175話
「かつて、神の世には三千の神々がいたとされていて、一つずつ、計三千個の神話が残っている。そのうちの一つが、ヒリアムの神話。それを元にしたのが、ヒリアムの呪いだ」
遠い昔。楽園に、ヒリアムという女神がいた。ヒリアムは内向的で、家に閉じこもってばかりだったので、あまり周りの神たちに好かれなかった。自信がなくて、外に出ると、いつも俯いていた。でも、一人だけ、幼馴染の友達がいた。ヘカテといった。彼女はヒリアムとは反対に、明るく美人で、いつもみんなの人気者。多くの男神たちから求愛されていた。ヒリアムは成長するにつれて、自分とヘカテを比べて、どんどん卑屈になっていった。
転機が訪れたのは、ヒリアムが十六歳のときだった。ヒリアムが久しぶりに外に出かけると、道に迷ってしまった。雨に打たれて蹲っていると、彼女に手を差し伸べてくれるものがいた。男神・スサルだった。彼は真っすぐな性格で、根暗で卑屈なヒリアムにも優しく、道に迷ったというと、親切に家まで送ってくれた。ヒリアムはスサルに恋をした。しかし、問題があった。
彼は、ヘカテの恋人だった。
スサルを手に入れたい。でも、彼はヘカテの恋人だ。そうでなくても、自分が好かれるはずがない。現実に打ちのめされながらも諦められないヒリアムは、冥界の魔女・ワラテを訪れた。彼女は欲望のままに神の力を使い、天界を追放された女神だった。
「彼を手に入れたいの」
「ほう。では、代わりにお前が差し出せるものを貰おう」
「代わりに?」
「この呪いには対価が必要だよ」
「でも、私に渡せるものなんて」
迷うヒリアムに、ワラテは提案した。
「美しい女神との、友情があるじゃないか」
ヘカテのことだ。年々、ヘカテへの僻みを強めていたヒリアムはすぐに頷いた。ワラテは、ヘカテに呪いをかけた。ヒリアムが天界へ帰ると、スサルはヘカテを激しく嫌悪し、拒絶していた。ヘカテはショックのあまり、この世から姿を消し、異界へ旅立った。
その後、ヒリアムは熱心に、根気強くスサルを口説いた。スサルは遂にヒリアムに応えた。二人は夫婦になった。二人の間には、三人の子供ができた。ヘカテとは疎遠になったが、ヒリアムは全く気にせず、幸せな生活を送った。
「その呪いが、私に?」
「そう考えれば自然。誰かがレナちゃんにヒリアムの呪いをかけた。恋人の彼が、呪いの影響に充てられてしまった」
「……解く方法はないの?」
「続きがある」
ヒリアムとスサルが結婚して、十数年が経ったころ。突然、スサルが叫んだ。
「なぜお前と結婚してるんだ!? 俺を騙したな!」
呪いが切れたんだ。ヒリアムはすぐに理解して、ワラテのもとへ行った。
「どうして!」
「対価がつきたのさ」
ヒリアムとヘカテが幼いころから築いた友情は、十数年。同じだけ時が経って、スサルの心にかけた呪いは、効力を失ってしまったのだった。失望のままに天界へ帰ると、家はもぬけの殻だった。スサルも、子供たちも、みなヒリアムのもとを離れてしまった。
家に引きこもるヒリアムのもとを訪れたのは、異界より戻ってきた、ヘカテだった。
「私を笑いに来たの」
「そうね」
ヘカテは、ヒリアムがしたことを分かっていた。時間を経て、失意から立ち直ったヘカテはヒリアムを責めることなく、彼女に寄り添った。ヒリアムはすべてを失ったが、唯一持っていた、ヘカテとの友情だけは、手元に戻ってきたのだった。
「スサルとヘカテは、寄りを戻さなかったの?」
「神話では、スサルはその後、別の女神と結婚している。呪いが解けた時、ヘカテは異界にいたからな。その内、ヘカテへの愛も冷めちゃったみたいだ」
ヘカテの立場になっている可能性がある玲奈としては、眉を顰めてしまう。そして、ヘカテという名前には聞き覚えがあることに思い至る。
「私の世界でも、ヘカテっていう女神は、神話に出てくるよ」
玲奈が思い浮かべたのは、ギリシャ神話に出てくる女神だ。魔術や冥界を司るという言い伝えもある。
「へえ? ヘカテが旅立った異界は、あんたが行ったところと同じ世界か……気に留めておいた方がいいかもな」
「どうして?」
「レナちゃんは、ヘカテと因縁があるのかもしれない。同じく、ヒリアムの呪いをかけられた……そういった縁は、厄介なもんを引き寄せる」
「気に留めろって……何をしたら」
「そこまでは俺に聞かれても」
ルノーは首をすくめて、話を戻した。
「神話では、対価が尽きた時に呪いが解けた。現代に伝わる呪いを解く方法も同じ」
「他に解く方法は無いの?」
「あとは、術者の魔力が切れることだね。術者が自発的に呪いを解く。でなければ、術者を死なせるしかない」
「…………」
玲奈は、閉口するしかなかった。
(そもそも、誰が? いつ? 呪いだと決まったわけじゃないけど)
そして、一人の人物が、思い浮かんだ。
(ユラン……)
彼女が、玲奈への嫉妬心、リュウへの気持ちを暴走させ、このような呪いをかけたのだろうか。一番、動機があるのは彼女だ。
「呪いってどうやってかけるの」
「被呪者と対面して術を施す。つまり、あんたと会ったことがある人物だな。それに呪いとは呼ばれているが、禁制魔術の一種だ。並の導士じゃ扱えない」
「導士じゃない人がかけるのは無理?」
「無理だ」
(じゃあ、ユランじゃない?)
ユランは、導士ではない。
「心当たりがいるのか?」
「そうかと思ったんだけど、その子は導士じゃなくて」
「んー……導士に依頼した可能性はゼロじゃないが……」
「……その子は、立派な家系の娘だと言っていた。もしかしたら、伝手があるのかも」
「呪いをかけるには、大事な要素がいる。強い執念をもっていることだ。他人に頼んだとして、うまく発動するとは思いにくい」
(執念……)
「ちなみに、三千の神には生まれた順番に、番号が振られている。ワラテはかなり古く、八番目の女神だ」
「ふうん?」
「そして、三千番目の女神がラプラト」
「ラプラトが最後の神様ってこと?」
「そう。ラプラトが父親の大司神・ハンダルを呪い返して殺してしまって、神の世は終わりを告げたんだ。その先は、人の世になった。レナちゃんが下手を打てば、また時代は逆行するかもね」
「…………」
ルノーは「冗談」と笑ったが、玲奈の口は引き攣る。ルノーはそれを笑い飛ばすと、暫し物思いにふけって、考え込んだ。
「ヒリアムの呪い……他の可能性は……調べてみるか……」
ルノーはぼそぼそと呟いて、部屋の奥に入っていった。ここには貴類のみならず、魔術の書物も沢山あるようだ。どうやら、彼は知的好奇心の強い人物らしい。
一人になって、反芻する。
(恋人に嫌われる呪い……私は帰るんだし、どうせ、リュウと一緒にはいられないけど、でも……)
理性とは裏腹に、リュウへの恋心は、くすぶって、消えてくれなかった。




