その4:違う意味でやばい奴
イルガの部屋を出ると、俺はすぐそばにある小部屋に通された。
「イルガ様の命があるまでここで待機していなさい」
「はい。かしこまりました」
「呼び鈴が鳴ったらすぐに赴き、ご要望にお応えすること。分からないことがあれば、私か近くにいる使用人に聞きなさい」
「かしこまりました」
クリームランドはさっさと部屋を出て行き、俺は小さな部屋の中に一人残される。
机と椅子と棚があるくらいの小さな部屋で広さは二畳くらいしかない。
閉所恐怖症だったら、軽くパニックになりそうな部屋だ。
そのまま三十分が過ぎた。
「……暇なんだけど」
お付きのメイドなのだから、主人のために常に待機していなければならないのは分かるが、用がなければあまりにも退屈過ぎる。
人手不足というのなら、こんなところで人材を遊ばせておくのもどうかと思う。
お付きのメイドなんて果たして必要あるのだろうか。
そんな疑問に俺がとらわれたところで、呼び鈴がなった。
慌てて隣のイルガの部屋へ移動する。
「失礼いたします。何かご用でしょうか」
扉の近くに立ち、イルガに伺いを立てると、彼はこちらに視線を向けず、うつむいたまま手招きをした。
「……こっちに来い」
言われるがまま部屋の中央のイルガの元に向かう。
丸椅子に腰を下ろしているイルガのそばには大きなキャンバスが置かれていた。そのそばのラックには絵筆とパレットが置かれている。
どうやら彼は絵を描くらしい。
「お前、ステラだったな」
「はい。ステラ・ベルクと申します」
「その……見てもいいか?」
「見るとは、何をでしょうか?」
「その、お前の顔を……」
「……ええっと?」
言っている意味が分からず、思わずイルガをまじまじと見つめる。
彼はやはりうつむき、決してこちらに視線を送ろうとしない。
「何を気にされているのか分かりませんが、見たければ見ればいいのではないでしょうか?」
「しかし……女は不躾な視線を嫌うのだろう? お前も俺に見られるのは嫌ではないのか?」
「……確かに不躾な視線は嫌がるでしょうが、顔を見るくらいで誰も文句を言ったりはしないと思います」
「い、いや、そんなことはないぞ。お前の前の前のメイドは俺と目が合っただけで怯えた顔をした。何を命令するにもびくびくと怯えていて、すぐに辞めてしまった。あれは俺が不躾な視線を送ってしまったからじゃないのか」
「目が合ったぐらいで辞めるなら、誰も人を雇ったりできないと思いますが。それとも、イルガ様は胸とかお尻を舐めるように見たりとかされたんですか?」
「そんなことするわけないだろ! 女の顔を見るのも怖いのに、そんなところに視線なんて送れるか!」
「……」
聞いていた噂とだいぶ違う。
ここのドラ息子は女を喰いまくっているという話だったのに、顔を見るのも怖いとか、童貞みたいなことを言っている。
「俺のお付きになる奴はみんなそうだ。大体俺を怖がってるか、俺を汚物を見るような目で見る! もうそれが嫌で嫌でたまらないんだ。おかげで女の顔を見るのに恐怖を感じるようになってしまった!」
「……かわいそうに」
決してこちらに顔を向けずに言うイルガに思わず同情してしまった。
確かに来るメイド来るメイドにそんな目を向けられたら、顔を見るのも嫌になるだろう。
「では、男性を付ければいいのではないですか? そんなに女性が怖いなら無理して付けなくても」
「……嫌だ。男に世話なんてされたくない。仕えてもらうなら、かわいい女がいいんだ!」
「……そ、そうですか」
怖いけど、そばにはいてほしいと。
思考がこじれた童貞そのものだった。
これからはテイドウの童貞――ドウテイドウと心の中で呼ぼう。
「だから、お前もそうなんだろ! 俺のことが怖いか、もしくは軽蔑してるんだろ!」
「あの……そんなことしてません」
「ウソだ! 目が合った瞬間、俺を見下すんだ、そうに決まってる! あー、もういやだー!」
「……少し落ち着いていただけますか」
イルガは完全に錯乱した様子だ。
どこからどう見てもやばい奴だが、少なくとも、女を無理やりどうこうする人間には見えない。
あの噂は完全にでたらめだったのだろう。
むしろあの噂が広まっているからこそ、イルガのお付きに命じられた者がイルガを怖がったり、蔑んだりしているというのが真実なのではないだろうか。
実態のない噂が先にあり、その噂がイルガに仕える者に警戒心を抱かせている。
じゃあ、その噂はどこから生まれたものなのだろうか。
何の根拠もないでたらめがそんな簡単に広まるものなのか。
何はともあれ、今はイルガを落ち着かせないといけない。
「わたしは怖がったりしませんよ。ほら」
「……っ!」
うつむくイルガの視界に跪いて入り、微笑みを彼に向けた。
すぐに彼は顔を背けるが、俺はたじろがない。
優しい微笑みをイルガに向け続ける。
自慢じゃないが、微笑みには自信がある。
美少女にとってもっとも重要なのは笑顔といっても過言ではない。
人を落ち着かせる微笑みも、人に好意を持ってもらうような微笑みもずっと訓練し続けてきた。
そんな優しい微笑みを向け続けていると、イルガは恐る恐るといった様子で少しずつこちらに目を向け始める。
そして、最終的にはえいやという感じで俺の目を見つめた。
「あ……」
「ね。怖がってないでしょ?」
イルガは瞬間、呆けた顔をした。
口をぽかんと開けて俺の顔を見つめる。
そして、しばらくして、首を振って我に返った。
「き、きれいだな、お前」
「ありがとうございます」
「その……お前の絵を描かせてもらっても構わないか?」
「はい。大丈夫ですよ」
既にキャンバスが置かれていたというのはもとからそのつもりだったのだろう。
「ここで描くんですか?」
「そのつもりだが」
「お部屋が汚れてしまわないでしょうか? ご自身のアトリエなどはお持ちではないのですか?」
「そんな大層な趣味じゃない。それに部屋で描くのが一番落ち着くんだ」
「なるほど。かしこまりました」
そうしてそれからしばらくの間、イルガの絵のモデルとなった。
合間合間で彼の食事の世話や部屋の掃除などもこなし、初日の仕事は終了した。
この仕事は住み込みなので、屋敷の敷地内にある宿舎に泊まることになる。
二人部屋だが、同室はまたしてもクィナだった。
気心は知れているので、ちょうどいい。
仕事を終えた俺が部屋で待っていると、だいぶ経った後に疲れた顔をしたクィナが部屋に入ってきた。
「ふえ~、ステラ~!」
「どうしたの?」
「ザクロさんが厳しいよ~」
聞くと、クィナの指導係に付けられたザクロというメイドの指導が厳しいらしく、ことあるごとにミスを指摘され、クィナはすっかり参ってしまったようだった。
「お皿割っても、花瓶割っても、窓割ってもすぐ怒るんだもん。誰でも失敗するときぐらいあるよ~」
「……いや、いろいろ割り過ぎ」
と思ったらクィナの方がポンコツなパターンだった。
何をどうしたらそんなに何もかも破壊できるのだろうか。
クィナに呆れた顔を向けていると、部屋の扉がノックされた。
脱力するクィナの代わりに俺が扉を開けると、長い赤髪にぱっちりとした黒瞳が特徴的な美人メイドがそこに立っていた。
「ざ、ザクロさん……!」
後ろでクィナが戦慄している様子からいって、彼女が指導係のザクロなのだろう。
「クィナに何かご用ですか?」
「いえ、その子じゃなくて、用があるのはあなたよ」
「わたしですか?」
何だろう。
何か彼女の気に障るようなことをしただろうか。
「イルガ様のお付きになったようだけど、どうだったかしら?」
「どうというのは?」
「だからその……ほら、イルガ様には悪い噂が付いて回ってるでしょう? 何かされたりしなかったかと思って」
「いえ、特には」
「そう……まあ、まだ初日だものね。でも、気を付けた方がいいわよ。イルガ様のお付きになった子で長続きした子はいないんだから。困ったことがあればいつでも私に相談してくれていいわ。こう見えて、私は辺境の貴族の出なの。私は三女で使用人に出されているけど、力になれることは多いと思うから」
「お気遣いありがとうございます。何かありましたら相談したいと思います」
「いつでも歓迎するわ。せっかく入ってきてくれたのに、すぐ辞めたら悲しいものね。それじゃあね」
ザクロは気さくに手を振って去って行った。
室内に目を戻すと、クィナが首を傾げていた。
「クィナが言うよりずいぶん優しそうな人だったね」
「おっかしいな~。さっきはあんなにぷりぷり怒ってたのに」
「それはクィナがいろいろ割りまくったからだろうね」
初日の今のところ、指輪を誰が盗んだのかは手がかりがない。
最有力だと思われたイルガはあの様子だし。
あれが演技だという可能性もなくはないが、初対面の俺に対してそんな演技をする必要もないように思える。
できるだけ早く見つけてあげたいとは思うが、焦っても事態がスムーズに進むわけではない。
まずは与えられた仕事をきちんとこなし、その中で手がかりを探っていこう。




