10:お肉と瘴気の関係と下準備
軽口を叩いていた第一騎士団のザイン様がヴォルフスタン皇帝の眼力によって負傷するというよくわからない状況になってしまったのですが、怪我人をほうっておく訳にもいかないので治療を済ませてしまいましょう。
「ありがとう…ございます、その…申し訳ありませんが、ドヌビスめが悪辣な罠を張り巡らしている可能性がありますので我らはもう一度索敵を行おうと思います」
治療されたザイン様は短くお礼を言いながら視線をさ迷わせていたのですが、後続の荷馬車隊を待つ必要があったので周囲の索敵をしなおす事になりまして……何故か妙にギクシャクとした動きのザイン様には違和感を覚えてしまうのですが、よくよく考えてみると巡回聖女時代に訪れた事がある友好国という感覚の私と不俱戴天の敵と考えているアインザルフ帝国の人達では気の弛み方が違うのかもしれません。
(私も…油断しないようにしないと)
今の私はアインザルフ帝国の聖女として行動している訳ですし、気を引き締めなおさなければいけないのかもしれません。
そんな事を考えている間にザイン様達が出発し、テファンさんが率いる荷馬車隊が合流してきたのですが、どうやら森林狼の死骸を浄化するために運んで来たようで……他国の国境付近に魔物の死骸を放置していたらどのような難癖をつけられるのかがわかりませんし、出来る範囲の浄化はしておこうという考えなのかもしれません。
「陛下、ご無事でなによりです…その?」
サラリとした長髪に貴族然とした立ち振る舞いのテファンさんが軽やかな身のこなしで近づいて来たのですが、ピリピリとした空気を感じ取ったのか途中で口を閉ざしました。
「あー…まあ、今は色々あってザインが周囲の偵察に出ている、その間は小休止だ、報告はこちらで聞く」
何とも言えない顔をしているヴィクトル様がテファンさんを連れて行ってしまいましたし、距離感を計りかねている人達が遠巻きに囲んでいるのでヴォルフスタン皇帝の周りには私とマリアンさんだけが取り残されてしまい……私は何となく集まって来ていた第一騎士団の人達を眺めていたのですが、マリアンさんの話しではドヌビス王国やラークジェアリー聖王国に残って残務処理をしている人達を除いた定数300名の内の半数近い141名がここに集結しているのだそうです。
「陛下、浄化作業があるので私はこれで」
そうして合流して来た人達も各々やるべき事に向けて動き出し……マリアンさんも運ばれて来た森林狼の浄化作業に向かうのですが、ヴォルフスタン皇帝の返事を待たずに動き出しているのは指揮系統的に大丈夫なのでしょうか?
(問題…ないのでしょうね、よくある事…みたいな感じがしますし)
アインザルフでは拙速を尊ぶのかもしれませんし、別の用事があれば改めて指示を出せばよいだけなのですが、ヴォルフスタン皇帝の存在が居ないモノとして処理されている事が少しだけ引っかかってしまいます。
(自分で考えて動くのがアインザルフ流なのでしたら…私もウカウカしていられませんね)
そそくさとヴォルフスタン皇帝から離れていく人達を目で追ってから皇帝陛下の顔色を窺おうと視線を向けると……パチリと目が合いました。
その視線には奇妙な戸惑いがありましたし、軽い結界を張っていなければ目が抉られていたかもしれない魔力が突き刺さって来たのでその意味を考えてしまったのですが、聖女の仕事と言えば何をおいても瘴気の浄化なので私もテファンさん達が運んできた森林狼の浄化作業を手伝った方が良いのかもしれません。
正確には核となる魔石を浄化しておかなければ自然劣化と共に瘴気が漏れ出して来てしまい……放置していると強力な魔物が生まれやすくなってしまいますし、ここにはマリアンさんと私しか聖女がいないので浄化作業を手伝った方がいいのでしょう。
「陛下、私も…ッ!?」
「待てっ」
こういう雑務こそ率先してこなしていこうとマリアンさんの後を追おうとしたのですが、ヴォルフスタン皇帝に腕を掴まれてしまってメキリと骨が軋みました。
単純な身体強化による握力と魔力による作用で手首から先が吹き飛びかけたのですが、陛下の腕力にも慣れて来たので骨にヒビが入った程度でもちこたえます。
「…すまない」
すぐに手を離してくれたのですが、この調子だとついうっかりで殺されてしまう可能性がありまして……。
「こちらこそ申し訳ありませんでした、事前に確認を取るべきでした、ここで見ているのもなんですから私も浄化作業の手伝いを…」
敗戦後の人質が急に動いたら色々と疑われるのだろうと腕の治療をしながら聞いてみたのですが、何故か周囲で作業をしている人達がおもいっきり首を横に振っていました。
「そうだな…頼む」
私は首を振っている人達に対して首を傾げていたのですが、慌てて手を離したヴォルフスタン皇帝は自分の手のひらを握ったり開いたりをしながら考え込んだ後に「お手並み拝見」という感じで解体の始まっている森林狼の方を軽く示しました。
そう、解体……瘴気がうっすらと漏れている死骸におもいっきり剣や刃物を突き立てながら数人がかりで毛皮を引き剥がしにかかっていたのですが、魔物のお肉や素材を確保しようとしているのかもしれません。
(そういえば…アインザルフ帝国だと魔物のお肉を食べるのでしたっけ)
ラークジェアリー聖王国の場合は魔石の浄化をしたら放置か火葬の二択が多かったのですが……これは他の部位まで浄化していると労力が跳ね上がるという現実的な問題がある事や魔物由来の素材を集めなくても食料は十分、武器や防具に必要な鉱石が山ほど産出するという好立地が関係していたのですが、資源の乏しいアインザルフ帝国だと全部丸ごと利用する方針なのかもしれません。
「珍しいか?」
「はい、ラークジェアリー聖王国だと不用品として捨てられている部位でしたので」
そもそもラークジェアリー聖王国では魔物由来の素材は強力な物になればなるほど人体に悪い物だと考えられていましたし、瘴気まみれのお肉は奇妙な苦みや硬さがあって体に悪いという認識でした。
「そうか」
勿論何事にも物好きが居てジビエ的に食べている人達が居るには居たのですが、ごくごく普遍的なラークジェアリー聖王国での常識を伝えるとヴォルフスタン皇帝はどこか自嘲気味に口元を歪め……。
「アインザルフだと魔物くらいしか居ないからな、お前も嫌というほど魔物の肉を食べる事になるぞ」
どこか脅すような言葉ではあったのですが、私としては魔物のお肉を食べる事よりも浄化作業が中途半端な事の方が気になってしまいます。
「食べるのは良いのですが…浄化はしないのですか?その方が美味しく食べられますのに」
「そうなのか?人数的な問題で肉の浄化までは手が回らなかったが…」
聖女不足のアインザルフ帝国では損耗を避ける傾向にありますし、あくまで今のところ目の前に転がっているのが11匹なだけでこれからドヌビス王国を通過するとなるとその数は一気に膨れ上がっていく筈です。
必要最低限の浄化にとどめて数を熟す必要があるというヴォルフスタン皇帝の考えもわかるのですが、ちょっとした手間暇を惜しんで騎士達のお腹や体を壊していたら元も子もないような気がします。
「奇跡無しのちょっとした下処理だけでも美味しく食べられるようになりますので…やってみてもいいですか?」
皇帝陛下が気にしていないのなら従えばいいのかもしれませんが、瘴気まみれのお肉は体に悪いですし……不味い物を食べ続けるというのは色々な意味で良くないと思います。
これらの発言は諫言と取られて「生意気な奴め」と思われるのかもしれませんが、上の指示を待たずに率先して動くべきというアインザルフ帝国なら自律的な行動を許容してくれるのかもしれないと思って聞いてみますと、ヴォルフスタン皇帝は少しの間だけ考え込みました。
「出来るのか?」
「はい、魔物の種類にもよりますが…1日2日程度で瘴気が抜けるので美味しく食べられるようになります」
この辺りの魔食文化はラークジェアリー聖王国ではあまり知られていないといいますか、巡回聖女をしていたリヴェイル先生が「少しでもマシな食事にありつきたい」と試行錯誤をした結果のようで……というのも魔物に蹂躙されている村々の救援に赴いた先での食糧調達に苦慮した結果なのですが、振る舞ってもらったグリーンウルフはとても美味しかった記憶があります。
「では…やってみてくれ、ヴィクトル!マリアン!手伝ってやれ」
「了解です」
「わかりました」
いきなりヴォルフスタン皇帝に声をかけられた2人はビックリしていたのですが、そこは皇帝陛下の側近なだけあって打てば響くような返事を返してきました。
「こちらは解体が進んでおりますので…レティシア様はこちらに転がっている未処理の森林狼でお願いします」
右半身が不自由な私のためにマリアンさんが恭しく手を貸してくれましたし、何故かヴォルフスタン皇帝がピッタリとくっついて来たので周囲の視線が物凄い事になります。
「すみません、斬り込みを入れたいのでナイフをお借りしてもいいですか?」
多少落ち着かないのですが、陛下の隣で変な動きをしていたら即座に斬り殺されてもおかしくないですし、敵意がない事を示す為にも説明を交えながらゆっくりと解体してみせる事にしましょう。
「これで…大丈夫か?」
ヴィクトル様は捕虜に刃物を渡してもいいのだろうか?というような顔でヴォルフスタン皇帝の顔色を窺っていたのですが、陛下が頷いたのを確認してから黒曜鉄製の簡素な護身用のナイフを貸してくれました。
「ありがとうございます、それでは…浄化をせずに食べる方法という事なのでこのまま下処理を始めるのですが、浄化を済ませておいた方が刃が入りやすいですし…未浄化のままだと土地が汚染されていくので適時適切な浄化をおこなってください」
わざわざ注意するような事でもないのかもしれませんが、お肉を優先しすぎるあまり浄化がおざなりになるという逆転現象が起きても大変なので注意喚起だけはしておきましょう。
「魔石が残っていると抜けが悪くなるので取り出せる場合は先に取り出しておいてください、後は瘴気の流れに沿って…森林狼の場合は魔石から離れた口内と尻尾の付け根辺りの両極端に切り込みを入れるのですが…すみません、助かります」
「気にするな、それよりこいつの歯は鋭いからな…気をつけろ」
取り出した後の魔石は下処理とは関係がなくなるので浄化しておいたのですが、左手だけで死んでいる森林狼の口内に適切な切り込みを入れるのが難しくて……どうやって口の中を切ろうかと悩んでいたらヴィクトル様が森林狼の口をおもいっきり広げてくれました。
「わからない場合は全身をめった刺しにしてもいいのですが…その場合は漏れ出して来る瘴気に気を付けてください、後は抜ける場所が増えると腐りやすくなるので注意が必要です」
言いながらナイフを突き立ててみせるのですが、森林狼の中に残っていた瘴気が薄っすらと漂ってきて……魔石を取り出している個体でもこれだけ漏れ出して来ている訳ですし、取り出さない場合はもうもうと漂ってくるので注意をしなければいけません。
「後は少しでも抜けやすくする為に魔石のあった辺りをポンポンと叩いたり縄で縛って吊り下げたりしておくのですが…食べごろの基準はお肉がしんなりして来たくらいで、細かなタイミングは何度も試行錯誤を繰り返しながら覚えていくしかないのかもしれません」
この辺りの処理時間は魔物の種類や内包している瘴気の質や量によって変わってきますし、一言で教えられる事でもないので臨機応変に対応していくしかないのでしょう。
「一つ、いいか?素朴な疑問なんだが…めった刺しになった魔物なんて数時間もすれば腐敗が始まるもんだが、その辺りは大丈夫なのか?」
ヴィクトル様がちょっとした疑問というように聞いてきたのですが、その辺りの質問は想定内です。
「魔物の死体が腐敗したように見えるのは瘴気が漏れ出してきているからで…むしろその臭いが無くなったら食べごろだと思ってください」
その強烈な臭いやトロっとした肉質のせいで腐っていると勘違いされがちなのですが、意外と長期保存に向いているのが魔物肉という物でした。
むしろ放置しすぎてカチコチに硬くしてしまう人が居たり瘴気が残っている方が苦み走った深い味わいがとか言い出して抜けきる前に食べたりする人が居たりと、そういう人達に丁度いいタイミングを教える事の方が大変だったような気がします。
(そういえば…)
そういう昔の事を思い出していると下処理の方法を教えてくれた巡回騎士達の顔が思い浮かぶのですが……今はどこでどうしているのでしょう?
急な大聖女任命でバタバタと隊を離れてしまったのでお別れの挨拶が出来ませんでしたし、共に戦った聖女としては今も魔物達と戦い続けている彼らの身を案じるべきなのかもしれませんが……きっと大丈夫なのでしょう。
ドラゴンに踏まれてもピンピンとしていそうな人達ばかりですし、むしろ元気があり余り過ぎてアインザルフ帝国との戦争で血みどろの殺し合いをしていないかの方が心配です。
「この辺りは瘴気が薄いので抜けるのも早そうですし、明日か…遅くとも明後日くらいになれば食べられるようになると思います」
そんな心配事より今はお肉の事だとフラフラとしていた思考を引き戻しておくのですが、物珍しそうに見ていた周囲の人達から感嘆のため息が漏れました。
「注意点は溢れてくる瘴気に気を付ける事、あまり同じ場所で解体を続けない事、同じ場所で解体をする場合は定期的に聖女の浄化をかけておく事の3点です」
この方法は村から村へと転戦しているという事が前提になっているといますか、解体場が瘴気溜まりになって魔物の発生源になってしまうのを阻止しなければいけません。
「これで…終わりか?」
「はい」
彼らはサックリと終わった下処理に対して驚いていたのですが、漏れ出す瘴気に気をつけていれば意外と美味しく食べられるのが魔物肉というもので……行く所に行ったらジビエ感覚で食べている人がいるという物ですし、瘴気中毒に注意すれば意外とポピュラーな食べ物なのかもしれません。
「ふむ、そうか…よし!じゃあレティシア嬢以外でも再現できるかを確かめてみよう、マリアンは魔石の浄化を、こっちの一匹は俺がやってみる、後はそうだな…ロルフ、見ていたな?そっちの1匹はお前が主導しろ」
「え、お…私ですか?」
ヴィクトル様に指名された短髪茶色の男性が自信なさげに前に出てくるのですが、この人はたしか……騎馬隊を率いていた人ですね。
「大丈夫ですよ、わからないところがあればお教えいたしますので」
流石に初めての作業という事で緊張しているようなのですが、私は安心させる為にもニヘラと笑いかけました。
「い、いえ!だ、大丈夫です、何とかしてみせますので!」
「あ~…そ、そうだな、レティシア嬢も疲れただろう、陛下と一緒に馬車の方で休んでいてくれ…頼む」
ヴィクトル様達がよそよそしい態度で私とヴォルフスタン皇帝をこの場から遠ざけようとしていたのですが、これは最上位者が居たら気が抜けないので員数外の私が暇つぶしのお相手をしておけという意味なのでしょうか?
「それがよろしいかと思います」
確認のためにマリアンさんの顔色を窺ってみると頷かれてしまいましたし、たぶんきっとそういう事なのでしょう。
「………」
ヴォルフスタン皇帝も何ともいえないような顔で周囲の人達の様子を窺っていたのですが、最後に私の顔を見て……諦めたように視線を外すと1人で馬車の方に戻り始めました。
そうして圧力を放っていた人が離れた事で一斉に安堵の息が吐かれるのですが、聞えよがしな溜め息を漏らすのは酷くありませんか?
ヴォルフスタン皇帝の身体強化を考えると誰が溜め息を吐いているのかさえわかっているのだと思うのですが、あまりにも常日頃から冷遇され続けているせいなのか咎める言葉もありませんし、距離を取るヴォルフスタン皇帝の事を気に留めている人もいませんでした。
勿論皇帝陛下として敬われているのは確かですし、最終的な決断はヴォルフスタン皇帝が下しているのですが……アインザルフ帝国では陛下の居ない場所で物事が進む事が常態化しているのでしょう。
なのでこれがアインザルフ帝国の日常なのかもしれませんが、トボトボと哀愁を漂わせながら馬車に戻るヴォルフスタン皇帝をほっておく訳にもいきませんし、私はマリアンさんが浄化しようとしていた森林狼をパッパと処理するとその背中を追いかけました。
「……」
用事を終わらせてから追いかけて来た私を横目で確認していたヴォルフスタン皇帝の魔力が硬くなったのですが、ヘラリと笑う私の顔を見ながら前を向き……並んだヴォルフスタン皇帝の横顔は何とも言えない顔をしていたのですが、魔力の圧力が弛んで柔らかいものへと変わったような気がしますし、隣に居ても良いのだと言われたような気がしました。
※権力の集中や指揮系統の統一という意味では色々と問題を抱えているのですが、膨大な魔力が物理的な障害となっているのでヴォルフスタン皇帝からの指示は最低限ですし、あまり重要ではない事に対しては指示がない事があたりまえになっています。
※下処理を教えてくれた騎士達はそのうち出て来るのですが、ラークジェアリー聖王国最強の騎士でレティシアの親衛隊とか揶揄される人達です。そういう“思想的”に使いづらい人達だったのでアインザルフ帝国とドヌビス王国の戦争には出て来ませんでした。
彼らともう少し有能な聖女が参戦していたら攻めきれなかったアインザルフ帝国の敗北で終戦し、殿を買って出たヴォルフスタン皇帝が亡くなり歴史が大きく変わっていたと思います。
※アインザルフ帝国からする魔物肉の処理方法はエポックメイキングな出来事で、冬には餓死者が出るのが当たり前、無理を押して魔物のお肉を食べた事で体調を崩す人までいるという状況が改善し「パンは無いけどお肉を配る事が出来る」というレベルまで食糧事情が安定していきます。
因みにラークジェアリー聖王国で広まっていなかったのはアインザルフ帝国と同じような理由なのですが、リヴェイル先生が死亡した事やレティシアが大聖女となって『門』の浄化をおこない始めた後は国内の魔物が激減したのでこの処理方法が広がる事がありませんでした。




