第二話 第五章 七日目
朝、目が覚めた瞬間に、今日だと思った。あと17時間。
アラームより先だった。カーテンの隙間から光が差し込んでいた。一月の朝の光だった。六日前と同じ光だった。あの朝、通知を受け取った。今日、それが終わる。
布団の中で、しばらく動けなかった。
行くべきか、という考えが頭の中にあった。いつの間にかそこにあった。川口がどこで執行されるのか、僕は知らなかった。システムに場所は表示されない。ただ、川口の自宅は知っていた。中学の時、何度か集団で移動した記憶がある。川口が中心にいて、僕はその端にいた。今もあの場所に住んでいるかどうかはわからない。でも他に手がかりはなかった。
行って、どうする。
答えは出なかった。出ないまま、時間が過ぎた。
朝食を食べた。味はわかった。それだけだった。母親が今日は何か予定があるかと聞いた。特にない、と答えた。父親は早くに出かけていた。食卓に母親と二人で座って、テレビの音を聞いていた。
部屋に戻った。教科書を開いた。読めなかった。
スマートフォンを手に取った。アプリケーションを開いた。画面には執行予定時刻が表示されていた。
午前零時一分。
時計を見た。まだ午前十時四十分だ。
外に出た。いつもと変わらない景色の中で、大きく吸い込んだ空気だけが僕の肺をずっしりと占領した。
夜、母親は父親の帰りを待たずに夕飯を食べるよう僕に促した。
いつもと同じ。僕以外は。
風呂に入っても、部屋で教科書を開いても、同じような考えが頭の中で繰り返す。
気がついたら、コートを着ていた。
玄関を出る瞬間、自分が何をしようとしているのか、まだはっきりとはわかっていなかった。ただ足が動いていた。昨日の夜、川口のナイフを見て体が後ずさりしたのと、同じような感覚だった。頭より先に、体が決めていた。
自転車に乗った。中学の通学路と同じルートを。冬の街が流れていた。何も変わっていない街だった。
川口の家の近くに着いた頃、スマートフォンが震えた。
通知だった。
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指定執行が完了しました。
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それだけだった。
僕は途中で自転車を降りた。
川口の家まで、歩いて行った。冬の空気が冷たかった。人通りは無かった。住宅街の細い道を歩いた。角を曲がった。
その場所は、何もなかった。
ガードマンはいなかった。規制線もなかった。ただの住宅街の路上だった。どこにでもある、冬の夜の景色だった。猫が一匹、塀の上に座っていた。僕を一瞥して、興味をなくしたように視線を逸らした。
僕はしばらく、その場所に立っていた。
ここだったのかもしれないし、違うのかもしれなかった。確かめる方法はなかった。でも何となく、ここだと思った。それだけだった。
正しいことが、起きたはずだった。
数年分の何かが、今日ここで終わったはずだった。でも何もなかった。世界は昨日と同じだった。路上は静かで、空は白く曇っていて、猫はまだ塀の上にいた。
膝から力が抜けた。しゃがみ込みそうになって、堪えた。
頭の中で、何かが静かに崩れる音がした。音ではない。でもそういう感覚だった。
そうされることが当たり前だと思っていた。正しいことをしたと思っていた。十八歳になればこの重さが消えると、ずっと信じていた。
消えなかった。
消えると思ったそれは、気付かないうちに賞味期限が切れていた。
川口颯太は、もういない。それは事実だ。でも僕の日々は続いていく。冬の空気は冷たいままだった。家に帰れば母親がいて、明日も学校があって、来月も再来月も、時間は流れていく。
何も変わらなかった。
——夢にまで見た世界のはずなのに。
ただ一つだけ、変わったことがある。
この制度を、お守りのように握りしめていた手が、今朝から震えている。正しいと思っていたものの輪郭が、ぼやけ始めている。制度を初めて知った中学一年の秋、窓の外で枯れ葉が舞い上がって消えた。あの瞬間に感じた光のようなものが、今日ここで、静かに消えた。
僕は立ち上がった。
来た道を戻った。
猫はもう、塀の上にいなかった。




