姫君の日常
囚人だったウォルタ卿を文官にするには、さすがのパセリーニ伯も骨を折ったようだが、実現させるにあたり、どんな手段を使ったのかは私の知るところではない。
世界は私の預かり知らぬところで回っている。
「何かあったときは相談に乗ろう。力の及ぶ限りで助力は惜しまない」
ウォルタ卿はそう言って、いつも自室に帰っていく。
それはウォルタ卿最高の信用を勝ち得たとも言える。
いずれはヴァレリアル家を継ぐ姫だ。
信頼のおける人望を掴んでおくのは、後々に大きな力となるのだろう。その傍らに、私がいることなど想像もできないが。
「お父様に何か言われたの?」
やはり、勘付いておられた。
「しっかり職務に励むよう、激励を」
「ふぅん?」
パセリーニ伯は、生返事で白い頬を手の平に乗せて頬杖をついた。
「気をつけなさいよ。あの狸オヤジ。何考えてるかわからないから」
似た者親子である。
「心得ております」
「あのオヤジ、私に仕事を全部押し付けて……!」
「伯のお仕事振りが素晴らしいからでしょう」
「お陰でここ数日、お茶もろくに飲めないわ」
「午後のお茶菓子はディパーニだそうです」
「何時に来るのかしら?」
「三時です。いつもどおりに」
私は制服についている懐中時計を見遣った。三時まであと十五分。伯のかんしゃくもすぐに収まるだろう。
「いつもいつも遠回しな嫌がらせしかしないのよ。あの陰険オヤジは」
伯の愚痴を聞きながら、私はタイプライターに残っている紙数を確認する。足りなければ、急ぎの用の時に困るのだ。
「十中八苦、リーニをマルセーリの養子にしたのは、オヤジだわ」
そんな大雑把で豪快なことができるのはヴァレリアル公ぐらいの貴族だろう。
「いつか、私に会わせるために……」
伯はそう言って、少し目を伏せた。
マルセーリ卿が、少なからず伯のトラウマになっているのは瞭然だ。克服するには何かのきっかけが必要だった。
「……二度とオヤジに再利用できないよう、抹消するべきだったかしら?」
女性はストレスに弱いと聞いたことがあるのだが、それはデマだと思いたい。
「大尉」
呼びかけられて、振り返ると我が敬愛なる姫君は優雅に椅子へともたれかかった。
「そろそろ、お茶淹れてくれる?」
私は翻訳ソフトを取り出してから、備え付けの給湯ポットのスイッチを入れた。
「葉は…そうね。この間買っておいた新茶をお願い」
棚からカップとポットを取り出し、封の切られていない茶葉の缶を出してくる。ナイフで缶を開けると、茶葉の香りが鼻腔をくすぐる。三時になれば、メイドがティーセットを持ってきてくれるのだが、伯の場合は、その前に私が淹れていることが多い。湯でポットを温めて、茶葉をティースプーンで一人分入れると、お声がかかった。
「貴方の分も淹れるのよ。大尉」
茶の入った頃に、ティーセットも届くだろう。
宿直室ではコーヒーメーカーのコーヒーが湯気をたたえて待っている。
だが、雇われ管理人の私はいつものように応えた。
「仰せのままに」
おしまい




