第4話:はじめての覚醒
現実だ。
時計を確認する。
"春頃"の12日。夜の手前ほどの時間。
感覚を鋭くすれば自分の中に確かに以前拾ったデバッグ効果も認識できる。
詩織のイベント発火までそう余裕はない。
彼女を前もって危険な場所から避けさせようとしても無駄だ。これは本編でも試せるが、避けさせても結局どこかのタイミングで五百地に凌辱されてしまう。
解決するためには五百地を先に倒すか、あの場で倒す以外にはない。
で、ルナティックゆえの高い戦闘能力を持つ五百地をどうするのか。
数日を使ってブートキャンプでもしたとして意味はないだろう。
筋肉を得たところで勝てるような存在ではない。
警察から拳銃を盗む?
それだって一般人には無理だし、そもそも今のところマットーに生きている一般人としての自覚はあるので市民の平和を守ってくださっている警察の皆さんにご迷惑をおかけしたくはない。
……様子がおかしい自覚はあるので時間の問題かもしれないが。さておき。
ルナティックで強化されるのは五百地だけではない。
強化の恩恵は『敵対的な存在』全て。つまりエネミーとして登場するものであれば全て強化される。
古今東西に利用されているもの。
古くからの引用なら借刀殺人の計。
オレのようなゲームオタクからすれば、勝てない敵に当てるべきは、いつだって勝てない敵だ。
余裕はあまりないが、ゼロってわけではない。
オレは下準備のために走った。
向かうべきは、電気屋だ。
「不思議な不思議な電気屋さん~♪」
オレは何かしらのテーマソングを口ずさみながら再び、聖地を走る。
✘✘✘
「いっひひいひひひひいぃひひ。お嬢ちゃん、か、か、かわいいねえ」
帰路が一人でも大丈夫だといったのは、この辺りは自警団が見回りをし、治安に関しては完璧であると言えたから。
「こいつらは、かわいくないからあ……ひひ。お嬢ちゃん、かわいくてよかったよお」
のそり、のそりと近づいてきたのは樽のような丸々とした胴に手足がついたような男だった。
それが歩くたびにぬちり、と不快な音がした。音の正体に詩織はすぐに気が付いた。血、肉片、臓物、あるいはそれらの混合物。
猟奇的な光景だった。
詩織が息を呑もうとしたとき。
『ここで止まるのなら、変わらないぞ。何も』
どこからか、声。
──それは直衛が事前に用意したトランシーバーだった。
スマホの通話にあるスピーカーモードのような機能を搭載しているもの。
冷静であればそれがトランシーバーか何かを介したものと気がついたかもしれないが、この状況では異界からの声なり、天の声なり、あるいは内なる声なりと勘違いしたとしてもおかしいことはない。
「え、あ……」
『お前にだってあるはずだ。目の前のキッショい樽野郎がお前を凌辱したいとしようとするように、お前がやりたいことが。望みが。願いが』
「あ、……う……」
自由を知らない少女は不意に聞こえてくるザラついた音声に困惑する。
一歩一歩近づいてくる五百地。
凌辱という言葉に反応するように、五百地の体から触手が剥き出しになる。
『何を求める。何を望む。何を願う。草紋 詩織。心の欲するところにあるものは、なんだ』
「わた……くしは……」
どくん。
心臓が強く鳴る。
「私は……」
触手が獲物を狙う蛇のようにゆらゆらと近付く。
『そうだ。叫べ。親の傀儡であるだけの存在ではないはずだ。それを叫ぶことができるはずだ』
「私が、望むのはッ!!」
爆発的な気配が暗がりに光をもたらす。発光源は詩織だった。
──覚醒。
人間が持つ可能性を発露させる、MQLに存在する人間たちの可能性。
「私はッ、自分自身の主になることを望みますッ!!」
その意志に従うようにして彼女の背に現れたる現象。力ある幻影。
MQLでも彼女を味方にすることはできる。その際に彼女が得るのはしとやかな乙女の姿をした幻影が現れる。癒やし、仲間たちを下支えするような。
「きいいいええええぁぁあ!!!
大人しく大人しく大人しく喰われろ汚れろ喰われろ汚れろ喰われろ汚れろ!!」
五百地が彼女の背後から現れつつあるものに恐怖と怒りを隠すことなく触手を放つ。
矢の如くに襲いかかるそれらに、未だ不定形の影はそこから同じように何かを伸ばしその触手に絡みつき、締り、千切り、潰す。
「ぎいいあああああ!!」
凄まじい苦痛が五百地を襲った。それをも怒りの薪として不定形の影に対して憎悪を燃やす。
一方の不定形もまた、凌辱によって他者を破壊しようとした相手へと影を燃え立たせるようにして怒りを表す。
「我が魂よ。叫び、望み、願う我が半身よ!!」
ヴィジョンが緩やかにその形質を定めようともがく。
「汝が願いによって我は顕現する。
我が名は刑死者スパルタクス。
汝を苛み、謂れなき罪と不自由の中から自由を求めるものなり!」
未だヴィジョンは完全な姿ではない。
しかしそれでも、その影は人の形をしており、その瞳は赤く怒りに燃え上がっていることは明確だった。
一般人か、多少の才能に恵まれたものが覚醒したとしてもこれほどの形を持つことはなく、半身たるものに名乗りを上げることはありえない。
それが詩織に世界を滅ぼすだけの力を備える魂であることを遍く全てに告げているようですらある。
触手経典儀と呼ばれる魔導書によって人の身と道を完全に外れた五百地は本能に従う獣同然の男であった。それゆえにか、憎悪ではなく完全な恐怖と防衛本能をむき出しにさせた。
「気持ちのわるぃ姿、幻影ぃぃ!! 消えろ消えろ消えろおおおおお!!!」
触手がうねり、生命と尊厳を蹂躙するためにではなく、自らの生存を保証させるために襲いかかる。だが、刑死者の影が武器を振るうとあっさりとそれを切り裂いた。
「ぎごああああああ」
それらの触手は詩織の持つ影ではなく、実体化し、五百地と繋がっている。肉体的器官そのものであった。だからこそ切り裂かれればおぞましい、ヘドロのような血を吹き上がらせた。
それを気にもせず詩織が前へ一歩。五百地へとまた一歩と近づく。五百地はもはや触手では、自分が持つあらゆる手段では彼女に勝てないことを察し、腰が砕けて後ろへと後退りした。
年頃の少女であれば、いや、常識的な世界で生きてきた人間であるのなら哀れな姿を晒す五百地にこれ以上することはかったかもしれない。
だが、それは道を外れることのない魂の持ち主のみ。今の彼女はあと一歩踏み外せば世界を滅ぼすところまで追い詰められ、あるいは人間性は闇の中へと転がり落ちていた。
手を翳し、そのまま大きく切り払うようにして振り抜くと幻影が同調して五百地を切り裂く。
人間を殺したときのようなものではなく、五百地は一度寸断されたあとにゆっくりと戻ろうとし、しかしそれは叶わずに傷口を中心にして黒いチリへとなって消えていった。
「私は、誰にも……ッ」
胸を抑え、高揚と、人の身を超えたことでの負担に喘いでいた。
✘✘✘
『それでいい』
機会を通して出るザラついた音声。
『ゆっくり、息を整えるんだ』
「はう……は、ぁ……」
オレは離れたところから無線を使って彼女に語りかけていたが、それも終わりだ。
無線の電源を落とし、彼女へとゆっくりと近付く。
まだ息が乱れちゃいるが、作戦自体は完璧だ。
五百地は詩織によって処分された。
MQLにおいて詩織にはバッドエンドに向かわずとも能力を獲得し、敵にも味方にもなるルートが用意されている。
つまり、状況に応じて彼女は敵となりうる。ルナティックにおいての強度上昇、通称ルナブーストは敵になりうる可能性のあるものであれば中立でもその恩恵がある。
本当は格好良く登場して彼女を助けてチヤホヤされたかったところだが、それが無理ならルナブースト恩恵下の彼女に戦ってもらうのが一番。
このプレイに関しては『もう一人のオレ』が実証している。
ルナティックの攻略に血道を開けていたこともあるのだ。
だが、このままではよろしくない。
彼女の心の内海から呼び出された幻影は、彼女が本来持ち得ているであろう滅びをもたらす運命に飲まれかかっていた。
彼女の影には黄昏時、夕陽に照らされて伸びた影のような不吉で不気味な闇が伸びていた。
「あな、たが……私を、導いてくださったのですか?」
その声は死と停止を思わせる少女のものではないよう聞こえた。熱に浮かされたような。
とろんとした瞳がオレへと向けられる。
……好感度を特定条件で上げることで突入してしまう汎用バッドエンド、|愛はさだめ、さだめは死のことを遅まきながらに思い出す。
知識の上では一応の全年齢向けだから暗転だとかが多くて何が何やらわからないままにエンディング突入になることも多いけど、なるほど、こういう入りになるのね。
つまり、この状況はヤバいってことか。
「私と、一緒に……」
「止まっていてほしい、ここにずっといてほしい、か?
……それも悪くないかもしれないけど、もっといい道もあるはずだ」
「もっと、いい、道?」
「今まで抑圧されてきたんだろう。それをそのままにしておいて何もかも止まるなんてもったいないと思わないか。もっともっと、今のお前が知らないことを知りたくはないか」
「知らない、こと……」
そもそも詩織は才気煥発を地で行く少女だ。
詰め込み詰め込みで学習させられてきたものの、逆に言えばそうしたものを全て吸収できるだけのオツムの出来がある。
容量がある人間ってのはその容量を埋めたくなるもんさ。
それは彼女の同様のようで、オレの言葉に停止することへの一種の『もったいなさ』のようなものを感じるようになっている。
よし、あと一歩だ。
「知らないことを教えるために、私を助けたのですか……?」
「それに関してはちょっと違うな。……オレは、お前が凌辱されるのが嫌だっただけだ」
「助けられるような価値が、私には」
伸びた影が五百地の触手めいてうねる。ただ、そのうねりはより禍々しく、邪悪に感じるのは彼女が世界を壊してしまう存在だと知っているからそう見えているだけなのか。
だとしても、言葉を変えるつもりはない。
「あるよ。その価値は、あるんだ」
「私に──」
これに関してはまあ、ウソはない。
知識の上で何度も出会っている子だし、現実として歩むこの世界で最初にであった原作キャラだ。愛着めいたものだってある。……愛着、なんて生きている人間に向けていい言葉かはちょっとわからないが。
「どうだ、詩織。もっと見てみないか。この世界って奴を。表沙汰以外のところにあるいろんな不可思議を」
「私、は……」
偉そうなことを言う。けど、これしかオレには手がなかった。
だからこの態度は貫かねばならない。
弱気を見せれば彼女が潰れかねない。絶対者でいることで、彼女の支えにならねばならない。少なくとも今は。
「う、ああ……。ウぅ」
苦しむ。強大なスパルタクスの力そのものが彼女を内側から壊そうとしている。
スパルタクス自身の意志ではないだろう。ただ、この世界に存在する超常的な力というものに対して、実存する人間の肉体はひ弱すぎる。
そのうえで、能力を発現したあとでも彼女のバッドエンドに向かう可能性はいくらでも残っている。
選択肢の失敗でもなるし、放っておいてもなる。そして、彼女が発現させた刑死者の囁きに乗って堕ちるルートも存在する。
だからこそ、
「オレを信じてくれるか」
彼女の前に歩み、目を合わせる。
「……ッ」
彼女は抵抗する気はない、判断する気力すら失われたのか、小さく目を瞑る。
そんな彼女の胸元に手を当て、オレは力を発動させる。
『心髄外科』
ぬるりと、彼女の体にオレの手が入ると同時に周囲は暗転した。




