【幕間】:半生(ヴォルフスタン視点)前編
※残念ながら物語開始時点ですでに故人となっている人が出てきます。少しグロい表現もあり、苦手な人は読み飛ばしていってください。
俺が最初に手をかけたのは己の母親だった。
膨大な魔力のせいで有り得ない程早熟だった俺は、母親の腹を突き破り出てきた時の事をぼんやりと覚えていた。
冷たくなった肉を突き破り、薄い膜のような魔法をかき分ける感触。産声一つ上げず、面白くなさそうな顔で母親の胎内から這い出てきた赤子を、医師達や産婆達は最初、悪魔か何かだと思ったらしい。
呆然とした顔に、驚愕に引きつった顔が連なる中、ただ母だけは満足げな笑みを浮かべていたのだが、その笑みの理由はもう分からない。とにかく俺はそのようにしてこの世に生み出され、当然の事だが、その出産で母は死亡した。
もとより無理を押した出産だったらしい。これだけの魔力を内包した赤子を身ごもれるほど常人の体は強くなく、母体を優先して赤子を殺そうとしたところ、母が頑迷に抵抗したらしい。
母の愛といえば聞こえはいいが、つぎ込まれた技術や資金などを考えればただ呆れかえるばかりだった。高価なエリクサーが湯水のように使われ、母の体には俺の魔力に耐えられるよう、聖女の命を犠牲にするような大規模な保護の奇跡がかけ続けられたという。
そんな我儘が聞き入れられたのは俺は弱小ながら帝国の正統後継者という奴だったからなのだが、その時の財源帳を見る限り、国庫が破綻しかけていたというのだから本当に頭が下がる。俺などさっさと切り捨てればよかったものをと思うのだが、とにかく、そんなものを一切合切ぶち破って生まれてきたのがヴォルフスタン・エリュタス・フォン・アインザルフという男だった。
皇后陛下の死は第1皇子誕生という朗報にかき消された。生まれてきた赤子がまともに人と接する事すら出来ない程の魔力を持っている事も、最初は肯定的にとらえられていた。
アインザルフ帝国は辺境にあり、魔物の脅威に晒され続けているため、強さは正義だ。強大な魔力は寧ろ好材料であるという風に取られていたのだが、どうやらそれも度が過ぎていたらしい。
同じ部屋に居るだけで圧迫感を覚え、赤子の身振り手振りで大怪我を負い、体に触れれば簡単に四肢が弾け飛ぶ、そんな赤子を誰が好きになるというのだ。
一応防御力を上げるような護符があれば最低限の世話は出来たのだが、俺の魔力が強すぎるせいか国宝級の護符でさえ使い捨てのように壊れていく有様だ。その護符代も馬鹿にならず、さぞかし俺は金のかかる赤子だったのだろう。それに油断をすれば大怪我を負う事には変わりはなく、父親など、俺の部屋にやって来た事は一度も無かった。
泣いて辞表を出す乳母や世話係、怪我をして職を辞した近習、不幸にも死んでしまった者達の家族が俺の事を噂するたびに、俺への肯定的な意見は否定的な意見へと傾いていった。
歳を重ねるごとに魔力も増大していき、数年もすれば当然のように『後継者失格』という烙印を押され、この辺りから父はおかしくなっていったのだと思う。
陰ながら皇帝陛下を支えていた皇后の死。後継者は人と接する事が絶望的な男子。予断の許さない不安定な国内。父は次の後継者を得るために、そして寂しさを紛らわせるように放蕩三昧に耽るようになっていった。
百人の美女に手を出し、それすら空振りに終わった後、最後に手を出した下級の宮仕えの女性が未熟児の女の子を出産した辺りで、父は次世代に何も期待しなくなっていた。
父は自分の世代で区切りをつけるという勢いで、極端な富国強兵、軍拡に走り始めたのだ。
そんなころ、鉄砲玉か何かの為に飼われ始めていた俺を引き取ってくれたのが、アルスウェイ・バンフォルツ・フォン・アインザルフ……父の弟、つまり俺の叔父にあたる人物だった。
彼は一人放置されていた俺の為に、乳を混ぜたエリクサーや、体に良い物を集め続けてくれており、暴れる俺に根気よく皇帝の在り方を教え、諭し、教育を施してくれた。
今の俺が多少なり人間らしい振る舞いが出来るのは全てアルスウェイ叔父のおかげだといえる、それほど大恩がある人だ。
その後無理やり拉致されるようにしてバンフォルツ大公領に移った俺は、そこで初めて人間らしい生活を送る事となった。そこでの生活は戸惑いの連続だった。まず今まで俺が住んでいた部屋が独房だったという事を知り、温かい食事というのを初めて食べたのもこの時だ。
叔父の友人であるヴィクトルに剣を習い、アルスウェイ叔父に勉学を習い、人並みの生活をした。
正直その頃の俺は、捻た目をした不愛想な野生児だったと思うのだが、叔父夫婦やヴィクトルはそんな事など些事であるというように温かく迎え入れてくれ、まるで本当の息子のように育ててくれた。
どうやら今の皇室は子供が出来辛い体質のようで、その血筋を受け継いでしまった叔父夫婦には子供がおらず、このままこの家の養子になるのも悪くないと思い始めていた頃、父であるヴァルシャイト皇帝が魔物のスタンピードで命を落とすという事件があった。
まともに会話した事も無く、俺の魔力に怯え、遠くから睨むように見てくるだけの男。最後まで父親らしい事は何もせず、国中を混乱に陥れるだけだった人物。本当に、碌でもない父親だったと思う。
俺からすればその程度の話なのだが、世の中にとってそう簡単な話ではなかったようだった。その死を切っ掛けにして、帝国の内部は荒れに荒れた。
もとよりアインザルフ帝国は幾つかの派閥を皇帝がまとめ上げるようにして成り立っていた国だ。その肝心の皇帝が居なくなった事で、たがが外れたように小規模な派閥が乱立し、瞬く間に国政が立ち行かなくなったのだ。
この時点で明確な帝位継承権を持つのは17歳の俺と、38歳のアルスウェイ叔父と、そして帝王学も何も学んでいない10歳の妹だけという有様だった。一応何世代か遡ればという遠縁の親戚はいたものの、そんな連中は最初期に除外された。病弱だった腹違いの妹は聖女としての力には目覚めてはいたものの、統治者としての能力的は欠けるという事で、次期皇帝は俺かアルスウェイ叔父のどちらかになる事となった。
俺は叔父が帝国を率いるべきだと主張したかったのだが、今まで政界に顔を出した事の無い俺の言葉など誰も耳を傾けなかった。皆が皆、お互いに好きな事を言い合い、俺はだんだんとアルスウェイ叔父と会う事すら難しくなっていく。
今の俺からすれば何を迷っているのかと鼻で笑う所なのだが、その当時の俺は尻の青い青二才で、周囲の状況についていけなかったのだ。その迷いのせいで後々高すぎる代償を払う事となるのだが、ともかく、剣まで取り出された話し合いの末、血筋的な観点と、アルスウェイ叔父がその年齢まで子供が居なかった事などが考慮され、ヴァルシャイト皇帝の長男である俺が帝位を継ぐ事になったのだ。
だがその頃の俺には一切実績が無く、そもそも膨大すぎる魔力という大きな欠点を抱えていた。反対に叔父は外交官として活躍しており、周囲の貴族達にも顔が利くという誰もが認める有能な人物だった。当然の結果のようにアルスウェイ叔父を推す反ヴォルフスタン派というべきものが結成され、悪質なサボタージュは数えきれず、一歩間違えれば反乱といった事件も多発した。俺への暗殺未遂などは数えるのも嫌になるという状態だ。
皇帝に即位し、帝都エリュタスに戻っていた俺が右往左往していたある日。このような事態になってから初めて、アルスウェイ叔父が俺の元へと尋ねてきたのだ。
叔父の手の者に案内させたのだろう、大した身体検査も無いままやってきた叔父は大きなトランク鞄を持って来ており、俺が視線でその鞄について問うてみても、バンフォルツ邸に居た時と同じような、どこか茶目っ気ある笑みが返されるだけだった。
「よお、少し痩せたか?お前は昔から偏食が過ぎるからなぁ」
その変わらない言葉遣いに俺は笑い返す気力もなく、引きつった表情のまま叔父の顔を見つめた。
今アルスウェイ叔父の身に何かあれば即時内戦という可能性もあるのだ、当然叔父もその事は認識しているのだろう。それなのに態々接触してきた真意が分からず俺は困惑していたのだが、叔父は「あの鼻たれ小僧がいっちょ前に警戒してやがるぜ」みたいな人の悪い顔をしただけで何も答えてはくれなかった。
「ええ……」
どうやら叔父は魔法防御を上げる護符やらアミュレットやらをごちゃごちゃとつけているようで、俺は安堵の息を吐いた。これだけ護符をつけているのなら話をするくらいなら大丈夫だろうと、俺は叔父を部屋に通す事にした。
部屋に入った瞬間、叔父の付けていた護符が嫌な音を立てたのだが、余程良い物を集めさせたのだろう、俺の魔力にも壊れる事なく耐えてくれているようだった。
部屋に入った叔父は乱雑な部屋の中を一度見回すと、人払いをする様に手を振った。それで廊下に控えていた騎士達は一礼をして去っていく。
俺がどれだけ一人になりたいと言っても「御身を守る為です」としか言わない騎士達が、叔父の手の振りだけで去っていくのを見て、俺は息を吐いた。つまり俺とアルスウェイ叔父の政治力の大きさというのはそれくらいの違いがあったのだ。
「そっちは大変のようだな」
正真正銘俺とアルスウェイ叔父だけになると、アルスウェイ叔父は敵対派閥のトップとは思えないような気やすさで、奔走する俺をからかうような人の悪い笑みを浮かべ、大きな鞄を机の上に置いた。
その変わらない人懐っこい笑みに、俺はようやく苦笑いの様なものを浮かべる事が出来た。苦笑いすら浮かべる余裕が無かったのだという事を、叔父のおかげで知る事が出来た。
「…まったくです、誰かに代わって欲しいくらいです」
魔物の被害や瘴気の浄化はヴィクトルや聖女達に任せれば何とかなっているが、内政的にはガタガタで、帝国がいまだ分裂していない事の方が不思議に思えるくらいだった。
「どうぞ…お茶は、今の状況ではお互い不味いでしょう」
俺はアルスウェイ叔父に椅子を勧めつつ、自分も鞄の置かれた机の傍にある椅子に腰を掛けた。
存在感を放つ大きめの革張りのトランクを見ながら、俺は久しぶりに叔父と話すという懐かしさも手伝って、子供の頃と同じようなノリで今の国内問題などを叔父に相談すると、叔父は懇切丁寧に答えを返してくれた。
「地方によっては裏で勝手な増税をしているようなのですが、確信ともいえる物はつかめず罰する事が出来ません。本当に、奴らは恐ろしく優秀です」
俺が語る程度の状況は調べてから来ているのだろう。そもそも下手に隠そうとしても叔父にはお見通しのようで、俺の苦労話をニヤニヤとした笑みを浮かべながら聞いていた。
アルスウェイ叔父に帝位を譲れるのならどれほど楽だろうかとは思うのだが、ここまで関係がこじれてしまえば、お互いを担ぎ上げた貴族達がそれを許さないだろう。
相手が勝てば自分達の身の破滅が待っているのだ。それを「国の為だ」と納得できる成人君主ばかりでないことは、流石の俺でも分かっていた。下手をしたらそのまま国を分けた内乱に突入するというギリギリの均衡の上に俺達が居るのだという事が、この城の中に居れば嫌でもよく分かる。
貴族達の一触即発の空気と、その牽制の裏で暗躍し小金を稼ぐ者達。民衆は先代の軍拡路線から続く圧制に喘いでおり、魔物の被害も相変わらずだ。ただでさえ少ない耕作地が2割ほど瘴気の海に沈んだとも報告されている。このままのゴタゴタが続くのなら、アインザルフという国はあと数年で無くなるかも知れないという状況だ。
アルスウェイ叔父は愚痴とも相談ともとれる俺の話を根気よく聞いてくれた後、さも可笑しそうに笑いながら、無視するには大きすぎる核心的な発言をした。
「そりゃ優秀だろう、なんたって反ヴォルフスタン派は俺が率いているんだからな」
その言葉に、部屋の空気が冷えた。
意外な事に、俺の中に驚きは無く「やはりそうだったのか」という納得だけが残った。中にはボロを出す奴もいたのだが、こちら側に決定的な尻尾は掴ませず、常に煙に巻かれていたのだ。俺の調査能力の低さもあるのだろうが、それほど奴らの動きは巧妙であり、纏め上げた人物の有能さを証明し続けていた。
俺はゆっくりと息を吐きだすと、この時生まれて初めて心から安堵する事が出来た。やっと終わらせられるのだと、肩の力を抜くことが出来た。人を傷つけるたびに降り積もり続けていた重荷をやっと下ろせるのだと分かると、口元に笑みさえ浮かんだ。
反感は無い。むしろ叔父が起ってくれた事に安堵感すらあったのだ。後を託すのがアルスウェイ叔父なのだ、これほど心強い事は無いだろう。
こんな厄介者でしかなかった俺を人並みに見える程度に育て上げたのだ、アルスウェイ叔父ならアインザルフ帝国の民を見捨てず、立て直し、より良い方向に導くことが出来るのだと、俺は誰よりも確信をもって断言する事が出来た。
叔父の統べ帝国の中に俺だけが居ない事が不服ではあったのだが、それは仕方がないだろう。俺が生きている限り、誰かが担ぎ上げようとするだろう。そういう馬鹿が出てこない為にも、アルスウェイ叔父は後顧の憂いを絶つために俺を処刑せざるおえないところまで来ていたのだ。
脱力して椅子に座りこむ俺の前で、叔父が持ってきていたトランクを開けるのをぼんやりと眺めていた。そこから出てくるのが短剣か、毒か、それとも何か別の物かと夢想していた。
出来たら楽な死がいいと思っていたのだが、意外な事にそこから出てきたのは大量の……紙の束だった。
「さっき話のあった増税している馬鹿な、ドレクスラーの奴だろ?その裏帳簿と証拠がこれだ。後色々とちょろまかしているのと、そういえば魔物退治と称して軍を勝手に動かしている奴もいたな。後はあれだ、お前に暗殺者を放ったり毒殺しようとしたルートだが…」
アルスウェイ叔父が次々に取り出す資料や帳簿の数々は、俺が喉から手が出る程欲しがっていた証拠の山だった。そしてそんな物が出て来る事実に、俺は目を瞠った。
「叔父上……」
情けない事に、自分の声が掠れているのが分かる。何故アルスウェイ叔父が「自分が黒幕だ」と宣言してから、こんな物を取り出しているのか。
「困ったな、皇帝暗殺未遂の件までバレてしまったぞ」
戸惑う俺の顔を見ながら、アルスウェイ叔父はまるで悪戯が成功したというような表情を浮かべ、両手を広げていた。
そんなおどけた様子に何の返事も返せないでいると、「やれやれ」とでも言いたそうに息を吐いてから、察しの悪い生徒に教え諭すような顔をすると、アルスウェイ叔父は語り始めた。
思いのほか長くなったので前後編です。後編は近日中に上げる予定です。




