170話
「起きろ」
「ん……? あ! 夜!?」
ヒコトに起こされると、辺りはすっかり暗くなっていた。
「もう日暮れから随分経った。そして、ここがルヴァリスの入口だ」
腕から降りて、正面を見る。深く、暗い森が、広がっていた。玲奈は息を呑む。
「行け」
「……ヒコトさんは、やっぱり入れないんですか」
「ああ。お前が起きる前に足を踏み入れたが、ここまで戻された」
ここから先は、結界が張られているようだ。目を凝らしても、何も見えないが、強い魔術がかかっているのだ。
「回路石を渡しておく。出る時、呼べ」
魔石を受け取る。玲奈の命は、九垓の子供に繋がっている。玲奈を守ることが、ヒコトのミッションだ。
「ヒコトさんはどうするんですか」
「お前がいなきゃ、身を隠す手段はいくらでもある。追手が来ないうちに、早く行け」
「……はい。ありがとうございました。また」
「ああ」
玲奈はヒコトに背を向け、森を進んだ。一歩、二歩、進んで後ろをもう一度振り返る。
「え……」
そこに、ヒコトの姿は見当たらなかった。
(消えちゃった)
暫し呆然として、再度振り向き、前へ進んだ。すると、掌で、カタカタと貰った回路石が揺れた。握っていた手を開けると、それはパキン、と割れて風に吹かれて飛んで行ってしまった。
「えっ!! 嘘っ!」
あれがないと、ヒコトと連絡が取れない。慌てて欠片を拾い集めようと駆け出す。しかし、走り出した途端に、玲奈の視界は真っ白な霧に覆われた。
「今度は何……」
霧はどんどん濃く靄がかり、ついに真っ白で何も見えなくなった。
(進むしかない……?)
一旦、回路石は諦めた。迷いながらも、行くしかないと足を進める。ざくざくと落ち葉を踏みしめる音だけが森に響いた。何分だろうか、視界を霧で染めながら歩いていると、強い睡魔がぐわっと襲った。
「っ、あれ……」
駄目、と思いつつも、眠さに抗えない。膝から崩れ落ち、玲奈は前のめりに森に横たわってしまった。
「ぁ……」
(だめ、起きなきゃ……なの、に……)
玲奈がすぅ、と眠りに落ちた背後から、一人の男がすっと姿を現した。玲奈と同じく落ち葉を踏みしめている筈なのに、彼の足元から、音はしなかった。
「…………」
男が人差し指を振ると、玲奈はすっと胸元から宙に浮く。男は霧の濃くなる森の奥深くへ、玲奈を連れ去った。
温かい毛布に体が包まれている。ぬくぬくと丸くなって、心地よさに笑みが溢れた。
(お布団久しぶりだぁ……)
そろそろ起きようか、と玲奈は背伸びする。
「……んんん」
「起きたか?」
「ふぁ……んっ!?」
ハッ、と振りかぶる。玲奈の前には、見知らぬ男。さらりとしたストレートの黒髪に、うっすらと笑みを浮かべている。つり目だが、あまりきつくは見えない。背丈はそれほど大きくなく、百七十センチぐらい。年齢は二十代半ばといった風だ。
「あ、あなたは」
「ルノー。宜しく」
「よろしくお願いします……ここはルノーさんのお家ですか」
「ああ。守り人が代々継いできた住処だ」
「守り人……」
「ここの管理人くらいに思ってくれ」
ルノーはほら、とマグカップを差し出す。
「わ、ありがとうございます」
「ん。そんな固くならないでいいよ」
本人がそう言うので、「分かった」と頷いた。
「ルノーはその、私のこと、どこまで」
「大体知ってるさ。レナちゃん?」
名乗ってないが、名前を知られているようだ。
「なんで知ってるの?」
「貴類から聞いた」
玲奈は小さく息を呑んだ。
(本当に、貴類と意思疎通ができるんだ……)
「この森に、貴類がいるの?」
「ああ。あんたなら会えるだろうよ」
「えっ! 本当に!?」
「貴類は本来人の前には姿を見せないし、この森に受け入れることも稀。それがあんたには歓迎の意を見せていた」
「歓迎の意って?」
「ここに来る時、眠くなったろ」
「うん」
睡魔に抗えず、意識を失った。それを運んでくれたのが、恐らくルノー。
「あれは貴類の魔術。あんたを呼び込みたくて、眠り香を撒いたんだな」
「……あの時、近くにいたの」
「今も、恐らくいる」
「えっ!?」
すぐに辺りを見回すが、それらしき姿は見えない。
「貴類は空気や地面と自身を一体化させるのが好きだ。そこにいるのかどうか、人間は分からない」
「そうなんだ……」
「そのうち、姿を現すから気長に待ってろ」
気長に、と言われても玲奈は追われている身だ。深刻な表情の玲奈の頭に、ルノーは手をぽんと置く。
「こっちから貴類に接触すんのは無理だから、諦めたほうがいいぜ?」
「うん……」
もう、印の効果は発揮されていない。ロアンは玲奈を追えない。
(ここにいることは、恐らく知られている。けど入ってこれないから、ひとまずは安心。問題は出ていく時)
「あの、この森に入ったら、回路石が砕けちゃって」
「貴類が弾いたんだな。外ものの魔力が気に入らなかったんだ」
そう聞いて、玲奈は懐の魔石を取り出す。
「こっちは大丈夫だったのは、私しか使ってないからかな?」
「そうかもしれないけど、分からない。貴類の感覚を完全に理解するのは難しい」
ルノーはベッドのすぐ近くに椅子を引っ張ってきて、玲奈の側に腰掛けた。
「貴類に会えるのは少し時間がかかるかもしれないけど、俺は粗方、あんたの事情を知ってる」
「うん?」
「レナちゃんが知らないだろうことも、知ってるってこと」
「……教えてくれるの」
「ああ。貴類がそれを望んでる。まだ疲れてっかなと思ったけど」
「知りたい。教えてください」
ルノーは頷いた。




