150話
「……出ていったら、どこに住まうことになるんですか」
「盟原街だ」
胡の北東部に位置する地方だ。気候は穏やかだが、交通が不便なため殆ど発達しなかった、寂れた田舎町。古くから住む町人たちがひっそりと暮らしているだけ。
「っ、あんな寂れたところに行けっていうんですか!?」
「あんたの品格とよくお似合いじゃない」
雫那は鼻で笑い、言い捨てる。
「……何ですって」
「止めなさい。みっともありません」
小馬鹿にした雫那の挑発。二人の小競り合いは、今度は母親に静かにたしなめられた。
「対外的には、体を悪くして静養すると喧伝する。盟原街には古くから王族の療養の宮がある」
その事実から、かの町は「下り宮」とも揶揄されていることは、美音も知っていることだ。
「それはぴったりの場所ですこと!」
「……美音」
「私は兄様を敬愛していました。それも、今日までです」
妹は、酷く傷ついた瞳で、兄を見た。声は濡れていた。この場の流れをどうにも変えられないと、諦めたのだ。
「話はつきましたね」
口角が上がるのを抑えられない姉妹二人は、早々に椅子から立ち上がった。颯麒は諦めの色を浮かべて背を向けた。
「美音、少し話を」
「私は、あの二人よりずっと優秀でした。ずっと嫉妬されてきました。二人は嬉しくて堪らないでしょう」
「……分かっているよ」
「っ、それでも、兄様はそんな哀れな妹より、体裁を選んだ。二人に嫌われて、悲しくて、慰めてくれた兄様は、居なくなってしまった」
その痛みは、九垓の胸にも同じ痛みをもって突き刺した。
「さようなら」
美音は、駆けて行った。残った両親も立ち上がり、母は優しく肩に手を置いた。父は、何も言わず、険しい顔のまま、去っていった。
(……何か言って欲しいなど、甘えた子供だ)
親の慰めを、どこか期待してしまった。自嘲の笑みが、乾いて響いた。数日後、美音は護衛と侍女を連れて王都から出て行った。
* * *
泣いていても、何も変わらない。決意して、眠りについた。
(あー……また目少し腫れてる)
玲奈は起床すると、鏡に向かう。昼間は何ともない顔を出来ていても、夜になると途端に涙が滲んでくる。
その原因というのも、リュウとユランが、たびたび、玲奈の視界に入ってくるようになったのだ。
(リュウは、大きな任務が終わったのかな……)
ちょっと前まで、会いたくても全く姿を見かけなかったというのに。食堂や、寮の廊下。仕事の合間に、庭で。ユランがリュウの腕に手を絡めて、上目遣いで話しかけるところをしょっちゅう目撃する。昨日など、ユランとすれ違い様、勝ち誇ったような笑みを視界の端に見た気がする。
(被害妄想かな……でもあの子、最初から好戦的だったし)
ずーん、と気を落としながら着替えて、下働きへ。今日からまた、洗濯のローテーションが回ってくる。以前より寒くなっているので、気合を入れなければならない。
「あ……おはようございます」
「ん」
戸を開けると、ヒコトが立っていた。リュウの代わりとでもいうように、人がいない時にすっと現れて、なんだか嫌そうにしながら玲奈に喋りかけて、用は済んだと言わんばかりにさっさと去っていく。何をしたいんだろうか。
「今日の晩から、王都を離れる。暫く来れない」
「あ、はい」
「じゃ」
そう伝えた言葉は、何となくだが、いつもより気持ちテンションが高く聞こえた。
(一人になれるのが嬉しいのかな。分かりにくい人だと思ってたけど、意外と単純かも)
淡々と仕事をこなす。朝は寒くて堪えたが、昼はぽかぽかとしてて丁度良い。井戸のポンプから水が桶に溜まっていくのを、玲奈は何の警戒もせずに、ぼーっと見ていた。
それは、一瞬の出来事だった。
「ぁッ―――!!」
腕を後ろから取られる。声を上げようとした時には口に布を当てられていた。誰か、と助けを求めた声は殆ど音にならなかった。その後で、時を戻せばいいのだと気づく。この国で安穏な生活に浸っていて、すっかり感覚が鈍っていた。意識が霞がかっていく。シャロフの裏切りを思い出す。今戻しても、多分間に合わない。
(っ……)
玲奈は、殆ど抵抗できずに意識を失った。




