二度目の昇級
ダリアは指定された時間より少し早く、冒険者ギルドへ来ていた。
いつもの癖で依頼掲示板へ向かいかけ、途中で足を止める。
今日は仕事を探しに来たわけではない。
「……こっちだったな」
そのまま事務受付へ向かった。
「おはようございます」
「ああ。昇級審査で来た」
受付の女性が台帳を確認する。
「ダリアさんですね。少々お待ちください」
「ここでやるのか?」
「いえ。二階の審査室です」
「二階?」
思わず聞き返した。
「はい。階段を上がって右手、三番目の部屋です」
「そんな部屋……」
そこまで言って、ダリアは口を閉じた。
受付の女性が首を傾げる。
「どうしました?」
「いや。そんな部屋があるなんて知らなかったから」
「そうですよね」
危ない。
何かを見るたびに、昔と比べる癖がある。ギルドの建物そのものは見慣れているが、今の自分にとっては初めて来た場所でなければならない。
「三番目だな」
「はい。担当者がお待ちです」
「分かった」
階段へ向かいかけたところで、もう一度呼び止められた。
「ダリアさん」
「ん?」
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ」
「してるように見える?」
「少し」
ダリアは自分の頬を触った。
緊張しているつもりはなかった。
一度目にGからFへ上がったときは、さして意識もしなかった。
それでも。
「……まあ、試験は好きじゃないからな」
「普通は好きじゃないと思います」
「だよな」
今度こそ階段を上った。
◇
三番目の部屋をノックする。
「入れ」
聞き覚えのある声だった。
扉を開く。
「あ」
「お前か」
中にいたのは、登録した日に実技を見た男だった。短く切った髪に使い込まれた革鎧。今日は武器を持っていない。
部屋の中央には机が一つあり、その両側に椅子が置かれていた。
「またあんたが見るのか?」
「登録時の記録を取ったのが俺だからな。話が早い」
「なるほど」
「座れ」
ダリアは向かいの椅子へ腰を下ろした。
机の上には何枚かの書類が並んでいる。一番上には、自分の名前が書かれていた。
ダリア。
今の自分の記録だ。
「まず、これまでの記録を確認する」
男が紙を一枚めくった。
「登録から十一日。必修の実地研修は修了。登録時の確認結果を踏まえ、初心者向けの反復訓練については一部免除。受注したG級依頼は七件、すべて達成」
「七件だったか」
「自分で覚えてないのか?」
「毎日やってたからな」
男は構わず続ける。
「期限超過なし。依頼主からの苦情なし。規則違反なし。帰還時の報告にも問題なし。それから、報告書の書き直しが一度」
「ああ、依頼番号間違えたやつか」
「そうだ」
「それもちゃんと残るんだな」
「記録だからな」
「まあ、間違えたのは俺だけどさ」
男は次の紙をめくった。
「実地担当からは、野外活動の経験は十分。実技上の問題なし。ただし、自分の経験を優先して先に動く傾向あり。指摘後は改善」
「余計なことまで書いてるな、あのおっさん」
「お前より年下かもしれんぞ」
「…………」
「どうした」
「いや。今その可能性は考えたくなかった」
「そうか」
男は何事もなかったように書類を揃えた。
「ここまでなら、F級への昇級候補として問題ない」
「じゃあ合格?」
「まだだ」
「まあ、そうだよな」
「ここから知識と判断の確認をする」
机の端にあった別の紙を手元へ引き寄せる。
「筆記?」
「一部はな。ただし、読み書きそのものは昇級条件じゃない。読めない者には同じ内容を口頭で聞く」
「へえ」
「講習で扱った範囲だけだ。難しい知識は聞かん。ただし、答えだけじゃなく理由も聞く」
「あー……そっちか」
「何が嫌なんだ」
「正解言って終わりの方が楽だろ」
「現場じゃ答えを用意してくれる奴はいない」
「それもそうか」
ダリアは椅子へ座り直した。
「じゃあ、どうぞ」
◇
「一問目。採取依頼で森へ入った。目的の植物を見つけたが、依頼書で指定された採取区域の外だった。どうする?」
「採らない」
「早いな」
「最近、似たようなのやったからな」
「そうか。理由は?」
「区域が決められてるなら、何か理由があるんだろ。土地の持ち主が違うとか、そこから先は危険度が上がるとか。他の採取物を保護してるのかもしれない」
「理由が分からなければ?」
「分からなくても行かない」
「目的の植物は目の前にある」
「見えてるだけだろ。そこまで行っていいって話にはならない」
「採らなければ依頼を達成できないかもしれんぞ」
「そのときは戻る。指定された場所じゃ必要数を確保できなかったって報告するよ。必要なら、そのあとギルド側でどうするか決めるだろ」
男が一つ印をつけた。
「よし」
偶然とはいえ、ずいぶん身に覚えのある問題だった。
◇
「依頼先へ着いたところで、依頼主から追加の仕事を頼まれた。どうする?」
「追加って?」
「それを確認するところからだ」
「ああ、そういう問題か」
ダリアは少し考える。
「今受けてる仕事の範囲で済むなら、別にいいんじゃないか? 荷物を入口じゃなくて倉庫まで運んでくれ、とか」
「では、報酬を増やすから隣の森まで薬草を採りに行ってくれ、と言われた」
「それは断る」
「なぜ?」
「もう別の仕事だろ」
「依頼主本人が頼んでいる。報酬も本人が払う」
「金の問題じゃないって」
ダリアは少し眉をしかめた。
「俺がどこへ行って何をやってるのか、ギルドが知らない状態になるだろ」
「依頼主は知っているぞ」
「そいつが知ってますって言ったところで、何かあったらどうするんだ」
「依頼主が責任を持つと言った」
「その責任って、俺が森で死んだあと何してくれるんだよ」
男の口元が少しだけ動いた。
「そうだな」
「意地悪な問題だな」
「現地で直接頼まれて、そのまま引き受ける新人は珍しくない」
「いるの?」
「いる」
「あー……まあ、報酬増やすって言われたら迷う奴もいるか」
「お前なら?」
「一回戻って、正式に依頼を出してくれって言う」
「それでいい」
◇
次に出されたのは、依頼中に仲間が足を捻った場合だった。
本人は歩けると言っている。目的地まであと一時間、町へ戻るには一時間半。日没までは二時間半。
ダリアは少し考えてから答えた。
「戻る」
「目的地まで行けば依頼は達成だ」
「そこから町まで何時間?」
「二時間半ほど」
「なら余計に戻る」
「本人は歩けると言っているぞ」
「怪我した直後は歩けることもある。その場じゃ大したことないと思ってても、歩いてるうちに腫れてくることもあるだろ。今歩けるからって、三時間後まで歩けるとは限らない」
「実際には軽い捻挫だったら?」
「それがその場で分かるなら話は変わる」
「分からない場合だ」
「なら、悪くなる方を考える」
男は少し間を置いた。
「戻ってみたら軽傷だった。少し休めば歩けた。依頼は失敗した。判断を間違えたと思うか?」
「あー……それは悔しいな」
ダリアは少し考える。
「でも、間違いだったとは思わない」
「なぜ?」
「後から『行けた』って分かるのと、その場で『行けるはずだ』って決めるのは別だろ」
男の手が止まった。
「結果だけ見りゃ、無駄に戻ったことになる。でもその時点じゃ分からなかったんだ。同じ状況なら、たぶんまた戻る」
一拍置いて、男が印をつける。
「よし」
「今の、そんなに考えるところあった?」
「ある」
「何?」
「次だ」
「教えてくれないのかよ」
◇
「魔物と遭遇した」
「種類は?」
「お前でも知っている小型種だ。数は一匹。こちらには気づいているが、まだ向かってきてはいない。依頼は採取だ」
「じゃあ避ける」
「倒せる相手でも?」
「倒す必要がないだろ」
「素材は売れる」
「さっきから金で釣ろうとするな」
「冒険者は金で仕事をする職業だ」
「だから採取依頼を受けてるんだろ。魔物狩りに来たわけじゃない」
「では、その魔物が進路上にいる。迂回はできるが、十分ほど余計にかかる」
「迂回する」
「一撃で倒せそうでも?」
ダリアは少し身を乗り出した。
「弱いのと、何も起きないのは別だろ」
男が黙る。
「剣を抜いたら逃げるかもしれないし、鳴いて仲間を呼ぶかもしれない。たまたま足を滑らせることだってある。十分で避けられるなら、わざわざ戦う理由がない」
「随分慎重だな」
「怪我してから、自信があったんですって言っても治らないだろ」
男が小さく息を吐いた。
「よし」
「なんか笑ってない?」
「笑ってない」
「ちょっと笑っただろ」
「次だ」
◇
その後も質問は続いた。
見覚えのない植物を見つけた場合。魔物の死体を発見した場合。水が残り少なくなったとき。採取物が依頼品か確信できないとき。帰還予定時刻に間に合わなくなりそうな場合。仲間とはぐれた場合。道を見失った場合。
ほとんどは講習や実地研修で確認した内容だった。
分からないものへ不用意に触れない。現在地や状況を記録する。必要のない危険を増やさない。判断できないものは持ち帰らず、まず報告する。
知識そのものは、ダリアにとって難しいものではない。
その中で、男が少し細かく理由まで聞いたのが、道標の扱いだった。
「来た道を示すために、目印を残す場合は?」
「ギルドの標識紐を使う。帰りに見える位置で、分岐ならどっちから来たか分かるようにする」
「撤収時は?」
「回収する」
「木へ直接傷をつけるのは?」
「管理された場所じゃ基本やらない。古い傷が残ったら、どれが今の目印か分からなくなる。それに採取地や私有林なら、木そのものが資源だろ」
「その通り」
男が印をつける。
「ただし、遭難していて他に手段がなく、命がかかっている場合まで木を傷つけるなとは言わん」
「そりゃそうだろ」
「規則は死ぬために守るものじゃない」
ダリアが男を見る。
「結構まともなこと言うな」
「お前は俺を何だと思ってる」
「性格の悪い試験官」
「次へ行くぞ」
「否定しないのかよ」
◇
やがて、男が最後の紙を手に取った。
「これで最後だ」
「やっとか」
「少し長いぞ。状況をよく聞け」
男は紙へ目を落とした。
「日帰りの採取依頼だ。野営の準備はしていない。依頼はここまで順調で、怪我人もいない。天候にも問題はない」
「うん」
「目的地までは、今いる場所からあと三十分。そこへ着けば、依頼品はまず手に入ると分かっている」
ダリアは黙って続きを待った。
「現在地から町まで戻るには二時間半。日没までも二時間半だ」
「……じゃあ戻る」
男が顔を上げる。
「目的地まであと三十分だぞ」
「聞いてるよ」
「目的地から町までは三時間。道は分かっている。灯りも持っている」
ダリアは少し眉を寄せた。
「なら、なおさら戻るな」
「なぜ?」
「今ここから戻って、ちょうど日が落ちる頃に町へ着くんだろ?」
「順調ならな」
「目的地まで行ったら、そこから三時間。今からだと三時間半だろ」
「そうだ」
「日没まで二時間半。何も起きなくても、最後の一時間は夜の森を歩くことになる」
「灯りはある」
「灯りがあるのと、昼と同じように歩けるのは別だろ。足元は見えにくくなるし、周りも見えなくなる。夜に動く魔物だっている」
「その森で、夜に特別危険な魔物が出るという報告はない」
「出ないって報告もないだろ?」
男は何も答えない。
ダリアは続けた。
「それに、今の時点でも余裕なんてほとんどない。ここから戻って何もなければ日没までに帰れる。だったら、もう戻るところだ」
「だが、あと三十分進めば依頼は達成できる」
「その三十分を使ったら、帰りの余裕を使うどころか、最初から足りなくなるだろ」
「依頼主は今日中に必要だと言っている」
「それでもだよ」
「仲間は進みたがっている。ここまで来たんだから、あと三十分くらいなら行こうと言っている」
ダリアは少し考えた。
「まず、今から行ったらどうなるか説明するな」
「それでも行くと言ったら?」
「止める」
「全員が同じ意見でも?」
「あー……面倒だな」
「現場は大抵面倒だ」
「まあ、それはそうなんだけどさ」
ダリアは腕を組んだ。
「それでも戻る。今ならまだ、予定してた範囲で帰れるんだから」
「結果的には、夜の森を歩いても何も起きなかったかもしれない」
「それは後から分かることだろ」
「依頼は失敗になるぞ」
「仕方ないな」
男はしばらくダリアを見る。
「あと少しだったのに、と仲間から責められるかもしれん」
「それも仕方ない」
「依頼主からの評価も下がるかもしれない」
「嫌だけどな。でも、それで帰れなくなるよりはいい」
「なぜ?」
ダリアは少しだけ視線を落とした。
「依頼は失敗しても、帰れば次がある」
一度、言葉を切る。
「帰れなくなったら、それで終わりだ」
男は何も言わなかった。
ほんの少しだけ、部屋が静かになる。
やがて、最後の欄に印をつけた。
「よし。終わりだ」
「……今の、そんなに見るところあった?」
「ある」
「何?」
男は書類を揃えながら答えた。
「危険になったら逃げられるかを見ていたんじゃない」
「じゃあ何だよ」
「危険になる前に、自分で止まれるかだ」
ダリアは少し考えた。
「ああ……そういうことか」
「目の前まで来ている。あと少しで報酬が出る。仲間も進みたがっている。まだ怪我人も出ていない。そういうときが一番、引き返す理由を自分で消しやすい」
「まあ……分からなくはないな」
「G級の間は、教官が止めることもある。F級になれば、自分たちだけで判断する仕事が増える」
男は書類の端を揃えた。
「誰かに止めてもらうまで進む奴を、見習いから上げるわけにはいかん」
ダリアは一度頷いた。
「なるほどな」
「分かったか?」
「ああ。でも最初からそう聞けばよくない?」
「それじゃ試験にならんだろ」
「性格悪いな、あんた」
「さっきも聞いた」
「否定はしないんだな」
◇
十五分ほどして、ダリアは一階の事務受付にいた。
朝と同じ女性が書類を確認している。その隣には、先ほどの試験官も立っていた。
「確認が終わりました」
受付の女性が顔を上げる。
「ダリアさん。F級への昇級が承認されました」
「……おお」
分かっていたはずなのに、声が漏れた。
「おめでとうございます」
「ありがと」
冒険者証を一度預ける。
少しして戻ってきたそれには、昨日までとは違う文字が記されていた。
F。
ダリアはしばらく眺めた。
「ずいぶん嬉しそうだな」
横から試験官が言った。
「悪いか?」
「いや。もっと反応が薄いかと思っていた」
「昇級は昇級だろ」
前にGからFへ上がったとき、自分がどんな気分だったのかはほとんど覚えていない。
たぶん、もっと早く上へ行きたいとしか考えていなかった。
今は、その一文字が妙に重かった。
「F級になると、受けられる依頼の範囲が広がります」
受付の女性が説明を始める。
「町から少し離れた場所での採取や調査、簡単な護衛の補助、低危険度の害獣対処などです」
「討伐もある?」
「F級向けに指定されたものなら受けられます。ただし、対象や場所によって条件がありますので、依頼書を必ず確認してください」
「ああ、分かった」
「G級向けの見習い研修は、これで基本的に終了です」
「やっと見習い卒業か」
「ただし、必要に応じて追加の講習や訓練を受けてもらうことはあります」
「そこは仕方ないな」
受付の女性が少し声を強める。
「それから、ダンジョンへの進入はまだ認められていません」
「……知ってる」
「E級からです」
「だから知ってるって」
「F級に上がった直後に聞く方が多いので」
ダリアは何も言えなかった。
自分も聞こうとしていた。
「じゃあ、Eへ上がるには?」
受付の女性が少し笑った。
「ほら」
「いや、聞くくらいいいだろ」
「もちろんです」
受付の奥から一枚の案内を持ってくる。
「まずF級として仕事を続け、必要な活動実績を積むこと。それから、E級への昇級前には追加の講習と実地研修があります」
「また講習か」
「E級からはダンジョンへの進入が認められますから。町の外で仕事をするのと、ダンジョンへ入るのは別です」
ダリアは案内へ目を落とした。
経路の記録、退路の確保、閉所での隊列、光源の管理、負傷者が出た場合の撤退、未確認の構造を発見した場合の対応。
G級で習った野外活動より、一段踏み込んだ内容が並んでいる。
どれも知っている。
知っているはずだ。
だが、今のギルドがどう教えているのかは、受けてみなければ分からない。
「この講習って、いつから受けられる?」
「F級になった時点から受講できます。仕事と並行して進める方が多いですね」
「じゃあ、申し込む」
即答した。
受付の女性が瞬きをする。
「今日?」
「空いてるなら」
「昇級したばかりですよ」
「別にいいだろ」
「駄目ではありませんけど」
横から試験官が口を挟んだ。
「随分急ぐな」
「そうか?」
「そう見える」
ダリアは少しだけ黙った。
急いでいる。
それは間違いない。
だが、その理由まで話すつもりはなかった。
「あー……まあ、せっかく冒険者になったんだ。やれることは増やしたいだろ」
嘘ではない。
全部でもない。
男はしばらくダリアを見たが、それ以上は聞かなかった。
「講習の日程、確認しますね」
受付の女性が台帳を開く。
ダリアは冒険者証へ目を落とした。
F級。
見習いではなくなった。
だが、まだダンジョンには入れない。
掲示板の向こうには、今の自分には受けることのできないダンジョン関連の依頼も並んでいる。
かつては何の気なしに剥がしていた紙だった。
今は、そこまでにもう一段ある。
ダリアはFの文字を指でなぞり、冒険者証をしまった。
「……一個ずつだな」
GからFへ。
まず一段。
今度は、その先だった。




