174話
玲奈がルヴァリスにやってきて、一週間が経過した。まだ、貴類は姿を見せる気配がない。小屋の外にも、恐る恐る出てみた。森への結界は数キロメートルに渡り張り巡らされ、散歩しても問題ないと言われたが、居場所が知られていると思うと、外に出るのはあまり気乗りしなかった。ルノーから色々と情報を貰って、スラジでの立ち振る舞いを考えてはいるが、計画通りに行くことはあまり期待していない。その場で軌道修正することの大事さは、これまでの旅路から学んだ。だから、考えすぎても良くないと結論づけた。
端的に言うと、玲奈は暇だった。
「肌寒……」
「貴類はこのくらいひんやりしてるのが好きだから」
「へぇ……」
「あんた、甘いものは?」
「わ! 大好き!」
ルノーは所々で悪態をつくが、基本的には良い人だった。
(面倒見もいいし……人付き合いが嫌だって、本当かなぁ)
彼は一人きり。孤独な守り人に、二年前に立候補したという。守り人は約三十年周期で代替わりするらしく、次代が決まるまで、ルノーは三十年をこの森で一人で過ごす。
「なに」
「ルノーは、いつもはどうやって過ごしてるの?」
「研究」
「なんの?」
「そりゃ、貴類だよ。こっち」
手招きされて付いていく。玲奈に与えられた私室の奥の部屋には、所狭しと書物がぎっしり詰められていた。
「これ全部?」
「そう。貴類の研究書。一般に出回っているものもあるけど、代々の守り人が書いてきた記録もたんまりだ。貴類には謎が多い。例えば、建国直後は地上にいたとされる貴類だが、その後暫く、全く姿を見せなくなった期間がある。けど、その後また、ある時を境に突然現れた……」
「ふうん?」
「それが何故なのか、当時何が起こったのか。当時の記録は、殆ど残ってない。この文献たちから着想を得て答えに辿り着きたい」
ルノーは熱く語った。それは初めて見た、ルノーの真に楽しそうな横顔だった。人付き合いを嫌煙したというのは建前で、本音はこちらのようだ。
「そんなに貴類が好きなんだ」
「ロマンを感じるだろ。例えば、貴類は星と呼応している。星図を研究すると、貴類との繋がりがはっきり分かる。貴類は度々、地上に跡を残していくんだけど、それは星の満ち欠けに沿って――」
「わ、分かった。ルノーが貴類オタクなのは、よく分かった」
話を遮られたルノーは不満顔だ。
「神話から続く生きる伝説だ。よくそんな冷静でいられるな」
「分からなくはないけど……ね、これ私も読んでいいの?」
「本来は守り人のみが見られる禁書だけど、あんたならいいだろ。何かの役に立つかもしれない。この森にもすんなり招かれたんだしな」
「ほんと?」
ルノーが比較的平易に書かれたものを用意してくれて、玲奈はそれで暇を潰した。昼下がり、読書に耽る。平和な時間だった。
(命の危機の後に、こんな安心して……私、度胸がついてきたのかも……)
そして、平和に浸ると、リュウのことを思い出した。
(……やっぱり、普通じゃなかった)
あの時は動揺から、リュウが急に心変わりし玲奈を嫌ったのかも、と打ちひしがれた。でも、短いながらにリュウとはしっかり絆を築いてきた。例え玲奈を好きではなくなったとしても、あんなふうに、不誠実な行動をするとは思えない。
(そもそも、私のことは抜きにして、ユランにはあんまり近づきたくなさそうだったし)
リュウの本来の意思とは違う力が働いたのではないだろうか。そう思った方が、自然だ。玲奈の願望が入ってるだろうか。
(まだ、全然好きだ……)
玲奈は本を閉じて、机に突っ伏した。目を閉じると、リュウの顔が浮かぶ。サディへの想いもちゃんと本気だと思っていたが、リュウへの恋しさは段違いのものだった。
(キスしたからかな……)
思い出して、ぼっと赤くなった。
「うぅ……」
「なに唸ってんだ」
「あ、ごめん。うるさかった」
「別にいいけど。貴類の本を前にして気もそぞろとは珍しい人間だな」
それはどちらかというと、ルノーのような人種のほうが珍しいのではないだろうか。そう思ったものの、口は噤んだ。
「悩み?」
「……ルノーって、導士なんだよね」
「まあな」
「恋心を失くす魔術って、あるか知ってる?」
「恋心ぉ?」
ルノーは素っ頓狂な声を出す。玲奈は赤くなって俯いた。
「へぇ。命からがら逃げてきた破滅の子が、恋愛に興じていたとは驚きだな」
「う」
「いや、責めてはねえよ。面白いなと思っただけさ。恋心を失くすっていうのは、具体的にどういう状況だった」
「付き合いだして、私も好きだなって思って……次に会った時、急に、態度が変わって、冷たくされた」
ルノーはお茶を啜って、考えた。そして、語る。
「恋心を操ると言えば、ヒリアムの呪いだな」
「ヒリアムの……呪い?」
「被呪者――呪いを受けた者と恋愛関係にある者が、その心を捻じ曲げられる。平たく言えば、呪いを受けた者が嫌われるわけだ。この呪いは、神話が由来になっている」
ルノーは、語り出した。




