14:瘴気の話とマリアンさんの魔法
「えーっと、それで話しを戻して燃費の話ですね」
話しが脱線してしまいましたし、マリアンさんが目を閉じ考え込んでしまったので、私は取り繕うよう笑ってから話しを続ける事にしました。
「まず瘴気の浄化についてですが…」
話の内容としてはマリアンさんの浄化時の燃費の悪さの理由についてなのですが、そもそもラークジェアリー聖王国とアインザルフ帝国では聖女の魔法についてかなり乖離があるようですし、どこから話していきましょう?
両国の魔法の差異を考えると前提条件から擦り合わせた方が間違いがないと思うのですが、あまりにも基本的なところから話すと馬鹿にしているのかと思われそうだと少し悩んでしまったのですが……やはりここはわかりやすさ重視で、ラークジェアリー聖王国での瘴気の扱われ方と言いますか、一般的なところから話す事にしました。
「もしかしたらラークジェアリーとアインザルフだと考え方が違うかもしれませんが…」
私はアインザルフ帝国では別の解釈がされているのかもしれませんがという前置きをしてから、まずはラークジェアリー聖王国では瘴気がどういう物かというところから説明を始めます。
まず瘴気というのはこの世界に満ちる負の力で、これは生きとし生けるモノの負の面に微量に含まれている何か悪っぽい力だとされていました。
この辺りは何かフワッとした説明になるのですが、ラークジェアリー聖王国でも瘴気が先か悪が先かという激しい論争が巻き起こっていて、その結論はまだ出ていません。
ただ確実に言えるのはちょっと魔が差した時や何かよからぬ事を考えた時、酷い例を挙げると憎悪に囚われて暴れたくなってしまった時など、いつもならそんな事をしないような人が豹変してしまった時はだいたい瘴気が悪さをしているとされていました。
そしてその時に漏れ出す程度の瘴気なら自然に浄化されるのですが、戦乱やら災害やらの何かしらの要因で大量発生して許容量を越えてしまうと溜まり、澱み、世間一般的で瘴気と呼ばれる物が出来上がります。
この何処に発生するかわからない瘴気を一カ所に集めて効率よく浄化しようとしたのが「門」であり、その国家安寧の為の浄化の任についたのが大聖女なのですが……建国時期の資料は散逸しているところが多く、実はよくわかっていません。
分かっているのは何百人もの偉大な大聖女達が門を浄化し、聖女達が瘴気を浄化して回っても全ての瘴気を浄化する事は出来ず、その為「何かしらの理由で瘴気が増えているのでは?」という着想から色々な人が研究し、負の感情瘴気論が導き出された事です。
とにかくそうして生まれた瘴気は触れた生き物に大きな影響を与え、瘴気を蓄えてしまった動植物というのが一般的に魔物と呼ばれる存在で、その上位種として瘴気そのものが集まり、何かしらの概念を取り込み形作ったのが魔獣や魔竜のような魔**と呼ばれている特別な個体です。
彼らはその負の力から来る渇望を癒す為に正の力を持つ動植物、つまり人間を含む生き物を襲うという習性があり、魔物達が人間を執拗に狙う理由だとされていました。
これらの魔物達を倒すのに聖女の力が必要だとされているのは、人間が扱える力の中で最も純粋に正の力を持っているのがマナであり、これと比べると魔力は物を壊そうという破壊寄りの力が強く、つまり負寄りの力なので完全に相殺しきれず完全に倒す事は出来ないとされています。
という事を出来るだけわかりやすくマリアンさんに語ってみたのですが、伝わったでしょうか?
「そういう訳で、マリアンさんの場合はいつも使われている結界を使って浄化するのが一番効率が良く、一気に広範囲を浄化できると思うのですが…どうでしょう?」
マリアンさんは常時必要最低限の結界しか張っていないので出力を上げる必要はありますが、もう少し強度を増やせば問題なく浄化は出来ると思いますし、その方が断然楽だと思います。
というよりアインザルフ帝国で常時使われている浄化の聖印が必要な場合と言うのは本来ドラゴンなどの上位種を浄化する場合とか、辺り一帯が瘴気に侵されていて一気に浄化したいだとか、例外的には身体強化しか出来ない聖女が体外にマナを出すために使うものです。
浄化の聖印の多くはそういう大規模浄化を前提にしており、体の外に無理やりマナを放出させるような術式が多く、狼や熊などの魔物の浄化に使うにはかなりの過剰出力となり、効率が悪いです。
「すみません…瘴気が負の力だという事を初めて知りましたし、その、結界と言うのも…?本当にそんな事が出来るのですか?」
マリアンさんが何か可笑しな事を言っているのですが、これも両国の魔法知識差によるすれ違いなのでしょうか?
「揶揄われている訳ではないのですよね?」
「ぇ…?」
私は最初何かの冗談かと思って聞き返したのですが、マリアンさんは本当にわからないという顔をしていたので驚きました。
というのもマリアンさんはいつも目を閉じて生活しているのですが、その時に探知系の魔法のような緩いマナを放出しており、その結界擬きのようなもので周囲の様子を把握しています。
本当に目が見えないという訳ではありませんし、ワザと瞑っている姿を見て常日頃から厳しい修行をしている人だと感心していたのですが、もしかして無自覚なのでしょうか?
(それはそれで凄い話ですが)
ラークジェアリー聖王国でもこれ程の枷を自分に課している人はいないとマリアンさんの向上心に奮えていたのですが、私の慄きを他所に、マリアンさんは考え込むように瞼の下で瞳を左右に揺らしました。
「ああ、すみません…ラークジェアリーだと結界と呼ばれているのですが、アインザルフだと違うかもしれません…」
私はそこで初めて、両国で魔法の名前が違う可能性に気づいてモニョモニョと語尾を濁します。
説明する時に「結界」「結界」とラークジェアリー風に言っていたのですが、アインザルフ帝国だと別の名前かもしれません。
というより別の名前である可能性の方が高く、単純に「結界」といっても通じない可能性があるという初歩的なうっかりをしてしまったのですが、マリアンさんは何処か困ったように私の顔を見返しました。
「マリアンさんがいつも広げているこのマナの事ですが、ラークジェアリーだと結界って呼ばれているんです、正確に言うとこれをちゃんとした術式で発動させれば結界で、これはその簡易版ともいえるものですが」
マリアンさんが常に使っているのはマナの単純放出からの状況把握ですし、どちらかというと騎士の人達が使うような「間合いの把握」やら「気配を読む」とか言われている戦闘技能の一種に近いものなので、何かそれっぽい名前がついているのかもしれません。
私としては聖女ですらそういう戦闘技能絡みのものを使っているところがアンザルフ流だなと思ってしまうのですが、とにかく「これ」と示すために、私は左手にマナを込めてマリアンさんが纏っている結界を摘んで揺すってみると……おもいっきり驚かれました。
「ッ…え、あ…?」
まるで周囲にマナを放っているのが無意識だったというように、初めてその事に気づいたというような顔をするマリアンさんなのですが、マナの放出自体には心当たりがあるのか、軽く目線を下げます。
「この量だと自然浄化が促される程度の効果しかありませんが、ちゃんとした術式を使えば魔石の浄化も出来ると思いますよ」
純粋なマナぶつけると浄化が出来るというのは最初の魔石試験の時に見せていますし、多分マリアンさんの頭の良さならすぐにその辺りの理論は飲み込めるでしょう。
そして結界、浄化、瘴気についてアインザルフ帝国でどういう扱いになっているのかはわかりませんが、技術的な話しになるとマリアンさんも多少理解が追い付いてきたようで、得心がいったように息を吐きました。
「これの事だったのですね、申し訳ありません、これは……知り合いの騎士に目を使わず周囲が見えないかと相談した時に……スジが良いとはいわれましたが、色々ありまして…」
何故かマリアンさんは動揺して自分の目を隠す様に手を当てるのですが……その辺りの事情は何か人に言えない理由がありそうだったので、踏み込まない方がよさそうだと私は笑って流します。
(綺麗な金色の瞳なのに…)
そういう私はまともに髪を切っていないので足元にまで届きそうな白髪と、引きこもり特有の病的な白い肌、瘴気に侵された髪の毛は歪に黒色いメッシュが入り、顔の右3分の1が水晶で覆われ、右手は薄っすらと水晶化して動かず、右耳は聞こえず、右目は白く濁り滲んでいるという化け物みたいな姿です。
それと比べるとマリアンさんの金色の瞳はただただ綺麗なだけだと思うのですが、まあその辺りは人それぞれの感じ方というのもあるのでしょうし、私の同期にもピンク色がかった髪が子供っぽいとか、くせ毛がどうのとかちょっとした事で騒いでいた人もいたので、マリアンさんとしてはその珍しい瞳の色が許せないのでしょう。
(そういえば、ヴォルフスタン皇帝も同じような金色の瞳ですよね?)
ヴォルフスタン皇帝の方が濃い金色なのですが、マリアンさんもアインザルフ帝国の貴族ですし、もしかしたら何かしらの血縁関係があるのでしょうか?
結界を強化すれば浄化が楽になるのでは?という気楽な感じで話し始めてしまったのですが、このままだと何かだんだんとややこしい政治の話に逸れていってしまうような気がしたので、この話はここで終わりにしておきます。
「折角ですし、このまま結界の張り方をお教えいたしましょうか?使えないと思ったら使わないでも良いですし」
アインザルフ帝国の事情も分からず、どこまで踏み込んで良いのかわからない話題は横に置いておき、とにかく私は技術的な話に戻そうと、へにゃりと笑ってそう提案してみました。
「教えてもらえるのなら……ですが、そう簡単に教えても良いものなのですか?術式は秘されているものだとばかり思っていましたが」
「そういう考えの人もいるのかも知れませんが、別に良いのでは?」
私が知っている技術というのは脈々と継承して来た聖女達の努力の結晶ではあるのですが、人々のために頑張る聖女に教えるのならきっと許してくれる筈です。
「なる、ほど…?そういえばアインザルフの最初の聖女のお言葉も「人々に貴賎なし」というものだったと伝えられていますし、突き詰めるとどの国の聖女も同じなのですね」
たぶんマリアンさんなりに瞳の色の話題から話を逸らそうとしているのかもしれませんが、アインザルフ帝国に聖女の業を伝えた始まりの聖女の話をしてくれました。
なんでもその聖女はアインザルフ帝国が建国される以前の混沌とした時代に現れ、惜しげもなくその力を振るい、人々に教え歩いたそうです。
その時に言った言葉が「人々に貴賎なし」という言葉で「良い人も悪い人も、貴族だろうと奴隷だろうと、すべからく救済の対象である」と言われたそうで、その最初の聖女と呼ばれるフィリス・ブラウンさんがアインザルフ帝国で聖女達の基礎を作ったのだとされているそうです。
たぶんこの話は民衆への説法や見習い聖女への教育という形で何度も語った事があるのでしょう、スラスラと話す聖女の逸話に感心していると、マリアンさんは何か思い出したという様に話を切りました。
「立ち話が過ぎましたね、そろそろ休まないと明日に響きますし、人も待たせておりますので馬車にご案内いたします」
「わかりました」
私としてはこのままマリアンさんと夜通し話すのも楽しいと思いますし、別に寝なくても治癒魔法で活性化させていけば明日も問題なく動けるとは思いますが、マリアンさんはいつの間にか立ち話になってしまっていた事に肩をすくめて、改めて近くに停めてある馬車に歩いて行きます。
「ではまた明日、ヴィクトル様に魔法を教えた後にでも結界をお教えいたしますね」
「…よろしくお願いします」
そう提案した時、私はマリアンさんが一瞬止まったのを見逃さなかったのですが……しっかりしているようでもマリアンさんは私より年下のようですし、感情の発露があった方が人間味があって良いのですが、そんな表情を浮かべてしまった事を誤魔化す様に表情を仕舞うと「よろしくお願いします」とマリアンさんは流れで頭を下げていました。
聖女はある意味資質が重要視される職業ではありますので、聖女試験に合格してしまったという人が一定数いるのですが、実はマリアンさんも聖女の資質が溢れすぎた人なのでしょうか?
そういう人特有の表情が顔に出ていたのですが、それでもきっちりと聖女の仕事をこなし、常日頃から技術を研鑽する姿に誰かさんの姿がだぶって見えたのですが……あまりこの事を突くとややこしい事態になりそうだったので、私は気づかなかったフリをする事にしました。
※ちょっと理論的な話が多いですが、世界観の説明と思ってお付き合いください。次話からは難しい話はなく、まったりと進行する予定です。
※レティシアの容姿はボロボロですが、なまじ整いすぎているので人外みが強く、「精霊のようだ」と慄く人もいれば「何故生きているのかわからない」と戦慄する人もいます。
※聖女の技量は軍事力に直結するので、普通秘匿されています。始まりの聖女がアインザルフに亡命した事で決定的に国元と仲が悪くなったという歴史もあるので、レティシアは頓着しなさすぎで、口が軽すぎです。
※凄くどうでもいい事ですが、門については大陸移住時の戦乱期のゴタゴタで開いてしまって、慌てて浄化するための人員が送り込まれ建国されたのがラークジェアリー聖王国です。
資料が散逸しているのは「自分達がうっかり開けてしまった」なんて記述を残せないからですね。
そうして浄化能力にたけた人達が集まった国だったので能力の高い聖女が生まれる土地だったのですが、代を隔てるごとに他の国と同レベルまで落ちています。
むしろ人口増加に合わせて門が大きくなり、大聖女という最も能力が高い聖女が使い潰され続け、能力の低下に歯止めがきいていないというのが現状です。
あと大聖女1人体制なのは初代からの伝統ではあるのですが、これは大陸移住時はそれほど人が居らず、発生する瘴気の量がさほど多くなかったからです。
瘴気が増えて大聖女の負担が増えても「前任者は1人でしていたよね?」という奇妙な圧力でラークジェアリーでは優秀な人材が使い潰されています。
※少しだけ修正しました(4/29)。




