第3話:バッドエンドはヒロインの嗜み
詩織。──草紋 詩織という少女の生は語るほどのものではない。
教育熱心という言葉には行き過ぎと言えるほどにのめり込んでいた両親によってあらゆる判断能力と自主行動を封じられ、徹底的な学習結果の結晶として育てられていた。
それ以外に彼女には何もない。自認としてだ。
他人からしてみれば容姿は端麗であったし、徹底された教育によってその立ち居振る舞いに関しては優美という言葉を渡しても彼女が負けることはない。
知性もあり、配慮もできる。人間として優秀だと誰もが言う。
だが、それだけだ。
何もない。
彼女からしてみれば糸で操られた人形がそうさせられているに過ぎず、自覚的なものは何もなかった。
その日は少しずつ運が悪かった。
電車が遅れたり、塾の講師が中座したり、色々あり、少しずつ時間の歯車が遅れ、帰路に着く頃にはすっかり暗くなっていた。
迎えに行くかどうかの選択肢を出されたものの、塾からの帰路だけが彼女が全てから解放される短い自由時間だったからこそ、もう大きくなったから大丈夫だと迎えを断った。
この判断が運と歯車の噛み合わせが極め付けに悪くなる一手だった。
帰路が一人でも大丈夫だといったのは、この辺りは自警団が見回りをし、治安に関しては完璧であると言えたから。
「いっひひいひひひひいぃひひ。お嬢ちゃん、か、か、かわいいねえ」
下卑た声が響いた。
裏路地というには開けた道であり、今までも危険があった覚えのない通りだった。それを油断していたと言われてしまうと、もはやどこも歩く場所などないと言えるくらいには安全なはずだった。
「こいつらは、かわいくないからあ……ひひ。お嬢ちゃん、かわいくてよかったよお」
のそり、のそりと近づいてきたのは樽のような胴に手足がついたような男だった。
それが歩くたびにぬちり、と不快な音がした。音の正体に詩織はすぐに気が付いた。血、肉片、臓物、あるいはそれらの混合物。
猟奇的な光景だった。
頭を下げたことがある相手程度の認識ではあったが、それらのパーツがこの辺りを守っていた自警団であろうことを、彼女の知性が理解してしまった。
「──ひぅ」
息を呑んだ。
それが樽男にはたまらなかったのか。
「かわいいねえかわいいねえかわいいねえかわいいねえ。もっと聞かせて。今の声もっと聞かせて。ね。聞かせて聞かせて聞かせて。かわいいねえかわいいねえ」
ぬちり。ぬちり。
不快な足音。それから
"ぐばり"
聞いたことのないような音と共に樽めいた胴体が紐解かれるようにして、不気味な触手が現れる。丸いと思っていたその胴体は触手が幾つも巻かれて形成されていた。
「あな、あなななあなな、穴があったら入りたいいぃぃいい!!!」
「いやあ!!」
少女の悲鳴。
このまま凌辱の限りを尽くされた結果。彼女もまた、力に目覚める。それこそがバッドエンドNo.4の開始。
だが、今回はどうか。
青年が割り込む。
そして──。
しかしそのまま触手に貫かれあっさりと死んだ。
結果は変わらない。
詩織は絶望の中で壊れ、泣いて、嗤って、世界の全ての人間を自分と同じように生きているか死んでいるかもわからない存在に変質させ、人間社会とその文明は終わりを迎えた。
✘✘✘
「し、死んでる」
オレは思わず言葉として吐き出した。
死んだが、生きていた。
またあの部屋にいた。虚無が広がるような部屋。
机と椅子だけがある。おそらくは机に突っ伏して寝ているような姿勢だったのだろう。死んだ衝撃でオレは飛び起きていた。
死んだ。いや、正確には殺されたというべきか。
はい、先ほどの『余裕で止められますけど?』みたいな態度はなんだったんだって話ですよね。本日はそれについてお話させてください。
オレの予定では、元々の予定ではだよ?
あそこで颯爽と現れ、いい感じに戦い、彼女を助け、
「自分のやりたいように生きなよ! それじゃ!」
と去る予定だった。だが、結果としてこの世を去ったのはオレだった。
では次に、
『鬼伏 直衛はなんでそんなに余裕満々だったのか』について説明させていただきます。
触手経典儀の五百地は本来スタートにやるには打ってつけの強さのイベントエネミー。
不快な演出と性格。ほどほどのダメージ。それなりの弱点。一般人でも頑張れば倒せるくらい。
一般人スタートといえば五百地狩りとまで言われた相手。
なのに、一撃死。
ここで頭を捻ってクエスチョンマークを大量生産するのは二流。一流のMQLerはすぐに予想が付くわけ。
『ははーん。これは難易度が最上位以上のヤツだな』、と。
イベントなどに何の影響もないけどお遊びで設定された超高難易度モードが存在する。
ルナティックと呼ばれるそれは本来は特定のタイムアタックを行うためのものであり、
例えば敵もイベントも全部避けて特定のエンディングに到達することで得られる実績があったりする。
ルナティックでは名前と個性を持つ敵対か、敵対する可能性のある存在の強さが引き上げられており、それこそが『世界を設計したシナリオライターやプランナーが考える、ゲームバランスを無視した本来想定している敵の強さ』だと言われている。
MQLには持ち得る欲望が人間の限界を越えると怪異と呼ばれる人外になってしまうという設定がある。
五百地は邪悪な本を拾い、同調し、人間が持てる欲望の許容量を超えたために人間を辞めて怪異になったという設定がある。
そのような怪物相手に一般人が互角に戦って勝てるわけがないのは当然だと製作陣は考える。
では設定を中心にしてみたならどうか。つまり、ゲーム用に調整された戦闘能力ではなく、設定に忠実なデータとはどういうものかと伝えるために生み出されたのがこのルナティックの戦闘難易度となる。
ルナティック誕生に関してのそうした舞台裏についてのことは直接的な表現は避けながらも、ゲームのあちこちにこっそり置かれて、あるいは格納されているメッセージから読み取ることができた。
ともかく、オレの目論見はあっさりと崩れた。
やりこみ勢の記憶による圧倒的知識無双をするという夢は敗れたのだ。
「な、舐めやがって。また世界が滅んじゃったじゃねえか。五百地の野郎……」
オレの死んだあとに世界が滅んだかは実際にはわからない。
ただ、ゲームにはバッドエンドを迎えた後に『その後世界はどうなったか』を見ることができる《観戦モード》と呼ばれるものがある。
オレが最初に死んだときのアレが観戦モードで見られる本来の、最後のシーン。その後に地の文で『こうして、世界は終わりを迎えた』的な文言とともに超高速のスタッフロールと共にスタート画面に戻される。
この部屋がオレにとってのスタート画面だとするなら、暫定で世界は滅んだとしているわけだ。
話を戻す。
ルナティックであっても五百地を倒し、少しずつ進めることができることもある。
例えば操作キャラがオレのような一般人ではなくMQL一作目、つまりLonesome Way本来の主人公である静間 結人であれば勝つことができる。
彼はどんな状況であっても怪異と戦うことになると自動的に覚醒イベントが起き、顕現者になることができる。
アヴァタールが何かとかは、まあ、そのうち話すよ。
とにかく、力を得るイベントの確約だとか、最初から高い戦闘能力を備えているだとかがあればなんとかなるってわけ。
はい。お前はなんかデバッグ的な何か拾っただろうって?
記憶力のいいリスナーくんは大好きさ。まあ、リスナーとか完全に死んでハイになっているオレの脳内の存在だけど。まあ、寂しいからこのまま続けるね。
残念ながら、デバッグから得られるものに直接的な戦闘力はない。
が、こうして死んで得られるものもある。
オレはいま死後に辿り着く、この虚無の部屋にいる。
つまり、背にはあの扉がある。
『continue』
再び戻れる。
あのときにオレが死んだ衝撃も痛みも現実のものではあったが、それでも、死んではいそれまで、ってわけではない。
現実でありながらも、まるで今まで遊んできたゲームのようにやり直すことができる。
痛いのがイヤだったら多分、他の逃げる先も出てくるのかもしれない。
だが、生憎とオレのMQLへの愛は底無し。土手っ腹に穴が空いて苦しんで死んだくらいで熱が引くことはないのだ。
立ち上がり、扉の向こうへ。
顕現者/アヴァタール
精神の一側面が神格やそれに近い力や逸話を持つ英雄や偉人たちに重なっているものが、
そうした存在を力ある幻影──エイドロンとして自らの側に顕し、呼び出したものの意の通りに動く。
魔術的には憑依と使い魔の複合とも言われるが、効力と霊的な強さはそれらを遥かに上回る影響力を持っている。
紙片を使い、後天的に別のヴィジョンに変えることも可能だが、条件として『精神の一側面』が重なっていなければならない。




