172話
「あそこは神官長の権力が大きい。独断なのか、それとも……」
「…………」
「……大丈夫か?」
ルノーが心配そうに眉を顰めた。
「うん、ごめん……何だか、安心したような、拍子抜けしたような」
「安心? なぜ?」
「だって、国を滅ぼすことはないってスラジに説明すれば、帰れ、る……」
期待を込めてルノーを見たが、首は横に振られた。
「無理。あんたの言葉をスラジが信じるわけない。俺が言ったって同じだ。このルヴァリスは、カンシュタットの支配は受けてない。それでも、スラジから見れば、敵国領内に根付く貴類の棲息地。その言葉を、真には受けない」
「……そう」
一瞬の期待はすぐに失望に繋がったが、元々スラジと戦うことは承知の上だったので、結局、状況は変わっていない。気持ちを切り替えた。
「貴類の棲息地って、さっきの貴類は、ここに住んでるの?」
「貴類は冥界に住み着いているけど、気まぐれにこの地上にも姿を見せる。国の概念はなく、どの国の導士とも、意思疎通を行える。ただし、宣告は、スラジの導士へのみ告げられる」
「なんで?」
「スラジは始まりの地。この地上で最も古い国だ。導士が誕生したのも、スラジの地だ」
玲奈はサディの話を思い返す。ラプラトが壊滅状態にした楽園を立て直したのが、ラプラトの子供、スラジの初代王だった。
「かつて、ある貴類が、スラジの村娘と懇意になり、自身の力を授けた。それが導士の始まりだとされている」
「懇意って……」
「恋仲になったってことだ」
「こ……」
「ま、これは伝承だから、どこまでが本当かは分かんないけど」
「貴類には聞けないの?」
「喋れるって言っても、茶飲み友達じゃないからな」
貴類は先ほど見たように、獣だった。それと恋を交わすことになった者がいたとは、俄かには信じがたい。
「導士の子孫は誕生以後、世界へ散らばっていき、各国で重用された。魔力を体内から生成でき、高度な魔術を扱え、魔石を造り出すことができるからだ。貴類と意思疎通を図る能力を持つ者もいる。現在、どこの国の導士も能力に差はない。唯一の違いが、宣告を受けるのは、スラジの神殿にいる導士のみということ」
「導士のことは何となく分かったよ。貴類も、国ごとに管理されてるの?」
「貴類は人の手に扱えるものじゃない。普段は冥界に棲息している」
冥界は今も存在しているらしい。玲奈にはどうも想像のつかない世界だ。
「貴類の居住地を、人間がそう呼んでるだけだ。神話で語られる冥界と同じものなのかは分からない。貴類にとっては、この地上と冥界は地続きになっていて、頻繁に行き来している。この森は貴類が好む空気で満ちているけど、決まった個体が来るわけではない」
以前、サディから聞いた説明とは微妙に違う。スラジの権力者でも、貴類の実態を正確に掴めているわけではないようだ。
「スラジに顔を出す貴類が、この森にも来たり、胡王国にも行ったりできるってこと」
「そうだ。だから、スラジでの宣告の内容を、俺も知ることができた」
「それなら、スラジにだけ宣告が出されるっていうのは違わない? ルノーもそれを知れるわけでしょ」
「俺が知れるのは、あくまで貴類の記憶。それは宣告のコピーであり、影響力をもたらすものではない」
(分かったような、分からないような)
「俺はこのルヴァリスから出れば、力を持たない。誰も俺の言葉を聞く者はいない」
「え……?」
「守り人ってのはそういうものだ」
ルノーは表情を変えずに淡々と喋った。
「ルノーは、ここに一人で住んでるの?」
「ああ」
「……外に出ることは?」
「別にいつでも出られるけど、殆ど出ない。数か月に一度、必要なもん買い出しに行くくらい」
「訪ねてくる人は?」
「来ない。貴類が受け入れない。……俺を可哀想だと思うか?」
ルノーが再び、身を乗り出して玲奈に距離を詰めてきた。逃げ場のないベッドの上で、縮こまる。
「レナちゃん、ここにいなよ」
「へ……」
「ここなら、スラジの王族でも手出しできない。ここにいる内は、安全だ」
「……ごめんなさい。私、帰りたいの」
「険しい道のりだぜ? スラジの中枢を潰して、掌握しなければ帰るのは不可能だ。捕まって処刑される方がよっぽど現実的。この森に隠れていれば、穏やかに一生を過ごせる」
玲奈は痛いのが嫌いだし、怖いのも、挑戦するのも避けたい。平穏を好む人間だ。一瞬、ルノーの言葉に、惹かれた。
(でも……)
「やっぱり、帰りたい。家族に会いたい。友達にも。例え、危険を冒して、死ぬことになっても、一生帰れないよりは、いい」
「……そ」
ルノーは微笑んでいた。本気で引き留めようとしたわけではないようだった。
「ルノーには、悪いけど……」
「ハ、寂しいなんて思うかよ。元々、くだらない人付き合いが嫌で守り人に名乗りをあげたんだ」
ルノーは顔をしかめて言った。
「なんで、そんな試すようなこと」
「あんたが処刑されたら、禍が起きる。スラジに留まるような規模のモンならいいが、どこまで災厄が及ぶかしれない。ここに留めておけば、安寧が保たれる」
「……そっか」
玲奈の死は、もはや玲奈だけに収まらず。この世界の命運を左右するかもしれないのだ。玲奈はぶるりと身震いした。
「気が変わったか?」
「怖さはある。でもやっぱり私は、帰りたい」
「決意は固いようだな。なら、協力は惜しまない」
その言葉に、パッと目線を上げる。ルノーは得意げに口の端を上げていた。




