116話
最初に、九垓の部下である、虎清が状況説明をする。事前に報告で聞いていたのと大体同じ話だ。
「話は分かった。治水工事は南のみならず、国家にも益のある話だ。そして此度は、貴殿らにもその益を目に見える形で受け渡すという。龍神信仰はそれでも尚、反対するだけの価値のあるものなのか、私には疑問だな」
「陛下は巫座の力を迷信の類とお考えのようですな」
口を挟んだのは老師・素沁だった。彼は先王が若い頃から王都へ仕え、参謀として重用された人物だ。十年ほど前に勇退し、地元へと戻った。九垓も幼い頃より彼の姿はよく見ており、一筋縄でいかない人間ということはよく知っている。以前の治水工事の要望が却下されたのに、彼の影響があったのは想像に難くない。
「約束された実益を損なったとて、信じるに足るものだと?」
「左様にございます。巫座の先見は、導士の宣告と同等」
「……つまり、彼女は貴類と同じ力を持つと」
宣告。それは貴類の言葉を、導士が人の言葉として伝えるものだ。
「彼女は導士なのか?」
「いいえ。リンファは魔術はからっきし。ただし、龍神の血を祖先に持ちます」
「それは実在するものなのか?」
「龍神は、かつて存在した貴類の一種。今は人の世には居りませんが」
「貴類の血を引くというなら、やはり導士と同じように思えるが……似て非なるものということか」
老師は頷いた。九垓はリンファに視線を向ける。リンファは三つ結いにした青い髪を揺らし、ツンと澄ました顔で九垓を見つめた。
「君が見た先見について詳しく教えてくれ。どういう内容のものだったんだ」
「水脈に人の手を加えることは龍神の望む所ではありません。必ず災厄を引き起こします」
「災厄とは?」
「大雨、洪水、川の氾濫に始まり、凡そ考え得る全ての水害が起こります。この村のみならず、南の方たちも甚大な被害を被るでしょう。そして氾濫が収まったのちも、変動してしまった水脈は、以前のような人へ恩恵をもたらすものではなくなります」
「……それが本当ならば、治水工事を進める訳にはいかないが」
九垓は見定めるように、リンファの瞳を覗き込んだ。
九垓にはどうも、巫座の力がピンときていなかった。貴類の意思を直接聞く宣告と違い、彼女は自身の能力で先見をしているのだという。それは人の領分を超えた力だ。
(眉唾物だな)
そう内心で呟いたのを見透かすように、リンファはうっすら口角を上げて、九垓の秘密を言い当てた。
「陛下のお近くに、懐妊された方がいますね」
リンファが紡いだ言葉に、九垓は必死で平静を装った。
(何故、どこから)
情報が漏れる筈はない。それだけ、極一部の者にしか蘭蒼の妊娠は告げられていない。九垓の探るような視線に臆せず、リンファは続ける。
「その胎児は龍神の血を宿しました」
「……龍神の、血……?」
「先見でそう出たのです。血を宿した子は、この国に変革を齎すことになる」
「変革とは?」
「そこまでは」
「……では、私の近くにいる者、とは誰のことを指している。親族のことか?」
リンファは九垓の子供だということは断定していない。親族の範囲を広げていけば、誰かしらは子を授かっている。彼女が極秘の懐妊を予知したと決めるのは早い。
「いいえ。その子供は、陛下の血を引いています」
「……」
さらりと断言されて、九垓は肯定も否定もできなかった。
「そしてこの先見は、偶然もたらされたものではありません」
「……どういう意味だ」
「元来、その胎児に龍神との関係はなかった。龍神の血を色濃く引いた何者かが、陛下に接触したのです。その者がこの国へ降り立ったのはつい先日のこと。龍の血が王都へ向かったのを、明確に感じました。そして陛下と見えたことも。その者の中の龍神の血が、陛下の王気を通じて、お腹の中へ芽吹いていた生命へ乗り移った」
(……レナのことか)
リンファは幼い齢に似合わぬ笑みを浮かべていた。




