第9話 海夢
第九話 海夢
海夢本人は。
テレビの前で静かに笑っていた。
「似てないわよ」
そう呟きながら。
どこか嬉しそうに。
イナンナの動画を何度も見返していた。
その頃。
僕は全然笑えなかった。
テレビ。
ネットニュース。
SNS。
全部同じだった。
海夢の再来
第二の海夢
帰ってきた伝説
違う。
そう言いたかった。
イナンナは海夢じゃない。
だが。
世界はそう思っていない。
「最悪だな」
ソファで寝転びながら呟く。
イナンナが首を傾げる。
『何が?』
ノート。
「海夢だよ」
イナンナは少し考える。
『すごい人』
「そうだな」
『嫌い?』
僕は驚いた。
「嫌いじゃない」
『でも怒ってる』
鋭い。
妙なところだけ。
本当に鋭い。
「お前が海夢じゃないからだ」
イナンナは黙る。
しばらく考える。
そして。
『会ってみたい』
僕は固まった。
「は?」
『海夢』
「いや無理だろ」
即答だった。
世界中が探してる人だぞ。
伝説のアイドルだぞ。
会える訳がない。
その時だった。
スマホが震える。
父から。
短いメッセージ。
明日来い
それだけ。
「嫌な予感しかしない」
本当に。
嫌な予感しかしなかった。
翌日。
僕とイナンナは本邸へ向かった。
応接室。
父は一人で待っていた。
珍しく真面目な顔。
「何だ」
僕は聞く。
父は答えない。
代わりに。
一枚の封筒を差し出した。
中を見る。
写真だった。
そして。
僕は固まった。
海夢だった。
だが。
テレビで見る海夢じゃない。
私服。
帽子。
笑顔。
どこにでもいる女性。
そして。
その隣。
父が映っていた。
若い頃の。
「どういうことだ」
僕は聞く。
父は窓の外を見る。
そして。
静かに言った。
「私の妻だ」
世界が止まった。
「……は?」
「だから」
父は振り返る。
「海夢は私の妻だ」
理解が追いつかない。
追いつく訳がない。
海夢。
世界一のアイドル。
父の妻。
つまり。
「待て」
頭が真っ白になる。
「じゃあ俺は」
父は頷いた。
「海夢の息子だ」
息が止まる。
隣で。
イナンナも固まっていた。
当然だ。
僕も固まっている。
誰だって固まる。
「嘘だろ」
「本当だ」
「じゃあ何で今まで」
父は少しだけ笑った。
悲しそうに。
「話す必要がなかった」
その答えは。
相変わらず最低だった。
だが。
その時。
応接室の扉が開く。
僕は振り返る。
そして。
言葉を失った。
白いワンピース。
長い黒髪。
優しい笑顔。
テレビで何百回も見た顔。
海夢だった。
世界で最も愛されたアイドル。
伝説の少女。
その人は。
僕を見る。
イナンナを見る。
そして。
少しだけ泣きそうな顔で笑った。
「初めまして」
その言葉に。
僕は違和感を覚える。
初めましてじゃない。
この人は。
僕の母親なのだから。
そして。
海夢の視線は。
僕ではなく。
イナンナへ向いていた。
まるで。
ずっと会いたかった人を見るように。
その優しい瞳で。




