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第26話:ドグマ

「速い、ごぽぽ、ですねえ」


 神から与えられた恩寵たるこの身を一度、それも恐るべき手並みで打ち破る彼は何者だったのか。それを知る術はない。

 そして今、それを知ろうとする暇もない。


「絶望を与えるはずが、どうしてかこうなってしまうとは」


 自家中毒(オート・ドグマ)の二つ名を与えられた片良瀬についての背景情報はMQL作中でもマイナー部類に入る。

 もっとも彼をよく語られたと言われるのはTRPG版MQLのサンプルシナリオであった。

 その一文を引用すると、


『彼自身が何者であったかということは、彼自身が一番どうでもいい情報だとして切り捨ててしまった。

 彼にとって重要なのは人間味というものを捨て去って空っぽになった器にいかにして混沌からの言葉を受け入れるか、そこに掛かっているからだ』


 このようなことであった。

 つまり、物語にとっても彼にとっても、彼自身がどうなるかは重要ではない。

 そして物語にとっても彼にとっても重要なことはたった一つ。

 彼という配役に下されるハンドアウト(神託)をいかにしてこなすか。

 それだけだった。


「青年を殺し、少女は生捕りに。それができなくば絶望を与えるために獲物を探せ。場所は──」


 自らに下された神託を暗唱する。

 脳内にしかないものだ。それが本当に神託かなど誰も確かめようがない。

 だが、片良瀬にとってはそれは神託だったし、彼にとって他者の受容など毛ほども興味がない。


「ええ。こなしました。ですから、新たなこの力も与えて、ごぽぽ、くださったのですね」


 傷が次々に癒えていく。


「しかし、本来であればあの少女は我が神が望むように全てを眠らせる偉大なる権能を得るはずでしたが。

 その点は我が身の不徳といったところですか。ああ。なんと。不徳。ああ!」


 不意に自らの頭を壁に叩きつけ始める。

 霊体の力は切っている。大量の出血が再生したところから吹き出した。


「ああ! 愚か!! 神よ!! どうか!! 愚か!! 愚か愚か愚か!! 愚かな私をお赦しください!!」


 顔の半分が再び変形するほどに叩きつけた後にゆっくりと姿勢を戻す。

 声が聞こえた。いや、今度こそ幻聴であったろうか。

 やはり、そんなことは彼には関係なかった。


「では、この青年をあらためましょう」


 変形した顔面が再生していく。

 痛みすら喜びなのか、ひとひらの苦痛すら見せずに結人の亡骸を抱き上げる。

 慈愛がこめられた緩やかな所作。ぼたぼたと血と腑が零れ落ちる。

 それを穢れとして扱わずに、いや、気にもせずに柔らかく持ち上げたその姿は落日に染まっている。

 それは一種の宗教画のようですらあった。



 ✘✘✘



「トーコ」


 声が響いている。

 それに気がついて目を開ける。


 天地のない、不思議な空間。

 ああ。これは夢なのだ。それがすぐにわかってしまう。


 なにより、声の持ち主は結人のものだったから。

 私の目の前で殺されてしまった、私の大事な人。


「こういう日が来るんじゃないかとは思っていたけど、こういう形とは想像してなかったな」


 いつもの苦笑混じりの声。


「結人、ちっちゃい頃からわからないなにかに怯えてたもんね」

「可愛い妹の前では強がってたつもりなんだけどな」

「妹だからわかるんだよ」


 結人が何かを恐れていたのは知っていた。

 妹だから。血の繋がりはなくても、思いは強かったから。


 けれど、その何かを聞き出せるほど私は口が上手くなかった。

 一度だけ、夜の闇の向こうに何かが待っている、そう呟いたことはあったけれど、それ以上はなにも聞き出せなかった。


 育っていく中でその恐怖が鳴りを潜めていくように見えてしまい、私も彼が何かを恐れていたその姿勢を忘れてしまった。

 もしかしたなら、この日が来ることを知っていて、私を託すことができる誰かを待っていたのだろうか。

 そんなの、


「自分勝手すぎるよ、結人」

「それは、うん。そうだね……本当ならトーコのそばにいるのはずっと俺でいたかった」

「でも、ダメなんだよね」

「……うん。それは叶えられそうにない」


 アンナが盾を作り出す力を持っていたのを見たとき。

 あの姿が発現したのは何故か。

 今になってようやく気がついた。

 もっと早くに気がついていたなら……。


「それ以上、自分を責めないで。トーコ」

「自分の夢の中でくらい、自分を責めさせてよ」

「……いいや。これは夢であっても夢じゃないんだ。

 この夢は人間の死後に過ぎゆく場所。魂の巡る地。トーコの力はそこを夢という形で繋いでいる」

「何を」

「よく聞いて、トーコ。

 その力は救いじゃない。やがて俺を利用してでもその夢を利用しようとするものが現れる。だから」


 声がノイズに飲み込まれていく。


「俺で終わりじゃない。悪夢は行き着く果てはない。全ての意味を失わせる混沌が包むまで。

 だから、トーコ。悪夢を止めてほしい。俺が安心して眠れるように、さ」


 なんとか聞き取れたその言葉。それきり声が聞こえることはなかった。


「待ってよ、結人! まだ、やだ!! 消えないで! お別れも、言えてないのに!」


 手を伸ばす。声を伝えることもできなくなった結人はそれでも手を伸ばしてくれる。

 けれど、それは空を掴み──……。

 本日は二本立てとなっております。

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