12:克服
夕日が沈み始めた森の中、川沿いの少し開けた広場では野営の準備が滞りなく進んでいたのですが、食事についてはやっぱり硬いパンとネルギー草のスープだけのようで、このままだとお昼と大差のない夕食になりそうです。
これで他に食料が無ければ仕方がないのかもしれませんが、今日は沢山の魔物を倒した後ですし、森の中には色々と食べられる植物が生えています。
せめて夕食に一品だけでも加えられないかと思ったのですが、捕虜に近い立場の私が料理の手伝いをするというのはあまりいい顔をされず、だからといってこのまま皆さんが不味い物だけを食べ続けるというのは我慢なりません。
なのでマリアンさんが日中の戦闘と魔石の浄化で疲労を見せているのを良い事に、野営地周辺の浄化を名乗り出て、周辺の浄化と合わせて食べられる山菜を採取し、その流れで夕食の準備の手伝いに滑り込もうとしたのですが……他国の人間が皆さんの口にする物に手を加えようとしている訳ですからね、最初は「いいのか?」みたいな困惑した様子だったのですが、最終的にはヴィクトル様が頷き、マリアンさんが許可を出したので、何とか食事当番の手伝いをする事ができました。
「これだけ、ですか…」
そこまでは良かったのですが、実は皆さんが食料として運んでいるのが乾パンのような携行食と栄養価の高い乾燥ネルギー草と少量の食料だけ、調味料に関してはなんと塩だけしか積んでいない事を知って愕然としました。
一応町や村の近くを通った時には賠償金の一部を使って必要物資の補給をしていたようなのですが、荷馬車の数に限りがあるので食料はそれほど買い込んでおらず、アインザルフ帝国に到着するまでずっと同じ献立の予定だそうです。
流石にそれは酷すぎると思ったのですが、皆さんこの食生活に慣れているようで、特に食事に関しての不満はないようです。
「1日3食食べられるだけでもありがたいですから」
「そうそう、こんな物だろ?」
私の手伝いとして同行していたテファンさんとロルフさんがそんな事を言っていたのですが、アインザルフ帝国だと本当にこんな壊滅的な食生活のようです。
水の確保は他の人達がしてくれるという事だったので、私達3人は周囲の森の中から食材を集めるところから始め、なんとか必要最低限の材料を採取してから夕ご飯の準備に取り掛かります。
といっても片手しか使えない今の私はいまいち戦力外で、採取や料理はテファンさんとロルフさん頼みではあったのですが、何とか主菜は完全浄化した赤熊のステーキに、副菜はオニョンの根とその辺りに生えていた食用キノコと山菜で出汁を取ったネルギー草のスープ、後は偶々見つけた山林檎をデザートに添えて体裁を整えます。
料理の隠し味にはポワの実を磨り潰した香辛料を使い、合わせて食事には疲労回復効果をこっそり付与しつつ、硬いパンにも祝福をかけておきました。
こうすると何故かふっくらとした食感になり、小麦の味がギュッと詰まった深い味わいになるのですが、何故でしょう?
「うっは、何だこれ…歯が必要じゃないくらい柔らかいのに、噛みしめる程肉の味がトロけ出てきやがる」
「こっちのスープもいつものと全然違うぞ」
「いつものパンですらめちゃくちゃうめぇ…」
そうして出来上がった巡回聖女時代に覚えた野戦料理は意外と好評で、皆さん我先にとお肉にかぶりつき、スープを飲み干し、パンに手が伸びます。
「まだまだお代わりはありますので、欲しい人は並んでください」
これだけ美味しそうに食べてくれると作ったかいがあるというもので、私達はみるみるうちに減っていく料理にワタワタしながら、追加分を作り、配膳し、慌ただしく動き回ります。
「後はやっておきますので、スフィール様も先に食べてしまってください」
「ありがとうございます、そうさせてもらいます」
途中一段落ついたところでテファンさんがそう提案して来たので、私達も交代で食事をとる事にしました。
「この調子だと外周の偵察に出ていった奴らが戻って来る頃には無くなってしまいそうですね」
「無くなったらまた追加で作ればいいだけですよ」
「そうですね、もし足りなければ大変な事になりそうですし、今のうちに準備をしておきましょうか」
本気で食いっぱぐれた人に恨まれないかと心配しているテファンさんと笑い合ってから、私は赤熊のお肉でも一番美味しい腰回りのお肉を山盛り分けてもらい、そのお皿の端にパンとスープ皿を乗せてその場を離れます。
美味しい物を食べると笑顔になるというのはどの国でも変わらず、焚火を囲んで食事をする人達は楽しそうに盛り上がっていたのですが、私はそんな輪の中に入らず遠くから眺めている人のもとに向かいます。
「隣、いいですか?」
「……ああ」
馬車の中に居たヴォルフスタン皇帝はあれからずっと魔力制御の練習をしていたようで、ピリピリと突き刺さるような感じの魔力は探知魔法が発動しているような撫でる様な広がりに代わっており、纏う魔力が少し柔らかくなっているような気がしました。
本当によくこの短時間でここまで制御できるようになったものだと思うのですが、私がよいしょと馬車の中に乗り込んだ際に山盛りのお肉を見てたじろいたように魔力が揺れたので、集中面での課題は残っているのかもしれません。
まあその辺りはおいおい慣れていったらいいですし、そんな事より今は持ってきたお肉です。
折角良い所を切り分けてもらったので冷める前に食べようと、私はスープを一口啜ってから、早速お肉を口にします。
「んーー~~…!!!」
大聖女時代はポーションと調理しなくていい保存食で10年間、それからすぐに連れ出されたのでまともに食事をしている余裕がありませんでした。
そういう訳で私もこの食事が10年ぶりのまともな食事だったのですが、久しぶりに食べたお肉はもう本当に泣きそうなくらいの美味しさです。
肉質はただただ柔らかく、トロっとした脂の甘味が肉の味を引き出し舌が蕩けます。
スープは塩とポワの実だけの引き締まった味付けなのですが、ピリッと刺激的なスープは口の中の脂を洗い流し、胃腸が刺激されてお肉が進みます。
お腹塞ぎに食べていたような硬いパンもしっかりと祝福が染みており、しっとりとした食感の奥に深い小麦の味がして、これがまたお肉とよく合いました。
「お前は…いや…」
そんな私の食事風景を見ながらヴォルフスタン皇帝はどこか呆れたような表情を浮かべたのですが、それから何やら柔らかい苦笑いを浮かべていました。
「美味しいですよ、陛下もどうですか?」
普通こういう一番良いお肉は皇帝陛下から食べるべきなのかもしれませんが、最初に食事に手を付けたのは毒見役と言いますか、新人や下っ端とわかる人達が率先して食べさせられていたので、やはり毒やら何やらの混入が警戒されていたのでしょう。
そういう事もあったのでまずは私自身が毒見してみせたのですが、これはこれで食べかけを勧める事になるのですが、ヴォルフスタン皇帝は毒見をされる事には慣れているのか、その辺りは頓着しているような感じはありません。
なので堂々と目の前で食べる事によって毒は入っていないという事を示したのですが、ヴォルフスタン皇帝は少し考えるように黙り込み、その視線は私の差し出すフォークに向いていました。
そういえばヴォルフスタン皇帝は専用の黒曜鉄製の食器を使っていた事を思い出したのですが、もしかして強度的な心配でしょうか?
「そっと掴めば大丈夫ですよ」
お皿を割ったりフォークをへし折ったりしないか考えているのだと思うのですが、今のヴォルフスタン皇帝の魔力制御であれば何とかなると思います。
「……いただこう」
数瞬考え込んだようなのですが、私の一言で決心したように息を吐くと、お皿を恐る恐る手のひらの上に乗せるように受け取り、何処にでもある金属製のフォークを……掴みます。
肩に力が入っているので魔力がグワングワンと揺れ、身体強化された筋力でフォークが少し歪むのですが、そこでグッと自己治癒の方に魔力を回す事で指先の力を抜きました。
「おぉ…」
多少曲がってしまったフォークを掴みながら、つい溢してしまったという無邪気な呟きに私は目を細めます。
そのまま一口、お肉を口にした陛下はそのあまりの美味しさに目を見開くのですが、私の視線に気づくと照れたように視線を逸らしました。
こうしてコロコロと変わる子供っぽい表情を見ていると暴虐な人物であるという噂は信じられなくなるのですが、やはり噂はただの噂でしかないのでしょう。
そんな事を考えながら私もお皿に盛って来たパンに手を伸ばしたのですが、ヴォルフスタン皇帝はそのまま数口食べた所で表情が曇り、手が止まりました。
「…?」
どうしたのだろうと思って見ていたのですが、ヴォルフスタン皇帝は俯き気味にどこか遠くを見るような目をして、ポツリと呟きます。
「今更…」
自省しているような呟きに相槌も打てず、私は隣でモチモチとパンを食べていたのですが、そんな私の様子があまりにも呑気だったからか、ヴォルフスタン皇帝は少し笑います。
「今更力の使い方に慣れてどうするのだろうな」
その呟きには「すでに取り返しのつかない事をしているのに」という自嘲するような意味が込められていました。
「どうもしないと思います、今までの事を無駄にしないためには前に進むしかありません」
私も沢山の人を殺して今ここに居ます。間に合わずに魔物に蹂躙された村々、ドラゴンに丸呑みされて即死した騎士達、何より安易な判断で大切な人を亡くしてしまい……それでも私が前に進むのは、そうした方が沢山の人を救えると信じているからです。
1人見殺しにしたのなら2人助けよう、きっとヴォルフスタン皇帝もそう思い多くを助けようと進んで来た人で……そんな人に贈る言葉は、へこたれるなという激励しかありません。
忘れず進めという事は途轍もなく辛い事なのかもしれませんが、きっとヴォルフスタン皇帝ならわかってくれるような気がします。
それはヴォルフスタン皇帝は誰かのためにあえて汚れ役を進んでやれるくらいには自己犠牲が強くて、少しでも自分が幸せを感じたら「自分なんかが幸せになって良いのだろうか?」と考え込むくらい優しい人だから、だからこれだけ暴力的な魔力を発していても皆が慕いついて来ているのだと思います。
これはそんな気がするという程度のフワフワした私の予想なのですが、それほど大きくは外していないと思います。
「進むしかない……そうか、そうだな」
アインザルフ帝国はドヌビス王国との戦争に勝利し、つかの間の平和を勝ち取りました。これから内政に注力するとなると皆と協力しなければならない事は多くなり、呪いのようにずっと自分を縛り付けていた魔力はいずれ克服しなければなりません。
やっと顔を上げたヴォルフスタン皇帝は決意を秘めた目で、呑気そうに笑う私の瞳を覗き込みました。
「大聖女…いや、レティシア…もし体がはじけ飛んでも……お前なら治せるか?」
ヴォルフスタン皇帝は何か物騒な事を言い始めたのですが、ここまで性急に魔力を制御しようとしているのは、もしかしたら陛下も寂しかったのかもしれません。
「治せます」
だから無理をしてでも進めようとしているのかもしれませんが、私は進もうと決めた陛下の決意に水を差さないように、頷きます。
リヴェイル先生程上手く治せないかもしれませんが、このとても不器用で優しい人の為になるのなら、爆発四散しない限り意地でも直してみせましょう。
「よし……ヴィクトル!」
「習うより慣れろか」というように、ヴォルフスタン皇帝は一度目を閉じゆっくりと開くと、丁度見回りから戻って来ていたヴィクトル様に声をかけ、フォークとお皿を置きました。
「はっ、ここに!」
何事だろうとヴィクトル様が小走りでやって来るのですが、その様子に宴の様な喧騒が途絶え「何事だろう?」と周囲の視線が集まります。
「手を出せ」
「…?は!」
言われている意味が分からないという様に、一瞬だけ不思議そうな顔をしたヴィクトル様は、私達の顔を交互に見たのですが、陛下の言葉に異を唱える事も出来ず、その右手を差し出します。
「ーー……」
ヴォルフスタン皇帝はすぅーっと大きく深呼吸をし精神を集中させていたのですが「本当に大丈夫だろうか?」というように不安そうに魔力が揺れました。
「大丈夫です、落ち着けば出来る筈です。ヴィクトル様も、こう…ぐっと手に力を入れてください」
変に動揺しなければ、たぶん触れても大丈夫。今のヴォルフスタン皇帝には「触れても大丈夫」という自信が何より必要で、私が安心させるようにへにゃりと笑うとヴォルフスタン皇帝はつられるように苦笑いを返し、改めて精神を集中させます。
薄々何をしようとしているのか察し始めたヴィクトル様は冷や汗をかきながら引きつった笑みを浮かべるのですが、私の忠告に従う様に血管が浮き上がる勢いで握りこぶしに力を込めました。
一種異様な緊張感が漂い、皆が固唾を飲む中、ヴォルフスタン皇帝はヴィクトル様の手にそっと触れると……。
「ぐっつぅおっ!!?」
バチンッと魔力が反発し、ヴィクトル様の右手が跳ねました。
微かに衝撃は伝わったようなのですが、それはただビックリしたという感じが強く、ヴィクトル様の腕がはじけ飛ぶ事もなければ、骨が折れる事もなく軽傷です。
その様子に周囲から信じられないという様に息を飲むような音が響くのですが、その事に一番驚いているのは腕が弾かれたヴィクトル様のようで、赤くなった自分の手を暫くの間見ていたかと思うとハッとしたように顔をあげました。
「ヴォルフ、おま…ぐぅっ!?」
「…ッ!?」
今度は両手でヴォルフスタン皇帝の手を握るのですが、いきなり掴まれた事で魔力が不安定に揺れて、ヴィクトル様の巨体が跳ねます。
「パージファル様!?」
その様子に周囲から短い叫び声があがり、何人かがヴィクトル様を助けようと駆け寄って来ました。
「離せヴィクトル、まだ制御に慣れていない」
「いえ、いえ…」
ヴォルフスタン皇帝はいきなり握られたという驚きが通り過ぎると、ゆっくりと魔力を抜きました。
そしてただ手を握るという当たり前の事に感極まったヴィクトル様は涙を流すのですが、その光景に周囲からどよめきの声が上がります。
「即死しないだと!?」
「まさか、触れられるようになられたのか!?」
皆さんありえないものを見たというような顔でヴォルフスタン皇帝とヴィクトル様を見ていたのですが、それは次第にそれは地鳴りのような歓声になり、熱気の孕んだ大音声は静かな森の中に木霊してあちこちからバサバサと鳥達が飛び立ちました。
この時の私は知らなかったのですが、唯一の皇位継承者が人に触れられない体という事でアインザルフ帝国の存続すら危ぶまれる状態だったのですが、2人の握手はその憂いが無くなり帝国の未来が繋がった瞬間を表す光景だったそうです。
※ヴォルフスタン皇帝が臨機応変に動けるよう中央集権化を進めた結果、皇帝不在という事態が致命的な結果を産んでしまう状態になっていました。
あと一般的にはヴォルフスタン皇帝以外に血筋がいないとされているので、レティシアは他に血縁者が居る事を知りません。なので「唯一の継承者」と言っています。
一応その血縁者に子供を産んでもらって養子をとるという話も裏ではありましたが「それならそいつが皇帝になればいい」とヴォルフスタン皇帝は降りる気満々で、その血縁者も「絶対に嫌」と皇帝就任を断り続け、周囲を困らせていました。
ヴィクトル様は立場上その辺りの事情を知っているので帝国の存亡は特に気にしていませんでしたが、必至に頑張っている弟分にかけられていた呪いが解けたような思いで感極まりました。
※補足ですが、アインザルフ帝国の食事は貴族でもなければ1日2食です。中には1食だけという人もいますが、騎士や聖女といった体が資本の人達は3食食べています。
※細々と訂正しました(4/15)。




