第37話:解封
「直衛さん──!」
「直衛、……待たせすぎ、だよ」
二人が直衛に笑みを向けた。
天使食らいは乱入者の登場で一歩身を引く。自分の造物主を殺した相手であることは理解しているようだった。だからこそ、警戒心を最大まで引き上げている。
その様子を見ながらも、まるで眼中にないかのように直衛は言葉を紡ぐ。その自信に満ちた態度が詩織とトーコを安心させると理解しているからだ。
「悪ぃ。法定速度ぶっちぎる勢いだったけど、それでも遅かったよな」
犬への騎乗に法定速度は存在するのかなど、直衛はくだらないことを言いつつも瞠目していた。
トーコの身から溢れる魔力の濃さに。
可視化できるほどの光として漏れ出ている。
(トーコの力が強くなっている。けど、何かが蓋をして出しきれていない。
……何が蓋を……。
いや、それなら、『知』ればいい)
答えは単純なことだ。
直衛には心髄外科がある。
心を開かせて内面の地平へと至る超常の技術。
「トーコ、心に触れさせて」
「来て、直衛」
トーコもまた、自らの中にある何かを吐き出したかった。諸手を広げて直衛を受け入れるように。
刹那。
直衛の心髄外科が発露する。二人の視界は暗転し、現実の時間の流れは収縮し、映る世界が変わる。
✘✘✘
(浮遊感。暗闇。心髄外科で見ている人の心、その空間。絶望に染まっていなくても闇が広がるのは変わらないのか?
……いや、あれは──)
心髄外科の力による精神の侵入。外科であるというなら施術か。闇ばかりが広がる空間かと思えば、鮮やかな青や白、赤が光のヴェールのように輝いていた。それは放射状に広がっていき、中心に一つの影が見えた。
直衛がその影に意識を向ければ、精神の中で揺蕩うその自我とでもいうべきものが遊泳するようにして進む。
トーコかと思って近づいたものは、トーコではなかった。
豪奢とまでは言わないが、庶民が纏うようなものではないことが一目でわかるドレスを纏う女だった。年の頃まではわからない。ヴェールの光がその人影の姿を覆い隠していた。
「狭苦しい」
一言目は端的なものだった。しかし、声の圧は常人のそれではない。
直衛の記憶にはない類のもの。あるいは直衛が社会に揉まれて生きた経験があれば取引先の、普段絶対に会うことがないだろう会長職についている人物であったり、怒らせてはいけない普段は優しい上司の低いトーンの声だとか、そうした俗っぽい当て嵌め方ができたかもしれない。
「そうか? 随分と……ここは広いように見えるけど」
だが、直衛にそうした体験がないからこそ、圧を感じながらもそれに屈することはなかった。
「わからないか」
「わからない。心の持ち主について言えば心の広いタイプだと思うが」
「そういう観念的な話をしているわけではない。たわけ」
ヴェールが花開いていく。
相手の顔が見える。この心の世界の主であるトーコにどこか似ているが、他人であった。
「この心は閉じられている」
その存在が空を見上げるように。
直衛も釣られるようにして見上げれば鎖のようなものが天蓋を覆っていた。
「あの鎖一つ一つは人間が持ち、与えられている常識とでも言うべきもの。
まったく、貴様たち人間はほとほと自らの可能性を閉ざすことを好むものよ」
見た目は人間とさして変わらない。だが、その口ぶりは人外を思わせるものであり、その圧もまた人ならざるが故に備えた強い自尊心から来ているようだった。
「解き放つもの」
「オレのことか」
「そうだとも。《心髄外科》によって、人の心の奥底に封じられていた諸相を解き放つ。それが貴様の力であろう」
「諸相?」
「貴様たちがアヴァタールと呼ぶものの。それがまさしく諸相そのものだ」
ヴェーダの語るところの、神性の顕現。その顕現には本来の神性の姿ではないものを取る。
ある時は神、あるときは一国の王子、あるときは獅子、あるときは──と様々な姿に変わった。
「運命か宿命か。あるいは偶然かもしれん。その人生に一度は諸相を自らの力で引き出すことができるものもいる」
主人公たる結人やトーコのように物語の終局に立ち向かうために目覚めるものもいれば、サブクエストでの詩織のように目覚めた結果、世界を滅ぼそうとする力に目覚めてしまうものもいる。
「だが、貴様はその意志で他者の諸相を引き出させることができる」
「だから解き放つもの、か?」
「然り。その諸相の出どころは魂の形が呼び出すものに酷似しているから。似た運命を辿るから。あるいは」
「転生してるとか、そういう?」
「そうだ。その可能性もあろう」
それは巨大な系統樹のように広がっている。
一つ前の枝を辿れば、そこも複数に分かれているかもしれない。
考え始めればキリがないだろう、その膨大な諸相の可能性を辿れてしまうのだろうと思うと、直衛はその情報量に圧倒されてしまいそうだった。
そんな直衛を前に、会話を区切るようにして。
「今日のところは知識自慢をしに顕れたわけではない」
自分で言っていて、まさしく知識自慢ではないかと気恥ずかしそうにしつつ。
「私で言えば、ある王の妹であり、ある王を支えた魔女であり、ある王と敵対した魔術士である。その三つの側面はいずれもが一つの存在から分たれたもの。
貴様が目覚めさせた私は、最初に挙げたもの」
「じゃあ、今喋っているのは」
「その三つの統合意志、のようなものとでも言おうか」
「統合意志さんは力を貸してくれるのか」
「先ほどの貴様の問い」
怪異を呼び出しているのではない。
かといって、当人に眠る神性を呼び出しているわけでもない。
その問いを指していた。
「私も諸相の一つなのだ、直衛。
トーコが貴様を信じるように、私も貴様を信じたい。
だが、信じるには必要なものがある」
一泊を置く。
光のヴェールの中でその視線が直衛を射抜くように真っ直ぐに向けられる。
「約束だ」
「なんでもするよ、トーコと統合意志さんの二人と約束ができるってなら、なんだってする」
「約束の軽い男はモテんぞ」
「生憎、あんまりモテたことは──」
ないとは言えない。
少なくとも今生においては二人の少女に信を向けられているのは事実だった。
だから、モテないなどと真っ正面から言うのは彼女たちにも失礼に思えた。
「いい気分にさせてもらえている分、キッチリ返すのがいい男ってもんだろ」
笑って返す。
統合意志もまた、笑う。
「この身を支えよ」
「言われずとも、支える。約束があろうとなかろうと」
「私と同じ。この女の情は深く、恐ろしいところもある」
「知ってるさ」
明確な言葉だった。
嘘も偽りもない。結人を失ってしまった彼女に、助けられたかもしれないと今も悩む直衛にできることはなんでもするつもりなのは決めていた。
「ならば、託す。
我が身を表象させよ。力を求めるトーコに我を与えよ。
ただ、ゆめ忘れるなかれ。
力を御しきるのはトーコの意志のみで成り立たぬ。いつも彼女を支えていたものの代わりが必要だ」
「ああ。わかってるさ。結人の代わりにオレがトーコの手を取る」
「ならば」
統合意志が杖を掲げる。
光が満ちて闇が晴れていく。
それに共鳴するように直衛の手も光り初めて、心髄外科がその本分を果たす。
この空間を切除し、解放する。
統合意志が上方へと昇る。まるで重力がそこにあるか、あるいは導かれるように。
そして──
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