前世の記憶が預けられていた
姫城誠の摩訶不思議さに、いちいち目くじらを立てていてもしょうがない。
己の中で自己完結させていると、「ねぇ、俺君」と姫城の方から話しかけてきた。
なんだと言うように、視線を姫城へと投げかける。
──というか、コイツ。
俺のことを今、なんて呼んだ?
「狂季先輩の件は、どうするつもりなの?」
しかし、俺のどうでもいい疑問が吹っ飛ぶほどの問い掛けが目の前から降ってくる。
白蘭タワーで起きた一件を知っているらしい姫城に、俺は奴を見る目が剣呑になっていく。
「なんだ、気になるのか?」
「勿論。二葉さんが創設したチームが、怖そうな人に荒らされそうになってるんだもん」
コイツ、仮にも己が所属しているチームの危機だっていうのに、最推しが手塩にかけて育ったチームだから気になっているだけかよ。
何処までも長篠二葉オタクを貫き通す姫城に、俺は暫し呆気に取られた。
だが、次第に己の中で張り詰めていた緊張の風船が、針で刺されたように萎んでいくのが分かる。
──本当にどこまでも長篠二葉が大好きなんだよな、コイツは。
こんなに人格がボロボロになっても、長篠二葉のことになると必死になってしまう姫城を見ていると、大人気なく警戒をしてしまう俺の方が馬鹿げているような気持ちにさえなってきた。
「色々と策は練っている。ただ、有効な手段はゲーム本編のフラグを立ててしまうのが手っ取り早くはあるだろうな」
「それって、この世界を模した【プリズム☆アイドル】っていうゲームのこと?」
一瞬、姫城が何を言ったのかが分からなかった。
だが、目の前から聞こえてくる好青年ボイスがしっかりとゲーム名を告げたことを理解した瞬間、その場に座り込んだまま姫城に詰め寄る。
「なんで、その名前を知ってんだ!?」
この世界がプリアイに似た世界であることは、別世界の日本の知識を持っている俺しか知らない真実の筈だ。
【姫城誠】はゲーム本編には一切出てこないキャラクターではあるが、だからと言って向こうの世界のことを知っているのは可笑しい。
鬼気迫る表情で尋ねる俺を見下ろしている姫城は、どうしてそこまで俺が焦っているのかがわからないといった様子のまま声を発した。
「だって、僕は俺君の記憶を知っているもん」
「は?」
『昼の空は青いでしょ』と言うようなノリで明かされた新事実に、ゴチャゴチャしていた脳内が完全に思考を止める。
思考と一緒に動きも固まってしまった俺に、流石に説明不足を感じたらしい姫城が、「ちょっと待ってね」と体の向きを変えた。
角張った動作で、姫城が横向きになる。
途端、唐突に彼のドットで描かれた青い目が、カチリと機械的な音を立てて開いた。
「え?」
さっきから一文字でしか言葉を発せなくなっている俺を置いて、彼の瞳から光の一線が放たれる。
ロボットアニメの必殺技の様な光線は、真四角に広がっていった。
それは徐々に像を結び──この真っ白な精神世界に投影された、巨大なスクリーンのようになる。
姫城のあの円な瞳は、プロジェクターとしての機能まで備えていたらしい。
奇天烈な出来事の連続に、もはやこれも趣味の悪い悪夢の続きではないかとさえ思えてきた。
だが、そんな俺の逃避じみた感想は、映し出された映像によってあっという間に蹴散らされていく。
「プリアイの、スタート画面·····」
空間に大きく映し出されたのは、俺の記憶と寸分違わない【プリズム☆アイドル】のスタート画面だった。
こちらの世界にいる間は目にすることはないだろうと思っていたからこそ、久しぶりの再会に心がついて行かない。
映像の真ん中に表示されている【Touch!】という文字が、より一層、この映像がゲームだということを訴えかけてくる。
次いで、俺達の話声しか無かった殺風景な空間に、どこからともなくポップ調のイントロが響いてくる。
幾重にも重なった電子音が紡ぐ曲調に乗って、最初に聞こえたのは──今よりも、ずっと上手い桜羽の歌声で。
これは、プリアイのオープニング曲である【アンコール!】のものだ。
この曲は搭載されているレギュラー全員によるユニゾン曲であり、シーズンが変わって、キャラクターが増える度にアレンジで一新される。
今、流れている【アンコール!】は、N=?のシナリオが追加されてからのものだから、最新のアレンジ曲だな。
今よりもずっと上手く歌い上げている桜羽や白星の歌唱を聞きながら、俺は暫くの間、身動ぎ出来ずに眺めることしか出来ないでいた。
スタート画面は一定の時間以上、放置しているとオープニングへと切り替わる。
姫城が映し出した映像も組み込まれたプログラミングに従っているのか、暗転するなり、Angel*DollやZ:Climaxの集合スチルが次々と映し出されていく。
俺が今日まで会話を交わして友好を温めていたのは、紛うことなきゲームの世界の住人達なのだと見せつけてくるようだ。
──俺の中では、もうすっかり、こっちの世界の方が現実なのだと認識していたんだな。
だからこそ、ゲームキャラクターのように扱われている彼等への違和感が強くて、この世界に映し出されているゲーム画面が受け入れられない。
目覚めてからの俺は、自分の中にあるゲーム知識とこの世界を照らし合わせて動いてきたというのにも関わらず。
「自分の世界がゲームになっているっていうのは、変な感じだよね」
俺よりも衝撃を受けていそうな姫城の方が、ドライな感想を持っていた。
彼は何を考えているのか分からない顔で、己で映し出している映像を眺めている。
「でも、実際に俺君のゲームの記憶通りに皆が動いていることもあるし、設定がその人の過去として語られることもあった。だから、ゲーム知識を使って、虎南先輩を救うっていうのは悪くないんじゃないかな」
「飲み込むの、早くねぇか?」
「そりゃあ、早くもなるよ。僕にとっては、君が覚醒した時から驚きの連続だもん」
「だから、別の世界では、この世界がゲームになっていてもおかしくはないのかなって思えてきたんだ」と語った姫城に、俺は掛けてやる言葉が浮かばなくなった。
うんともすんとも言わなくなった俺をおいて、姫城は延々と流れていたオープニング映像を飛ばした。
次に映し出されたのは、【渋谷駅】と書かれた駅の改札口だ。
人の足音や、言葉として認識出来ない人の声が聞こえてくると、明るめのBGMが流れてくる。
背景が表示されてから一拍もなく、メッセージウインドウが画面の下部に展開された。
『主人公:今日は久しぶりの買い物だ。無事に夏休み前フェスも終わったし、思いっきり羽を伸ばしたいなぁ』
神撫市を出て、渋谷に遊びに来た主人公の独白から始まったイベントだ。
だが、主人公が一通り状況説明を終えると、すぐに携帯の呼び出し音が鳴った。
オープニング曲を簡素にアレンジした呼出音が鳴るが、主人公が電話に出たのか直ぐに音が鳴り止む。
電子音が鳴り終わるなり、メッセージウインドウの中に新しい台詞が並べられていった。
『鏡見新:やっほ〜、マネージャー。今、電話しても大丈夫?』
電話の主は、N=?の鏡見新だった。
逆浪先輩よりも訛りの強い関西弁を聞いた瞬間、映像の中とはいえ、現実で揉めたことがある俺の胸中には苦いものが広がっていく。
あのコラボ動画の案件から、俺はすっかり奴に対して苦手意識を抱いていた。
『主人公:こんにちは、新君。今から買い物だから、大丈夫だよ』
『鏡見新:ラッキ〜。俺、今、妹が遊びに来るっていうから新幹線待っとるんよ。アイツ、今更になって、『寝坊したから1本ずらした』ってメッセージを送ってきよってな。ちょっとの間、手持ち無沙汰やねん』
『主人公:あはは。じゃあ、暇電だ』
『鏡見新:せや。ホンマに報連相がなっとらんヤツやで。来たら、シバいたらなアカンわ』
あのいけ好かない裏垢男子顔をしている鏡見には、意外なことに溺愛している妹がいる。
今回のイベントでも、遅れると直前に連絡をした妹に毒づいてはいるが、その声は楽しそうなものだ。
きっと、『お兄ちゃん、ごめんね』の一言で許してしまうに違いない。
暫く、主人公と鏡見の世間話が続き、背景が改札口から外へと続いている駅ビルの階段へと変わった。
少し薄暗い印象のある地上へと続く階段を主人公が降り終えたのか、またもや背景が変わる。
そして、背景が路地になったのと同時に、ただの背景ではなく、ビルの壁に座り込む狂季環のスチルに変わった。
「俺君が立てようとしているフラグは、コレ?」
何の感情も込められていない、単調な姫城からの問いかけ。
どうして俺の練っている作戦が筒抜けなのかは分からないが、合っているので頷く。
「ああ。今の時間軸で引き起こせるフラグのうち、狂季の弱みに付け込めるイベントはこれしかない」
N=?のシナリオにおいてもこの狂季のスチルは、【狂季編】の開幕を告げる大事な物だ。
特にこれまでの彼は、登場する度にプレイヤーに掴みどころのないキャラクターとしての印象を与え続けてきた。
だが、このスチルイベントを切っ掛けに、狂季の正体に迫る彼のお話が始まっていく。
『主人公:狂季先輩!』
『狂季環:·····ないで』
『主人公:大丈夫ですか!?』
『狂季環:来るな!』
『主人公:·····!』
『狂季:大丈夫。放っておいて。ちょっと疲れたから、休憩してるだけだよ』
『主人公:でも』
『狂季:マネージャーだからって、何でもかんでも踏み込んでいいと思ってる?僕の私生活まで干渉してくるのはお門違いだよ』
『狂季:僕も行くから、君も行きなさい。用事があってこの辺りに来たんだろう』
アスファルト上に両足を投げ出して座り込んでいる狂季を、主人公が助けようと駆け寄るも、強い口調で狂季は制した。
最後にスチルが切り替わり、狂季の立ち絵が現れる。
だが、その立ち絵もこれまでに見たことがないほどに、冷徹な表情を浮かべている差分だ。
惚けているだろう主人公を慮ることなく、立ち去る足音がして、狂季の立ち絵も消える。
狂季の不穏さはこれまでのシナリオでも漂っていたが、主人公が初めてその一端を掴んだのはこの一場面からだ。
「僕にはこのイベントが、虎南先輩を助けるための取っ掛りになるとは到底思えないんだけども」
一通り、鑑賞をし終えた姫城は戸惑っているようだ。
確かにイベントの内容自体は、弱っている狂季に遭遇するだけというもの。
このイベントを起こしたからといって、虎南先輩がすぐに助かるということはないだろう。
「確かにこれだけだと、虎南先輩を救うことは出来ないだろうな。だが、これから起きる出来事で、狂季の弱味につけ込むためにはこれしかない。弱っているアイツを見つけた先はまだ考え中だが、アイツの隙をつくために起こす価値はある」
狂季のペースを崩すためには、こちらもアイツに対する有効な手段を持っていると知らしめなければならない。
特に虎南先輩や他のメンバーも人質に取られているような狂季が優位な状況下の今、アイツから見た俺達は顔の周りを飛び回っているような虫も同然だ。
鬱陶しいだろうが、叩き潰すまでもないと歯牙にもかけられていない今の状態だと、平等な取引は望めない。
「ふぅん。手負いで弱っている時に仕掛けるってことね。なかなか悪どいね、俺君」
「仕方がないだろ。悪党に勝つには、なりふり構っていられねぇからな」
プイと顔を逸らした俺に、姫城がクスクスと笑っている。
何が面白いんだと言わんばかりに、横目で睨んだ。
「ごめんごめん。別に責め立ててるわけじゃないよ。やっぱり、俺君が僕の交代人格で良かったなって実感していただけ」
基本人格から褒められる交代人格なんて、世界広しといえど俺くらいのものだろう。
──そもそも、俺自体が別の世界の知識を持った特殊個体だから、普通の交代人格って訳でもないだろうがな。
そんな独白を胸中で転がした時、コイツが『俺』を何処まで把握しているのかが気になった。
「なぁ、姫城。お前は本当の俺を知ってんのか?」
「うん」
もったいぶることなく、俺の疑問は即答された。
俺は見上げた状態で、奴の変わる気配のない簡単なつくりの顔を見上げ続ける。
言葉なく訴えかける俺の視線を受け取った姫城は、言葉を更に重ねた。
「知ってるけど、名前は返せない。そういう約束をした」
「約束?」
要領の得ない姫城の言葉に、片方の眉が跳ね上がる。
「俺君の名前と記憶を預かるって。ううん、記憶を預かるために、名前も貰い受けたって方が正しいかな」
記憶を預かるために、本当の名前も姫城に渡した。
主語の無い内容だったが、俺は誰がその契約を持ちかけたのかを瞬時に察する。
その順序が本当なら、その持ちかけたヤツ──『いつかの俺』は、自分の記憶を持っていたくなかったということか。
「そんなに苦しそうな顔をしないで。俺君はちょっと疲れただけなんだよ。責任を放棄したわけじゃない」
急に黙り込んだ俺の心中を察したらしい姫城が、ゲーム画面の投影をやめて俺の隣に立った。
寄り添うように立っている8ビットからは、何の熱も感じないが、声には心配したような色がある。
「俺は、自分のことを憶えていたくなかったんだな」
表情の変化を作れないはずなのに、目の前の姫城が困っているのが伝わってきた。
俺にどう言葉を掛けようかと逡巡している様を見ている内に、少しずつ視界が暗くなっていく。
嗚呼。
この世界に居られるタイムリミットが迫ってきてるんだな。
「ってか、俺君ってなんだ。だっせぇの」
しんみりした空気のまま、姫城をこの世界に置いていくことがどうにも気になって憎まれ口を叩いた。
ずっと気になっていた呼び名について文句をつける俺に、姫城が「え〜」と不満そうにぶすくれる。
「いいじゃん、俺君。僕は僕君で、君は俺君」
「絵本かよ」
俺の投げやりなツッコミに、クスクスとさざ波のような忍び笑いが聞こえてくる。
俺君に、僕君。
きっと名前を返せない姫城が、精一杯つけてくれた呼び名なんだろうなと思うが、それでももう少しあっただろと思わずにはいられない。
そこで、俺の意識は暗転した。
☆★☆
「行っちゃったねぇ」
上空を見上げているのは、相も変わらず簡単な8ビットで描かれた基本人格の姫城誠だ。
「俺君、やっぱりかっこよかったな。二葉さんには及ばないけど、今どきのイケメンさんって感じ」
楽し気に一人笑った彼はもう、その場で行進をしていなかった。
あれはゲーム好きな交代人格のためのサービス演出だ。
刹那、風が吹かない精神的な空間にも関わらず、春の嵐のような突風が吹く。
何処からともなく、風がつれてきたらしい白の花弁達が舞っている。
甘酸っぱい匂いを伴っているソレは、林檎の花弁だ。
舞い狂う花達が晴れた瞬間─そこに現れたのは、銀色の長い襟足を靡かせた本来の姫城誠だった。
交代人格とは違って、少々垂れ下がった眦に嵌め込まれているのは愁いを帯びた碧眼で。
キュッと上がった口角は、何故か楽しそうには見えなかった。
「いいなぁ、向こうの皆。あんなにカッコイイ人に救ってもらえるんだもん」
姫城は先程まで対面していた男の容姿を思い出して、うっそりとため息を漏らした。
その瞬間。
ポンと軽快な音がして、姫城の腕の中にベージュブラウン色の髪をした男のぬいぐるみが現れる。
茶色のボタンの目に、糸でバッテンに縫われた口が可愛らしいそれは、姫城の上半身くらいあった。
お仕着せとして着せられているのは、黒のスパンコールが縫い付けられたステージ衣装だ。
姫城は突如出現したぬいぐるみに驚くことなく、ギュッと抱き締める。
途端、ぬいぐるみが輪郭を辿るようにザワザワとうねった。
まるで中から何かが突き破ろうとしているような不気味な動きを、姫城は更に強く抱き締めて宥める。
「ダーメ。君はもう僕のモノなんだから。大人しく僕と一緒になろうね」
子供に言い聞かせるような猫撫で声で諭した姫城は、目を離した隙に外へと飛び出していこうとする記憶の塊に頬ずりする。
幸せそうに。
否、何処か祈るように目を伏せた彼は、ふふふと笑いを零した。
「僕は、僕で頑張らなきゃ。契約を破っちゃったら──俺君が困っちゃうもんね」




