第18話:弱音
ヤバかった。本当にヤバかった。
予想もしないエンカウントだった。死にかけた。というか生きているのは奇跡に近い。
トーコの覚醒と、トーコ自身の素質があったからこそオレは今も生きていられている。
死んでももしかしたらやり直せるかもしれないが、確証はないのならば、回避できる死は回避したい。
彼女を送り、結人のお茶の誘いを断ってまで帰宅した。
カレーを作って、そこでアドレナリンと緊張の糸が同時に切れた。キッチンの硬い床にへたり込む前に『部屋』に戻った。
今は神経痛めいたものでうずくまっている。
いや、何度か気絶したのだろう。
時計を見るたびに時間がそれなり以上に進んでいた。
ようやくそこで自覚した。矮小な自分を。
自分がくたばるのは構わない。けれど、他人が自分のせいで死んだり辛い目に遭うのは、どうしようもなく回避したい。
それは博愛精神なんかじゃない。自分のせいで誰かが死に、そこからくる自責の念に耐えられるほどオレは頑丈ではないことを理解しているからだ。
詩織を助けたいと思ったのだって、言ってしまえばそこが精神の源流であったのかもしれない。他人を助けるなどと、その考え自体が自惚れな気もするが。
ともかく、それを自覚して、恐怖していた。
次は助けられるのかと、今回の遭遇は不意のものだったが、これよりも難易度の高い戦いなど数え切れないほどMQLには存在しているのだ。
それを、オレは──
その苦痛を途切れさせるようにスマホが震えた。
0874が通知を知らせていた。
トーコだろうかと目を向けると、送り主の欄には詩織の名前が載せられていた。
◆詩織:詩織です。おはようございます。
◆詩織:あまり0874で他の人にメッセージを送ったことがなくて、失礼があったらごめんなさい。
◆詩織:今日明日と連休ですが、お時間をいただけませんか?
……正直なことを言えば、かなりありがたかった。
今は誰でもいいから、そばにいてほしいと思ってしまっていた。
誰でもいい、なんて失礼な話だ。詩織に失礼だ。そうした理性がオレを咎めながらも、オレは──
◆直衛:詩織、おはよう。実はちょっと苦しんでる。
◆詩織:大丈夫ですか?
◆詩織:何かあったのですか?
矢継ぎ早に詩織から連絡が飛ぶ。
素直に自分の今の惨めな精神状態を言えるわけがない。
◆直衛:カレーを作ったときに余ったジャガイモを食べたんだけど、もしかしたら芽が取り切れてなかったのかも。
◆詩織:お住まいを教えていただけませんか?
◆詩織:すぐに伺います。
こうなることはわかっていた。
彼女の愛は深い。深すぎるのだ。一部では詩織ママとまで言われるほどに彼女の母性は強い。
バッドエンドもまた、彼女は世界の歩みを止めるが、常に自分と共に、といった言葉を続けている。誰かの側にいたいと願う女であることは、よくよく知っていた。
だから、失礼な話だと思ったのだ。なんと言えば彼女がこちらを向いているかを、オレは知っているから。
そして、オレは負け犬であった。
結局のところ自分の弱さに負けて、住所を教えた。
それから一時間もしないうちに彼女が家のチャイムを鳴らしてくれることになった。
✘✘✘
我が家の玄関前に楚々とした身なりの美少女が立っている。
ブラウス、ふくらはぎ丈のスカート、カーディガン。それぞれが淡い色合いで揃えられている。メガネを掛けて、髪の毛をアップにしているのは変わらないが、髪の毛を纏め上げているのは可愛らしい簪のようなものだった。
「あの、……お久しぶりです」
0874では話していたが、こうして顔を合わせるのは確かに久しぶりだった。
学生の久しぶり、だからその辺りは数日とかせいぜい一週間二週間程度のものだとしても。若者の時間の流れというのは何より早い。青春という加速装置が付いていればなおのこと。
「来てくれてありがとう。さ、入って」
そうして中へと招く。
オレが来てくれと乞うておいてなんだが、正直なことを言えば男の部屋に入るのはとてもよろしくないとは思うが、それについてはこっちがちゃんと自制すればいいだけの話だ。詩織のご家族の方。ご安心ください。今のところは。
「大丈夫ですか?」
「あー、体調不良? あはは、今のところは大丈夫だ」
オレの返答にひとまずは安心したように淡く微笑むが、すぐに、
「台所、お借りできますか?」
彼女の手にあるものは袋。幾つかの食材が顔を出している。
「ジャガイモの芽の毒を甘く見てはいけませんよ」
食べるな、捨てろと言うわけではないが、諭すように。
「まあ、大量には作っていないからタッパーに移したよ。どうするかは後で決めようと思ってた。台所は好きに使って」
「承知しました」
そうして彼女はテキパキと料理をしていく。
部屋にある器を使っていいかだとか、調味料の使用の有無だとか、色々と聞いてくれるので全て好きにしてくれといった。
「自分の家だと思って使っていい」
と口が滑ったのはマズかったかもしれない。非常に深みのある優しい微笑みを向けられた。
やがて出てきたのは幾つかの小鉢とおかゆ。
若者が作るもの、若者が食べるものと考えれば実に地味ではあるが、オレからすると輝いて見える。家庭料理っていいよな……。ハイカロリーなチェーン店のものも嫌いじゃないが、今はこれが愛おしい。
「ありがとう、いただきます」
「はい」
そうして食事が進み、終わり、後片付けをして(彼女がしようとしたが、健康になったからと座っててもらった)、ようやく食後となった。
彼女にはせめてものお礼に紅茶を差し出す。イル・ミリオーネという銘柄で、独特の味わいと不思議な青色を湛えた紅茶だ。紅なのに青ってのもなんとも言えないが。
砂糖不使用なのにどこか甘さを感じるのが不思議だが、うまいのは間違いない。
以前のオレが大好きだったもので、こちらの世界に来た記念に購入したものだ。
「わ、……不思議な味ですね。でも、美味しい」
柔らかく微笑む詩織。
よかったよかった。
「こちらこそありがとうな。正直、助かった。料理めっちゃ上手いんだな、詩織」
「そう両親に教えられたもので。それが役に立ってよかったです」
さて、困ったぞ。
人が側にいてくれると、オレを苛んでいた神経痛はなりを潜めたが、次は何をすればいいかがわからない。
ギャルゲーの類はやってきたが、この状況では物の役にも立たない。あれはほぼ自動で主人公が動き、大抵は二択か三択問題に成功するだけのもの。現実とは違うのだ。
「急に押しかけて、ごめんなさい。でも、どうしても聞きたいことがあったんです」
「こっちこそごめん。別の機会にデートに誘うんじゃなくて、明日どうかとかって聞けばよかったよな」
「そ、それは」
デートと直球で言われると恥ずかしいのか視線を逸らす。
へへへ。アドバンテージ稼ぎなら負けねえよ。こすっからくポイントを稼ぐなんてのはMQLでジリ貧の果ての勝利を拾うための基本的な戦術だぜ。
「……でも、あの日にすぐ誘ってくれないから、押しかけてしまいました」
負けました。
アドバンテージ稼ぎなんて消し飛ぶ威力で殴られました。すみません。美少女にこんなこと言わせたら必敗なのは当然なんだよな。
「デートもしたいです。けど、その、あの日のことをもっと知りたくて」
そりゃあそうだよな。
自分に何があったか、そもそもあれはなんだったのか。
今まで生きていた世界とは別の法則が存在することを教えられれば誰だって困惑する。冷静に日々を過ごせる詩織がとんでもなく精神力が強いだけだ。
正直、いつかは詩織に伝えるべきことではある。
すぐさま彼女に話さなかったのは明確な理由があった。
MQLにおいて、彼女はボスであるが、味方としても登用できる。
ただ、ボスと違い、味方として扱う彼女は名前がある一般人程度のステータスなのだ。
そこそこ強火なキャラ愛がなければ使えない。
勿論、多少は恩恵などもあるが、それでも一線級のメインたちと比べると心許ないどころではない。
通常の難易度であれば幾らでも運用方法は作れるが、ことルナティックとなれば話は別だ。
飛び抜けた何かを持たない限りは死亡リスクがリターンを上回る。
味方が誰もいない状況であれば詩織に色々と相談し、怪異たちとの戦いに協力してもらうのもやぶさかではなかった。
だが、結人やトーコなどの、前述するところの『一線級』が味方になってくれそうな状況となれば彼女の命をあえて脅かす必要があるのかという方向に考えはシフトしてしまう。
身勝手な話だとは思うが、内心で誤魔化しをしたところで意味もない。体も心も正直なのが美徳、ってことにしておいてほしい。
思考は早い方だとは思うが、オレの結論が口から出るよりも先に詩織の言葉が早かった。
「あの日から、変なんです」
「変って?」
「笑わないでくださいますか?」
「どんな不思議な話だって笑いやしないよ」
その返答は彼女にとって満足のいくものだったようで、かすかな微笑みを見せてくれた。
そうして、側に寄ってきた彼女は自分のスマホから一つの画像を見せてくれた。
小学生高学年の彼女のものだろう。儚げな美少女だ。ロリコンの烙印を押されぬためにも感想はあえて残さないことにする。
で、入院していることはわかるが、それ以上の情報はない。
「いくつか、複雑な手術をして今の私があります。そのときに」
と、別の画像には手術痕と思われるものが幾つか並べられる。年頃の少女の体にあるものだと思うといたましいものだという感想が浮かんでしまう。たとえその傷が彼女を救った物であったとしても。
「この手術痕はあたりまえの話なのですが、残るもの、ですよね?」
「ああ。そりゃあ、まあ」
「でも」
そういって彼女がブラウスのボタンを少し外す。
ワオ。センシティブ。
とは流石に言える雰囲気ではない。見えたのは、まあ、うん。センシティブか。滑らかな白い肌が見える。
ただ、それはおかしなことでもあった。
「手術痕がない……?」
「はい。あの夜のあと、傷が消えたんです。それだけじゃなくて」
少し前に自分のために料理をしているときにちょっと気を抜いて指先を切ったものの、それもまた瞬く間に治ったという。
「あの夜が、関係しているんだろうなって思って」
「ああー……なるほど」
理由は明確だった。
彼女の予想の通りに、あの夜が関係している。
彼女がスパルタクスを目覚めさせたあの夜に。
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