第17話:狼にあらず
彼女を抱えつつ、0874を使って連絡を取る。トーコの兄である結人にだ。
『トーコが眠っちゃったから運びたい。
タクシーを使うからどこに向かえばいいか指示してもらえるか』
と送れば、すぐに既読が付いた。
住所が送られて、それから、
『ありがとう。トーコは大丈夫? 病院じゃなくてもいい?』
『ちょっと話し込んじゃって、長話で疲れたみたいだから。こんな時間だから二人きりでいるのはよくないだろうしさ』
『配慮ありがとう』
タクシーを広い、指定された住所へ向かう。
中々お高そうなマンションだった。
兄妹二人暮らしをするからセキュリティはしっかりしたものを、という親の考えがあるとかなんとか。その辺りから懐事情に余裕があるご家庭なのだなあと見てとれる。
移動中にトーコにも0874で伝言を残しておくことに。
『今夜あったことは夢じゃない。けど、心配させないために他の人に相談はしないほうがいいと思う。何がなんだかわからないと思うから、頭がスッキリしたら連絡してほしい』
力に目覚めた以上、攻略チャートに彼女の存在を含めるべきだろう。
戦いを求めないのであれば、どうにかして戦いを回避する方法を、
彼女が戦うことを選んでくれるのなら、この環境から生き残るための方法を、だ。
トーコはこの世界に生きる一人の人間だ。オタクのオレが考える彼女の反応が返ってくるとは限らない。
タクシーがマンションの前に泊まり、電子決済を行って降車。
出入り口には結人が待っていてくれた。
「迷惑かけちゃったね」
「そんなことないさ」
人様を運ぶなんてことは慣れていないのでお姫様抱っこくらいしかやり方がわからず、そうすることに。
部屋まで運び、ソファに彼女をそっと降ろす。
「ほんと、ご苦労さまでした。助かったよ」
結人の体躯はオレよりも細い。筋力もそれに比例するだろう。
彼女を安定して運ぶのならオレのほうが適していただけのことだった。
「何か飲んでいくかい」
「あー、いや、今日は戻っておくよ。昨夜のカレーがそのままだからダメになる前に冷蔵庫に入れないと」
「自炊するんだ」
「自炊って言ってもカレーだぜ? しかも作り方の問題でカレー味の肉じゃがに近い」
などと言いつつその場を辞した。
本当はカレーを作っていたわけではないが、言い訳には程よいだろう。
オレは帰りにそのウソをせめて真実にするために肉じゃがの材料によって生み出されるカレーを作ることにした。よく言えば和風カレーだ。よく言えば、だが。
✘✘✘
深夜二時。
トーコが目を覚ました。深い眠りだった。自分が今どこにいるかの把握を終えるとリビングの机に突っ伏して寝ている兄、結人の姿があった。
あれは夢だったのか。
であれば、どこからが──。
時間を確認するためにスマホを手に取る。見やると0874の通知があった。
『今夜あったことは夢じゃない。けど、心配させないために他の人に相談はしないほうがいいと思う。何がなんだかわからないと思うから、頭がスッキリしたら連絡してほしい』
直衛からの連絡。夢ではない。……非現実的なものだったそれが現実だったと突きつけられても驚きがない。どちらかといえば、驚きがないことのほうが驚きだったかもしれない。
喉の渇きを覚えたトーコは部屋から出た。
結人は心配だと強く念じる感情を押し殺して、
「ああ、起きたんだね」と。
つとめて普段通りの声音で。
それが逆に心配させてしまったのだろうとトーコに理解させた。
申し訳ない気持ちがひたすら溢れる。ただ、何があったかの説明はできない。現実感のあった状況であっても、現実味はなさすぎたからだ。
「直衛が連れて帰ってくれたときは驚いたよ」
「うん、二人で遊んでたら楽しくて気絶しちゃったよ。迷惑かけちゃったなあ」
「今度、何かしらでお礼をしないとだね」
冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、キャップを捻りとると結人はそれを妹へと手渡す。
「直衛なんだけどさ」
「うん」
「あー……」
トーコも、兄がそのように言葉を留めることには慣れている。
彼は相手のことを察する能力に優れている。
それゆえに、一種の超能力めいて相手の心を理解してしまう、そんな才能があった。
言葉を留めるのは大抵の場合、相手のことを明け透けに見て、その中身を無作法にも言いかけたときと決まっていた。
「そこまで言ったんだから言ってよ。直衛のことなら大丈夫でしょ」
最近、二人の間に新たな共通の話題と認識が生まれていた。
鬼伏 直衛という青年についてだった。
トーコも結人という美青年が兄であるからこそ、審美眼についてはそれなりに辛口な部分がある。勿論、それで他者を評価するようなことを他人に言ったりはしないが。
ともかく、そうした審美眼からしても直衛は美青年というカテゴリからは外れている。
だが、彼には妙な近づきやすさと安心感があり、同時に彼自身も身内のように雑に扱われることを喜ぶような、そんな一面を見抜いていた。
だからこそ、直衛のことなら大丈夫、であった。
何を言われようと、それが陰口めいていようとも、直衛はさして気にしないだろう(もちろん、二人はそんなことをする人間性を持っていないが)。
彼のことだから、
『オレのこと話した? どんな内容? 気になるじゃん。悪口でもなんでもいいから教えてくれよ〜。二人がオレについて話した内容気になるって』
などと言うだろうなと言う直感があり、そこについては正解である。
「トーコのことが好きだろ、直衛って」
「あー、えーっと……」
思わず視線を外す。
よくよく理解している。
何せ初対面がアレだ。年頃の若者に意識するなという方が難しい。言うが早いが、トーコ自身は既に直衛に対して一定以上の好意は持っているのは自覚するところであった。
「まあ、そう……なんだと思う」
そして、その好意の在りどころの一つは彼が自分を好いてくれていることでもある。
人はどうしたって好いてくれている人間の評価は甘くなりがちだ。
「だからさ、何もしないで──それどころか宝物を運ぶように家まで運んでくれたことが、なんていうんだろ。安心した。本当に信頼していい相手なんだって思えたんだ」
「ふうん。一定以上踏み込まれるのが嫌いな結人氏がそんな評価を下すんですなあ」
「茶化すなよ。トーコこそどうなのさ。夜にお散歩なんて、ロマンチックなことじゃないか」
表情こそ崩さないが、内心であの光景がフラッシュバックする。
戦い。
怪物。
自らの力。
そして、勝利。
あれは、なんだったんだろう。
これからも続くことなのだろうか。
それを思う。
(ううん。違う。私はどうあれ戦えたんだと思う。直衛がいたから勝てたのかもしれない。
あんなものが日常の裏側にいるなんて知らなかったけど。
……でも。
直衛と共にあれば、裏側の、ああ言うものからみんなを──結人を守れるかもしれない)
MQL本来では彼女は一人で戦い、一人で生還し、一人で覚悟を決める。
そうしたストーリーがある。事前覚醒ルートと呼ばれるもので、多くの主要な人物に与えられているファンディスク的シナリオだった。
それは一種の縛りプレイ的なモードであり、世界が本格的な『本編』という異変に入る前からの物語になる。
その影響から手に入るものや経験値の獲得ルートなどが限定的となってしまう。
ただ、このルートでしか見れない本来そうではない性質のキャラのヒーロー的側面が見れたりとキャラクターのファンにとっては喜ばしいものであった。
もっとも、MQLに実装されているということは美しい活躍を霞ませるほどに数多くのバッドエンドが用意されているわけだが。
(今まで、血の繋がりのない私をずっと守ってくれた結人を、次は私が守るんだ)
決意を固める。
本来の事前覚醒ルートと違うことは、彼女には強力な助っ人がいることだった。
鬼伏 直衛は廃プレイヤーである。その知識と実力は折り紙付きである。
様子のおかしな世界を進むための確かな灯火と言えた。
「──あはは。ロマンチック、だったかなあ。
でも、ある意味で親密にはなった、かな」
「ある意味で?」
「ロマンチックなことはなかったからさ、とりあえずは友人としてこれからも一緒に頑張ろう……みたいな話だけだよ」
「ふうん、『とりあえずは』ね。……じゃあ、これからも応援していいのかな。二人を」
結人は知っている。トーコの好みの男性は王子様であることを。
直衛の顔立ちは確かに王子様と言えるような甘いルックスではない。
だが、出会いからここまで、優しさと紳士さで接してきた彼が王子様相当だろうと判断することは無理からぬことではない。
「あんまり強引に策を練って直衛を怖らがせないでよね」
「怖がってくれるタイプかなあ」
「面白がりそうだよね、確かに」
「でも、逃げられないようにはしないとね」
「悪い顔してるって」
苦笑するトーコに、笑って応じる結人。
朝が白む頃にもう一寝入りしておこう、とどちらともなく言って解散となった。
幸いなことに今日が休日であったからこそ、トーコも削りに削られた体力と精神力を回復させるには十分な休息が取れた。
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