12:克服
日が沈み始めた森の中、川沿いの少しだけ開けた広場では野営の準備が滞りなく進められていたのですが、食事については硬パンとネルギー草のスープという代わり映えの無い物になりそうでした。
というのも事実上の敵国であるドヌビス王国では極力町や村には立ち寄らない方針のようでして……一応ラークジェアリー聖王国では立ち寄った村や町で必要最低限の食料を買い込んでいたのですが、荷馬車の数には限りがあるのでアインザルフ帝国に到着するまでは乾パンのような硬パンと栄養価の高い乾燥ネルギー草を大量に買い込み凌ぐ事になっているのだそうです。
(唯一の救いは塩だけは戦略物資として潤沢に使える事ですが…頑張った後の食事がこれでは士気に響きそうですね)
これが万単位の行軍というのなら話は別ですし仕方がない事なのですが、たかだか141名程度の集団だったら何かしらの方法でもう一品くらい付け足す事が出来そうで……森の恵みを頼ればわざわざ粗食にする必要性がないのかもしれません。
なのでマリアンさんが戦闘と浄化で疲れているという事で周囲の浄化を買って出る事にしまして……そのついでに食べられる山菜を採取する事にしたのですが、捕虜に近い立場の私がウロチョロする事に対してあまりいい顔はされませんでした。
「手伝ってくれるのはありがたいが、何かあったら…護衛は付けさせてもらうぞ?」
アインザルフ帝国の人達からしたら他国の人間が食事の用意をしようとしている訳ですからね、最初は困惑した様子だったのですが……最終的にはヴィクトル様とマリアンさんが許可を出してくれたので調理場の片隅と人手を借りる事が出来ました。
そういう訳で?手伝いと称して同行する事になったテファンさんとロルフさんと一緒に周囲の浄化をしたり山菜取りをしたりする事になったのですが、アインザルフ帝国とは植生が違いすぎるのか手こずっているようでして……彼らからすると食べられる植物の分布を調べ上げている時間がありませんでしたし、ドヌビス王国からの情報提供に頼ると毒草を食用だと偽られる可能性があったので野草に関する知識が乏しいのだそうです。
「食事…ですか?1日3食食べられるだけでもありがたいですから」
「そうそう、どこでもこんな物だろ?まあ…行軍中だから量は少ないけどな」
しかもアインザルフ帝国の人達は粗食に慣れすぎているせいで食事を改善しようという意欲も薄いようでして、とにかく水の確保は他の人達がしてくれるという事だったので私達は必要最低限の食材を採取してから夕ご飯の準備に取り掛かる事になりました。
(どうなるものかと思っていたのですが、調理自体は何とかなりそうですね)
野草の知識が無いだけで料理の腕前自体は確かなもので……左腕しか使えない私の代わりにテファンさんとロルフさんが手際よく調理してくれたのですが、主菜は完全浄化した赤熊のステーキで副菜はオニョンの根とその辺りに生えていた食用キノコで出汁を取った山菜とネルギー草のスープ、後は偶然見つけた山林檎の欠片をデザートに添えて体裁を整える事にしましょう。
隠し味としてポワの実を磨り潰した香辛料を使いましたし、こっそりと硬パンには祝福をかけておき……こうすると何故かふっくらとした食感になって小麦の味がギュッと詰まった味わいになるのですが、理由がよくわかっていないのがとても謎です。
「うっは、何だこの肉…歯が必要じゃないくらい柔らかぞ!?しかも噛めば噛むほど脂の甘みが溶け出してきやがる」
「こっちのスープもいつもの物とは全然違うぞ!具がゴロゴロと入っているなんて何時ぶりだ?」
「くっそ、いつも食べているパンですらめちゃくちゃうめぇ!」
とにかく巡回聖女時代に覚えた野戦料理は意外と好評で、我先にとお肉にかぶりついたりスープを飲み干したりパンに手が伸びたりと大盛況でした。
これだけ美味しそうに食べてくれるのなら作ったかいがあるというものですし、私達はみるみるうちに減っていく料理の追加分を作ったり配膳をしたりと慌ただしく動き回る事になりまして……。
「後は僕達がやっておきますので、スフィール様も食事を済ませておいてください…偵察に出ている連中が戻って来たら忙しくなりそうですし」
「そう…ですね、ありがとうございます、そうさせてもらいます」
私はテファンさんに促されて食事をとる事になったのですが、パンとスープを受け取った後は潤沢すぎるお肉の配膳をおこなっていたロルフさんが赤熊の一番美味しい腰回りのお肉を山盛り分けてくれまして……美味しい物を食べると笑顔になるというのはどの国でも変わらないようですし、焚火を囲んで食事をする人達はニコニコしていてとても楽しそうだったのですが、私はそういう楽し気な喧騒を遠くから眺めている人のもとに向かいました。
「隣、いいですか?」
「…ああ」
適当な段差に腰を掛けていたヴォルフスタン皇帝はあれから魔力制御の練習を続けていたのか纏っている空気がピリピリとした突き刺さるような魔力から探るような探知魔法に切り替わっていたのですが、この短時間でよくここまで制御できるようになったものだと感心してしまいます。
ただそれでもよいしょと隣に座った時に揺れた山盛りのお肉を見て魔力が揺れていたので集中面での課題が残っているのかもしれませんが、その辺りはおいおい慣れていったらいいですし……そんな事より今は持ってきたお肉の話です。
折角良い所を切り分けてもらったので冷める前に食べようとスープを一口啜ってからお肉を……。
「んーー~~…!!!」
大聖女時代はポーションと保存食で食いつないでいましたし、連れ出されてからはまともに食事をしている余裕がありませんでした。
そういう訳で10年ぶりくらいのまともな食事だったのですが、久しぶりに食べたお肉はもう本当に泣いてしまいそうなくらいの美味しさで……肉質はただただ柔らかくてトロっとした脂の甘味が野性味の強いお肉と混ざって蕩けてしまいそうでした。
スープの味付けも塩味とポワの実だけというあっさり目だったのですが、だからこそのピリッと刺激的な液体が口の中の脂を洗い流すとお肉が進みますし、お腹塞ぎに食べていたような硬パンには祝福が染み込んだしっとり食感の奥に深い小麦の味がしてこれがまたお肉とよく合いました。
「お前は…いや」
そんな食事風景を見ながらヴォルフスタン皇帝がどこか呆れたような表情を浮かべていたのですが、何やら柔らかい苦笑いを浮かべながら息を吐きまして……。
「美味しいですよ、陛下もどうですか?」
こういう一番良い所のお肉は皇帝陛下から食べた方が良いのかもしれませんが、新人や下っ端とわかる人達が率先して魔物肉を食べさせられていたので毒やら何やらの混入を警戒していたのでしょう。
なので私自身が毒見をしてみせたのですが、これはこれで食べかけを勧めるみたいになってしまい……ヴォルフスタン皇帝は毒見をされる事には慣れているのか食べかけであるとかそういう事については頓着していない様子だったのですが、その厳しめな視線は私の差し出しているお肉とフォークに向いていました。
(耐久度の心配…でしょうか?)
ヴォルフスタン皇帝は黒曜鉄製の専用食器を使っていた事を思い出したのですが、もしかしたら強度的な心配があるのでしょうか?
「そっと掴めば大丈夫ですよ?」
お皿を割ったりフォークをへし折ったりしないかと考えているようなのですが、魔力制御を覚えたヴォルフスタン皇帝であれば何とかなるような気がしました。
「いただこう」
私の言葉に促されるようにヴォルフスタン皇帝が息を吐くと、魔物肉のお皿を恐る恐る手のひらの上に乗せるように受け取りながらどこにでもある金属製のフォークを……摘まみます。
「おぉ…」
肩に力が入っているせいでグワングワンと魔力が揺れて摘まんだフォークが歪むのですが、多少曲がってしまったフォークを掴みながら溢してしまった無邪気すぎる呟きに目を細めてしまい……そのままお肉を口にした陛下はそのあまりの美味しさに目を見開くのですが、私の視線に気づくと照れたように視線を逸らしました。
(本当に…)
コロコロと表情を変えるヴォルフスタン皇帝を見ていると暴虐非道な人物であるという噂が信じられなくなってしまうのですが、やはり噂は噂でしかないという事なのでしょう。
そんな事を考えながらパンとスープを食べていたのですが、ヴォルフスタン皇帝は魔物肉を数口食べたところで表情を曇らせてしまい……手が止まりました。
「…?」
どうしたのだろうと思って見ていたのですが、ヴォルフスタン皇帝は俯き気味にポツリと呟きました。
「今更…」
自嘲気味の呟きに相槌も打てないままモチモチとパンとスープを食べていたのですが、あまりにも呑気に食べていたからなのかヴォルフスタン皇帝は苦笑いを浮かべてしまい……。
「今更力の使い方に慣れてどうするのだろうな」
その呟きには「取り返しのつかない事をしてきたのに」という後悔が滲んでいたのですが「あの時ああしていれば」なんていう想いの一つや二つくらいは人間が生きていたら誰しもが持っているものなのかもしれません。
「どうもしないと思います…し、今までの事を無駄にしたくないと仰るのでしたらそういう想いを抱えて前に進むしかないのかもしれません」
間に合わずに魔物に蹂躙されてしまった村々、ドラゴンに丸呑みされて即死した騎士達、何より「先生なら大丈夫だろう」なんていう安易な考えで大切な人を亡くしてしまい……沢山の判断ミスと後悔を積み重ねた結果が今の私という存在ですし、それでも前に進むのは立ち止まっていたら救えない命が沢山あると思っているからです。
1人見殺しにしたのなら2人は助けよう、ヴォルフスタン皇帝もそういう思いで多くを助けようと進んで来た人で……そんな人に贈る言葉は「へこたれるな」という激励の言葉くらいしか思い浮かびませんでした。
そして忘れずに進めというのは途轍もなく辛い事なのかもしれませんが、それでもこういう訳の分からない想いをヴォルフスタン皇帝ならわかってくれるような気がしまして……これはそんな気がするという程度のフワフワとした感覚なのですが、陛下は誰かのためにあえて汚れ役を進んでやれるくらいには自己犠牲が強い人ですし、少しでも良い方向に進むと「自分なんかが幸せになって良いのだろうか?」と考え込んでしまうくらい優しい人だからこそ暴力的な魔力を身に宿していても皆が慕ってついて来てくれているのだと思いますし、そんな人だったらたぶんきっと言語化が苦手な私の言いたい事を理解してくれるのだと思います。
「進むしかない…か、そうか、そうだな」
アインザルフ帝国はドヌビス王国との戦争に勝利し内政の時代に入りつつあるのですが、そうなってくると一個人の武勇よりも皆と協力しなければならない事が増えて来る筈ですし、呪いのように縛り付けていた魔力についても克服しなければいけない時がくるのかもしれません。
「大聖女…いや、レティシア…もし体がはじけ飛んでも…お前なら治せるか?」
ようやく顔を上げたヴォルフスタン皇帝は決意を秘めた黄金の瞳を向けて来るのですが……何やら物騒な事を言い始めたのですが、陛下も魔力に対する怯えを克服しなければいけない事だと感じているのかもしれません。
「治せます」
だから多少の無理をしてでも前に進もうとしているのかもしれませんが、私は前進する事を決めた陛下の決意を後押しするためにも力強く頷きました。
リヴェイル先生程上手く治せるとは思えないのですが、ヴォルフスタン・エリュタス・フォン・アインザルフというとても不器用で優しい人の為になるのなら意地でも治してみせましょう!
「よし…ヴィクトル!」
ヴォルフスタン皇帝は「習うより慣れろか」というように目を閉じながら呼吸を整えていたのですが、丁度見回りから帰って来ていたヴィクトル様に声をかけました。
「はっ、ここに!」
何事だろうとヴィクトル様が小走りでやって来るのですが、その様子に宴のような喧騒が途絶えて「何事だろう?」という騒めきが広がり周囲の視線が集まります。
「手を出せ」
「…?は!」
言われている意味が分からないという顔をしていたヴィクトル様が私達の顔を交互に見ていたのですが、陛下の言葉に異を唱える事も出来ずにその右手を差し出しました。
「ーー……」
そうしてヴォルフスタン皇帝はすぅーはぁーと大きく深呼吸をしながら精神を集中させていたのですが「本当に大丈夫だろうか?」というように魔力が揺れてしまいます。
「大丈夫です、落ち着けば出来る筈です、ヴィクトル様もこう…ぐっと腕に力を入れていてください」
今日一日頑張ったヴォルフスタン皇帝の制御力なら触れても大丈夫な筈ですし、陛下には「他人に触れても大丈夫」という自信が必要で……なので安心させるようにへにゃりと笑うとヴォルフスタン皇帝はつられるように苦笑いを返してから、改めて精神を集中させました。
因みに薄々何をしようとしているかという事を察し始めたヴィクトル様は冷や汗をかきながら引きつった笑みを浮かべていたのですが、ここで泣きわめいて逃げ出す訳にもいかないと血管が浮き出る勢いで握りこぶしを作って衝撃に備えていました。
そうして一種異様な緊張感が漂い周囲の人達が固唾を飲む中、ヴォルフスタン皇帝はヴィクトル様の手にそっと触れると……。
「ぐっつぅおっ!!?」
バチンッと魔力が反発してヴィクトル様の右手が弾かれたのですが、どちらかといえば痛かったというよりもビックリしてしまったという感じが強くて……ヴィクトル様の右腕が弾け飛ぶ事もなければ骨が折れる事もありませんでした。
「ヴォルフ、おま…ぐぅっ!?」
周囲からは信じられないというような音が響くのですが、その事に一番驚いているのが腕を弾かれたヴィクトル様のようでして……赤くなった自分の手を眺めていたのですが、ようやく何が起きたのかを理解したように顔をあげました。
「…ッ!?」
そうして感極まったヴィクトル様がヴォルフスタン皇帝の両手を握るのですが、いきなり掴まれた事で魔力が揺れてヴィクトル様の巨体が跳ねます。
「パージファル様!?」
その様子に周囲から短い叫び声があがってヴィクトル様を助けようと駆け寄るのですが……。
「離せヴィクトル、まだ…制御に慣れていない」
「いえ、いえ…」
一時的な動揺をやり過ごしたヴォルフスタン皇帝が徐々に魔力を安定させていくのですが、ただただ手を握るという当たり前の行為に対して感極まったヴィクトル様が涙を流していて……その光景を見ていた周囲の人達からどよめきの声が上がりました。
「陛下に触れても…即死しないだと!?」
「まさか、制御できるようになられたのか!?」
周囲の人達がありえないものを見たというような顔でヴォルフスタン皇帝とヴィクトル様を見ていたのですが、それは次第に地鳴りのような歓声へと代わり……熱気の孕んだ大音声は静かな森の中に木霊して寝支度をしていた鳥達があちらこちらからバサバサと飛び立ちました。
この時の私はよくわかっていなかったのですが、唯一の皇位継承者が人と触れる事が出来ないという事でアインザルフ帝国の存続すら危ぶまれていたのですが、2人の硬い握手はその憂いが無くなり帝国の未来が繋がった瞬間を表す光景だったのだそうです。
※テファンさんとロルフさんの「野草の知識が無いだけで料理の腕前自体は確かなもので」というのは彼らも騎士団の精鋭という事で野営やその他諸々にも精通しているので料理が出来ない訳ではありません。
※レティシアが把握できている情報やごくごく一般的な認識ではヴォルフスタン皇帝以外の後継者がいない事になっているので地文でもヴォルフスタン皇帝の事を「唯一の継承者」という表記になっています。
非公式的には異母妹がいますし、その人に子供を産んでもらって養子にするという話もあったのですが「それならそいつが皇帝になればいい」とヴォルフスタン皇帝が降りる気満々でしたし、その異母妹も「絶対に嫌」と皇帝就任を断り続けたので実現していませんでした。
ヴィクトル様は立場上その辺りの事情を知っているので帝国の存亡についてはそこまで気に病んでいませんでしたが、頑張っている弟分にかけられていた呪いがようやく解けたような思いで感極まりました。
※食事についての補足ですが、アインザルフ帝国の食事は貴族でもなければ1日2食で、平民の中には1日1食だけという人もいます。ただ肉体が資本である騎士や聖女といった人達は1日3食食べるようになっています。
※細々と訂正しました(4/15)。




