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観測者ダリア ーC級冒険者ダリアの記録  作者: エドモンド椿


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17/18

一件目

ダリアは冒険者ギルドの依頼掲示板の前に立っていた。


何度となく見てきた光景だった。壁一面に貼られた依頼書。その前に集まり、報酬と行き先を見比べる冒険者たち。受けたい依頼を見つければ紙を外し、受付へ持っていく。


昔と大きく変わったところはない。


違うのは、自分が見る場所だった。


「……こっちか」


ダリアは掲示板の端へ移動する。そこには小さく『G級』と書かれた札が掛かっていた。


当然ながら、今のダリアが選べるのはこちらだけだ。


荷物運び、町中の配達、農地の見回り、害獣の痕跡確認、薪集め、簡単な採取。報酬もそれ相応である。


「懐かしいなあ……」


思わず口から漏れた。


隣で依頼書を眺めていた若い冒険者がちらりとこちらを見る。ダリアは何でもないふりをして掲示板へ視線を戻した。


その中に、見覚えのある名前を見つける。


『レコンの葉 十五枚』


ダリアの動きが止まった。


採取場所は町の北西にある森の外縁部。期限は今日の日没まで。傷みの少ない葉を十五枚。根は不要。


「……まだあるのか、これ」


十年以上前、冒険者になって間もない頃。レコンとよく似た草を山ほど持ち帰り、受付で全部突き返されたことがある。


おまけに依頼は達成できず、違約金まで払った。


あの頃は本気で、草なんてどれも似たようなものだろうと思っていた。


後輩を教えるようになってから思い返すと、当時の自分みたいな新人が来たら、たぶん頭を抱えていただろう。


ダリアは依頼書を一枚外した。


          ◇


「レコンの採取ですね」


受付の女性が依頼書を確認する。登録手続きを担当した職員とは別の女性だった。


「G級でも単独で受けられる依頼です。ただし、指定された採取区域から外には出ないでください」


「ああ、分かった」


「レコンは見分けられますか?」


「そこは大丈夫だ」


受付の女性が少しだけ顔を上げる。


「念のため確認しますね」


机の下から薄い冊子を取り出し、一頁を開いた。そこには二種類のよく似た植物が描かれている。


「こちらがレコンです。葉の先が三つに分かれていて、裏側に白い筋があります」


指が隣の絵へ移る。


「こちらはよく似ていますが別の植物です。間違えて持ち帰る新人が多いので、気をつけてください」


「ああ、その二つな。大丈夫だ」


「経験があります?」


「昔ちょっとな」


嘘ではない。


むしろ、忘れたくても忘れられない経験だった。


受付の女性は少し不思議そうな顔をしたが、それ以上は聞かなかった。


「採取するのは葉だけです。根ごと抜かないでください。同じ株から取りすぎると枯れるので、一株から多くても三枚程度までにしてください」


「分かった」


「傷んだ葉や、虫食いのひどいものは納品数に入りません。必要なのは十五枚ですが、数だけ合わせても品質が悪ければ受け取れませんからね」


「ああ。状態のいいやつを十五枚だな」


「はい」


受付の女性が依頼書へ印を押す。


「では、行ってらっしゃい。帰還したら先にこちらで報告してください」


「わかった」


          ◇


町を出て北西へ向かう。


目的地まではそれほど遠くない。普通に歩けば一時間もかからないし、森といっても先日の訓練林と大差ない程度の浅い場所だ。狩人や採取を目的とした住民も入る。強い魔物が住み着けば、すぐに討伐依頼が出される区域でもあった。


それでも、町の外には違いない。


ダリアは歩きながら、道や足跡、風、空の様子を何となく確認していた。意識してやっているわけではない。長年の癖で、勝手に目が動くだけだ。


少し進んだところで、草むらから何かが飛び出した。


角ウサギだった。


額から短い角を一本生やした小型の魔物が道を横切り、そのまま反対側の藪へ消えていく。


ダリアはその背中を見送った。


「……こうして見ると、ちっこいな」


初めて遭遇した頃は、もっと大きく見えたものだ。


剣を抜くべきか、逃げるべきか。そんなことで本気で悩んでいた。


今となっては、向こうから襲ってこない角ウサギなど放っておけばいい。今日の仕事は討伐ではない。


レコンの葉を十五枚。


それだけだ。


余計なことをして怪我でもすれば、研修で何を習ったんだという話になる。


「まあ、仕事だな」


ダリアはそのまま歩き続けた。


          ◇


依頼書に記された区域へ着くと、まず地図と周囲を見比べた。


右手に小さな沢があり、少し先には幹が二つに分かれた古い木が立っている。地図に書かれた目印と一致していた。


「ここだな」


レコン自体は珍しい植物ではない。日当たりが良すぎる場所よりも、木陰になった少し湿り気のある場所に生えやすい。


ダリアは道を少し外れ、地面を眺めながら進んだ。


ほどなくして目的の葉が見つかる。


しゃがみ込んで葉を見る。


先は三つに分かれている。


裏返せば、白い筋。


間違いない。


「これこれ」


昔は、これによく似た別の草を大量に担いで帰った。


受付の職員に「一枚もレコンじゃありません」と言われたときの顔まで、何となく覚えている。


「……思い出したくなかったな」


一株から二枚だけ取る。


少し先でもう一株を見つけ、そこから三枚。虫食いや変色、破れのあるものは避け、状態のいい葉だけを選んでいく。


十五枚なら、そう時間はかからない。


――はずだった。


「少ないな」


ダリアは立ち上がった。


最初の数株までは順調だったが、その先が続かない。


周辺を見れば理由はすぐに分かった。葉を切り取られた株がいくつもある。どうやら先客がいたらしい。


依頼自体が複数出ていたのか、別の用途で採った者がいたのか。それは分からない。


今、袋に入っているのは九枚。


あと六枚必要だ。


この辺りを何度探しても、状態のいいものはもう見つかりそうにない。


少し離れた場所なら心当たりがある。


沢沿いを上流へ進めば、レコンがまとまって生える場所がもう一つあったはずだ。昔の記憶が正しければ、だが。


ダリアは地図を取り出した。


採取区域を確認する。


上流側の境界は――。


「……ここまでか」


心当たりの場所は、ぎりぎり区域の外だった。


昔なら、そのまま行っていただろう。


六枚くらいすぐだ。


危険な場所でもない。


誰に迷惑をかけるわけでもない。


そんなことを考えて。


「駄目なんだよなあ」


ダリアは地図を畳んだ。


依頼で採取区域が指定されているのには理由がある。


土地の所有者が違うのかもしれない。他の採取依頼と重ならないようにしているのかもしれない。危険区域との境界かもしれないし、単純に資源を管理しているだけかもしれない。


理由を知らないからといって、勝手に越えていいことにはならない。


受付でも言われたばかりだ。


指定された採取区域から外へ出るな。


「……真面目になったな、俺」


口にしてから、少し違うかと思った。


昔から真面目にやっていたつもりではある。


少なくとも、途中からは。


「まあ、いいか」


同じ場所を何度も探すより、まだ見ていない側を探した方がいい。


ダリアは来た方向へ少し戻り、沢から離れるように木々の間を回り込んだ。


地面の湿り気や日当たり、周囲に生えている植物を見ながら進んでいく。


やがて、倒木の陰に見覚えのある葉が見えた。


「あった」


まとまってレコンが生えている。


数を確認すると、必要な分よりかなり多い。


ダリアは状態のいい葉を選び、まず六枚採った。


これで十五枚。


少し考えてから、予備として二枚だけ追加する。納品時に傷みが見つかった場合でも困らない。


合計十七枚。


そこで手を止めた。


残りはそのままにしておく。


「これでいいだろ」


袋の中身を確認する。


必要数は十五枚。予備が二枚。


時間にも余裕があるし、帰路にも問題はない。


なら、帰る。


それ以上そこにいる理由はなかった。


          ◇


ギルドへ戻ったのは、昼を少し過ぎた頃だった。


「レコンの採取、戻ったぞ」


朝の受付へ依頼書と袋を出す。


「お帰りなさい。怪我はありませんか?」


「ないな」


「何か異常は?」


「特には。途中で角ウサギを一匹見たくらいだ」


「襲われました?」


「いや。向こうも俺に興味なかったみたいだ」


「では問題ありませんね」


受付の女性は袋を開き、一枚ずつ葉を確認していく。


ダリアは何となく、その手元を眺めていた。


昔も、同じように受付で袋を開けられた。


一枚確認する。


違う。


二枚目。


また違う。


三枚目も違う。


確認するたびに職員の顔が険しくなっていき、最後には全部違うと言われた。


今回は。


「十七枚。全部レコンですね」


「ああ。今回は大丈夫だろ?」


少しだけ胸を張る。


「傷みもありません。十五枚分を依頼品として受け取ります。残り二枚はどうします?」


「俺はいらないな。そっちで使えるなら持ってってくれ」


「分かりました。追加分については少額ですが、買い取りになります」


「お、金になるのか」


「ギルドでも買い取れる品ですから」


昔はそんなことまで覚えていただろうか。


たぶん覚えていない。


受付の女性が依頼書へ印を押した。


「依頼達成です」


その言葉とともに、小さな報酬袋が差し出される。


ダリアはそれを受け取った。


軽い。


中身を確認するまでもない。G級の採取依頼である。昔なら酒場で一晩使えば消えていたような額だ。


それでも。


「……なんか、変な感じだな」


「どうしました?」


「いや」


ダリアは報酬を腰の袋へしまう。


「初仕事だったからさ」


「そうでしたね」


受付の女性が記録簿を見る。


「おめでとうございます。これで一件目です」


一件目。


十年以上冒険者をやっていた男の、一件目。


ダリアは少しだけ笑った。


「ありがとな」


          ◇


それからダリアは、G級の依頼を一つずつこなしていった。


町の外れまで薬を届け、薪を集め、農地に残った害獣の痕跡を確認した。街道沿いの目印が壊れていないか調べた日もあれば、商人の荷物運びや、ギルド倉庫の備品運びを手伝った日もある。


どれも難しい仕事ではない。報酬も高くなく、魔物と戦うことすらほとんどなかった。


だが、仕事としてやることは変わらない。


依頼を受け、内容を確認する。必要なものを準備して仕事を終え、戻って報告する。


そうすれば、自分の記録が一つ増える。


翌日にはまた別の仕事を受けた。


それを繰り返した。


一度だけ、報告書の依頼番号を間違えて書き直させられたことがある。


それでも、仕事そのものに問題はなかった。


期限を破らない。


依頼内容を勝手に変えない。


危険や異常を見つければ報告する。


分からないことがあれば受付へ確認する。


当たり前のことを、当たり前にやる。


昔は、それができるようになるまでそれなりに時間がかかった。


今は違う。


失敗したことも、怒られたことも、後悔したことも、全部覚えている。


だから同じところで転ぶ必要はなかった。


          ◇


「ダリアさん」


受付から声を掛けられたのは、登録から十一日目のことだった。


その日の仕事を終えて報告を済ませ、帰ろうとしていたところだった。


「ん?」


「少しお時間いいですか?」


「報告書、またどっか間違ってた?」


「今日は違います」


「今日はってなんだよ」


受付の女性が記録簿を持ってくる。


「これまでの記録を確認しました。登録から十一日。完了したG級依頼は七件です」


頁をめくりながら続ける。


「期限超過なし。依頼の失敗なし。依頼主からの苦情なし。規則違反や、理由のない途中放棄もありません」


「まあ、悪くないだろ」


「はい。今からそう言おうとしていました」


「あ、そうなの?」


受付の女性は小さく息を吐いた。


「報告書の書き直しが一度ありますが、内容ではなく依頼番号の書き間違いだけですね」


「あれも記録に残ってるのか」


「当然です」


「細かいなぁ……」


「それから、登録時の実技確認では経験者として扱って問題なし。見習いとして必要な実地研修も修了扱いになっています。残っていた講習も全部終わっていますね」


「ちゃんと寝ずに聞いたぞ」


「寝ないのが普通です」


「少しくらい褒めてくれてもいいんだぞ」


「褒めるところではありません」


「厳しいな……」


受付の女性は記録簿を閉じた。


「依頼の件数だけで昇級が決まるわけではありませんが、内容や活動量を含めて、G級で必要とされる最低限の実績は満たしています」


「ということは?」


「F級への昇級審査を受けられます」


ダリアは瞬きをした。


「もう?」


「早い方ではあります」


「まだ登録して十一日だろ?」


「G級は見習いですから。必要なことを身につけていて、実際の仕事にも問題がない人を、いつまでも見習いのままにしておく意味はありません」


「なるほどな」


「もちろん、条件を満たしたから自動でF級になるわけではありません。これまでの記録を確認したうえで、簡単な昇級審査があります」


「あー……やっぱり試験はあるのか」


「嫌ならG級のままでもいいですよ」


「いや、受ける」


そこは即答だった。


受付の女性が少し笑う。


「では、明日の午前中に来てください。予定は大丈夫ですか?」


「大丈夫だ。明日の午前中に来るよ」


ダリアは自分の冒険者証を取り出した。


G。


一件目の依頼を受けたときよりは、少しだけ見慣れた文字だった。


それでも、長く付き合うつもりはない。


「Fか」


昔なら上ばかり見て意識もしなかった通過点。


今は、そこへもう一度、自分の足で上がっていく。


ダリアは冒険者証をしまった。


「……まあ、一個ずつだな」


明日は、二度目の最初の昇級だった。

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