一件目
ダリアは冒険者ギルドの依頼掲示板の前に立っていた。
何度となく見てきた光景だった。壁一面に貼られた依頼書。その前に集まり、報酬と行き先を見比べる冒険者たち。受けたい依頼を見つければ紙を外し、受付へ持っていく。
昔と大きく変わったところはない。
違うのは、自分が見る場所だった。
「……こっちか」
ダリアは掲示板の端へ移動する。そこには小さく『G級』と書かれた札が掛かっていた。
当然ながら、今のダリアが選べるのはこちらだけだ。
荷物運び、町中の配達、農地の見回り、害獣の痕跡確認、薪集め、簡単な採取。報酬もそれ相応である。
「懐かしいなあ……」
思わず口から漏れた。
隣で依頼書を眺めていた若い冒険者がちらりとこちらを見る。ダリアは何でもないふりをして掲示板へ視線を戻した。
その中に、見覚えのある名前を見つける。
『レコンの葉 十五枚』
ダリアの動きが止まった。
採取場所は町の北西にある森の外縁部。期限は今日の日没まで。傷みの少ない葉を十五枚。根は不要。
「……まだあるのか、これ」
十年以上前、冒険者になって間もない頃。レコンとよく似た草を山ほど持ち帰り、受付で全部突き返されたことがある。
おまけに依頼は達成できず、違約金まで払った。
あの頃は本気で、草なんてどれも似たようなものだろうと思っていた。
後輩を教えるようになってから思い返すと、当時の自分みたいな新人が来たら、たぶん頭を抱えていただろう。
ダリアは依頼書を一枚外した。
◇
「レコンの採取ですね」
受付の女性が依頼書を確認する。登録手続きを担当した職員とは別の女性だった。
「G級でも単独で受けられる依頼です。ただし、指定された採取区域から外には出ないでください」
「ああ、分かった」
「レコンは見分けられますか?」
「そこは大丈夫だ」
受付の女性が少しだけ顔を上げる。
「念のため確認しますね」
机の下から薄い冊子を取り出し、一頁を開いた。そこには二種類のよく似た植物が描かれている。
「こちらがレコンです。葉の先が三つに分かれていて、裏側に白い筋があります」
指が隣の絵へ移る。
「こちらはよく似ていますが別の植物です。間違えて持ち帰る新人が多いので、気をつけてください」
「ああ、その二つな。大丈夫だ」
「経験があります?」
「昔ちょっとな」
嘘ではない。
むしろ、忘れたくても忘れられない経験だった。
受付の女性は少し不思議そうな顔をしたが、それ以上は聞かなかった。
「採取するのは葉だけです。根ごと抜かないでください。同じ株から取りすぎると枯れるので、一株から多くても三枚程度までにしてください」
「分かった」
「傷んだ葉や、虫食いのひどいものは納品数に入りません。必要なのは十五枚ですが、数だけ合わせても品質が悪ければ受け取れませんからね」
「ああ。状態のいいやつを十五枚だな」
「はい」
受付の女性が依頼書へ印を押す。
「では、行ってらっしゃい。帰還したら先にこちらで報告してください」
「わかった」
◇
町を出て北西へ向かう。
目的地まではそれほど遠くない。普通に歩けば一時間もかからないし、森といっても先日の訓練林と大差ない程度の浅い場所だ。狩人や採取を目的とした住民も入る。強い魔物が住み着けば、すぐに討伐依頼が出される区域でもあった。
それでも、町の外には違いない。
ダリアは歩きながら、道や足跡、風、空の様子を何となく確認していた。意識してやっているわけではない。長年の癖で、勝手に目が動くだけだ。
少し進んだところで、草むらから何かが飛び出した。
角ウサギだった。
額から短い角を一本生やした小型の魔物が道を横切り、そのまま反対側の藪へ消えていく。
ダリアはその背中を見送った。
「……こうして見ると、ちっこいな」
初めて遭遇した頃は、もっと大きく見えたものだ。
剣を抜くべきか、逃げるべきか。そんなことで本気で悩んでいた。
今となっては、向こうから襲ってこない角ウサギなど放っておけばいい。今日の仕事は討伐ではない。
レコンの葉を十五枚。
それだけだ。
余計なことをして怪我でもすれば、研修で何を習ったんだという話になる。
「まあ、仕事だな」
ダリアはそのまま歩き続けた。
◇
依頼書に記された区域へ着くと、まず地図と周囲を見比べた。
右手に小さな沢があり、少し先には幹が二つに分かれた古い木が立っている。地図に書かれた目印と一致していた。
「ここだな」
レコン自体は珍しい植物ではない。日当たりが良すぎる場所よりも、木陰になった少し湿り気のある場所に生えやすい。
ダリアは道を少し外れ、地面を眺めながら進んだ。
ほどなくして目的の葉が見つかる。
しゃがみ込んで葉を見る。
先は三つに分かれている。
裏返せば、白い筋。
間違いない。
「これこれ」
昔は、これによく似た別の草を大量に担いで帰った。
受付の職員に「一枚もレコンじゃありません」と言われたときの顔まで、何となく覚えている。
「……思い出したくなかったな」
一株から二枚だけ取る。
少し先でもう一株を見つけ、そこから三枚。虫食いや変色、破れのあるものは避け、状態のいい葉だけを選んでいく。
十五枚なら、そう時間はかからない。
――はずだった。
「少ないな」
ダリアは立ち上がった。
最初の数株までは順調だったが、その先が続かない。
周辺を見れば理由はすぐに分かった。葉を切り取られた株がいくつもある。どうやら先客がいたらしい。
依頼自体が複数出ていたのか、別の用途で採った者がいたのか。それは分からない。
今、袋に入っているのは九枚。
あと六枚必要だ。
この辺りを何度探しても、状態のいいものはもう見つかりそうにない。
少し離れた場所なら心当たりがある。
沢沿いを上流へ進めば、レコンがまとまって生える場所がもう一つあったはずだ。昔の記憶が正しければ、だが。
ダリアは地図を取り出した。
採取区域を確認する。
上流側の境界は――。
「……ここまでか」
心当たりの場所は、ぎりぎり区域の外だった。
昔なら、そのまま行っていただろう。
六枚くらいすぐだ。
危険な場所でもない。
誰に迷惑をかけるわけでもない。
そんなことを考えて。
「駄目なんだよなあ」
ダリアは地図を畳んだ。
依頼で採取区域が指定されているのには理由がある。
土地の所有者が違うのかもしれない。他の採取依頼と重ならないようにしているのかもしれない。危険区域との境界かもしれないし、単純に資源を管理しているだけかもしれない。
理由を知らないからといって、勝手に越えていいことにはならない。
受付でも言われたばかりだ。
指定された採取区域から外へ出るな。
「……真面目になったな、俺」
口にしてから、少し違うかと思った。
昔から真面目にやっていたつもりではある。
少なくとも、途中からは。
「まあ、いいか」
同じ場所を何度も探すより、まだ見ていない側を探した方がいい。
ダリアは来た方向へ少し戻り、沢から離れるように木々の間を回り込んだ。
地面の湿り気や日当たり、周囲に生えている植物を見ながら進んでいく。
やがて、倒木の陰に見覚えのある葉が見えた。
「あった」
まとまってレコンが生えている。
数を確認すると、必要な分よりかなり多い。
ダリアは状態のいい葉を選び、まず六枚採った。
これで十五枚。
少し考えてから、予備として二枚だけ追加する。納品時に傷みが見つかった場合でも困らない。
合計十七枚。
そこで手を止めた。
残りはそのままにしておく。
「これでいいだろ」
袋の中身を確認する。
必要数は十五枚。予備が二枚。
時間にも余裕があるし、帰路にも問題はない。
なら、帰る。
それ以上そこにいる理由はなかった。
◇
ギルドへ戻ったのは、昼を少し過ぎた頃だった。
「レコンの採取、戻ったぞ」
朝の受付へ依頼書と袋を出す。
「お帰りなさい。怪我はありませんか?」
「ないな」
「何か異常は?」
「特には。途中で角ウサギを一匹見たくらいだ」
「襲われました?」
「いや。向こうも俺に興味なかったみたいだ」
「では問題ありませんね」
受付の女性は袋を開き、一枚ずつ葉を確認していく。
ダリアは何となく、その手元を眺めていた。
昔も、同じように受付で袋を開けられた。
一枚確認する。
違う。
二枚目。
また違う。
三枚目も違う。
確認するたびに職員の顔が険しくなっていき、最後には全部違うと言われた。
今回は。
「十七枚。全部レコンですね」
「ああ。今回は大丈夫だろ?」
少しだけ胸を張る。
「傷みもありません。十五枚分を依頼品として受け取ります。残り二枚はどうします?」
「俺はいらないな。そっちで使えるなら持ってってくれ」
「分かりました。追加分については少額ですが、買い取りになります」
「お、金になるのか」
「ギルドでも買い取れる品ですから」
昔はそんなことまで覚えていただろうか。
たぶん覚えていない。
受付の女性が依頼書へ印を押した。
「依頼達成です」
その言葉とともに、小さな報酬袋が差し出される。
ダリアはそれを受け取った。
軽い。
中身を確認するまでもない。G級の採取依頼である。昔なら酒場で一晩使えば消えていたような額だ。
それでも。
「……なんか、変な感じだな」
「どうしました?」
「いや」
ダリアは報酬を腰の袋へしまう。
「初仕事だったからさ」
「そうでしたね」
受付の女性が記録簿を見る。
「おめでとうございます。これで一件目です」
一件目。
十年以上冒険者をやっていた男の、一件目。
ダリアは少しだけ笑った。
「ありがとな」
◇
それからダリアは、G級の依頼を一つずつこなしていった。
町の外れまで薬を届け、薪を集め、農地に残った害獣の痕跡を確認した。街道沿いの目印が壊れていないか調べた日もあれば、商人の荷物運びや、ギルド倉庫の備品運びを手伝った日もある。
どれも難しい仕事ではない。報酬も高くなく、魔物と戦うことすらほとんどなかった。
だが、仕事としてやることは変わらない。
依頼を受け、内容を確認する。必要なものを準備して仕事を終え、戻って報告する。
そうすれば、自分の記録が一つ増える。
翌日にはまた別の仕事を受けた。
それを繰り返した。
一度だけ、報告書の依頼番号を間違えて書き直させられたことがある。
それでも、仕事そのものに問題はなかった。
期限を破らない。
依頼内容を勝手に変えない。
危険や異常を見つければ報告する。
分からないことがあれば受付へ確認する。
当たり前のことを、当たり前にやる。
昔は、それができるようになるまでそれなりに時間がかかった。
今は違う。
失敗したことも、怒られたことも、後悔したことも、全部覚えている。
だから同じところで転ぶ必要はなかった。
◇
「ダリアさん」
受付から声を掛けられたのは、登録から十一日目のことだった。
その日の仕事を終えて報告を済ませ、帰ろうとしていたところだった。
「ん?」
「少しお時間いいですか?」
「報告書、またどっか間違ってた?」
「今日は違います」
「今日はってなんだよ」
受付の女性が記録簿を持ってくる。
「これまでの記録を確認しました。登録から十一日。完了したG級依頼は七件です」
頁をめくりながら続ける。
「期限超過なし。依頼の失敗なし。依頼主からの苦情なし。規則違反や、理由のない途中放棄もありません」
「まあ、悪くないだろ」
「はい。今からそう言おうとしていました」
「あ、そうなの?」
受付の女性は小さく息を吐いた。
「報告書の書き直しが一度ありますが、内容ではなく依頼番号の書き間違いだけですね」
「あれも記録に残ってるのか」
「当然です」
「細かいなぁ……」
「それから、登録時の実技確認では経験者として扱って問題なし。見習いとして必要な実地研修も修了扱いになっています。残っていた講習も全部終わっていますね」
「ちゃんと寝ずに聞いたぞ」
「寝ないのが普通です」
「少しくらい褒めてくれてもいいんだぞ」
「褒めるところではありません」
「厳しいな……」
受付の女性は記録簿を閉じた。
「依頼の件数だけで昇級が決まるわけではありませんが、内容や活動量を含めて、G級で必要とされる最低限の実績は満たしています」
「ということは?」
「F級への昇級審査を受けられます」
ダリアは瞬きをした。
「もう?」
「早い方ではあります」
「まだ登録して十一日だろ?」
「G級は見習いですから。必要なことを身につけていて、実際の仕事にも問題がない人を、いつまでも見習いのままにしておく意味はありません」
「なるほどな」
「もちろん、条件を満たしたから自動でF級になるわけではありません。これまでの記録を確認したうえで、簡単な昇級審査があります」
「あー……やっぱり試験はあるのか」
「嫌ならG級のままでもいいですよ」
「いや、受ける」
そこは即答だった。
受付の女性が少し笑う。
「では、明日の午前中に来てください。予定は大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。明日の午前中に来るよ」
ダリアは自分の冒険者証を取り出した。
G。
一件目の依頼を受けたときよりは、少しだけ見慣れた文字だった。
それでも、長く付き合うつもりはない。
「Fか」
昔なら上ばかり見て意識もしなかった通過点。
今は、そこへもう一度、自分の足で上がっていく。
ダリアは冒険者証をしまった。
「……まあ、一個ずつだな」
明日は、二度目の最初の昇級だった。




