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追憶のタムナジア  作者: Aster/蝦夷菊
【2】劇場の演目記録
18/38

縫い合わせる糸3

 この部屋へどうやって来たのだろう。いや、地下の構造も知らないのに、この疑問は不自然だ。


「……ワトソンさん、助けるというのは」


 僕の問いに、目の前の男の子──ワトソンは胸元で手を組みながら扉から離れ、こちらに近づいてくる。それから僕の袖を小さな手で掴んできた。


「助けて欲しいの。お姉さん、僕達と違う。あの人と違う、大人な人だから……だから、僕達を助けて欲しい」


「…………なるほど。事態は急を要するのですか?」


「僕は、今度大人の人達に迎えに来てもらうって言われた。僕はあの人の思惑を知ってる、だからきっと……」


 殺される。そう言いかけて、口をつぐむ。僕はもう一度身体を起こし、ワトソンを見る。真っ直ぐにこちらへ向く双眸は、僕への期待と不安が混ざり合っている。僕は────、


「おや、駄目じゃないか。医務室でねかせてるお姉さんに、迷惑かけちゃ……ワトソン、お姉さんにごめんなさいは────」


「…………」


 僕の方を見て、戻ってきた男が目を見開く。


「ちょっ、起きちゃ駄目だって……!」


『シア、男の人は今鍵を持ってる。左の胸ポケットだ!』


『勢いつけて飛ばしてください! 疑問が確証になるのはもう時間の問題ですから、今持たれたって問題ありません!』


 シロとクロの声に合わせ、僕はワトソンの手を掴んで引き寄せる。それから男を突き飛ばし、それと同時にポケットから鍵を取り出した。男は机の角に頭をぶつけ、すぐに閉めた扉によって隠れる。

 一応だが鍵をかけ、駆け出す。


「お姉さん、頭の怪我は──」


「心配には及びませんよ。既に治しましたし」


「でも──あっ!」


 ワトソンが転ぶ。僕は考える間もなく彼を抱え、また走る。



 ※ ※ ※ ※ ※


 しばらく走っていると、パチパチという何かが弾けるような音と、焚火の煙い匂いがする。僕は嫌な予感がして、走る速度を上げた。

 ワトソンは目を瞑り、僕の服を掴んでいる。彼の指示に従いながら、僕は一つの部屋の扉を勢い良く開ける。そして、眼前の光景に足が止まった。


 子供達が逃げる足音と、恐らく僕の入ってきたのは廊下に続く階段。そして────、


「遅かった……」


 ワトソンが力の抜けた僕の腕からゆっくりと降り、立つ。


「お姉さん、名前は?」


「シア。……シアです」


「シアさん、あの人の使っている部屋には裏口があるのを見たことがある。そこから逃げよう────」


 熱気を目の前に感じて、僕の顔が引き攣っている。ワトソンは僕を見て、手を握ってくれた。


「大丈夫、他の子達はここに火を放って、防火の道具がある部屋に逃げ込んでる筈。そこに行って、みんなを連れて────」


「────っ」


「シアさん?」


 今、理解した。

 シロとクロから、地下の様子を地図のように表した情報を見た。そして、気配の位置も。


────真後ろに、何かが居る。

 人数からして、あの男なのは間違いない。が、その気配の形が、歪なものであることに背筋が凍っているのだ。


 熱いのに、寒い。


「…………ワトソンさん」


「……うん」


「目を瞑ったまま、僕の手を掴んで離さないでください」


 僕は微笑み、ワトソンの肩に手を置く。


「──確かに僕は、貴方達を助けに来ました。しかし、力を使うにはちょっとした条件がありまして」


 振り返って、奥に見えた眼光を睨みつけ、ハサミを手に持つ。


「神様って目に見えないでしょう? 僕の力も、視線があると使えないんです」


 嘘を吐く。

 優しい、嘘を。


「…………」


 ワトソンは不安そうにこちらを一度見てから、静かに瞼を下ろした。


 男はみずみずしい音を響かせながら、こちらに近付いてくる。顔の無い、スラリとした体型の人型が。長く鋭い爪と、胸元にある穴と、その中で蠢いている大きな眼球が、僕を────見た。


「貴方も、目の多い場所では力の使えぬ神なのですね。それも……汚れてしまった」


 神様、か。


 髪飾りに手を添え、霜光の光が舞う。それは人の形を取り、僕と全く同じ形の人形になった。

 人形はワトソンの手を握り、こちらを見てウインクする。


『頑張ってくださいね、シア』


 僕はハサミをクルリと手の中で回し、構えて────足裏で強く地面を蹴った。


 怪物の眼球目掛けてハサミの切っ先を向け、振りかぶった腕と身体との間にできた隙間を抜けようとして──、


「わっ」


 後ろに飛ばされる。何が何だか分からないまま、僕は一瞬感じた痛みに、そのよく知っている痛みに、瞠目して叫びそうになった。


「──────っ!?」


 階段にぶつかる。背を打った。全身が痛い。熱い。肉の内側まで焦がされるような痛みがずっと蝕んでくる。


 唇を噛み、血が出るのも厭わずに立ち上がる。顔の右側が焼け爛れているのが分かる。足も、熱が収まらず体の中を駆け回っていた。

 ハサミは──怪物の胴を深く切り裂いて、眼球からは大きくずれてしまっている。そして、立ち上がったはずの体が、視界が、低いままなことに喉を鳴らした。


「────」


『シア!』


 クロが叫んでいる。

 肩から胸にかけて、ざっくりと切られていた。


──昔からの悪い癖だ。嘘には慎重になるくせに、僕は大胆な行動をしてよく失敗する。


 ハサミを持ち直す。金属は熱されると全体が熱くなる。故に、焦げた手袋から熱が伝わり手がまた痛む。チクチク、ジリジリと。


 怪物はゆっくりと、ワトソンの方を見る。瞬間、僕の身体は無意識に動いていた。


『シア、アイツ顔に力貯めてるぞ!』


「っ、届いて──!」


 ハサミを広げ、ネジを無理くり壊してその二つを投擲する。


 そのまま、僕は爪を立てるようにして手に力を入れ、怪物の腕にしがみついた。怪物は僕を振り下ろそうとして、もう片方の腕を振りかぶり僕に伸ばす。が、


「…………っ、形勢逆転!」


 ハサミの片方が眼球へ刺さり、もう片方が伸ばした腕の爪を全て落とす。


 痛みに悶えて暴れる怪物から、眼球のハサミを抜き、と同時に腕から降りて首元を横へ一直線に引く。


 怪物はよろめき、その隙を狙って後ろから蹴り飛ばした。


「お返しですよ」


 火に触れた瞬間、怪物は霧散していく。歪んだ液体を撒き散らしながら。僕はそれを追い、炎への恐怖心も忘れて、怪物に覆いかぶさるようにして眼球をもう一度刺した。そして、もう片方の腕の爪も削ぐ。




「ふぅ……」


 糸を解くように、人形を消す。途端に力が抜け、僕は膝をついた。

 手から感覚の無くなったことに驚いたワトソンが、思わず目を開けて、こちらに気付き近付く。そして、肩を触ろうとしてその手を止めた。


「…………怪我がひどい、治さないと」


「いえ、大丈夫ですよ。腕については何もできることはありませんが、少なくとも顔や足、肩の傷は自分で治せますから。それよりも……子供達の居る部屋に案内してください」





 ※ ※ ※ ※ ※


「本当にありがとう、シアさん!」


「ありがとうございます、おかげで化物に殺されずに済みました!」


「どういたしまして」


 僕は子供達とワトソンと一緒に裏口から外に出た。ワトソンが街までの道を覚えているというので、僕は彼に子供達を任せることにする。ちなみに、この森には危険は無い。それも男が子供を脅すための嘘だった。

 僕は彼らと別れてからすぐに帰らず、教会へ足を向ける。


「……ダンテさん、そこに居るんでしょう」


「お見通しですね、貴方には」


 教会の入り口から、ダンテが出てくる。しかしその姿は神父の服でなく、神秘的な白い服に見をまとう、神だ。


「貴方のご希望どおり、貴方の領域を侵し、貴方への信仰心を消して人の生き血を啜る祟り神は消しました」


「……嘘を吐いてしまい、申し訳ありませんね。シア様は、嘘がとてもお嫌いでいらっしゃったのに」


「いえ、良いんですよ」


 思えば、ワトソンも嘘をついていた。

 僕も、ずっと嘘をついてきた。それは他人へのものでなく、自分へのものが主だ。正直であることで、嘘を許さんとすることで、僕は自分の奥底にあった心に嘘を吐いていたのだ。


 ワトソンは、最初から祟り神とあの男、そしてこの教会との関係を知っている上で自ら祟り神と接触した。

 彼の名乗ったそれは、神化者名なのだ。ワトソンとくれば、彼の行動の理由は“誰かに頼まれたから”ということになる。そう、シャーロック・ホームズが、彼に調査を頼んだのだろう。


 これで、嘘という壁を乗り越えられたのかは分からない。が、少なくともトラウマの一つは克服出来たかもしれない。


『シア』


「……帰りましょう。ダンテさん、またいつか」










「…………ふふ。嘘つきですね。そして、とても鋭い視線をお持ちのよう────」


 ポトリと、ダンテの首が落ちる。


「だ」


 糸の細く白い光が、木漏れ日の暖かさに反してとても冷たく感じられた。

 その糸を、ライツェアが細めた瞳で見つめ、指で切る。


「……祟り神に侵されたなら、元々いた神も正気なままである筈はない。あぁダンテ。神の曲のごとき禁忌を起こさずして神化者となった貴方に、もう一度チャンスをあげましょう」


 暗い瞳が瞬きすると共に、ダンテから生気が失われ、代わりに彼の遺体が気持ちの悪い異形になり果てる。そして、ライツェアが消えた。


「嘘つきのお話は、とても(わたくし)には書きづらく、複雑になるほど思考の疎かさが見え見えになる。申し訳ありませんね」

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