リュファーニアの子どもたち
しなだれかかる女の如く、たおやかに絡まる真紅の蔓薔薇。
庭を分け入った奥、その鮮烈な赤を纏うアーチが、花園に通じる秘密の扉のようにひっそりとかかっていた。まわりにはよく育った薔薇の茂み。生き物たちの静かな呼吸、葉擦れのざわめき、空気にまぎれる甘い匂い。木蓮の木々も息をひそめ、新たなる住人が足を踏み入れるのを待っている。
アーチの先に覗くのは庭園用に整えられた、華奢な白いテーブルと椅子。テーブルには白みの強い、薄めの灰青に染められた布が敷かれてあった。布の端いっぱいにびっしりとついているのは、これでもかというほど編まれた繊細なレースだ。その上になめらかな乳白色の茶器が並べられている。磨き抜かれた銀食器は陽光を反射し、代わりにあたりいったいを囲む花々が思う存分光を吸収する。そのおかげか、しっとりと綻ぶ花びらたちは、どことなく陽気に満ちていた。
この小さな、外界と閉ざされたような空間。
そこには、茶器やテーブルだけではない、庭園に息づく花よりも豪奢な人の形をした花たちと、リュファーニア屈指の貴公子たちがいる。
アルマリアはこくりと唾を呑んだ。隣で何でもない顔をしている夫を、気づかれないようそっと見上げる。暢気そう、というより機嫌の良さそうなほど、にこにこしている。緊張しているのは自分だけのようだと知って、溜息が出そうになる。それは、ヴィルヘルムは家族に会うだけなのだから、当然だろうが。
一歩、ヴィルヘルムがアーチに近付く。あと少しで、その内へと、くぐることになる。心臓が怯えるように暴れ回るのを、無言の下で抑えつける。アルマリアはまっすぐ前を向いた。
そのとき、誰かがアーチの向こうで艶やかに微笑んだ。そのひとの唇がうっすらと開かれる。
「ようこそ、わたくしたちの茶会へ」
凛、と高貴な声がアルマリアたちを出迎えた。
*
リュファーニア現王第一子第一王女、コーネリア。
その性質は苛烈でありながら慈悲深く、峻厳かつ傲慢、高潔にして高貴。やもすれば尊大なほど王族たらんとする、リュファーニアの誇る淑女である。
父王によく似た白金の髪は複雑に編み込まれ、くるくるとうねりながらたっぷりと背中に流れる。瞳は母親の色を受け継いだ菫色。磨きぬかれた宝石のように美しい、その大きな双眸は、奇妙な引力を持って他者を魅了する。たおやかな細い腕が折れそうなほどだから、彼女が匙より重いものを持つと女官は揃ってひやりとしてしまう。しかし反面、ぴんと伸びた背が手折られることを知らぬ百合の気高さを表す。そのようにして圧倒的な存在感を持ちながら、彼女の生身の体は実際とても儚げで、それほど大柄ではない。
理性的で自律することをよく知る王女だが、彼女にはひとつだけ、王宮の人間を真っ青にする欠点がある。
それすなわち、家族に対する堪え性の無さである。
特に、第一王子ヴィルヘルムに関しては、まさしく夏の大嵐の如くなのだった。
このときも彼女は不機嫌になった。
何が楽しいのか終始にこにこしている弟が、さも当然のように客人の傍らに立っていることが不快だったらしい。不満、ではない。明確な嫌悪である。アルマリアはアーチの内に足を踏み入れてそうそう、自分の失敗を理解した。つまり、ヴィルヘルムの同行に頷いたことを。
「ヴィルヘルム。おまえのことは呼んでいないのだけど? 何を図々しくこの場におりますの。さっさとお帰り」
「あはは、何をおっしゃいますか。私は彼女の正統な配偶者であり、この国での保護者でもあるのですよ。つまり、腕を提供する者です。ここにいるのは当然でしょう」
開口一番忌々しげに叩きつけた文句を、さらりとごく真っ当に返されてコーネリアの顔色が悪くなった。
「……おまえ、何を普通なこと言っているの? おかしな病でも拾ってきたのではないでしょうね」
「いやですねえ、姉上。どういう意味ですか」
「そのままの意味よ。真っ当過ぎて不審なのよ」
「姉上、確かに兄上はだいぶ気持ち悪いですが、我らのお客人が困っていらっしゃいますよ。あと仮面が剥がれてます」
姉弟のいまいち噛み合っていないやりとりに暢気な声が割って入った。声の主を探すと、これまたコーネリア王女によく似た色を持つ青年だった。いや、まだ少年というべきだろうか。灰がかった紫の瞳は長い睫毛に縁取られ、不思議な誘惑をたたえてなんとも色めかしく落ち着かない。繊細な白金の髪は姉のものより薄く真っすぐでうねりがなく、胸まであるものを右肩のあたりでゆるく結ばれている。結んでいるのは深緑の線が一本入った、黒いベルベットのリボン。趣味が良い、とアルマリアは思った。彼のそれはリボンだけに限らず、服装全体に一貫して優美だった。金と紫の刺繍の施されたコートは、幅広の袖を折り返し、刻印入りの金のカフスで留められてある。ぴかぴかの靴の先は汚れひとつない。詰め襟はだらしなくない程度にくつろげられており、真鍮の造花を持つ華奢な椅子に腰掛け、ゆったりと足を組んでいる。
いかにも紳士的だが、どうにも食えない印象がある。なんとなく、故国の友に似ている気がして、アルマリアは内心肩を落としていた。
彼はにっこりと無害そうに微笑んで立ち上がり、うやうやしく一礼した。コーネリアの隣にいた少女ふたりと少年も、彼に続いてアルマリアたちに礼をする。弟妹たちの姿に我に返ったのか、コーネリアはこほんと空咳をひとつ、まるで今までの問答はなかったかのように艶麗な微笑を浮かべ戻し、この中で最も優雅な仕草で、ドレスの裾をとって腰を屈めた。
リュファーニア最高峰の淑女の誉れに恥じぬ、完璧な一礼。
「失礼致しました、アルマリア様。改めまして、ようこそおいでくださいました——我らがリュファーニアに。心より、歓迎申し上げますわ」
ヴィルヘルムが一歩下がる。だからアルマリアはごく自然と、一歩進み出た。コーネリアに近付き、適切な距離でふわりとドレスの裾を摘む。エビリスで培った作法が、この国とさほど違っていなかったことに今更安堵する。アルマリアは目を伏せて、同じように深く腰を落とした。
「こちらこそお招きいただきありがとうございます、コーネリア様」
寛容なリュファーニアに、感謝を。
心の中でのみ続けて囁き、アルマリアはゆっくりと顔をあげた。
席に着くと、あたためた牛の乳をたっぷりと使った、香り高い色茶を配された。円錐型の五段ほどもある器に、とりどりの焼き菓子や水滴をこぼす果物が乗っている。粉砂糖を惜しげもなく降らせた葡萄のタルト、ラズベリーのクリームを挟んだ濃いピンクのマカロンや飴で包まれた花の蜜、かりかりにこぶを作った林檎のパイ、具沢山のキッシュ、三角に切られた、見たことのない黄色い果実。
宝石をでたらめに盛ったようなその器を前に、コーネリアは軽く顎を引いた。
「そうでしたわ、わたくしったら、不躾に名乗りもしておりませんでしたわね」
彼女の曇り顔に滲む申し訳なさは本物だった。どうやら、弟の登場によって、そのこと自体は予測していたのだとしても、大いに血が上ってしまったようである。自分の堪え性の無さを恥じている風でもあった。この見るからに完璧主義そうな王女がこのように取り乱すのは、初対面のアルマリアからしても少し意外だった。それほど嫌いなのだろうか……と逆にその男の妻として不安になってくる。いったいヴィルヘルム様は何をなさったのかしら。というか、どれほど主義主張をしているのだろうか。
「わたくし、リュファーニア王が第一子、コーネリアと申します。慣れぬ地でご不安もありましょう、何でも仰ってくださいませね」
ふふ、と優雅に口許を、金の縁取りをされた扇で押さえる。匂い立つような貴さは、名乗るまでもなく彼女が誰であるかを——第一王女の威厳を醸していた。
その美しい細腕がするりと動き、隣に立つよく似た容貌の男を示した。さきほど、彼女とヴィルヘルムの間に仲裁をいれた人物だ。彼はふわりと目許を甘く和らげ、しかしどこか楽しげな様子でアルマリアの手を取った。洗練された所作で片腕を背に控えさせたまま、相手をごく大切に扱う素振りで唇を寄せる。このひとは、目眩がするほど女心を心得ている。唖然としかけるのを気合いでとどめるアルマリアに、彼はふと子どもみたいに破顔した。目を丸くすると、ずいと詰め寄られる。あくまで無邪気に。
「どうも、コーネリア姉上とヴィルヘルム兄上の弟、ユーリウスです。さすがは名高きエビリスの白雪姫、聞きしに勝るお美しさですね。これではそこな薔薇も形無しでしょう、貴女ほどの方に新たな姉上となっていただけるとは、光栄な話ですねえ」
容姿について言及されることは、慣れてはいるがそれほど好きではないアルマリアだが、彼の言葉遊びをするような軽い言い方だと、ほとんど気にならなかった。得な質の男のようだった。
これが、ユーリウス殿下——
と、アルマリアは微かに驚いた。色々な噂を耳にしたし、エンナも彼の話題は避けているようだったので、どんな人物かと恐々としていたのだが、予想よりずっと普通そうだった。それとも何か、表に出ないような部分があるのだろうか。
紹介は続き、次なるはよく似たドレスを身につけた、ふたりの少女だった。
そのうちのひとりが、垂れがちの濃い青紫の目を瞬かせ、ちいさな口を開く。
「ごきげん麗しゅう、アルマリアお姉様。わたくし、イヴリン……と……申します………ぐう」
寝た!
さざなみを描く輝くような金髪は瞳と同じ色のバレッタで留めてあるが、船を漕ぐ頭部の動きに沿ってゆらゆらと揺れた。椅子から転げ落ちそうになるところを、もうひとりの少女が慌てて押し止める。
「わあ、もう、今日くらいは起きていてよ! ご、ごめんなさいアルマリアお姉さ——、っくしゅん! くちっ。う、ごほっげほっ」
盛大に咽せている。
「だ、大丈夫ですか……?」
「す、すみませっ……はくしゅん! ぐしゅっ、ううー」
「グレンダ、鼻」
「ああ、ありがどうー」
イヴリンが睡魔に負けそうなのか、半目になりつつ、どこからか取り出したちり紙を差し出す。グレンダと呼ばれた少女はちーんと誰はばかることなく鼻をかんだ。
そしてにこおっと誤摩化すように笑う。
「わ、わたくしは、グレンダでございます。わたくしとこのイヴリンは双児ですの。イヴリンが姉、ということになっておりますわ」
そこまでは綺麗に言えたが、彼女はまたくしゃみと咳に見舞われてしまった。はらはらしてしまう。体調が思わしくないのだろうかと心配していたら、ヴィルヘルムが「あの子はちょっと病弱でして。肌も弱いので、なかなか外にも出られない子なんです」と耳打ちしてきた。だから機会があれば、遊んでやってください、と。ヴィルヘルムのものとは思えない真っ当かつ年長者らしい発言である。このひともちゃんと兄をやっているのだな、とアルマリアは密かに驚嘆したが態度には出さなかった。
グレンダの瞳はひどく薄い、赤みのある紫で、金の髪も色素が薄く、ほぼ白に近い状態だった。しかし、だからこそどこか儚げな、そして危うい美しさがある。のだが、くしゃみで色々と台無しだった。
彼女たちの横にひっそりと座っていた、最も幼い少年が静かに立ち上がる。音がなかった。
「第三王子、ヘクター、です。あたらしい、あねうえさま。どうぞ、よろしくおねがいします」
ぼーっとした顔のまま、ぼーっと挨拶を述べた彼は、いまいち焦点の合わないまま、ぺこりと頭を下げた。あらかじめ決めておいた言葉をそのまま言ったのか、ところどころ、思い出すような間があった。リュファーニア王家には珍しい、青みがかった銀髪が目を引く。数代前の王妃の血だろう。
妙に影が薄いというか、空気も薄いというか、全体的にぼーっとした少年だ。イヴリンと似たものを感じるが、あちらは眠気であることに対して、こちらは何を考えているのか謎なぼんやり加減である。ヘクターはしばらく口を半開きにしてアルマリアを見つめた——視線が向いていただけかもしれない——あと、おもむろに胸元に両手をやった。あ、とヴィルヘルムがつぶやく。
次の瞬間、ぼんっという軽い爆発音とともにヘクターの手から紙吹雪と青い背の小鳥が飛び出した。
ぱたたたっ……と小鳥が飛び立っていく。
「……」
「……」
「歓迎、します」
「えっ、あ——ありがとうございます!」
びっくりした。
びっくりのあまり、つい声がうわずってしまった。アルマリアはどきどきする心臓を落ち着けて、ひとつ呼吸する。ふう。
ヘクターの不思議な芸に目を輝かせているのは、彼の隣にちょこんと腰掛ける少女とユーリウスくらいだった。が、皆、おのおのの反応で感心していることを示していた。仕込みがうまくなったなあ、などという声も聞こえる。
確か、現王の子どもたちは、これですべてのはずだ。しかしこの場には、彼らの後方に控えるようにして、数人の男女が集まっている。アルマリアはにわかに沈黙した。するとヴィルヘルムがさりげなく屈み、こそっと囁いてくる。
「まだ続きますよ」
アルマリアはびくっと肩を跳ねさせた。心を読んだかのような言葉だった。アルマリアはちらりと夫に視線をやり、なまぬるい微笑みを浮かべて、そのままの顔でまた向き直る。今まで紹介された子どもたちの顔と名前と初見の様子を反芻する。ごくり、と唾を飲み込んだ。
リュファーニア聖王家の人々は、ヴィルヘルムと負けず劣らず、個性的なようである。