第七話 第六章 帰還
星良と並んで廊下を歩いた。
星良は少し前を向いたまま歩いていた。足取りはしっかりしていたが、どこかまだ夢の中にいるような、そういう歩き方だった。
「外に三人いる」と暖人は言った。「俺の仲間だ」
星良は頷いた。言葉は出なかった。
庁舎の入口を出た。
夕暮れの光が広がっていた。空がオレンジと紺の間で揺れていた。これまで何度も見た空が、今日はいつもと少し違うような気がした。
ベンチに三人がいた。礼が最初に気づいた。立ち上がった。拓海も立った。ミンミンも立った。
暖人と星良が近づいた。
誰も最初は何も言わなかった。
礼が星良を見た。星良が礼を見た。
「お久しぶりです。御手洗礼です。覚えてますか?」礼は言った。「会いたかったです」
星良は小さく頷いた。
拓海が言った。「有村拓海です。いろいろ、ありがとうございました」
星良は少し首を傾けた。意味がわからないような顔だった。でも拒まなかった。
ミンミンが星良を見た。
暖人もミンミンを見た。
ミンミンは星良を見ながら、少しだけ微笑んだ。目が笑っていなかった。暖人はそれに気づいたが、何も言わなかった。
拓海がミンミンを見た。ミンミンはもう暖人の方を向いていなかった。
「帰ろう」と暖人は言った。「今日はそれぞれ帰ろう」
――
星良の自宅には、暖人が付き添った。
インターフォンを押したのは星良自身だった。
少し間があった。
ドアが開いた。
五十代の女性が立っていた。星良の母親だった。最初、ただ立っていた。星良を見ていた。
「……せら?」
声が震えていた。
「ただいま」
星良が言った。かすれた声だった。
母親は何も言わなかった。ドアにもたれるように崩れた。手で口を覆った。
奥から足音がした。父親が出てきた。星良を見た。固まった。
「星良」
低い声だった。それだけだった。
三人はしばらく玄関先で動かなかった。夕暮れの光が斜めに差し込んでいた。
星良が一歩、中に入った。
母親が星良を抱きしめた。父親が二人の背中に手を置いた。
誰も何も言わなかった。
言葉はいらなかった。
――
翌日の昼、四人が暖人の部屋に集まった。
星良も来た。昨日より目に光があった。でもまだどこかぼんやりしていた。自分がどこで何をしていたのか、断片しか思い出せないと言った。
「無理に思い出さなくていい」と暖人は言った。
星良は頷いた。それから、スマホを取り出した。
「嘆願書、出します」
誰も止めなかった。
星良はアプリを開いた。手続きを進めた。送信した。
少し待つと、通知が来た。
「指定者より嘆願書を受理しました。執行を停止します。指定対象者:古賀暖人」
部屋が静かだった。
礼が小さく息を吐いた。拓海が天井を見た。ミンミンは目を伏せた。
暖人は星良を見た。星良も暖人を見た。
「ありがとう」と暖人は言った。
星良は少し困ったような顔をした。
「なんで私がここにいるのか、まだ全部はわからない」
「大丈夫だよ」暖人は言った。「これから、一緒に思い出せばいい」
星良はまた頷いた。今度は少し、笑った。
拓海が言った。「これからどうする」
礼が答えた。「有識者会議はまだある。制度もまだある」
部屋の空気が少し変わった。
「PASSは続ける」と暖人は言った。「星良、一緒にやるか」
星良はしばらく考えた。
「うん」
短く、でも迷いなく言った。
五人になった。
――
その夜、どこかの部屋で電話が鳴った。
重厚な机。万年筆。紙の束。
受話器が取られた。
「はい」
声だけがあった。
「……そうか」
短い返答があった。
「PASSが、市来の洗脳を解いたか」
沈黙があった。
「構わない」
受話器が置かれた。
万年筆が動き始めた。紙の上を走った。
何かが、書かれた。
その紙が何であるか、まだ誰も知らなかった。




