137話
時間の感覚はなかった。唇が離れた時、玲奈の呼吸は短く上がっていた。
「悪い、もう行かねえと」
「……ん、分かった」
リュウは恥ずかしがってるのか、玲奈と目を合わせない。再び担がれて、屋根の下に着地する。示し合わせたように、翠夏が待っていた。リュウはそれを見届けると、すぐに背を向けて去っていく。
「ふーん、随分いい感じだったようね〜?」
「えっ? ……えへへ」
「あーいいなー! 私も彼氏欲しー!」
(私、いつの間にかリュウのこと好きになってたんだなぁ……)
好き。その言葉は、自然と口をついて出ていた。口に出すと、ますます気持ちが溢れ上がっていく。翠夏と帰る道すがらも、玲奈の心は暫く、ふわふわと浮ついたままだった。
玲奈は再び、内郭に呼ばれていた。なんでも、リンファが会いたいと言っているらしい。それを伝えに来たのはリュウではなく翠夏で、内心がっかりしたのは秘密だ。
翠夏に先導されながら、内郭を進む。途中、少し小高いところに茂った花々の中から、ガサガサと物音がして「ん?」と視線を上に向ける。
玲奈が目を向けた丁度その時、人影が飛び出してきて、上から落ちてきたのを、玲奈の目はスローモーションのように、ゆっくり捉えた。
(あっ……!)
体が反射的に動いて、その人の下に入るように、咄嗟に抱きとめていた。女性の綺麗な顔立ちが、ひどく驚いたように玲奈を間近で見つめて――。
「いっ! たっ、たぁ……」
「レナちゃん!?」
ドサァっ、と潰れた玲奈に、翠夏が慌てて駆け寄る。そして、玲奈の上に倒れた人物を見て、息を止めた。ここにいてはならない人物だったからだ。
その女性は起き上がり、玲奈と翠夏を交互に見た。その目は、怯えの色が滲んでいた。彼女は、逃げてきたのだ。翠夏は咄嗟に判断し、二人を立ち上がらせた。
「私は首護隊の一員です」
「首護隊の……」
彼女は、翠夏の顔を知らなかったようだ。信じて良いのか少し迷いを見せた。しかし、後ろから足音がして、ぎくりと身を震わせると、翠夏に頷いた。
「こちらに」
「はい」
「えっ、なに」
「レナちゃんも早く!」
玲奈は理由も分からぬまま、翠夏に腕を引かれ、来た道を戻ることになった。
(この人、誰だろう)
玲奈が咄嗟に助けた彼女は、上等な服装をしている。布の細かな輝きが、光に照らされて上品に煌めいていた。
翠夏はやがて立ち止まり、内郭の壁に生えている草花を掻き分けると、奥にあった扉に手を翳した。ブゥンと音がして、扉が開く。玲奈の部屋と同じ、特定の人物の魔力に反応して開く仕組みだろう。
(隠し扉……)
翠夏は二人を素早く中へ通し、辺りを見回して戸を閉めた。閉められると真っ暗になり、何も見えない。
「翠夏さん」
「ごめん、今明かりつけるよ」
玲奈の不安げな声に、翠夏が応える。明かりが灯り、通路がいくつかに分岐し、延びているのが分かった。
「こちらに」
翠夏が一番右の道を行く。二、三分歩くと、扉が現れ、また翠夏が魔力を翳して開けた。
「お待たせしました。中へお入りください」
「はい」
「……ここは?」
「首護隊の控室みたいなものかな。今は誰もいない」
「へぇ……」
中は殺風景で、テーブルと椅子くらいしか置かれていない。翠夏は女性を椅子へ座らせると、「お怪我は」と尋ねた。
「大丈夫です。彼女が、助けてくれましたので。お礼が遅くなりましたが、ありがとうございました」
「いえ! ご無事で良かったです!」
「あなたは?」
「え、っと」
「下働きの者です。少し訳ありなのですが、蘭蒼様にお伝えしてよいかは、私の判断では」
「ええ、承知しております」
翠夏は頭を下げ、今度は玲奈の方を向いた。
「色々気になるだろうけど、そういうわけで今は何も言えないの」
「分かりました」
気になることはあるが、我儘を言って困らせるはずもなく、玲奈は大人しく頷いた。




