第25話:落日の色
──目を覚ます。
絶望的な状況だった。どんな言葉もトーコには届かない。それがわかってしまった。
観戦モードに入った時点でオレの意識も記憶もそこから消えていた。
絶望していないといえば嘘になる。何をしたところで間に合わないことがわかってしまった。繰り返しの中で車を盗んでみたりバイクを盗んでみたり、犯罪にまで手を染めてみても間に合わない。
すでに終わった時点で保存されてしまっていた。
だが、それでも諦めない理由はある。
結人ならば、せめてトーコだけは何をしてでも守り、救えと言うだろうから。
オレの勝手な思い込みかもしれない。痛々しいファンボーイの妄想かもしれない。プレイヤー目線の自己解釈かもしれない。
そのいずれであっても構わない。やらねばならないことは決まっているから。
だから、ここで膝を折っている場合ではない。
絶望を癒す手段を持ち合わせてはいない。
だが、絶望に抗する手段はゼロではない。思いつかな訳ではなかった。必要なのはその覚悟だけだが、それ自体も自分の中の結人の解釈が与えてくれるようだった。
扉を開く。
ルーティンと化した片良瀬の始末。
RTAもかくやというほどの無駄のない行動で先制し、反撃を躱し、一撃を与え、倒れたところに致命を以て撃破する。戦利品を漁る時間なんてない。
「トーコ!!」
「なお、え……」
朧とした瞳を向ける。
「ねえ。これは、悪い夢、だよね?」
頷けば世界は闇へ。沈黙もまた同様。
半端な同情など無意味だ。
やることは一つ。
「現実だ。結人は、死んだ」
「何を言って──」
「オレが悪いんだ、トーコ」
「なにを……」
「オレが結人を殺した」
「ちがうよ、殺したのは」
「違わない。この世界に悪い夢を持ち込んだのは、オレなんだ」
「え……?」
「あの夜にトーコもわかったろ。この世界は平和じゃない。神話めいたものが闊歩する怪物の巷だ」
「二人を守ろうと思って、力をつけようとした。多少はつけたつもりだった。けど、結局オレの努力は守るには及べない程度のものだったんだ」
「だから」
「だから……?」
「オレが悪いんだ」
「ちが、うよ……。悪いのは、直衛にも、そんな顔をさせるこの世界の方だから……」
怯え、恐れ、鈍り、声を絞り出していたトーコ。
だが、それが不意に切り替わった
「だから、悪いのはこの世界の方なんだ」
明瞭な発音。先ほどまでの感情を思わせない強い意志がある。
瞳を閉じる。何かに操られるような不恰好な動きで祈るように姿勢を取る。そうしてから、ゆっくりと片目だけが開いた。
爛々と輝くのは左の、醒めたような蒼い瞳。
まるでその隻眼だけが意思を持つように、左手、左足だけを使い動く。
影が形を持つようにして立ち上がる。巨大な手にも見えるものだった。指先とも思える部分から解けた糸のようなものが彼女の、動いていない右手右足に繋がると半身の意思を無視するようにしてそれが動かし始める。
「大丈夫。すぐに、夢だったことにしてあげるから」
稚気すら感じさせる声が、彼女の正気がそこにないことを明確に伝えている。
オレは手を握り込む。
このまま彼女と一緒に眠ってやることが救いなのか。だが、その次はどうなる。その次の次は。
オレの中にある結人は、次などない。今、救うのだと叫んでいた。
「これを夢にしてくれて、それじゃあそれを見せるトーコはどうなるんだ
オレに夢を見せて、それでトーコはどうなる?
一人きりで眠るオレを見ているのか?」
いいや、そんなのはお断りだ。
MQLの初期作はノーと言える人間が珍しい時代だったそうだ。今は意志は明確に、ノーと言いたいなら言うべきって世代の、更に向こう側がオレだ。
我は通す。それがスタンダード。少なくともオレにとっては。
それでダメなら、なんて考えたりはしない。
今ここにある気持ちが全てだ。繰り返し生きて死んで、この気持ちを抱えたまま感情が風化するなんておぞましいことを考えたくもない。
だから──
「──トーコ。望むならいつだって夢の中に入るよ。
けど、今はどうして結人がこうなったのか。
どうして結人とトーコが襲われたのか、晴らすべき何かがそこにあるのか。
オレはそれを知りたい。何かの企みがあるならそれを砕いて想いを晴らしたい。
眠るのは、それからじゃダメか?」
じつとオレを見るトーコ。そして、ゆっくりと口を開いた。
「夢に何もかも落とすのは、それからにしたいんだ。
そのときは望むままに夢の中でもどこでも、一緒にいるから」
……そうなるまでに、オレが彼女の絶望を晴らせてなかったら。これはレースだ。どうしてこうなったのかを知り、彼女が絶望を晴らすか、その絶望との共生を認められるかの。
何度も死んだオレとは違う。トーコは今喪失したばかりなのだ。それこそ感情の風化度合いは天地ほどの開きはある。
だから、彼女が嫌だというなら、彼女の見せる夢に落ちよう。
「直衛。約束、だよ」
「ああ。約束する」
闇が晴れていく。
ふらりと倒れるようにトーコ。
なんとかそれを抱き止める。
「カカかン動的ですナあ」
言葉や声というよりは雑音が声に聞こえる、シミュラクラの音バージョン。正確な言葉があるんだろうが、悲しいことにオレには大した学がない。詩織ならササっと答えを教えてくれたんだろうか。
いやいや、女の子を前にして別の女の子の話を考えるなんてびっくりするほど失礼だよな。
などと、悠長なことを考えながら音の出どころへと振り返る。
最速最短で倒したはずの片良瀬がそこに立っていた。
上顎から上は吹き飛ばしている。音が出ているのが奇跡みたいなもんだ。
それでも明らかにそれは『笑っている』ように見えた。
「何食ったらそんなに丈夫になるか聞きたいもんだね」
「ぎぎぎ、ぎうにうと、しりりりりあるですカねねえねえ」
「欧米かよ」
「かかかか」
くたばりぞこないめ、愛想笑いまでしやがるのか。
「おおおはなしするのも、たのしししいいですが、よよよ」
ごぽ、と音が立つと傷跡から肉で作られた苗のようなものが生まれ急速に顔面を構築していく。
骨こそないものの、肉だけで作った割にはそれなりに見事な顔面だった。
「失礼。喋りにくいもので。……用件は果たさねばなりませんねえ」
見ているだけなわけがない。
相手が喋るかどうかのタイミングでヘルハウンドを呼び出して炎を吐かせる。
その炎を受けて炭化しながらも余裕綽々と言いたげに相手がそう喋ったのだ。
ただの霊体であんな芸当ができるわけがねえ。
妄想というよりはもう少し具体的な想像。こんな状況でも廃人として脳内攻略本が答えをだそうとしている。
妄想から一歩出て、想像。その想像が的中しているなら今のオレに打てる手はない。
それに、現状でそこについて悩む時間もない。
トーコを抱き寄せて走り出す。
ちらりと結人の亡骸を見る。放っておくのは気が引けるがもう一人分を抱えるだけのキャパシティは、悲しいかなオレの両腕には存在しない。スパルタクスにに持たせることも考えたが、片良瀬が何をするかわからない以上、リスクを掴むことができなかった。
この状況でオレは人間性と人情よりも実をとった。そんなもんだ。そういう人間さ。けど、結人ならそれも許してくれるだろう。
それを見越してオレにトーコを守れと言ってくれるはずだ。
オレは往来へとひた走る。
「覚えてやがれッ」
負け犬の遠吠えは落日に染まっていることだろう。
それでも、死んではいない。
今はそれで充分だ。
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