13:レティシアの聖魔法講座
ヴォルフスタン皇帝とヴィクトル様が手を取り合い、その様子に皆さんは大盛り上がりだったのですが、その騒ぎを聞きつけた赤熊や森林狼が乱入して来て私達は一気に大混乱に陥りました。
私も支援や浄化に参加して、その後は解体についての助言を求められたので話し込んでしまっていたのですが、一段落して野営地に戻って来ると別方向の支援に向かっていたマリアンさんが難しい顔をしながら私の帰りを待っていました。
「申し訳ありません、今日の寝る所についての相談なのですが…」
淡々とした表情のマリアンさんは意図的に感情を抑え込んでいるような様子で、一瞬帰りが遅かった事を怒られるのかと思ったのですが、なんでも私が寝所として使わせてもらっていた荷馬車にもお肉を積んでしまい寝る所が無くなってしまったというお話しでした。
「それは…今日から私もテント生活という事ですか?」
その思いがけない話しに年甲斐もなくワクワクしてしまい、つい私は皆さんが雑魚寝をしているテントの方を確認してしまいました。
というのも寄宿舎時代は色々あって同年代の友達はあまりいなかったのですが、その代わりに年上の聖女達からは可愛がられており、夜間寮母さんの目を盗んで楽しいお話しをしてくれたり、甘いお菓子をコッソリ分けてくれたりという楽しかった思い出があります。
その時に話してくれた野営にまつわる面白話や苦労話なんかを聞く度に羨ましく思っていましたし、同年代の聖女達との恋バナとかに憧れたものなのですが、私が巡回聖女になった時にはもうそれどころではなくて、治癒魔法をかけながらの強行軍の繰り返しで、魔物を倒して浄化したらそのまま次の町へと転戦してと、のんびり野営したという記憶がありません。
一応ラークジェアリー聖王国を発ってからずっと野営しているといえばしているのですが、どこかお客様という感じが抜けず、隔離された馬車の中で寝ているだけなので、皆で夜中にワイワイするというのとは何か違うような気がします。
そもそも一緒に寝る事になった騎士の人達は、私が逃げ出したりしないようにという見張りの意味合いが強く、呑気にお話しをするという空気ではありませんでした。
そういう訳でマリアンさんの「寝る所が無い」という話しでやっと雑魚寝でワイワイできるのかと期待してしまったのですが、その辺りの感覚はよくわからないという顔で首を振られてしまいました。
「いいえ、流石にレティシア様に雑魚寝をしてもらうという訳にもいきませんので、別の馬車を用意いたしました」
「そうですか…」
アインザルフ帝国は基本的に聖女を温存する方針のようですし、それも仕方がない事なのかもしれません。
この聖女温存はかなり徹底していて、夜間に魔物の襲撃があっても1匹2匹程度なら起きる必要はないと言われており、聖女の力が必要になれば騎士達が起こしに来るのでそれまで寝ていてくださいと言われています。
まあその代りに数か月単位での連続した活動が求められているのですが、そんな事で良いのなら別にわざわざ寝る必要もないのですが、アインザルフ帝国のやり方はまだよくわからない事が多々あるようです。
「あ、馬車が埋まってしまったという事は、もしかしてマリアンさんとご一緒出来るのですか?」
今までは危機管理の関係で別々の馬車で寝ていたのですが、マリアンさんと一緒なら夜も楽しいのかもしれません。
「いいえ、私はクリスティーナ達と寝ますので、レティシア様とは別になります」
「クリスティーナさんと?」
「はい」
何事もないように頷くマリアンさんなのですが、このクリスティーナさんというのは第一騎士団に4人しかいない女騎士の内の1人で、ブリギッドさんという別の女騎士と共に私の護衛という形で一緒の馬車で寝泊まりしていた人でした。
残りの2人がマリアンさんの護衛についていたのですが、クリスティーナさんがマリアンさん側に行くという事は、私の方にはブリギッドさんが残り、そこにマリアンさんの護衛をしていた人のどちらかが配置転換されてくるのでしょうか?
「…ああ、ちゃんと護衛の騎士はつくので安心してください」
私が難しい顔をしているのを見て、マリアンさんは身の回りの事を心配しているのかとそう付け足してくれたのですが、その時私が考えていたのは「夜中に雑談したかった」というただの我儘なので、曖昧な笑みで誤魔化しておきました。
とにかく私はマリアンさんに案内されるままについて行くだけなのですが、わざわざ慣れ始めた護衛騎士を交代する理由というのはどういう意図があるのでしょう?
もしかしたら単純な輪番制の問題なのかもしれませんが、実はクリスティーナさんがリューザンブール子爵家のご令嬢で、れっきとした貴族階級の人なので知らないうちに何かご不快な思いをさせてしまったという可能性があるのかもしれません。
私はそんな人をさん付けで呼んでいるのですが、これは本人が「私自身は爵位を継がぬ一介の騎士ですので、そう畏まらないでください」と言われ「気軽に呼んでください」との事だったのでさん付けをさせてもらっていたのですが、もしかしてそれがご不快だったのでしょうか?
というよりこの辺りは流石第一騎士団というのか、マリアンさんも実はロッシュフォール女男爵ですし、ヴィクトル様はヴォルフスタン皇帝の相談役みたいな立場かと思っていたのですが、実は騎士団総長という役職で、パージファル侯爵領を賜ったれっきとした侯爵様でした。
第一騎士団団長のザイン様はエスター子爵様で、よく案内や細々とした身の回りの手伝いや説明をしてくれていたテファンさんも男爵家の長子、ブリギッドさんもダンケン男爵家を継ぐ予定の女男爵様と、第一騎士団という関係上貴族階級の人が多くを占めており、その爵位や国内での立ち位置なんかを聞いた時には驚いたものです。
因みに騎馬隊隊長のロルフさんは純然たる平民という事なのですが、逆に平民ながら第一騎士団に入っているような人はアインザルフ帝国の中でも選りすぐりの精鋭達になるのだそうです。
勿論それは貴族階級の人が駄目という訳ではないですし、実は身分的なものより女性ながら第一騎士団に入っている人の方が驚異的な事のようなのですが、この辺りは編成的な諸々が関係してきているようでした。
「今日は寝る前に着替えと体を……?」
「……?」
何か特別な事でもあるのか着替えと清拭をするというマリアンさんは、私の服を見ながら何かに気づいたというように顔を近づけてスンスンと匂いを嗅いできたのですが、どうしたのでしょう?
「申し訳ありません……レティシアさまは、その…着替えをしたのは何時くらいでしょうか?」
一瞬聞いていいのか迷ったようなのですが、確認しなければ余計に不味い事になりそうだという風に、マリアンさんは訊ねてきました。
まあラークジェアリー聖王国を出発して5日間、皆さんは定期的に体を拭いたり川を見つけた時には水浴びをしたりと綺麗にしていたようなのですが、私は体が不自由なので特に服を換えたり体を洗ったりはしていませんでした。
「…臭いますか?」
その辺りは魔法でちょちょいっと清潔を保っていたのですが、流石にずっと同じ服を着ていますので、多少臭うのかもしれません。
「いえ、それは大丈夫なのですが…」
因みにアインザルフ帝国の人達は単純に臭いで「そろそろ体を洗うか」という風になるようで、マリアンさんも私の体臭が殆ど無い事から、何だかんだ言ってクリスティーナさん達に言って体を拭いてもらったり着替えをしたりしているのだろうと思っていたようです。
この辺りが大雑把なのはアインザルフ帝国ではお風呂に入るという習慣があまりなく、寒冷地であるので水は冷たく体を拭くのにも一苦労し、お湯を沸かすような薪があれば冬のために取っておくというお国柄である事が影響しているようです。
私としては毎日半身浴する方が衛生面的にも良いと思いますし疲れもとれると思うのですが、アインザルフ帝国だとそれはなかなか豪勢な水の使い方だそうです。
そう言えばドヌビス王国やラークジェアリー聖王国にやって来た時には、その温暖な気候に手こずったという話を誰かがしていたような気がします。
「毎日ちゃんと浄化をしていますので、あまり臭いはしないと思うのですが…」
「着替えも水浴びもしていないのに何故?」と、臭いの薄さに首を傾げるマリアンさんに浄化はしていると弁明するのですが、アインザルフ帝国に浄化系の魔法はないとの事でかなり驚かれました。
「そのような奇跡があるのですね…」
「はい、こういう感じです」
試しにマリアンさんにかけてみると、そのサッパリ感を気に入られたようなのですが、すぐにその表情は曇ってしまいました。
曇った理由はよくわかりませんし、私としてはマリアンさんの方こそこういう場に影響を与える魔法が得意そうなのにと思ったのですが、まるで初めて知ったというような反応が気になってその理由を尋ねてみると、アインザルフ帝国の聖女が使う魔法は戦闘に特化していて、汎用性が無いとの事でした。
「お恥ずかしい事に、私達が使える奇跡は4つだけですので」
マナ付与と、身体強化と、治療と、瘴気の浄化、マナを節約しながら戦う事を前提にしたこの4つの魔法だけで、どれか1つ以上使えると見習い聖女、4つの魔法を習得すると初めて聖女を名乗る事が出来るのだそうです。
この辺りはアインザルフ帝国に流れ着いた最初の聖女が得意だった魔法と言うのも関係しているらしいのですが、それ以外の魔法を覚えようにも知識もなければ余裕もなく、場合によっては見習い聖女であろうとなかろうと戦線に投入されているような状況での教育ははかばかしくないそうです。
一応それでも攻撃系の魔法は独自に研究されており、中には初歩的な光魔法を使う人もいるのですが、今のところは補助的な使い方が多いようで、むしろ光魔法での攻撃を主体としたラークジェアリー聖王国とはるっきり戦い方が違うのが面白いですね。
そういえば私が森林狼戦でホーリーアローを放った時には皆さん驚いていましたし、彼らからするとかなり変則的な戦い方をしてしまったのかもしれません。
因みに聖女の基準も違い、ラークジェアリー聖王国の場合はマナが扱えるようになると見習となり、それから一通りの技術を習い一定の基準に達してから試験を受けて合格したら聖女と呼ばれるようになりました。
そこからは本人の資質や希望を考慮して治癒、巡回、寄宿舎、教会の4つの分野に別れて専門性を学ぶという感じでした。
(ああ、だからでしょうか?)
マリアンさんの浄化が物凄く丁寧すぎるのが気になっていたのですが、たぶんアインザルフ帝国の聖女教育の厳格さが出てしまっているのかもしれません。
というのもアインザルフ帝国で最初に習う4つの魔法に皆の命がかかっているためか厳格な基準があり、得手不得手関係なく誰でも確実に効果を発揮するための助長性を持たせている術式が使われていました。
その術式は自分の得意でない分野の魔法でも安定して使えるように改良されているのは良いのですが、自分が得意な分野の魔法の場合は逆に無駄が多くなってしまいます。
これと比べると私の魔法なんて邪道も邪道な手抜き魔法と言えるのですが、マリアンさんはマリアンさんで手順を守りすぎて非効率的な術式を使っていますし、そもそもその4つに縛られすぎてマリアンさんの得意な魔法すら使っていないのはちょっとどうかと思います。
「少し気になっていた事があるのですが、まずは奇跡を使う時にもう少し手を抜きませんか?」
「気になった事は出来るだけ教えてあげなさい」というのがリヴェイル先生の教えですし、私はこの流れでマリアンさんがしっかりとしすぎた術式を使い逆に効率が悪い事を指摘してみる事にしました。
私としては使う魔法なんて状況に応じて調整していったら良いと思うのですが、アインザルフ帝国の魔法は常に全力といいますか、絶対に疲れる使い方をしています。
「それは…」
マリアンさんは「手順を抜いても大丈夫なのですか?」というような怪訝そうな顔をするのですが、これはたぶん見習い時代に散々不発を経験したからかもしれませんが、意外と術式なんて飛ばしても何とかなるものです。
「大丈夫ですよ、意外と適当でも発動しますから」
「そんな事は無いと思いますが」と言いたげなマリアンさんに、私は試しに103画あるハイニッシュティアーズを5画まで減らして左手にかけてみせたのですが、マリアンさんが目を見開いて固まりました。
因みにこの“何画”というのはラークジェアリー聖王国での基準なのですが、魔法を使う時に描く術式、聖印と呼ばれているものの画数といいますか、とにかくどれくらいかかるというのを画数で言い表していました。
後は描く手数は“~手”と言われていて、最初は利き手側にマナを灯して1手で聖印を描く事から慣れていくのですが、聖女になるには両手を使った2手以上で聖印を描く事が必須となります。
つまり103画ある魔法を1手で書いた場合の手順は103画ですが、2手で描いた場合は52画と51画になり、半分の速度で描く事が出来ました、これがラークジェアリー聖王国の聖女の基準です。
慣れてくると指先にマナを灯すのではなくマナの光球を浮かべてそれを筆代わりにして描くようになるのですが、そうなると20手30手と自分の制御能力に応じて同時に描ける画数が増えていき、こうなるともう正規の描き方なんてあってないようなもので、描かれる聖印も平面から立体的なものへと変わっていき、独自性が出てきます。
最終的には“どういう結果を紡ぎ出したいか”というところから逆算して術式を決めていくのですが、これが教えられた術式をどれだけ丁寧に描く事が出来るかという事を大事にしているアインザルフ式の魔法と、何をしたいかを決めてから描くラークジェアリー式の魔法との一番大きく違うところなのかもしれません。
そして術式を自分の都合のいいように描き換えるという発想のなかったマリアンさんは、信じられないものを見たというような顔をしていたのですが……これくらいならマリアンさんも出来る筈です。
「省いたぶん制御が難しいのは欠点ですが、それくらいなら腕で補えますし、多少制御に回しているマナも誤差範囲ですよ」
これでも効果はマリアンさんの使う魔法と同等で、画数が20分の1なのでマナ消費量も20分の1に抑えられています。
こうして消費量を20分の1にする事が出来れば同じ消費で20人に付与できますし、強化できる人数が増えた方が戦闘の時短になりますし、最終的には被害を抑えられます。
「とまあ皆さん奇跡なんてお為ごかして仰々しく言っていますが、ただの魔法技術の内の一つですので……というのを元大聖女が言っては駄目なのですが」
私はマナ付与を解除しながらそう言ってのけたのですが、ラークジェアリー聖王国では魔を滅する事の出来る奇跡の御業なんて言われているので、こんな事を言うと怒られてしまうのかもしれません。
まあそれでも私は奇跡と魔法の違いなんて術式に通す力がマナか魔力かという違いでしかないと思っていますし、どれだけ欠損が治ろうと、魔物が滅ぼせようと、それはただ脈々と続いてきた皆さんの努力の結晶なだけで、本当の奇跡なんていうものではありません。
(もし本当の奇跡なんてものがあるのなら、どれだけ皆が幸せになるのでしょうね)
多少皮肉気な気持ちになってしまったのが私の駄目なところなのですが、そんな事を考えている事を誤魔化す様に、唖然とした表情を浮かべているマリアンさんに向けてへらりと笑ってみせました。
※レティシアの場合は基本的に奇跡と言わずに魔法と言っていますが、人に説明する時は一々説明するのが面倒なので「奇跡」と言う事もあったりと名称は混在しています。
因みにこの考えはラークジェアリー聖王国でも異端寄りの考えではあるのですが、大聖女になるような優秀な聖女が技術を洗練させていく過程で魔法と大差ない物であるという事がわかってきます。なので「奇跡なんて偉そうなものではなく、ただの魔法の一種である」という考えは一部の聖女からは苦笑いで首肯される類の話でした。
ただ補足しておくとこの世界にはレティシアが認識していないだけで本当の奇跡というのは存在していますし、目撃した人もチラホラいますし、何なら食べた人もいます。
※レティシアに同年代の友人が少ないのは、能力が突出しすぎていたので寄宿舎ではすぐに上の年代のグループに入れられたからです。
あと話してみると良い子だとはわかるのですが、同年代からは若干変な子だと思われていましたし、美少女すぎて遠巻きにされていました。
※アインザルフ帝国の第一騎士団に貴族が多いのは単純に貴族の方が生活に余裕があり訓練する暇があるからです。というより第一騎士団の業務的に皇帝の補佐があるので、国家運営にも口を出す事が出来るレベルの知性が求められるので、平民が入るにはちょっと難しい団になっています。
特に女性が入りづらいのは本来女騎士の到達点ともいえる第二騎士団が解隊されているので通常の受け入れ先ではないからです。
わざわざ異性を入れるという欠点(女性に対する配慮)を考慮しても戦力になると思われているレベルの人でなければ入れません。
※レティシアは画数省くのを当然という様に言っていますが、勿論そんな事はありません。ごく一部の大聖女の秘儀に近いのですが、リヴェイル先生等一部の天才に教えたら出来るようになったという成功体験からそれが当たり前だと思っています。




