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観測者ダリア ーC級冒険者ダリアの記録  作者: エドモンド椿


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14/18

名前のない言葉

推敲時の削除漏れがあったので修正しました!ご指摘ありがとうございます!


調査拠点の朝は、空が白み始めるよりも早く動き出す。


見張りの交代を告げる短い鐘。


炊事場で薪を割る音。


物資置き場から荷車を引き出す、重い車輪の音。


作業員用の天幕で眠っていた者たちも、それらの音に追い立てられるように起き始めていた。


ダリアが目を覚ました時、隣の寝床は既に空になっていた。


薄い敷物の上で身体を起こす。


背中と肩に、昨日一日荷物を運んだ疲労が残っていた。


腕を回すと、筋肉が重い。


頭痛はない。


吐き気もない。


視界にも異常はなかった。


疲労が残っていることに、ダリアはわずかに安心する。


今の身体が以前のものと同じなのかは分からない。


それでも、働けば疲れ、眠れば多少は回復する。


少なくとも、その部分は人間らしい。


「二十七。起きてるか」


天幕の外から声がした。


「起きてる。今出る」


昨日、同じ班で働いた若い作業員が、入口から顔をのぞかせていた。


「朝飯、もう配り始めてるぞ」


「先に行ってていいぞ」


「遅れると粥が薄くなる」


「最初から薄いだろ、あれ」


「もっと薄くなるんだよ」


若い男は真剣な顔で言い残し、炊事場へ走っていった。


「どんな粥だよ……」


ダリアも毛布を畳み、天幕を出る。


朝の空気は冷たかった。


地面には薄く露が降り、並べられた木箱や荷車の表面が湿っている。


炊事場の前には、既に作業員たちの列ができていた。


首から下げた木札を見せ、木椀へ粥を受け取る。


今日もダリアの札には、二十七と刻まれている。


名前ではない。


等級でもない。


昨日と同じ番号だった。


「二十七」


朝食を受け取ったところで、現場監督のハーグに呼び止められた。


四十を越えた、片足を引きずる男である。


昨日は運搬三班を取り仕切っていたが、今日は朝から複数の班へ指示を出していた。


「食い終わったら、回収品置き場へ来い」


「回収品?」


「ダンジョンから戻した杭、縄、魔石灯だ。泥を落として、使える物と修理へ回す物に分けろ」


「俺が触っていいのか?」


「調査資料と採取物には触るな。道具だけだ」


ハーグはダリアの木札へ目を落とした。


「昨日、荷物の扱いには慣れてると言ったな」


「ああ。まあ、それなりには」


「なら、今日はそっちを見ろ。ただし、分からん物を勝手に捨てるな。切れた縄一本でも、回収場所を記録してることがある」


「分かった」


仕事の話になると、ダリアの返事は自然と短くなった。


昔、仲間を率いていた頃の癖だった。


長く説明するより、指示を聞き、必要なら確認し、すぐ動く。


冒険者を辞めたつもりはなかったが、今の立場になっても、その習慣だけは残っているらしい。


「あと、作業区域から出るな」


「昨日も聞いたぞ」


「昨日聞いた奴が、今日も守るとは限らん」


「それもそうだ。分かったよ」


ハーグは鼻を鳴らし、別の作業員のところへ向かった。


作業員を信用していないというより、信用しなくても仕事が回るよう、毎日確認しているのだろう。


それがハーグの仕事だった。



朝食を終えたダリアが回収品置き場へ向かうと、ダンジョン入口近くでは、一組の調査班が出発準備を進めていた。


武装した冒険者が三人。


調査員が二人。


先頭に立つのは、背の高い男だった。


灰色の髪を短く切り、片手剣と大きめの盾を装備している。


身につけている装備は、見栄えを重視したものではない。


盾の縁には細かな傷があり、革鎧の留め具も何度も交換された跡がある。


使い込まれてはいるが、手入れは行き届いていた。


B級冒険者のローデン。


昨日戻ってきた捜索班とは別の班を率いる、調査隊の隊長である。


その隣では、C級冒険者のミレアが、色の異なる細い縄を腰へ結びつけていた。


小柄な女性で、武器は短弓と短剣。


正面から魔物と打ち合うことよりも、周囲を確認しながら先行することを想定した装備だった。


もう一人のC級冒険者、ガレスは槍と小型の盾を持っている。


調査員二人を挟み、後方を守る役らしい。


ダリアは少し離れた場所から、その準備を見る。


携帯食料と飲み水は、全員へ分散されている。


目印も一人には集中させず、ローデンとミレアが別々に持っていた。


記録板には革紐がつけられ、一つを落としても予備が残るよう、調査員二人が同じ形式の板を携えている。


魔石灯も全員分ある。


予備の灯りはガレスが持っていた。


「撤退条件を確認する」


ローデンが全員へ声をかけた。


「負傷者が出て、自力での移動が難しくなった場合」


「撤退します」


ガレスが答える。


「魔石灯を二つ以上失った場合」


「その時点で引き返す」


ミレアが続ける。


「記録と実際の部屋に食い違いが出た場合」


「一度目はその場で照合。二度目が出た時点で撤退します」


調査員の一人が答えた。


「予定時刻の半分を過ぎても、前回の最深部へ到達できなかった場合」


「新しい経路は探さず、残り時間で戻ります」


もう一人の調査員が答える。


ローデンは全員を見回した。


「予定外の物を見つけても深追いはしない。記録して、一度持ち帰る。今日の目的は、昨日確認された経路の再現と、その先の部屋を一つ確認するところまでだ」


「了解」


返事が重なる。


ダリアは黙って見ていた。


物資の分散。


経路の共有。


撤退条件。


調査員の護衛位置。


ローデンは、ダリアがC級冒険者として覚えてきたことを、初めからすべて行っている。


しかも、ダリアより手際がいい。


ダリアが仲間を率いていた頃は、出発前の確認を面倒がられることもあった。


急いでいる時には、自分自身が一つ二つ省略してしまったこともある。


ローデンたちの準備には、そうした緩みがない。


「何か気になるのか?」


横から声をかけられた。


昨日から何度か話している、若い作業員だった。


「いや、別に」


「昨日みたいに、荷物の置き方が悪いとか」


「何もねえよ」


「そうなのか?」


「ああ。俺が口を出すようなことはない」


若い男は、少し意外そうな顔をした。


昨日の働きだけを見て、ダリアが何にでも詳しいと思ったのかもしれない。


「B級って、やっぱりすごいのか?」


「まあな」


「二十七も、昔はああいう仕事してたんだろ?」


「似たようなことはな」


「じゃあ、二十七とあの隊長、どっちが上なんだ?」


「どう見ても向こうだろ」


ダリアが即答すると、若い男は目を丸くした。


「そんなあっさり言うのかよ」


「B級とC級なら、普通はB級の方が上だ」


「昔の二十七はC級だったのか?」


「さあな」


「今、自分で――」


「聞き間違いだろ」


「絶対言ったぞ」


「朝飯が薄すぎて、耳までおかしくなったんじゃないか?」


「粥のせいにするなよ」


若い男が不満そうに言う。


ダリアはもう一度、入口へ目を向けた。


同じではない。


ダリアが率いていたのは、C級を中心とした冒険者の一団だった。


今、入口前にいるのは、B級を中心とした新領域の調査班である。


経験の長さだけなら、大きく劣らないかもしれない。


だが、戦闘力も、部下を守りながら危険地帯を進む能力も、ローデンの方が上だろう。


それを認めることに、抵抗はなかった。


才能の差には、ずっと前から気づいている。


剣の腕も魔法も、冒険者としては人並みか、それを少し上回る程度。


努力と経験でC級までは上がれた。


しかし、そこから先に必要なものを、以前のダリアは持っていなかった。


「二十七!」


ハーグの声が飛んでくる。


「見物で金が出ると思ってるなら、今日の日当はなしだ!」


「今行くよ!」


ダリアは入口から視線を外した。


ローデンたちは既に柵の内側へ入り、暗いダンジョンの奥へ姿を消そうとしていた。


臨時作業員が見送れるのは、そこまでだった。



回収品置き場には、前日までにダンジョンから持ち帰られた道具が積まれていた。


泥のついた測量杭。


表面が削れた石墨。


魔力の尽きた魔石灯。


途中から切れた縄。


布の裂けた背負い袋。


ダリアの仕事は、それらを洗い、種類ごとに分けることだった。


一見すると使えそうな縄でも、強く曲げれば内側の繊維が切れていることがある。


杭も、先端が欠けただけなら削り直せるが、中央にひびが入っていれば使えない。


魔石灯は汚れを落とした後、技師へ渡す。


点灯確認は専門の人間が行うため、作業員が勝手に魔力を流すことは禁止されている。


規則は細かい。


だが、その一つ一つに理由があった。


午前中、ダリアはほとんど口を開かなかった。


手を動かしながら、時折ダンジョンの入口へ目を向ける。


ローデンたちが入ってから、かなりの時間がたっている。


撤退を知らせる鐘は鳴っていない。


負傷者が出た様子もない。


予定どおり調査が進んでいるのだろう。


「気になるか?」


ハーグが、洗浄の終わった杭を確認しながら聞いた。


「まあ、少しな」


「昨日から、入口ばかり見ている」


「そうか?」


「自分では気づいてないのか」


ダリアは黙って、泥のついた縄を桶へ沈めた。


「昔、入ったことがある」


「小鬼の住処にか?」


「ああ」


「新領域にも?」


ダリアの手が、一瞬だけ止まった。


ハーグはそれを見逃さなかった。


しかし、答えを急かしもしなかった。


「……似たようなところにはな」


「似たようなところ、か」


「ああ」


「便利な言葉だな」


「そうだな。俺も今、そう思ったよ」


ハーグはそれ以上聞かなかった。


作業員が過去を話したがらないことには慣れているのだろう。


「気になるのは勝手だが、柵へ近づくな。今のお前は調査員でも冒険者でもない」


「分かってるって」


「分かってる奴は、そんなに入口を見ない」


「見るくらいいいだろ」


「今のところは禁止してない」


「なら問題ないな」


「問題を起こす奴は、だいたい同じことを言う」


ハーグは鼻を鳴らし、別の作業台へ向かった。


ダリアは再び縄の泥を落とし始める。


今の自分は、入口の外側にいる。


それは分かっている。


だからこそ、あの暗闇から目を離せなかった。



昼を過ぎて、しばらくした頃。


入口近くで鐘が鳴った。


一度。


間を置いて、もう一度。


負傷者を知らせる音ではない。


調査班の帰還を知らせる鐘だった。


予定より早い。


回収品置き場にいた作業員たちが顔を上げる。


「持ち場を離れるな!」


ハーグの声が飛ぶ。


「帰還班の通路だけ空けろ! 指示があるまで近づくな!」


作業員たちは道具を脇へ寄せ、入口から指揮所へ続く通路を空けた。


しばらくして、柵の向こうからローデンたちが姿を現す。


五人とも歩いている。


負傷者はいない。


装備にも大きな損傷はなかった。


ただし、出発時とは一つ違う。


ガレスと調査員の一人が、二人がかりで細長い木箱を運んでいた。


箱は、蓋を完全には閉じられていない。


内側から、黒く変色した大きな牙のようなものがのぞいている。


周囲には、嗅いだことのない獣の臭いが漂っていた。


腐敗臭とは少し違う。


血と獣脂に、焦げた肉のような臭いが混じっている。


ダリアの指が止まった。


木箱の中に見えた牙。


途中から砕け、内側へ向かってひびが走っている。


見覚えがあった。


自分が砕いた牙だった。


氷の大槍が魔獣の口へ突き入り、歯を内側から押し割った。


ほんの数日前の出来事である。


「二十七!」


ハーグに呼ばれ、ダリアは我に返る。


「空の台車を出せ! あの箱を分析天幕まで運ぶ!」


「ああ!」


ダリアたちは小型の台車を押し、帰還した調査班のところへ向かった。


近づくほど、箱の中身がはっきり見える。


牙だけではない。


黒い毛のついた皮膚。


硬い鱗。


蛇に似た細長い部位。


死骸の一部を切り取って持ち帰ったらしい。


「そのまま台車へ載せろ」


ローデンが指示する。


ガレスたちが木箱を下ろす。


かなりの重さがあるらしく、台車の板が低くきしんだ。


「死骸そのものは?」


分析を担当する研究員が尋ねた。


「大部屋に残してきた。あの大きさを運ぶだけの人数も道具もない」


「周囲の安全は?」


「確認できた範囲では、ほかの魔物はいなかった。ただ、死骸の先に未確認の通路がある。今日は入っていない」


「早く戻ったのは、そのためか」


「ああ。予定外の発見だ。一度、記録と試料を持ち帰るべきだと判断した」


ローデンは落ち着いて答える。


発見に興奮して奥へ進まず、予定どおり撤退した。


隊長として当然の判断だった。


ミレアが腰から記録袋を外す。


「死骸は、狼に似た頭が二つ。胴体は大型の獅子に近く、尾は蛇のような形でした」


ダリアは台車の取っ手を握ったまま、動けなかった。


間違いない。


自分が戦った魔獣である。


「死亡してから、どれくらいだ?」


研究員が聞く。


「正確には分からない。ただ、腐敗の進み方から見て、何週間も前ということはない」


「死因は?」


「片方の頭は、口から喉へ何かを突き込まれている」


ガレスが箱の中の牙を示した。


「牙が内側へ砕けていた。かなり大きな杭か、槍みたいな物を、正面から打ち込んだらしい」


「もう片方は?」


「眼窩から剣を刺されている。その後、かなり強い電撃を受けた跡があった」


研究員たちが顔を見合わせる。


「複数人か?」


一人が尋ねた。


ローデンはすぐには答えなかった。


「可能性はある。喉を貫いた者と、眼を刺した者が別なら二人以上だ」


「一人だ」


ダリアの口から、言葉がこぼれた。


周囲の視線が集まる。


自分が何を言ったのか理解した時には、既に遅かった。


ローデンがダリアを見る。


怒ってはいない。


驚いてもいない。


ただ、発言の意味を測るような目だった。


「なぜ、そう思う」


「……いや」


ダリアは言葉を探す。


「似たような奴の話を、聞いたことがある」


「二つの頭と獅子の身体、蛇の尾を持つ魔獣の話を?」


「ああ」


「喉を貫かれ、もう片方の眼へ剣を刺された死骸の話までか」


「そこまでは……」


ダリアは言葉を切った。


下手な言い訳だった。


周囲が静かになる。


ハーグが間へ入った。


「二十七。台車を運べ」


「ああ」


「今は仕事中だ。調査の話に口を挟むな」


「……悪かった」


ハーグの言葉は冷たかった。


しかし、ダリアを庇っている部分もあった。


これ以上、その場で追及されないよう仕事へ戻している。


ダリアは台車を押し始める。


木箱の中で、砕けた牙がわずかに揺れた。


自分が戦った証拠。


自分が二度目に歩いた場所へ、調査隊が到達した証拠。


ずっと探されていた経路が、ようやく現実の調査記録とつながろうとしている。


だが、ダリアは何も話せない。


正確には、話すことはできる。


それを信じてもらえる立場がない。



回収した試料は、分析用の天幕へ運び込まれた。


そこから先は、研究員の仕事である。


ダリアたち臨時作業員は、木箱を入口へ置くと、すぐに外へ出された。


天幕の中には、アリアの姿もあった。


ダリアと目が合ったが、アリアは何も言わない。


ほかの研究員と同じように、箱の中身へ視線を落とした。


その顔から感情を読み取ることはできなかった。


「次は、帰還班の装備を洗浄場へ運べ」


ハーグに言われ、ダリアはその場を離れる。


ローデンたちの装備には、細かな灰色の砂が付着していた。


ミレアの靴底には、黒い毛が絡んでいる。


新領域のどこかで、あの死骸のそばを歩いた証拠だった。


「その背負い袋は、記録を抜いてからね」


ミレアがダリアへ声をかける。


「中身は全部出したと思うけど、念のため見てくれる?」


「ああ」


ダリアは袋を受け取る。


ミレアは疲れている様子だったが、怪我はない。


「随分早かったな」


「予定外の物を見つけたから」


「その先は見なかったのか?」


「見てない」


「通路があったんだろ」


「だからよ」


ミレアは当然のように答える。


「知らない魔獣の死骸があって、誰が倒したのかも分からない。その先に道まである。そんな時に、予定を変えて進む方が危ないでしょう」


「まあ、そうだな」


「隊長も同じ判断」


「良い隊長だな」


ミレアがわずかに笑う。


「B級でも、無茶をする人はいるけどね。ローデンはしない。だから調査隊を任されてるの」


ダリアは背負い袋の中を確認する。


折り畳まれた布。


予備の石墨。


空になった水袋。


記録用具は、既に取り除かれていた。


「見つけたのは、あんたか?」


「私」


「どんな部屋だった?」


ミレアの表情が変わった。


わずかに警戒が混じる。


「それ、作業員へ話していい内容じゃないんだけど」


「ああ、そうか。悪い」


ダリアはあっさり引いた。


ミレアは、逆に少し意外そうな顔をした。


「さっき、どうして一人だって言ったの?」


「そう見えたからだ」


「死骸を見てもいないのに?」


「牙は見た」


「牙だけで?」


「……まあ、似たような傷を見たことがある」


「どこで?」


「それは、ちょっと言えない」


「言えないことばっかりね」


「俺もそう思うよ」


ミレアはダリアの顔を見る。


しばらく待っても、それ以上話さないと分かったのだろう。


背負い袋を受け取った。


「隊長は気づいてる」


「だろうな」


「後で話を聞かれると思う」


「逃げた方がいいか?」


「逃げたら、余計に怪しいでしょう」


「だよなぁ」


ダリアは頭をかいた。


ミレアは真顔のまま続ける。


「ローデンは、理由もなく人を疑う人じゃない。でも、理由もなく信じる人でもない」


「そりゃ、良い隊長だ」


「さっきも言ってたわね」


「本当にそう思ってるからな」


ミレアは装備を抱え、仲間のところへ戻っていった。


ダリアはその背中を見る。


自分がC級の隊長だった頃、部下から同じように言われていただろうか。


分からない。


少なくとも、ローデンの部下は隊長の判断を信頼している。


それは等級だけで得られるものではない。



午後の作業が終わる頃、ハーグがダリアのところへ来た。


「二十七。指揮所の裏へ行け」


「何かやったか、俺」


「ローデンがお前と話したいそうだ」


「やっぱり、さっきのか」


「ほかに何がある」


「断ったら?」


「構わん」


ハーグは答えた。


「ただ、明日からお前を調査関係の道具へ近づけることはできなくなる」


「それ、断っても構わないって言うのか?」


「身元不明の作業員が、調査内容を知ってるようなことを言ったんだ。当然だろ」


「まあ、そうなるか」


「余計な嘘はつくなよ」


「全部正直に話せって?」


「話したくないことまで話せとは言わん。黙るなら黙れ。下手な嘘を重ねるな」


「……分かった」


それだけ言って、ハーグは仕事へ戻った。


指揮所の裏には、小さな机と椅子が置かれていた。


ローデンは武装を外し、椅子へ座っている。


近くにほかの冒険者はいない。


尋問という雰囲気ではなかった。


ダリアが来ると、ローデンは向かいの椅子を示した。


「座れ」


「ああ」


ダリアは椅子へ腰を下ろす。


ローデンはすぐには話し始めなかった。


一度ダリアを見てから、口を開く。


「名前は?」


「二十七番」


「番号ではなく、名前を聞いている」


「……今は、それで頼む」


ローデンはしばらくダリアを見る。


「本名は言えないのか」


「言えないっていうか……まあ、今は言わない」


「分かった。なら、二十七番と呼ぶ」


無理に聞き出そうとはしなかった。


「昼の発言について聞く。なぜ、あの魔獣を一人で倒したと思った」


「一人でもつけられる傷だったからだ」


「可能かどうかを聞いているんじゃない。なぜ、一人だと言い切った」


「……口が滑った」


「何を知っている」


ダリアはローデンを見る。


声を荒らげてはいない。


威圧しようともしていない。


だが、曖昧な言葉で逃げられる相手ではなかった。


「似たような魔獣と、戦ったことがある」


ダリアは答えた。


「二つの頭と獅子の身体、蛇の尾を持つ魔獣か」


「ああ」


「どこで?」


「言えない」


「いつだ」


「それも、ちょっとな」


「倒したのは、お前か?」


ダリアは答えなかった。


ローデンも、すぐには次の質問をしなかった。


風が机の上の紙を揺らす。


やがてローデンが口を開く。


「お前が何かを知っている可能性はある」


「信じるのか?」


「まだだ」


はっきりした答えだった。


「ただ、何も知らない人間が、偶然言ったとも思っていない。あの死骸について、外へ出した情報はないからな」


「なら、少しくらいは使えるだろ。俺の話」


「使えない」


ローデンは即答した。


「なんでだ?」


「お前が誰なのか分からない」


「話が合ってれば、名前は関係ないんじゃないか?」


「関係ある」


ローデンは机の上へ手を置く。


「調査で使う情報には、出所が要る。誰が見た。いつ見た。どこで見た。何のために話している。それが分からない情報で、部下の進路は決められない」


「死骸と一致しててもか」


「一致する部分は記録する。だが、それだけで隊は動かせない」


ローデンは、ダンジョンの入口へ視線を向けた。


「あの中へ入るのは、俺だけじゃない。ミレアもガレスも、調査員も連れていく。身元の分からない男の話を頼りに道を選んで、誰かが死んだら、俺は何と報告する?」


「……まあ、そうだな」


正論だった。


「お前を疑っているから、全部捨てるわけじゃない。ただ、信用できるか分からない話を、信用したことにはできない」


「じゃあ、どうすりゃいい」


「少なくとも、名前と立場が必要だ」


「名前を言えば、それでいいのか?」


「名前だけじゃ足りない。だが、番号しかない人間よりはましだ」


ローデンは続ける。


「冒険者なら登録記録が残る。依頼を受ければ、行動にも責任が生じる。虚偽の報告をすれば処罰される。調査員なら所属と上司がいる。話が正しい保証にはならないが、誰の証言かは残る」


「臨時作業員じゃ駄目か」


「今日の日当を受け取れば、契約は終わる。明日から来なくても、誰もお前を追わない」


ダリアは少しだけ笑った。


「そのつもりで、ここに来たんだけどな」


「過去を問われない代わりに、過去を使って信用を得ることもできない」


「痛いところを突くな」


「事実を言っているだけだ」


ダリアが臨時作業員という立場を選んだのは、過去を問われないからだ。


その代わり、過去を問われない人間の言葉には、相応の重さしか与えられない。


都合のいい部分だけを選ぶことはできない。


「冒険者になれば、中に入れるのか?」


ダリアが尋ねる。


「入れない」


また、即答だった。


「早いな」


「新規登録なら最下級からだ。今の新領域は、C級上位からB級下位相当と見られている。登録したばかりの新人を連れていくことはない」


「経験があっても?」


「経験があると、お前が言っているだけだ」


「試験で分かるだろ」


「戦えることと、調査へ同行できることは別だ。命令を聞けるか。集団で動けるか。引くべき時に引けるか。見るところはいくらでもある」


「……面倒だな」


「面倒だから、生きて帰れる」


この拠点にいる責任者は、揃って面倒な決まりを大切にしている。


だからこそ、調査隊は今も大きな犠牲を出さずに動けているのだろう。


「ただし」


ローデンが続ける。


「正式な身分があれば、証言を記録へ残すことはできる。内容が確認されて、必要だと判断されれば、責任者がお前から話を聞くこともある」


「それでも、中に入れるとは限らない」


「当然だ」


「厳しいな」


「お前が何を知っているかも、まだ分からないからな」


ローデンの態度は変わらない。


ダリアを高く評価しているわけでも、見下しているわけでもない。


ただ、今の立場をそのまま伝えている。


「一つ聞く」


ローデンが言った。


「お前は、あの死骸があった場所へ行きたいのか」


ダリアは少し迷った。


「ああ」


「なぜだ」


「確かめたいことがある」


「何を?」


「……それは、言えない」


「なら、今の俺から言えることも変わらない」


ローデンは立ち上がった。


「お前の発言は、出所不明の証言として記録へ残す。明日の調査は、今日確認した事実だけで決める」


「ああ。分かった」


ダリアも立ち上がる。


そのまま立ち去ろうとした時、ローデンが背後から声をかけた。


「二十七番」


「何だ?」


「本当にあの場所を知っているなら、黙っていることで危険になる者がいる。それは覚えておけ」


脅しではなかった。


責めているわけでもない。


隊長としての言葉だった。


ダリアは振り返らずに答える。


「……分かってるよ」


分かっているからこそ、簡単には話せなかった。



夕方。


作業を終えたダリアは、調査拠点の外れにある小さな丘へ向かった。


昨日、アリアと話した場所である。


空は赤く染まり、ダンジョン入口の柵が長い影を落としている。


丘へ着くと、アリアは既に待っていた。


腕を組み、見るからに機嫌が悪い。


「余計なこと言ったわね」


「……やっぱり聞いてたか」


「あれだけ静かなところで、いきなり『一人だ』なんて言えば、嫌でも聞こえるわよ」


「悪かったよ。つい口が出た」


「子どもみたいな言い訳しないで」


「本当に、つい出たんだって」


アリアは大きく息を吐く。


「ローデンには、どこまで話したの?」


「似た魔獣と戦ったことがあるってだけだ」


「場所は?」


「言ってない」


「自分が倒したことは?」


「黙ってた」


「魔法は?」


「何も言ってない」


アリアの肩から、わずかに力が抜けた。


「なら、まだ大丈夫」


「大丈夫なのか?」


「全然大丈夫じゃないけど、今すぐ縛られるほどじゃないって意味」


「物騒だな」


「誰のせいよ」


「俺だな。悪かった」


「妙に素直ね」


「ここで言い返したら、また殴るだろ」


「殴らないわよ!」


「今、一瞬手が動いたぞ」


アリアは上げかけた手を下ろす。


「……それより、やっぱりあの魔獣だったのか?」


ダリアが聞く。


「ええ。あんたから聞いた特徴と一致してる」


「傷も?」


「片方の頭は、口の中から喉へ大きな物を突き込まれてる。牙も内側から砕けていたわ」


「氷の槍は残ってなかったのか?」


「残ってない。溶けたのか、初めから別の物だったのか、それだけじゃ分からないわ」


アリアは手にしていた紙へ視線を落とした。


「ただ、口の中と喉の組織には、氷結系の魔法を受けた時に近い損傷が残ってる。だから、氷か、それに似た性質の何かを使った可能性は高い」


「もう片方は?」


「眼を剣で貫かれた後、その傷口から強い電撃を受けてる。そっちは、あんたから聞いた話とほぼ同じね」


「じゃあ、俺が倒した奴で間違いないな」


「私たちの間ではね」


「ほかの研究員は?」


「凍結系の魔法か、似た効果を持つ魔道具が使われた可能性を考えてる。でも、何をどう使ったのかまでは、死骸だけじゃ断定できない」


「俺の魔法だって分かるのか?」


「分からないわよ」


アリアは呆れたように答える。


「傷口を見ただけで、使った術式まで全部分かると思ってるの?」


「お前なら分かるかと思った」


「買いかぶりすぎ。私は研究者であって、何でも見抜ける怪物じゃないの」


「そうか。そりゃ悪かったな」


「ただ、通常の氷結魔法であれだけの牙を内側から砕きながら、喉まで貫けるかと聞かれたら、かなり難しいとは思う」


「それは言わない方がいいな」


「今のところ、私から余計な推測を話すつもりはないわ。あんたが自分でやったなんて言わなければね」


「言わないよ」


「今日、半分言いかけたけど」


「だから悪かったって」


「本当に分かってる?」


「分かってるって」


ダリアはダンジョンの入口を見る。


「でも、これではっきりした」


「何が?」


「今の新領域から、俺が二度目に通ったところへ行ける」


「ええ」


「死骸が残ってたなら、その先もあるはずだ。ナニカに会った場所も――」


「同じ場所につながってるとは限らないわ」


「可能性はあるだろ」


「可能性だけで入り直すつもり?」


「今すぐ勝手に入るとは言ってない」


「今すぐじゃなければ、いいって話でもないわよ」


「分かってるよ」


「昨日のあんた、入口を見るたびに柵を越えられないか考えてたでしょう」


ダリアは少し黙る。


「……顔に出てたか?」


「ずっと見てれば分かるわよ」


「顔は変わってるのにな」


「そういうところは、全然変わってない」


ダリアは入口から視線を外した。


「冒険者に登録し直す」


アリアの顔から、怒りが消える。


代わりに、予想していたものが現実になったような諦めが浮かんだ。


「ローデンに勧められたの?」


「いや。登録しても中には入れないって言われた」


「当然でしょう」


「最下級からで、戦えるかだけじゃなくて、集団で動けるかも見られるらしい」


「まともな隊長で安心したわ」


「俺は、そこまで信用ないか?」


「今のあんたは、正体不明の臨時作業員よ」


「二日働いたぞ」


「二日分の信用しかないでしょう」


「十分じゃないか?」


「新領域に連れていくには、全然足りないわ」


「まあ、そうらしいな」


臨時作業員二十七番の発言は、出所不明の証言としてしか扱われない。


名前も所属も責任もない。


その状態で何を言っても、調査隊は命を預ける判断には使えない。


冒険者として登録したからといって、すぐに信用されるわけではない。


だが、少なくとも記録は始まる。


最初の依頼。


最初の評価。


最初の証言。


また一つずつ積み上げることができる。


「名前はどうするの」


アリアが尋ねた。


「ダリア」


「やっぱり変えないのね」


「ああ。そこまで変える気はない」


「未帰還者のC級冒険者ダリアとは、別人として登録されるのよ」


「分かってる」


「以前の等級も、実績も、信用も使えない」


「ああ」


「家や財産の所有権にもつながらない」


「今も使えないだろ」


「最下級からよ」


「それはちょっと面倒だな」


「嫌ならやめる?」


「いや。やるよ」


答えは短かった。


一度目に冒険者になった時も、何も持っていなかった。


そこから少しずつ依頼をこなし、信用を積み、C級まで上がった。


今度も同じことをする。


以前の実績は使えない。


だが、その経験まで消えたわけではない。


「別の方法もあるわ」


アリアが言った。


「どんな?」


「あんたの状態を、調査責任者へ全部話すの。重度のマター汚染を受けた可能性。以前のダリアの記憶を持ってること。未知の魔法を使えること。新領域へ二度入ったこと」


「それで、調査に協力させてもらうのか?」


「可能性はある」


「俺も調べられるんだろ」


「……まあ、そうなるでしょうね」


「なら、なしだな」


返事は早かった。


自由に町を歩ける保証もない。


異常な魔法を使う、身元不明者。


未帰還者の記憶を持つ、正体の分からない人間。


研究者たちが放置するとは思えない。


危険性がないと判断されるまで、監視下へ置かれる可能性が高い。


「私も、そっちは勧めない」


「じゃあ、決まりだな」


「ただし、条件がある」


「またかよ」


「当然でしょう」


アリアが指を一本立てる。


「登録試験で、あの異常な魔法は使わない」


「ああ」


二本目。


「以前のダリア本人だとは主張しない。聞かれても、証明できないことは言わない」


「分かった」


三本目。


「登録できたからって、勝手に新領域へ入らない」


「分かってるって」


四本目。


「ローデンたちの調査に、無理やりついていこうとしない」


「しないよ」


五本目。


「体調に異常が出たら――」


「すぐお前に言う」


「最後まで言わせなさいよ」


「毎日聞いてるから、もう覚えた」


アリアは不満そうに口を閉じる。


ダリアは少し迷った後、口を開いた。


「あと、登録の時なんだけどよ」


「何?」


「お前も来てくれ」


アリアが目を瞬く。


「どうして?」


「受付で俺が余計なこと言わないように、見張るんだろ」


「それはそうだけど、一人でも登録くらいできるでしょう」


「まあ、できるとは思う」


「じゃあ、何よ」


「……来てくれた方が助かるんだよ」


「何が?」


「いろいろだ」


「ずいぶん雑ね」


「細かく説明するようなことでもないだろ」


アリアは、しばらくダリアの横顔を見つめた。


ギルドの受付で、現在のダリアを以前のダリアだと知る者はいない。


書類の上では、同じ名前を持つ別人になる。


以前の等級も実績も失い、最下級の新人として登録される。


その場に、自分を以前からのダリアとして見ているアリアがいる。


ダリアは、それだけで少し違うような気がしていた。


だが、それをそのまま口へ出す気にはなれない。


「仕方ないわね」


やがてアリアが言った。


「一緒に行ってあげる」


「助かる」


「余計なことを言ったら、途中で口を塞ぐから」


「どうやって?」


「物理的に」


「やっぱり殴るんじゃないか」


「まだ殴ってないでしょう」


「まだ、って言ったぞ」


二人は言い合いながら、丘を下り始める。


炊事場から夕食の匂いが漂っていた。


明日の朝までは、ダリアは臨時作業員二十七番である。


名簿に名前はない。


過去の経歴もない。


昼間の発言も、出所不明の証言として記録されるだけだった。


それでも今日、調査隊は一つの死骸を発見した。


二つの狼の頭。


獅子の身体。


蛇の尾。


口の中から喉を貫かれ、眼から電撃を流し込まれた魔獣。


それは、ダリアが二度目に歩いた道が、今も新領域のどこかに存在している証拠だった。


名のない証言は、まだ誰の進路も変えられない。


だからダリアは、もう一度、名前を記録へ残すことにした。


未帰還者のC級冒険者とは別の人間として。


最下級の新人として。


同じ名前を持つ、もう一人の冒険者として。


ダリアは再び、冒険者になる。


今度は、かつて積み上げた経験を持ったまま。


以前にはなかった力を隠しながら。


一度は諦めた道を、最初から登り直すために。



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調査班出発前の撤退条件確認のくだり、Wizardryシリーズでゲーム開始したばかりの時のプレイFeelが思い出されて、ワクワクした(・∀・) それから、ハーグとのやり取りにもローデンとのやりとりにも…
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