2.目覚め
朝日が眩しく部屋を照らす。
少女はうっすら目を開けた。
「朝…」
いつもと何も変わらない。それでいて何かが違う。そう感じながらも、少女は何かを探るように部屋を見渡すが、一人用の家具がひっそりと部屋に置かれているだけだった。
「ふぅ…」
もぞもぞとベッドから這いずり、洗面所へ向かう。
鏡を覗くと、青い髪に青い目をしたいつもの自分がこちら側を見つめていた。
なんともない。いつも通り。
寝起きのせいか、つり目気味の目はトロンとしている。
蛇口を捻り、少女は冷たい水に手を伸ばした。
黒い服に身を包み、少女は家を出た。
目の前に広がるのは、見慣れた朝の光景。
道端にパン屑をついばむ雀が見えたが、近づくと空へ逃げていった。
様々な種族の人々が少女の横を通り過ぎていく。彼らの服装もバラバラで中にはローブを頭から被っている者もいた。割と治安のよいこの町ではそのような姿もよく見かけられる。
とぼとぼと少女が歩を進めると、大通りに出た。
さっきまで、建物で見えなかった太陽が顔を覗かせる。
通常、少女のような年頃の娘なら学校に通っていてもおかしくないのだが、あいにく少女は学校というものに行ったことがない。学費に不自由しているわけでもないのだが、行かなければならないという理由もなかった。貴族の間では子供を学校に行かせる習慣化していたが、商人や農民となるとまれである。少女も後者だった。
少女はいつも何もすることがなく暇を持て余していた。
人ごみの中を少女は颯爽と歩く。
気持ちのよいほど晴れた空に雲ひとつない。
朝の心地のよい風が少女の髪を撫ぜた。
数分たったのち、少女は銅像の近くで立ち止まる。
雨で緑色に変色しかけた銅像が無言で見下ろしていた。
銅像を背に体を預けると、ふと自分の手を見つめる。
(たまに、今が現実かそれとも夢なのか分からなくなる)
手を太陽にかざす。一瞬、オレンジ色に見えたが、それ以上のことは起きなかった。
(現実と夢は曖昧で、それは自分にしか分からない―)
自分の何倍もある銅像を眺めた後、公園のベンチに腰掛けた。
「今日の夢でも思い出してみるか」
少女そう呟くと瞳を閉じた。
(そう、私はいつも気付いたら、白い部屋にいた。)
真っ白く塗られた部屋に少女は一人佇む。
目の前には一つ扉があるだけで、白い壁以外は見あたらない。
視線を下に向けると、足元には霧のようなものがうかんでいた。
温度は感じなかった。
(いつも思い出せない。同じ夢―。)
繰り返し見ているはずだったが、この先何が起こるのかは分からない。
(大事なことを忘れているような気がしてそれに戸惑う。)
重厚感のある扉の前に足を進め、ゆっくりとドアノブに手を伸ばす。
(そして同時に思う。)
キィッと音を立てながら、扉は静かに開かれる。
(私は誰なのだろう―と。)
「ねぇ」
いきなり声をかけられ、少女の意識は現実に戻された。
はっとして顔を上げると、日光を背にして、オレンジ服の少女が立っていた。年は14、15くらいだろう。
「あなた、この街の人?」
オレンジ服の少女はそう尋ね、邪気のない笑顔でにっこりと笑った。
「ついて来て貰って悪かったわね」
クミンと名乗った少女はそういいながら絨毯が敷かれた廊下をスタスタ歩く。その後を遅れまいと少女は大幅を利かせて歩いていた。目標は彼女が来ているオレンジの色だけだ。
本来なら道案内で終わるはずだったが、なんとなくクミンに興味を持ちついてきてしまった。
少女とは正反対に陽気さを持つクミンには人を無意識にひきつける魅力があった。
今二人がいるのは王立図書館である。王国直属の機関であるだけあって、本の貯蔵量は大陸一とも言われる。
「いいの。ヒマだから」
少女は無表情で答えた。
別に愛想が悪いのではない。これが彼女の素だ。
無感動な声で相槌をうつ少女を気にせず、クミンは自分のペースで楽しげに話を繰り広げる。クミンの話が一端終わる頃には、少女のクミンに対する警戒心は薄れていた。
歴史コーナーに差し掛かったところで、クミンはフラフラと本棚の間をさ迷い、キョロキョロと見回す。彼女のすばしっこい行動に少女は無言で後をついていった。
少女とって図書館に来たのは久しぶりだった。以前と比べると本の配置が変わったような気がする。
「よっと」
どこから持ってきたのか、クミンは梯子を地面に置くと軽やかにその上に飛び乗る。
どこにそんな瞬発力があるだろうかと少女はクミンを観察した。
そんな少女の視線を気にせず、彼女は本の背表紙を触りながら探し始める。ふと、ある本の前で手が止まった
「あった!」
満面の笑みを浮かべるクミンの足元で、少女はかすかに顔を上げた。
「なんで、わざわざここの図書館に?」
「これが読みたかったのよ」
そう言うと、クミンは手元の本に目を向けた。
「天地創造の書。この本はもう世界に数冊しか残ってないの―」
クミンは分厚い本の表紙をさすり、昔を懐かしむような目で見つめた。少し、低いトーンで言葉を紡ぐ。
「その昔、世界には2つの勢力があって、天使と悪魔が戦い続けていた」
クミンがページをめくると、赤と黒で描かれた聖戦の絵が載っていた。空には天使が、そして大地には悪魔が描かれている。
この絵見たことがある。少女はそう思ったが、あえて声にはしなかった。
「そして中立を守っていた竜族が動くことでこの戦いは終わりを告げる」
次のページは大空を舞うドラゴンが悪魔に威圧感を与えている絵だった。悪魔小さくなっている。後のページも聖戦の絵は続いていた。
「そう竜族のグラン様が…」
なぜがそう話すクミンの目はどこかに逝っていた。
(歴史マニアなのかしら…)
少女は一人でそう答えを出していた。
もしかしたら自分はちょっと変な人についてきてしまったのかもしれない。今さら、少し自分の行動を悔やんだ。
少女の思考はクミンの大声で終わりを告げる。
「って、グラン様の写真がない!?」
(写真っていうより、肖像画の時代よね)
「その時代、写真ないんじゃ」
少女は抑揚のない声でボソッと答えた。
「そろそろ私帰るね」
何時間いただろうか。図書館の時計の針は午後三時を示していた。
長編の小説を読み終え少女は本棚に戻すと、クミンの元へ行った。
少女が声を掛けると、クミンが本から顔を上げる。
「あ、そう?じゃね。ありがとぅー」
クミンはとびっきりの笑顔で思いっきり手を振った。
彼女はまだここにいるらしい。
少女はそのまま図書館を後にした。
商店街へ行き、少女は今日の晩御飯に変わるであろう食材を物色していた。
「お譲ちゃん、今日も一人で買いかい?」
顔なじみの女主人が店内から顔を出した。
少女が何か言うたびに、彼女はたっぷりついた脂肪を揺らしながら豪快に笑う。
無表情で抑揚のない声で話される少女の言葉は、どこか的をついており、ときおり笑いを誘っていた。
自分が面白い部類の人間であることを少女は自覚してなかった。
店内は色とりどりの野菜が並べられている。店そのものは、かなり古いようだったが、隅々まで掃除が行き渡り、清潔感が感じられた。
「はい、これ。おまけしとくね」
女主人は袋いっぱいに詰めた野菜を少女に渡した。袋からねぎがとび出している。
一人分にしては多すぎる野菜を両手で受け取ると、少女は彼女に礼をいった。
しばらくすると、今度は肉屋の主人が声を掛けてくる。
「おや、譲ちゃん。一人でえらいね」
そう、いつもそうだった。
彼らから「お譲ちゃん」と声を掛けられることはあっても、決して名前を呼ばれることはなかった。―そう、それが彼女が日頃感じていた違和感。しかし、まだ彼女自身そのことに無自覚だった。