よろしくね」
アデルがにこりと笑った。
「……サディの屋敷に行くの?」
「いや、俺の家に呼び出してる」
(サディと……会えるんだ)
久しぶりに、心が躍った。




