第35話:天使食らい
廃院から飛び立ったものを追う。だが、オレの脚なんざ大した速力もない。
ヘルハウンドを呼び直すと強引に掴まり、その背に跨った。
一般的な家犬とは違う、大柄な異形の猟犬はオレに乗られても嫌がらず、忠実に命令をこなす。
走る。夜を切り裂くように。
✘✘✘
天使食らい。
直衛がふっと口をついて出た言葉はサブクエストに登場するユニークエネミーの存在だった。
サブクエストには『詩織を助けよ』というストーリーが存在するものがある一方で『お使いクエスト』と揶揄される、アチラに行ったりコチラに戻ったりとたらい回しにされるものもある。
中には特定の怪異を数匹狩れ、特定の物品を手に入れろという目的だけを提示されるだけのものもあった。
天使食らいはサブクエストで言えば後者。ただ、若干の異質さを備えるクエスト。
MQLには本筋とまるっきり関係のないダンジョンが複数存在する。レベル上げ、レア掘り、キャラ同士の連携度合いを強化するための試行錯誤、他諸々に使う場として用意されている。
『夜街コリドー』と呼ばれる場所もその一つで、入り口は複数。出口も同様。
様々な都市の地下街を連結させた作りであるとされるそこは広大。探索の中で見つかる幾つものロケーションの中に『崩落した聖堂』という、場所がある。
入ってすぐに襲ってくるボス。
クエスト内容は『天使食らいを撃破せよ』。戦闘中にカタコトの人語を漏らすが、それはどれも意味をなさないようなものばかりだが、MQLには解読や推理推察を好むものも多いため、まったく意味のないことはスタッフも喋らせまいとその意味を受け取ろうという流れがあった。
「我らは御使い」
「我らは一つ」
「我らは散逸」
「我らの目的は一つ」
「我らは混沌に従うだけ」
「我らは主が奉じる神の到来を望む」
といったことばかりを言葉も文字もノイズに混ぜて語る。
わかることは彼らは何者かを主人としていて、そのもののために必死になっている程度のこと。
ただ、そのドロップ品にあるフレーバーテキストには、
「天使食らいとは彼らの名前ではない。彼らを作り出した存在の能力の名称である。
だが、その能力者は既にこの世にはなく、未練のようにそれを自らの名だとして思考している。
もっとも、彼らは本来は個々別々の存在であり、それぞれに名があったはずであり、複数の思考を取りまとめるために集合的本能が必死に自らを一つにまとめるために暫定的に主人を定め、そのために働き、主人を忘れぬためにその能力を自らに関しているに過ぎない哀れな存在である」
などと、結構な言われ方をしている。
自我のある肉団子みたいなものだという結論には至ったようだが、主人のことなどは一切語られることはなかった。
直衛が呟いたのは明かされることがなかった真実に気がついたからだ。
天使食らいを作ったのはあの男だったのだと。
どおりでインゲームで出現しないわけだ。
なにせ、その主人は作中の時点で死んでいるのだから。
同時に、この世界が物語とその都合によって記述されたものではないがゆえに、直衛はシナリオでは『設定上存在していただろうが、語られる意味の薄さから語られなかった存在』に出会ってしまっていたことになる。
結果、本来は夜街コリドーに棲まう存在は実際の世界に解き放たれてしまった。
天使食らいはそうした考察の甲斐もあり、その攻略法は極限の低レベル攻略でも安定する解法が存在するほどに徹底されている。
しかし、本来の天使食らいの立場は本筋に関係のない場所にひっそりといる上に、意味ありげなクエストを持つユニーク。であればこそ製作者の悪意を存分に込められた敵である。
それは実際の世界であるこの場においても健在だった。
(全部の攻撃をキッチリ受け切っているはずなのに……!?)
トーコは戦いの中でゆっくりとではあるが損耗を感じている。身を削られるような感覚があった。
天使食らいの形状こそ人型であるが、その中には大量の天使が凝縮して収められている。天使食らいはそうして収められた肉体を伸縮性のある腕として、その先端は槍の穂先に変えるなど変幻自在。
しかし、天使食らいの悪辣なのは回避の難しい攻撃ではない。攻撃の有効、完全な防御に関わらず接触によって発生する特殊な効果だった。
体力、命の残量を示す数値であるLPを最大値で見て割合で減少させる効果。回避に失敗すれば甚大なダメージを、攻撃を防いだとしてもLPそのものが現在値ではなく最大値を参照して減少させる。つまり、割合で減ろうとも現在LPを0以下にできる。相手を殺すことができる特殊能力だった。
直衛であれば攻略法を理解している。完封できるだろう。
だが、当然トーコはその解法など知るよしもない。
防いでも防いでも死に近づいている感覚。足首を死の恐怖が掴もうとしていた。
詩織はトーコの様子に気がつく。ただ、削られているから死の恐怖に襲われつつあるのではなく、戦いとその結末の一つである死ということそのものに家族の死がフラッシュバックしているのだろうと考えた。
愛の深い女である詩織のその向け先は直衛だけではない。同じ釜の飯を食い、同じ部屋で寝起きを共にすれば情愛は深まるというもの。
「トーコさん、私が前に出ます!」
踏み込んで進む詩織。彼女のアヴァタールは現在、直衛が《差し回し》によって与えたものになっている。琉球の守護獣シーサー。どこか愛嬌のある姿とは裏腹に鉄塊でも噛み切りそうな牙を持っている。
攻撃性能は噛みついたり体当たりしたりがメインで、取り立てて変わったものはない。この怪異の特徴はその耐性である。
邪を祓う聖獣であるからその両方の属性に強く、石造りの肉体は物理的な攻撃を防ぎ、火伏せの伝承から炎熱の力にもめっぽう強い。
更に直衛はこれを《雑種強勢》によって他の怪異から別の耐性を引っ張ることで大抵の攻撃に免疫を持つ性能をシーサーに与えていた。
スパルタクスとはまた違う方向で頑丈な一体となっている。
急な襲撃や遭遇でも粘り勝てるように、と。
しかし、相手が悪い。どんなに耐性を備えていようと生命の根源であるLPが削られていく。
一方の攻撃は届いている。二人の猛攻は確かに天使食らいを押している。だが、ユニークの備える膨大なLPを削り切るにはパワー不足感が否めなかった。
じりじり。じりじりと死へと近づく。
(ダメだ。……このままじゃ)
死。そのイメージが明確になっていく。
結人の死。それだけではない。彼女が持つはずのない直衛の複数の死因まで見える。
まるで数多のバッドエンドを俯瞰するように。
これは彼女が備える能力と運命だった。
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