167話
十一月十日。二人は進み続けていた。ヒコトは疲労の色を見せないが、実際はかなり疲れているのではないだろうか。玲奈が動けなくなると、背負って進み続けているのだ。しかし、ゴールは近い。印が消えるのは十一日。
(あと一日……あとちょっとで、消える……)
追手は、近くまで来ているのだろうか。ふらつきながら歩んでいく。山を越えてからも、ずっと人影はなかったが、段々と民家が見えてきた。今はまだ空が白んでいる時間だが、日が昇れば人目につくかもしれない。
「人に見られても大丈夫なんですか?」
「衛兵には気づかれていない。この国にお前を追ってる奴は今のところいない。目的地は、街からかなり外れている。今のうちにこの街を抜ければ問題ない」
「目的地って、貴類の生息地なんですよね」
「そうだ」
「そんなに簡単に会えるものなんですか」
「普通の人間は無理だ。俺は恐らく、その場所に入れない」
「入れない?」
「お前が入れるのかも、定かではない」
「ええっ!?」
(ここまで来て!?)
「ここに来る以外、お前に道はなかった。精々願ってるんだな」
「……はい」
日が昇り出して、ヒコトは後方に気をやった。
「……来る」
「え」
「あっちの方が速い。……一人だ」
玲奈は息を呑む。
「逃げなきゃ!」
「追いつかれるって言ってんだろ。向こうは一人だ。相手した方がいい」
「一人って、でも、今までは沢山」
「ここはカンシュタットの中心地に近い。そうゾロゾロ来れない」
玲奈は、一瞬迷うも頷いた。
「追手は俺より格上の可能性もある。俺が倒れたら、すぐに時間を戻せ」
「……はい」
ヒコトは、戦闘態勢に入った。今、玲奈たちが通ってきた道を睨む。その後は、数分もかからなかった。
「――お出ましだ」
大きな影が、二人に差した。次いで、ドシン! と地面が鳴り響く。
「おォ……わざわざ迎えてくれるとはね」
(大きい……)
その男は、二メートルはありそうな、長身だった。くすんだ紺色の髪を腰元まで揺らしている。
「迅閃・ブリッツ……」
「ん! 俺の異名を知ってくれてるとは、うれしいね。きみの名を聞いても?」
「答える道理はない」
「あらら、残念」
巨男を、ヒコトはブリッツと呼んだ。知り合いという訳ではないようだ。特徴だけで、誰だか分かった。それだけ、名の通った実力者ということか。
二人がにらみ合う。玲奈はヒコトの後ろに隠されているが、ブリッツの大きい体は、ヒコトより遥かに大きく、その姿ははっきりと見えていた。
――見えていたのに、その姿が、視界から消えた。そして、次に気づいた時には、腹に強い衝撃を浴びていた。
「――っ!?」
「はい、お仕事終わり」
玲奈はがくりと膝を折り、その体をブリッツが片手で軽々と抱えた。痛い。でも、意識はまだしっかりあった。玲奈は血を流すヒコトを見下ろしながら、逆廻をした。
「あっちの方が速い。……一人だ」
「っ、ヒコトさん! 逃げましょう! 二人ともやられました!」
ヒコトは目を丸くしたが、すぐに状況を理解したようだ。
「戻ってきたのか」
「はい! ヒコトさん、血を沢山流して、倒れて……っ」
玲奈が逆廻を発動できたのは運が良かった。血を流してなくても、意識がはっきりしていなければ逆廻は不発になるのは経験済みだ。あの男――ブリッツが、相当手加減していたことがうかがえる。玲奈を死刑にするのは、王族の役目だ。大怪我を負わせないように指示があったのだろう。
「相手は」
「ブリッツと呼んでました! 速く逃げなきゃ!」
「迅閃、ブリッツか。スラジ一の速さ自慢の導士だ。相手がそいつならすぐ追いつかれる。それより、俺はどうやって倒された」
「分かりません、二人が向かい合ってて、気づいたら、私の目の前に奴がいて、ヒコトさんは倒れててっ」
「……いくら速いといっても、俺が何もできず、倒れる、か――」
ヒコトは考え込んだ。
「あと二、三分で来ちゃいます!」
「お前は、血を流すと時を戻せない。相手はお前に怪我させなかったんだな」
ヒコトは時間が迫っていても、冷静だった。それを見て、玲奈も少し落ち着く。
「痛かったけど、怪我はしませんでした」
「分かった。こちらが先制する。俺が倒れたら、できるだけ状況を把握してから時間を戻せ」
ヒコトはやられる前提で、敵の情報を探れということだ。玲奈は頷く。ヒコトが腕を前に掲げた。地面が、ゴトゴトと揺れ動く。
「地震……?」
「俺の幻導術だ」
ヒコトの足元に、地面から、黒い砂が浮きあがった。それはヒコトの体を取り囲み、うようよと蠢く。
幻導術は、導士だけが使える、強力な魔術。体内の魔力を元にしたもので、どんな魔術を使えるかは、生まれ持って、個々人により異なる特性となる。ヒコトのそれは、鉄を操り自由自在に操れる能力だった。
ヒコトの目は、玲奈より早く、ブリッツをとらえた。操った鉄砂を、弓矢のように鋭く研ぎ澄ませて、ブリッツへ放った。
ブリッツがそれを躱すところは、玲奈の目には見えなかった。気が付くと、ブリッツは地面に降り立っていた。空から折られた鉄矢が、ヒコトとブリッツの間に突き刺さった。
(そうか……コイツは速いんじゃない……!)
ヒコトは、理解した。しかし、そう思う間もなく、ヒコトの体からは、血が噴き出していた。
「え――」
同時に、玲奈も再度、腹に衝撃を受けて、崩れ落ちていた。
(また、勝てない……)
ヒコトの血だまりを見る。その口元が、必死に動いている。
(何……? なんて……)
しかし、読み取る間もなく、ブリッツは玲奈を抱えたまま歩き出してしまい、玲奈は仕方なくそこで逆廻を発動した。




