166話
「降りろ」
「はぇぇ……」
逆さまに担がれて、十分超。人気のない路地に入って、玲奈の擬態は解かれた。
(気持ち悪い……)
ぐらぐらと頭が揺れて、その場に座り込んだ。
「食え」
差し出された木の実を、深く考えずに食べた。それはテクの実で、酸っぱさに悶えるも、飲み込むと急速に体調は回復した。
「立て」
「はい……」
少しくらい休みたい、と思うも、追われてる身だったと直ぐに思い直す。一刻も早く、奥へ逃げなければ。
その先は、玲奈も躰術を使って走り通した。小休憩こそ取っているものの、丸一日が経つ。
(もうきつい……無理……)
「ヒコトさんっ、もう……魔術を、維持、できない、れす……」
「分かった。一度歩いていい」
「はぁいぃ……」
魔術を続けるのにも集中がいる。初心者の玲奈には限界だった。本当は座り込みたいところだが、そうもいかないので、歩み続けて息を落ち着かせる。
ヒコトはそれきり、言葉を発することなく、玲奈の少し前を先導する。
(本当に、無口な人)
歩き出すと、そんなことが気になった。彼は最低限の会話以外、自分から口を開くことはない。
(あ、でも、リュウに振られて落ち込んでたときは)
あの時は、ヒコトから玲奈に歩み寄り、気遣ってくれた。恐らく、ヒコトの意思ではなかったのではと推測するが、それでも、嬉しかった。
「あのぉ」
「……」
「ヒコトさんって、一人の時は何してるんですか」
「……」
ヒコトは一瞬玲奈に視線を向けたが、すぐに前を向いた。つまり、無視である。
(答える必要はないとか、嫌味すら言われなかった……)
続けて喋りかけるほど神経は太くなく、二人は黙々と、ただ歩みを進めた。
幾らか体力が回復したらまた魔力を使いつつ、進み続けること一日。玲奈はとうとう限界を迎え、気絶寸前、フラフラになっていた。気力だけで前に進んでいる状態を見て、ヒコトは何も言わず、その体を抱えた。
「ひゃっ!?」
急に視界が九十度傾き、疲れで朦朧としていた意識が引き戻される。
「寝て体力を休めろ。俺が抱えていく」
「……できるんですか?」
「三時間だ。意地でも体力回復させろ」
「……分かりました。お願いします」
ヒコトに無理をさせてしまうが、玲奈が動けなくなっては意味がない。今も尚、ロアンは玲奈の場所を特定できる。宿で横になるのは無理だ。この体勢で疲れが取れるのかは怪しいところだが、言われた通りにするのが最善策だ。
玲奈はヒコトの腕のなかで、目を閉じた。
* * *
同じ頃、胡王国では九垓が頭を悩ませていた。
(レナは一先ず逃がした。ここにいたことは、スラジには知られずに済んだが、胎児との糸というのが、どれ程影響があるものか……)
リンファの先見では、玲奈に命の危険が及べば、九垓の子へ波及するという。リンファの力は、無視できるものではない。
(レナの時を戻す力があれば、最悪の事態は避けられると思うが)
しかし、その力は玲奈が完全に操れるものではない。回数の制限もあるという。ヒコトをついていかせたとはいえ、油断はできない。ヒコトから連絡はない。今はまさに、印が発動し、逃げている最中だろう。
そして、九垓の悩みはそればかりに留まらない。
「中礼軍が挙兵しました」
「来たか……」
王族の外戚ながら、他国と手を組みクーデターを目論んだ男、典中礼。年は九垓の三つ上で、子供の頃に遊んだ記憶もある。どこで、道を違えたのか。その心の中まで追っている余裕は、九垓にはなかった。
「リュウを呼べ」
「はい」
現れたリュウは、硬い顔をしていた。九垓はそれを認識しつつも、決断を伝える。
「禍の封印を解こう」
「っ、本当ですか」
リュウの喜びが、素直に声色に現れた。
「中礼の軍を止めるには、お前の力が必要だ。行ってくれるか」
「勿論です」
「相手が昂晋とくれば、並の使い手では歯が立たない」
中礼軍の参謀であり、扇の要、昂晋。元は胡王国きっての実力を持つ導士だ。戦闘能力はかつてのリュウに次ぐと言われていた。
「こちらに」
リュウは頷き、九垓へ跪くと、目を閉じた。右腕を覆う布を外すと、そこには、黒い蔦のような文様が肌に這っていた。九垓が施した封印だ。
(さて、どうなるか)
九垓が魔石を砕くと、黄金の光が舞った。人差し指をリュウの肌に重ねると、魔術を流し込んでいく。黒い蔦模様が、銀色に鈍く光りだす。渦を巻くように光は線を描く。十数秒の後、その光は逆行するように、九垓の指へ吸い込まれていった。
「終わった」
リュウの封印は、無事、解かれた。
「目を開けろ」
リュウは、九垓と目線を合わせた。




